杏梨という人





 結局、幸か不幸か真莉は体育の時間を見学することになった。

 

 すると、大人しく壁際に座って休んでいた真莉の耳に、ある会話が飛び込んできた。


「……ねえねえ!もしかしてさ、城見さんがさっき飛び上がったのって……跳ぶ直前の、あの変な動きのせいかな」


「ああ!あのスキップみたいなやつ?」


「あれ、ただつまずいたんだと思ってた!」


「もしかしたら、あれが何かの合図だったのかもしれない!」


「試してみようよ!」


 女子たちはキャッキャしながら楽しそうに列に並ぶと、本当に先ほどの真莉が見せた、奇妙なステップを真似し始めた。


 わざわざ踏み台の数歩前で止まると、思い思いに真莉の動きを再現して足を動かす。


 右足が先かな?こんな感じじゃない?などと言いながら三人で試行錯誤している。悪意がないことは充分わかっているが、真莉としては顔から火が出るほど恥ずかしい。


 頼むからもうやめてほしい……!と頭の中で叫びながら、真っ赤な顔を手で覆った。


「こらー!そこの女子三人!ふざけてないで真面目にやりなさーい」


「えー…」


「はーい」


 真莉の祈りが届いたのか、先生に怒られた彼女たちはしぶしぶ真莉のマネをするのをやめた。真面目にやってるのにねーなんて言いながら、各々の練習に戻っていく。


 ほっとして顔から手を外した真莉の耳に、なにやら騒がしい声が響いてきた。よく見ると、輪の中心にいるのは杏梨だ。


「杏梨ちゃんすごーい!」


「八段が跳べるなんてさすがだね!」


 どうやら、すでに課題をクリアしてしまった生徒たちのために、先生の監視付きという条件で普段は出されていない八段の跳び箱が用意されたらしい。


 遠くから見ても、その尋常ではない高さを見て取ることができた。


「杏梨ちゃん、もう一回見せてー!」


「いいよ〜!」


 杏梨はみんなの見ている前でスタート地点に戻ると、タタタッと走り出して何の迷いもなく八段の跳び箱を跳んで見せた。


 リズムよく踏み込み、余裕の高さで跳び箱に手をつくと真っ直ぐ足を広げて軽やかに跳び越える。綺麗に着地まで決めると、くるりと振り返ってピースを見せた。


 自然とその場に拍手が沸き起こる。杏梨はみんなに囲まれながら、えへへと照れたように笑っていた。


(……やっぱり、杏梨ちゃんはすごいなぁ)


 真莉はその様子を、ただ遠くから見つめていた。膝を抱えたまま、なんとなく腕の間に顔をうずめる。


 ──魔法なんか使わなくても、何でも出来てしまう杏梨。


 ──魔法を使っても、何も出来ない私。


 自分の不甲斐なさが、なんだか急に虚しく感じて……真莉は体育館の隅の方でひとり。少し、ほんの少しだけ泣きそうになった。




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