西条琉斗を彼の自宅前で見送った直後、芹沢はライダースジャケットの胸ポケットに入れた携帯電話が振動し始めたのをいささかうんざりしながら感じ取った。仕方なく取り出してディスプレイを開き、通話ボタンを押すと言った。

「どうだった」

《──あ、分かるんか、俺──》

「今どき公衆電話からかけてくるヤツなんて、おまえしかいねえ」

 芹沢は呆れ気味に言った。「女には会えたのか」

《死んだ》

「何だって?」芹沢は思わず声を上げた。「それってまさか──」

《違う、大量のワインと大量の睡眠薬、その上リストカットしてる。今のところ、疑いようのない自殺や》

「遺書みてえなもんは?」

《これから探す》

 そう言ったところで鍋島は溜め息をついた。《……所轄とも話はつけた》

「ホネだったみてえだな」と芹沢は口元を緩めた。

《いつものことや。おまけに、一人で行ってたまたま居合わせたなんて、そんな偶然、向こうにしたら面白くないやろ》

「しかもそれがおまえみてえなヤツだったら、なおさらだ」

 芹沢は口元を緩めた。「で、俺もそっちへ来いってか?」

《いや、おまえ次第や。そっちは済んだんか》

「とりあえずはな。こんなにじっくりガキの話を聞いてやるとは、我ながら驚きだ」

《たまにはええやろ》

「いいもんか。俺はカウンセラーじゃねえ」

 芹沢は吐き捨てるように言うと、声の調子を落とした。

「……自殺した女、一枚噛んでると思うか」

《間違いないな。あるいは……ひょっとするとひょっとする》

「そうなってくると、不可解なのは女房の行動だ」

《ありゃほんまにはめられたのかも知れんぞ。泥酔の上の爆睡の間に、包丁握らされたのかも》

「誰に?」

《そこがはっきりしてたら話は早い。っていうか、そう易々と決められるもんでもない》

「確かにな」

《それで? 娘と高校生、両方家に送り届けたんか》

「坊主の方だけだ。娘はその前に坊主と喧嘩して、独りで帰っちまってた」

《それで放っといたんか?》

 鍋島に呆れられて、芹沢も自嘲気味に笑った。「言ったろ。女はめんどくせえって」

《それで済むもんでもないやろ》

「まぁな。確かに、今の話を聞いたらちょっと方針変えた方がいいかも知れねえ」

《どうするんや》

「さあ、どうすっかな」

 芹沢は言うと目の前の琉斗の自宅マンションを見上げた。「……ま、それは任せろって」

《相手は子供や。やり過ぎんなよ》

「分かってるさ。けどあいつら、おまえが思ってるほどガキでもねえかもよ」

《どういうことや》

「娘は援交で金儲け。ボディガードの坊主は俺を騙そうとしやがった」

《ふうん。でもその程度はおまえにとっては想定内なんやろ》

「もちろん。今どき健全で素直なガキなんて見たこともねえし、信じてもいねえ」

《……それが正解》

 鍋島は溜め息混じりで呟いた。そして話題を変えた。

《一条から連絡は?》

「メールが入ってた。三上サンと一緒に京都へ行くらしいぜ」

《真澄から何か知らせがあったんかな》

「分かんね。でも結構忙しそうだったから、行き詰まってるわけじゃねえと思うけど」

《やっぱり、同級生ってのが怪しいと思うか》

「さあな。俺はマンションの周りをうろうろしてたって連中の方が気になる」芹沢は言った。「その同級生がそういうのを動かしてるってんなら、話は別だけど」

《だとしたら、どういう連中やろ。わざわざそんなヤバい橋──》

「闇サイトってのがあんだろ」と芹沢は鍋島の疑問に即答した。「恨み辛みのねえアカの他人の方が、いっそ何の後腐れもねえってことよ。拉致らちるもるも金次第ってな。まともな理由のねえ理不尽な犯罪が当たり前の今じゃ、金は立派な道理だぜ」

《……そうやったな》

「みちるが帰ったら、俺たちだけで何とかしなきゃなんねえんだ。さっさとこっちの事件ヤマを片づけねえとな」

《一条、今夜中に帰れそうか》

「帰る気ねえのかも」

《……巻き込んで悪かった》

 鍋島のその言葉に芹沢は大きく舌打ちした。

「おまえ、またぶっ飛ばされてえわけ? いい加減にしとけよ」

《あ、ああ、うん》

「……ったく、性質たちの悪りぃ野郎だ」

 芹沢はバイクのエンジンをかけた。「そろそろ行くわ。ここでおまえとくっちゃべってたって、どっちも前に進まねえ」

《分かった。事態が変わったらまた電話する》

「了解」

 芹沢は電話を切った。するとそのとき、頭上で大きな音がした。

 マンションの三階のどこかの窓から漏れてきた、椅子のような家具が倒れた音と、食器の割れる音だった。

 琉斗の自宅も三階にある。


 ──残ってるのは、ガキを殴る気力だけってか。


「……クソだな」

 芹沢はヘルメットを被ると、ハンドルを握って地面を蹴った。




 茜は自室のベッドに仰向けに横たわり、さっきからスマートフォンをじっと見つめていた。

 画面はモバゲーのパズルゲームを表示していた。右手の親指を器用に動かしながら、茜は、頭の中ではまるで別のことを考えていた。


 琉斗にあんなことを言うつもりなんて、本当はなかったのに。

 寒いところで、何時間も自分のことを待っていてくれた琉斗。本当は嬉しかったのに、彼の顔を見た途端、どうしてだか素直になれなかった。彼の少し怯えたような表情が、あのときの茜を無性にいらつかせた。

 どんなに心配してくれたって、しょせん琉斗にはどうしようもないことなんだと思ってしまった。


 ──だけど、あたしと琉斗は同じなんだよ。家では独りぼっち。


 そのとき、ドアの向こうの廊下の下で、リビングのインターホンがエントランスロビーからの呼び出し音を鳴らすのが聞こえた。

 茜は起きあがった。しばらくそのままで耳を澄ます。

 するとまたチャイムが鳴った。少し間があって、また鳴った。

 琉斗かな、と茜は期待と後ろめたさの混じったような胸騒ぎを覚えながら、部屋を出て廊下の先の階段をゆっくりと下りた。

 階段の真ん中あたりまで来たところで、今度は手にしていたスマートフォンが着信音を鳴らし始めた。

 茜は驚いて着信番号を見た。うろ覚えだが、その番号に心当たりがあった。そして面倒臭そうに階段に腰を下ろすと、指をスライドさせて耳に当てた。

「──もしもし」

《玄関、開けてくんね?》

 唐突にそう言った声もまた、聞き覚えのあるものだった。

「あのぉ、まだ何か」

《うん。ちょっと事情が変わってさ》

「……お待ちください」

 茜は電話を切ると、階段を下りてリビングの壁に掛かったインターホンのパネル画面の解錠ボタンを押した。

 しばらくすると、今度は玄関のチャイムが鳴った。

 茜は玄関に出て靴を履き、ドアの鍵を回して扉を開けた。

 目の前に立っていたのは、やはりあのイケメン刑事だった。

 刑事はちょうど大きな欠伸をし終えたところで、気怠そうに顔をしかめて茜に振り返ると、右手でうなじのあたりをゆっくりと揉みほぐしながら茜を見下ろし、馴れ馴れしい口調で言った。

「な、ちょっとドライブしない?」

「え?」

 茜は我が耳を疑った。「何ですか?」

「俺のバイクで。割とカッコいいんだけど」

「……何言ってるの?」茜はあからさまに嫌な顔をした。

「大丈夫だって。騙したりしねえからさ」

 そう言うと芹沢はにやりと笑った。「あんたとヤりてえなんて、思ってもねえし」

「………………」

 茜は唖然として芹沢を眺めていたが、やがてブン、と首を振るとドアを閉めようとした。

「おっと、それなし」

 芹沢は閉まりかけたドアの隙間に足を入れ、ドアの上部を掴んで茜を見下ろした。茜は睨み返した。

「刑事のくせに、どういうつもりですか」

「だってよ。援交なんて、モテねえ野郎のすることだろ」

 茜は諦めたように溜め息をついてドアノブから手を離し、腕を組んだ。

「……何が言いたいの?」

「ドライブしようって、そう言ってんだけど」

「何のために?」

「キミとオハナシしたいんで」

 茜はふんと笑った。「これ、あなた流のナンパ?」

「まさか」

 そう言うと芹沢は突然、茜が胸の前で組んだ右腕の手首を掴んでぐいっと引き寄せた。

「痛い、何すんの──!」

「本田佐津紀が死んだぜ」

「えっ──」

 顔色の変わった茜を見つめながら、芹沢は口の端っこに微かな笑みを浮かべて言った。

「いいから、便所済ませてケータイ持ったら、さっさとコート着な」

 そして芹沢はゆっくりと茜に顔を近付け、凄味のある真顔で彼女に囁いた。

「あいにく今度は、あの鼻の曲がったボディガードはいねえけどよ」

 茜は怖くて泣きそうになった。

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