鍋島特製のチキンカレーを堪能したあと、真澄が持参したケーキと紅茶を前に、中大路が今回の一件について告白をはじめた。


「──林淑恵さんは大学の同級生で、一回生のときから付き合っていました」中大路は言った。

「ちょ、ちょっと待って」と麗子が制し、戸惑いがちに隣の真澄に振り返った。

 それを見て中大路は言った。

「彼女には昨日、だいたいのことは話しました。だから今日はもう、大きく衝撃を与えるようなことはないと思っています。おそらくは」

「真澄、いいの──?」

「大丈夫、心配せんといて」と真澄は笑顔で答えた。「ありがとう」

 麗子が不承不承という感じで頷くのを見ていた鍋島もまた、固く結んだ口元を歪めて伏し目がちに腕を組んだ様子がずいぶんと不満げだった。その様子を眺めていた芹沢はやれやれと思った。

 やがて中大路が話を再開した。

「学生のカップルでしたから、無邪気な付き合いでしたが、いろいろあっても、それなりに順調でした。就職活動を始めて、ようやく少しは真剣に将来のことを考えるようになると、ともに人生を歩む意識を持つようにもなりました。卒業して社会人になり、数年したら、結婚して家庭を築くのだろうなと、漠然とですが疑いもなく思っていたんです」

 中大路はゆっくり、噛み締めるように話した。なぜだか少し悔しそうだった。おいおい、どこで悔しがっとんねんと、鍋島は早速苛つきを覚えた。

「──それで、それまではあまり気に止めていなかったことが、はっきりと分かったんです。自分たちの関係が、それぞれの家族に歓迎されていないということが」

「お互い、家業の跡取りだから」麗子が言った。

「それもあります。けどもっと──」中大路は言いかけて、首をひねった。「あ、いや、まあ……そんなとこです」

「民族の違い?」芹沢が言った。

「ええ……はい」中大路は頷いた。「全部ご存知なんですね」

「全部ってわけやない。捜査やないねんから」

 鍋島が吐き捨てた。芹沢はふんと笑った。

 中大路は続けた。

「特に林さんのご家族に強く反対されました。彼女には日本人ではなく台湾人の婿を取らせて、お祖父じいさんが一代で築き、一族で大きくした家業を継がせたがっていた。お祖父さんは戦後すぐに両親とともに来日して、相当ご苦労なさったということです。だから日本人との結婚は受け入れられるものではなかったのでしょう。僕の両親も、正直いい顔をしませんでした。すぐに別れろとは言いませんでしたが、まだ若いし、大事なことだからもっとよく考えろと、その一点張りでした。僕が、何かの機会に彼女のご両親も賛成していないと告白したのを、好都合だと考えたのだと思います。積極的に反対しなくても、決して首を縦に振らず、放っておいたらそのうち別れるだろうと」

「中大路さんのご両親が、そんな風に?」麗子が訊いた。

「ええ。あの人たちはいつもそうなんですが、あからさまに子供の意思を否定するようなことはしません。息子の気持ちが自分たちにとって都合のいい方向に向くのを、時間をかけて少しずつ誘導する。結果、まるで僕自身がすすんでその選択をしたと思えるようにね」

 中大路は言うと自嘲気味に笑った。「そういう親なんです。ちょっとずるい」

 麗子は不安げに真澄の顔を伺った。すると真澄はにっこり笑って言った。「うちの親も同じよ」

「結局、そのままの状態で卒業を迎えました。社会に出て、それぞれに忙しくしながらも、時間を作って逢い、いつまでも二人の思いは変わらないという姿勢を見せることで、いつか親たちが折れるのを信じて待っていました」

 中大路は言って、隣の真澄に振り返った。「ごめんね」

 真澄は穏やかな笑顔でううん、とかぶりを振った。

「ところが、二年ほど経ったある日、電話中に些細なことで喧嘩になりました。その頃僕はもうロンドン勤務になっていて、慣れない海外生活のストレスで苛立ち、彼女も仕事に迷いを感じて疲れていたようでした。お互い、我を通して、譲ることをせず、こじれてしまった。結局、僕が捨てゼリフのようなものを吐いて電話を切り、それっきり連絡なしで三週間ほど過ぎた頃です。彼女が突然ロンドンにやってきた。仕事を辞めた、もう日本には戻らないと言って」

「よほど思い詰めてたんだな」芹沢が言った。

「かも知れません。いえ、たぶんそうでした」中大路は頷いた。「それで、追い返すわけにもいかず──というより僕も嬉しかった。幸い彼女の家族からは何も言ってこなかったし、そのまま同棲を始めたんです」

「それでも結局、結婚には至らなかったのね」麗子が言った。

「……ええ。駄目でした」そう言うと中大路は俯いた。

「親の反対に勝てなかった?」

 いいえ、と中大路は首を振った。そのまま言葉を継げないでいると、真澄が彼の腕にそっと手を添え、大丈夫よ、と促した。

 中大路は頷き、小さな声で言った。「彼女が……流産してしまったんです」

 鍋島は顔を上げ、厳しい視線で中大路を見据えた。麗子はえっ、と言ってそのまま固まったように黙り込んだ。芹沢だけは表情を変えず、相変わらず冷めた目で手元のティーカップを見つめていた。

「僕がいたらなかったんです。一緒に住み始めて一年が過ぎようとしていたのに、相変わらず仕事に追われ、まるで余裕が無かった。それなのに彼女と離れたくなくて、気遣うどころか、依存していた。彼女が日本での生活を清算し、親の意向に背いてまで自分のところに来てくれた事実に身を引き締めるどころか、すっかり甘えていた」

 中大路は言うと、不甲斐なかった自分に腹を立てているかのように顔をしかめた。「妊娠していることさえ知らなかったんです。体調を崩して寝込んでしまったので病院に連れて行ったら、流産しかかっていると。そこで初めて聞かされて──すぐに入院して、絶対安静にしてましたが……駄目だった」

「それで結局、うまくいかなくなったということ?」麗子が訊いた。

「ええ。彼女がひどく落ち込んでいるのを、僕は支えきれなかった。君のせいじゃない、僕も悪かったんだと言っても、彼女の心は癒えなかった」

「『僕も悪かった』?」と麗子は強く訊き返した。「『も』って言ったの?」

「……そうです。言ってしまったんです」

 麗子は首を振って溜め息をついた。

「それで、どうしていいか分からなくて、僕は彼女の悲しみと心細さから目を背けました。仕事に逃げて、彼女を置き去りにしてしまった。どれだけ苦しんでいたか、たとえ何も言えなくても、ただ寄り添ってさえいれば分かるはずだったのに、それをしようとはしなかった」

「……卑怯な」と鍋島が言った。芹沢が視線だけを上げて鍋島を見た。そしてすぐにその目線を真澄に移した。案の定、彼女は哀しそうな顔で鍋島を見ていた。

 そうとも知らない鍋島は続けた。「一番やったらあかんやつや。当事者の自覚が無さすぎる」

「……おっしゃるとおりです」

「そっとしとこう、くらいに思ってたんかも知れんけど、それが気遣いやと理解してもらえると思うなんて、男の甘えや」

「鍋島」と芹沢が制した。

「ましてや仕事に逃げるとは」

「鍋島、おい、なーべーしーま」

「何や」鍋島は迷惑そうに振り返った。

「……ったくやめろよめんどくせえ」芹沢は組んでいた腕を解き、左手で顔を拭った。「それって例の、相変わらず辛気臭い自己満の同情なのか? それともただの正論ゴリ押し説教かよ。どっちにしたってうざってぇけど」

「そんなんとちが──」

「この人たちは明日が早ぇんだよ」

 鍋島は口をつぐんだ。芹沢は静かに続けた。

「今さらおまえの愚痴なんかどうでもいいんだ。邪魔すんな」

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