《――何やて?》電話の向こうで鍋島は声を上げた。《母親が?》

「言っとくが熱くなんなよ」芹沢はちょっと笑った。「まさか、とか、そんなはずは、とか言ってる時間なんかねえんだから」

《……確かに母親やったんやろうな》

「リサーチの精度の高さは自己評価してます」

 二宮のスマートフォンのスピーカー機能を使っての通話だったため、会話を聞いていた二宮が独り言のように言った。

《母親が何か知ってるってことか》

「あるいはもっとタチの悪ィ関わり方をしてるのかも」

《………》鍋島は黙り込んだ。

 芹沢はやれやれという感じで眉を上げ、そして言った。「どうする」

《直接会って、問い質すしかないか》

「バッジなしでどうやって会うんだ」芹沢は訊いた。「お嬢さんに頼むのか。この現実を突きつけて」

《……いや、それは出来ひん》

「だろ。だったらとりあえずこの件は一つの情報に留めとくってことで、時間のない今は強行突破しかないぜ」

《強行突破?》

「さっきの話さ。調べてくれたんだろ、萩原さんが」

《滋賀の料亭跡か》

「そう」

《乗り込むんか》

「ああ。俺ら京都にいるからちょうどいい。さっき、たっけぇ親子丼も食ったしな」芹沢は言うと自嘲気味に笑った。

《何やそれ》

「何の変哲もねえ蕎麦屋だと思って入ってメニューも見ずに注文したら、親子丼が千二百円だってよ。大阪のが染みついてる身としちゃ、暴れそうになったぜ」

 芹沢は舌打ちした。「箸袋にしれっと『創業寛正六年』とか書いてやんの。それがいつ頃なのか瞬時に分かんねえあたり、京都は油断ならねえ」

《何を今さら。フツーの京都あるあるや》

「ああそうさ。確かに風情はあっだけど、さりげなく周囲と馴染んでる店構えに騙されたってわけだ」

《味はどうやった》

「これがびっくりするほど旨かった」

《じゃ結局は良かったんやろ》

「まあな。でも丼物で千二百円なんて出したことねえから――」

「あの、そろそろいいですか食事の話は」二宮が口を挟んだ。「……付き合いきれない」

「そうだな」と芹沢は頷いた。「とにかく、俺たちは今からその滋賀の料亭跡に向かう。おまえも身体が空き次第合流しろ」

《母親はほっとくんか》

「今は仕方ねえだろ。俺だってさっきまではそこしか打開策はないなと思ってたけど、滋賀の物件の話を聞いたら、断然そっちの方が手っ取り早ぇ」

《……分かった》

 頼りなげな鍋島の返事に、芹沢は小さくため息をついた。「全部カタがついたら、どうせ明らかになっちまうんだ。だからって今からそのときのことをくよくよしたってしょうがねえだろ」

《分かってるよ》

「分かってねえよ。それとも、おまえが先に母親から話を聞いて、どうにかなるもんなのか?――っていうか、どうにかしようとでも思ってんのかよ」

《いや……》

「だろ。ったく、その性格なんとかしろ」

 そう言ってどこか疲れたような表情を浮かべた芹沢を、二宮は不思議な気持ちで見つめた。

《滋賀の料亭跡にはどうやってアタックするんや。まさかホンマに強行突破か?》

「それじゃあとで面倒なことになる。大丈夫さ、アテはあるから」

《アテ?》

「県警にがいるんだ」

《……なるほどな》と鍋島はため息をついた。《大丈夫なんか》

「大丈夫だと思うぜ。俺の勘が鈍ってなけりゃ」

《……この際そう祈るよ》

「えっ、ちょっとあの、よく分からないんですけど」

 二宮が慌て気味に言った。「知り合いって、どういう方なんですか。勘が鈍るってどういうことです?」

「知り合いは知り合いだよ」

《――え、何や?》鍋島が訊いた。

「こっちの話さ」と芹沢は言った。「本部の鑑識にいるって言ってたから、管理会社に現場を見たいとか言ってもらえば何とでもなるだろ」

《令状なしやぞ。問い合わせられたらどうする》

「建物の中には入らねえって言って何とかする。とにかく、今ここで議論してても始まらねえ。方法がそれしかねえんだから」

《……慎重に行けよ》

「分かってるって。任せろ」

 芹沢は言うと電話を切った。スマートフォンを二宮に返すと、今度は自分の携帯電話を取り出してアドレスを開いた。「――えっと、何て名前だっけな」

「え、その程度?」二宮はぽかんと口を開けた。「だからいったいどんな知り合いなんですか?」

「二ヶ月ほど前に合コンで知り合ったコ」

「――! 何ですかそれ!」

「あーもういいぜありきたりの抗議は」芹沢は携帯電話を見たまま言った。「人数が足りないからって、頼まれて行っただけだからよ」

「人数合わせであなたを誘うバカなんて居るんですか」

「俺も言ったんだ。俺なんか誘ったってつまらねえだけだぜって。だけどどうしてもって、助けると思って来てくれって言われりゃ仕方ねえだろ。同期なんだし」

「『つまらない』の意味を履き違えてますね、その同期は」

「みたいだな。俺が謙遜して言ったと勘違いしたのさ……あった、これだ」

 芹沢はダイヤルすると電話を耳に当てた。「自分たちがつまらねえ思いをすることになるとは思ってなかったんだろ」

「鍋島さんはさっきの会話で理解されたんですね。合コン相手だって」

「たぶん。そんな口調だったろ?」

「いいコンビですね、まったく」二宮は頭を振った。「で、やっぱり一人勝ちってわけですか」

「合コンか?」

「ええ」

「毎度変わり映えのしねえ結果だった」と芹沢は頷いた。「合コンなんて久しぶりだったから、かなり遠慮してたんだけどな」

「……腹立たしい」二宮は唇を噛んだ。「ボクだったら、絶対に数合わせなんかであなたを誘いませんよ」

「俺もだ――あ、もしもし? こんちは。分かる? 俺――そう、うん、うん、元気だった?――」

「……警部が気の毒だ」

 二宮は小声で吐き捨てた。



 一方の鍋島は、電話を切ったあと、しばらくデスクの前で考えごとをしていたかと思うと、大きくため息をついて再び受話器を取った。

「鍋島」

「――あ、はい」鍋島は受話器を置いて顔を上げた。

 声の主の高野係長が、芹沢の席に座ってきた。

「おまえら、何やってんにゃ」

「は?」と鍋島は首を傾げた。「何って?」

「何かコソコソやってるやろ。芹沢と」

「芹沢は早退したでしょ。福岡からおふくろさんが出てきたとかで」

「嘘に決まってるやろ」

「嘘なんですか?」鍋島はちょっと大げさに驚いてみせた。

「あいつのヘタな芝居が見抜けへん俺やと思ってるんか」高野はふんと笑った。「お前の芝居もな」

「俺はこうやってちゃんと働いてますよ」

「ただここにいるだけやろ。しかも、そろそろ終い支度やないか」高野は顎で鍋島の片付いたデスクを示した。

「案件が一つ片付いたから、ちょっとブレイクタイムです」鍋島はにっこり笑った。

「のんびり休んでるようには見えへんかったけどな。あちこち電話して」

「そう見えるだけですよ。ケータイ持ってへんから」

「そうか。そう言い通すか」

 高野は言うと立ち上がり、有無を言わせないような鋭い表情で鍋島を見下ろした。「勘違いしたらあかんで。丸腰でできることなんて、俺らはたかが知れてるんやからな」

「……ええ、そうですよね」

 鍋島は愛想笑いをして頷いた。

 高野が席を離れて行ったあと、鍋島は再び受話器を取った。

「――あ、なんべんも悪いな。ううん、別に急ぎと違うんやけど――」

 鍋島は話しながらなにげにあたりを見渡した。植田課長がこちらを見ていた。

「――あのな。やっぱケータイ買うわ――」

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