タイムリミットまであと少し
届いた手紙に、ああ、やはりな……と思う。
苛立ちに彩られた文面に、笑みをひとつ。
「非常識相手に、一般的な手段でどうにかなると思う方が間違いですよ」
まぁ、ろくでもないことを実行する時の行動の速さだけは尊敬に値しますけどね、とレーヴは冷たい声音で呟いて、ひとり嗤った。
* * *
「……おお」
養い子からの手紙を広げるなり、エーリの口からそんな声が漏れた。平淡な声音ではあるが、そこに紛れもない驚きの感情が込められていることを感じ取り、クロウは珍しいこともあるもんだ、と顔を上げる。どした? と声を掛ければ、手紙に視線を落としたままのエーリが、んー……と気の抜けた返事を寄越した。
「ルーフェ、誘拐されたんだって。何か事後報告来た」
「……は?」
のんびりとした声音と裏腹に、その内容はかなり明後日の方向へかっ飛んでいたが。
思わず間の抜けた声を上げたクロウを誰も責められないだろう。ぱちり、と瞬いたクロウの視線の先で、エーリはまだ手紙の文面を追っている。
「え、誘拐……って、誘拐?」
「そー。一般的な成功率が極めて低い、だいたい阿呆が取る短絡的手段のそれ」
机に頬杖を付いたくつろぎの体勢で、声音も口調も家用の砕けたものではあったけれども、遠回しなようでいて直球で相手を貶しているエーリの言葉のチョイスにクロウは内心であーあと思う。ウチの王様がお怒りだ。
見た目ではまるで判らないエーリの機嫌の低下を認めて、逆にクロウの混乱は収まった。
「で? まぁそうやって暢気に手紙が来る辺り、無事ではあるんだろうけどよ」
「うん、無事だね。怪我もちょっとした擦り傷と頭のたんこぶだけだったみたいだし」
「ほーぅ?」
「というか、その程度だったせいで、誘拐された当の本人はかるーくそのまま事態を流そうとしてたみたいだけど」
「ほほーぅ……?」
思わず目も据わろうかというものだ。
聞けば、ルーフェは誘拐をされはしたものの、相手の顔を見ることもなくとっとと現場から撤収して普通に寮に帰ってしまったらしい。何だそれは、というような事態のオンパレードだったが、ああうん普通にやりそうだなそれ、とクロウはむしろ納得した。通常の拉致監禁程度ではルーフェには何の意味も成さない。縄抜けとか高いとこからの移動手段とか教えといて良かったよね、とエーリは隣で呟いている。
「で、実害がそんなになくて、その後も特に何も起こらないからもういいだろう、と適当に流そうとしたのがウチの子で、一応報告ぐらいはしておけ、って苦言を呈してくれたのがレーヴね」
「……本気で保護者やってくれちまってるなぁ、それ」
「しかも、どうせルーフェはきちんと報告しないだろうから、って別口で手紙くれたよあの子」
ほら、とエーリは手元の便箋を一枚抜き取ってひらひらと振ってみせた。ルーフェからの手紙だと思っていたのだが、どうやら中にレーヴからのものも雑ざっていたらしい。なるほど、便箋には覚えのない筆跡が並んでいる。相手の年齢を考えれば不自然な程に読み易い整った文字は、ルーフェが誘拐された後脱出して帰って来たまでの経緯と、犯人は未だに判らないこと、その後の接触もないこと、それからアカデミー側の対応とルーフェが一時閉じ込められていたらしい建物の所在地まで丁寧に告げていた。更には、どうせあの馬鹿は誘拐されたって事実しか言わないだろうから、という注釈が最後に付いている。
続けて我が子からの手紙を見れば、懸念通りに該当箇所は『誘拐みてーなことされたけどオレは無事』との一文で終わっていたので、クロウは渇いた笑いを浮かべて天井を仰いだ。これはひどい。ウチのがすまん。
「ルーフェの行動も読み切った上で過不足ない報告くれてるよね、これ。憎まれ口付きなのはご愛嬌、かな」
「というか、誘拐現場の所在地書いて寄越す辺り、お前の性格まで読まれてるだろ」
つまり、そこから実行犯を調べるなり報復するなりはお好きにどうぞ、というわけだ。
クロウの指摘に、エーリはただにこりとした笑みを浮かべてみせた。綺麗というよりはただただ圧の強い笑みに、クロウは肩を竦める。
「で? 調べんの?」
「当然、調べるよ。……気になることもあるしね」
ふとトーンの下がった声音で呟いた相手に、クロウはうん? と眉を顰めた。目の前、エーリは変わらず頬杖を付いたまま、養い子たちの手紙を目で追っている。
「気になる、って……何が?」
「まぁ、いろいろ? とりあえず、誘拐現場の建物……その持ち主が既にアウトな感じ」
「調べる、ってか、調べ終わってねぇかそれ」
「いや、元々知ってただけ。あそこ、面倒臭い商会のとこの契約倉庫」
さして面白くなさそうにエーリは告げたが、そもそもこいつの頭の中にはどれだけの情報が渦巻いているのかとクロウは思う。職業柄、クロウも必要なことは覚えたら忘れない性質ではあるが、エーリはその比ではない。必要な時に必要なものを必要なだけ、記憶からきっちりと取り出してみせるのだ。
「面倒臭ぇって、どの程度のやつ?」
「筆頭」
「オーケー把握。そりゃアウトだわ」
即座に相手を理解して、クロウはそう断じた。エーリが面倒筆頭と表現したその相手は、おそらくここ数年何かと絡んで来る競合他社を指している。一応確か業界のナンバー2だったか。明確な脅威にはならないので放置していたが、多少鬱陶しいと感じていた相手。……アウト。明らかに怪しい。
「まぁ……そっちは黒が確定したなら、放置するのを止めにして潰せばいいだけなんだけど……」
「ああ、まぁな……。後始末が大変そうではあるが、そこは仕方ねぇか」
敵対する者への慈悲はない。今更確認するまでもないそれに頷いて、それならば何に引っ掛かっているのかと先を促す。
エーリは気になることがいろいろある、と言った。競合他社については気になることというよりも、邪魔になるのなら排除するといった決定事項に近かったが、いろいろと言うのなら何か他にもあるのだろう。
「いや、ルーフェがね……」
「あん?」
「自分のことはどうでもいいー、って流したくせに、レーヴの様子がおかしかったのが気になるー、って書いて寄越すものだからさぁ」
「……あ?」
ほらこれ、とエーリはまたひらり、と便箋を一枚を持ち上げてクロウの目の前で降った。そこには見慣れた養い子の字で、レーヴの様子が何か変だった。何かあったのかって聞いても何もないって言うし、何でもないってカオしてねーし何なんだ、とか何とかつらつらと不満なのか愚痴なのかよく判らないことが書き連ねてある。
「おい、これ……」
「ね、自分が危ない目に遭ったことは一行で済ませるくせに、友達の様子がおかしい、ってうだうだ書いてくる辺り、すごくかわいいよね?」
「何なんだっていうお前が何なんだ、って感じだな。あと、相談する相手絶妙に間違えてる感すげぇ」
「お前ホントさらっと僕に喧嘩売ってくるスタイル何なの。買うぞ」
「売ってねーしお前の交友関係なんざ俺を含めて褒められたもんじゃねぇのも事実だろ」
「自分で言っちゃうその姿勢も何なの」
そこで「事実だけどさ」と言ってしまう辺り、確実にエーリも同類である。他人のことは言えない。
自分たちも相当だが、養い子の交友関係も何なんだろうなぁ、とエーリは思う。交友関係、というよりは、今のところピンポイントでレーヴに関しての話だけれども。
ルーフェもレーヴも自分のことは棚に上げて、相手のことだけをつらつらと手紙に書いて寄越したのである。これを笑うな、という方が無理だ。
「微笑ましいよね」
「微笑ましいなぁ……。内容がちょっとアレだが」
「ま、ルーフェがレーヴの様子が変だって言うんなら本当にそうなんだろうし、良い機会だからあの子のことはちゃんと調べてみた方がいいのかもね」
パサリ……とテーブルに便箋を落としてエーリはため息を吐いた。クロウが肩を竦める。
「調べる、ってのはそれか」
「そ。さして脅威でもない商売敵調べるよりはよっぽど重要でしょ」
自分のことを王様と呼んだ子供。王様と呼んだのだから、きっとどこかで会っているのだろうけれども、珍しいことにエーリは未だにそれを思い出せないままでいる。
そしてきっと、自分たちの不自然な在り方にも気付いている子供。夏季休暇の終わりに、わざわざこちらの許可を得て寮へと持ち帰った本がその証明だろう。聖刻印、だなんて普通の人間が気にする項目でもない。
―― では何故、あの子供はその結論に辿り着いたのか。
突き詰めて考えると、少しずつ何かが不自然なのだ。エーリが思い出せないことも、子供が聖刻印なんて正解に辿り着いてしまったことも。
あの子供に嘘の臭いは感じないけれども、隠し事の気配は感じ取れる。何か変だと断じたルーフェも、無意識にしろその辺のことを感じ取っているのだろう。あの養い子は、理論ではなく本能で正解に辿り着く。
その隠し事の正体はまだ判らない。だからこそ、調べてみた方がいいというエーリの言葉に否やはないけれども。
「なーんか、こう……嫌な予感もすることだしね……?」
「縁起でもねぇこと言うなよおい」
不安を煽るような台詞には、ひと言物申したい。
お前のそういう勘は当たるから嫌なんだ、というクロウに、僕も自分のこういう勘って当たっちゃうから嫌なんだよね、とエーリも同意して小さく息を吐いた。
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