夏季休暇の過ごし方

「なー、レーヴ。お前、夏季休暇ってどーすんの?」

「現状維持」


 意味不明な単語が返ってきた。


   *  *  *


 アカデミーは、原則として寮生活が義務付けられている。

 よって、前・後期試験後の長期休暇は、それを利用して親元へと帰る生徒がほとんどだ。それに合わせてアカデミーで雇われている人員にも暇が出されるので、アカデミー内の、とりわけ寮内はほぼ無人の状態と化す。


 ルーフェもその例に漏れず、アカデミーに入って初めての長期休暇に里帰りするつもり満々だった。

 そうして、半年足らずの間にそれなりに増えてしまった荷物の中から里帰り用の荷物を纏めていた最中、ふと顔を上げた先で特に荷物を作ることもなく、あまりにもいつも通りベッドに腰掛けた状態で本を読んでいるレーヴの姿があり、それに少しだけ疑問を覚えた。あれ、準備とかしねーの? と。


 そうして、率直に投げた疑問に返された答えが、何故だか簡潔な四字熟語。


「現状……?」

「維持」


 こてんと首を傾げながら問い返せば、言葉を足されながらこくりと頷かれた。

 やっぱり意味不明ではあるのだが、要するに。


「帰んねーの?」

「その必要もないからな」


 やっぱり顔も上げずに即答された。


「僕は休み中寮内に残る。図書館の使用許可も貰ったし、不便はない」

「えー、いいなー、それ。休み中本読み放題かよー……って、ちげー! ちょっと待て」

「何だ?」

「図書館の使用許可の前に、何かあんだろ何かー」

「特に何もないと思うが」

「即答すんな!」


 迷う素振りも見せずにきっぱりと言い切ったレーヴに、ルーフェがうがぁっ! と噛み付いた。


「メシとかどーすんだよ! 寮の食堂、休み中は閉まるって聞ーたぞ!?」

「大声出すな。知ってる。僕が何年ここにいると思ってる」

「何年、って…………え、あれ、何年?」


 そういえば聞いたことがない。

 素直に問い掛けたルーフェに、レーヴはキリの良いところまで読み進めた本をぱたりと閉じた。


「七年」

「へ?」

「今年で七年目だ。いい加減慣れてる」


 ぱちり、とルーフェは瞬きをする。

 それはまた、随分と年季の入った経歴だ。レーヴは確か自分より二つ年上の十二歳。ということは、逆算すると五歳の時にアカデミーの門をくぐったことになる。


「……って、あれ? 五歳?」


 ふと、引っ掛かった。

 五歳。それは以前、何気ない会話の端にあった情報。


 ―――― 早ければ五歳前後で門戸をくぐる。まぁ、この時期に送り出されるのは……、


「…………『親側のエゴ』?」

「よく覚えていたな、そんなもの」


 呆れたとも、感心したともとれる声音でレーヴが言う。

それは確かに、ルーフェがアカデミーへとやって来たその日に、レーヴ自身が告げた言葉ではあった。


 五歳などという年代に、自らの意志でアカデミーの門をくぐろうなどという子供は稀である。むしろ皆無と言ってもいい。

 そこには大抵親の意志というものが介在し、そのほとんどが子供の将来を思って、という形の親側のエゴだ。


 ルーフェへと告げたその言葉に、嘘はない。ただ、少しばかりレーヴの置かれた状況が、それに当て嵌まらないというだけで。


「近いと言えば近いが、根本が遠いな」

「……わっけわっかんねー」

「単純にエゴでも何でもなく、厄介払いされている、というだけだ」


 ぽん、と。

 まるで、次の授業は何だ、と。

 判りきっているうえに、ある意味どうでもいい事柄を告げる時みたいな、それぐらいの気軽さで、レーヴはその台詞を投げて寄越した。

 その内容に反したあまりの軽さに、ルーフェはえ、と再び瞳を瞬く。


「やっかいばらい……」

「家にいない方がいいんだ、僕は。ただまぁ、親側にも体面というものがあって、そういう意味ではアカデミーは良い隠れ蓑なんだろうな。どちらかといえば存在を消してしまいたい子供の捨て場所としては、随分と都合が良い」


 続けられた言葉も、やっぱり軽く。ついでに言えば、吹けば飛ぶ程にぺらぺらだった。内容の重みを考えると、それは異常な程に薄っぺらだった。

 多分それは、レーヴ自身がその事実を「どうでもいい」と考えてしまっているからだろう。

 嘆いている風でも、憤っている風でもない。そんな感情は、微塵も感じさせない。

 ただ本当に、そこにある事実をどうでもよさそうに告げて、いっそ面倒臭そうにため息を吐く。


 おそらく、普通ならば絶句してもいいような場面だっただろう。

 けれど対するルーフェは、少しだけ首を傾げて。


「……帰れねーの?」


 そう、訊いた。





 帰らないのか、と訊かれた。

 それに対する答えはイエスだ。

 五歳の時にここに放り込まれてから七年。たまに連絡を取ることはあっても、家に帰ったことは一度もない。いつだって自分は、自分の意志で寮へと残る。


 帰れないのか、と訊かれた。

 ―――― それに対する答えも、イエスでいいのだろう。

 言葉の意味としては、そちらの方がより正確だ。


 というか、そもそもの話。


「帰りたい、わけでもないしな」


 ぽつり、と呟いたレーヴに、ルーフェはただそっか、と相槌を打った。

 目新しい反応に、今度はレーヴが瞳を瞬かせる。


「うん? 何?」

「いや……。普通、この話をすると、気まずそうな表情をする奴が多い」


 進んで話すような内容ではないが、休暇中に寮に残るとなればアカデミー側に対して何らかの事情説明が必要となる。その際に自分へと向けられた視線は、どれも同じようなもので。

 それらを思い出しながら口を開いたレーヴに、ルーフェはうーん……と頬を掻いた。


「だって、レーヴが気にしてないことをオレが気にしてもなー」


 それもまた、ぽん、と軽い調子で投げられた言葉。


 本当に心底、帰らない ―――― 帰れないのだという事実を、どうでもいいものとしてレーヴが扱っていることを。余すことなく理解して、そっくりそのまま受け入れてしまった。そんな言葉だった。

 理解して、哀れむのではなく。反発するのでもなく。

 ただ、そういうものなのだと受け入れて、ルーフェはけろりとレーヴを見る。

 今までに類を見なかった反応に、レーヴは無表情の裏で若干戸惑った。つくづく、普通の反応が期待できない相手だと思う。


「あ、でもな。それが悲しい……っつーか、寂しいことなんだっつーのは、さすがにオレも判るぞ?」

「……ああ、そうだな」


 確かに、そうなのだろう。

 それは、さすがにレーヴにも判る。ただ、実感としては理解できない。ただ漠然と、そうなのだろうな、と思うだけで。


 頷いて、そこで話は終わりとばかりに再び本を開こうとしたレーヴだったが、不意に目の前のルーフェがぽむ、と手と手を合わせたのを見て、何となく嫌な予感に見舞われた。自然、ページをめくろうとしていた手も止まる。

 胡乱気に自分を見やっているレーヴを見返して、ルーフェはにんまりとした笑みを浮かべた。

 満面笑顔のルーフェがにじり寄ってくる。……逃げたくなるのは何故だろう。


「あのさー、オレいーこと考えたー!」

「……一応聞いてやる。言ってみろ」


 碌でもないことを言い出しそうだ、と思ったが、聞かないわけにもいかない。その「いいこと」を聞くまで、ルーフェはひたすら自分に張り付くだろう。これはもう確信だ。

 早々に妥協して聞く態勢に入ったレーヴに、にっこにこ笑顔のルーフェは告げた。


「レーヴ、一緒にオレの家行こ? 休み中ずっと」

「断る」


 脊髄反射で提案を却下する。思いやりもへったくれもない速度でルーフェの台詞を切って捨ててから、ようやくそこで言われた内容を吟味するに至った。順序がまるきり逆だが、考えるよりも先に防衛本能が働いた結果である。


 そのまま、数秒。

 ……これは却下の判断で間違っていない。レーヴの脳内でそう結論が下された。


「えー、何で? いーじゃん、行こ!」

「よくない。何でそんな話になる」

「だってレーヴ寮に残るって言うし、食堂閉まるし、そしたらメシあんま食いそうにねーし」

「…………」


 見透かされている。

 確かに毎回一食二食抜くこともざらではないし、授業がある時と比べて休暇中は食事がおろそかになっているのは事実だ。そもそも何かを食べようと思えば、基本的に街まで調達に行くしかない。それが面倒臭い。

 が、それをルーフェに指摘された挙句、「不健康だから駄目」とダメ出しをされ、常識を諭される羽目になるとは思わなかったレーヴである。

 常識欠如に説教される、これ程釈然としないことなどそうそうない。


「あと、オレも『レーヴ連れて来い』って言われてるし」

「……何でだ。初耳なんだが、それ」

「おー。今初めて言った。元々予定聞いて適当に一緒に来て貰うつもりではあったんだけどなー? レーヴが寮残るってんなら好都合だなー、と」

「それはお前にとっての都合だろう。僕の、じゃない。さらっと巻き込むな」

「えー、いーじゃん。つか、どっちにしろオレの家まで一回は来て貰うことになるんだって。絶対」

「待て。どういう意味だそれは」


 聞き捨てならない。何でそれが確定事項なのだ、と眉を顰めたレーヴに、実にあっけらかんとルーフェは告げた。


「だって、エーリもクロウもレーヴに興味深々なんだってー。いっぺん会ってみてえっつってたから、下手すっと実力行使とかやりそー」

「……は?」


 よく、言っていることが理解できない。

 エーリとクロウ、という名前には聞き覚えがある。確か、元凶であるところの養い親だったか。


「何で、お前の養い親が僕に興味を持つ」

「んー? オレが手紙にレーヴのこと書いたから。そしたら、面白そうだから連れて来い、っつって……」

「本当に余計なことしかしないな、お前は」

「い……いひゃいいひゃいいひゃい!」


 腹立ち紛れにルーフェの頬を遠慮なく伸ばしてみたらよく伸びた。それが思いのほか面白くて、はからずしも本当にちょっとばかり腹立ちが紛れてしまう。


「うあー、痛かったー! レーヴひでー!」

「客観的に考えて、今の状況だとお前の言ってることの方が酷い」


 というか、ルーフェの養い親が一番酷い。


「いや、でもマジで拉致とかもやりかねねーからさ。最初から、オレと一緒に来た方が、多分被害は少ないとおもーよ?」

「…………」


 どこで話がこうなった。レーヴは考えてみたがよく判らない。

 というか、ナチュラルに拉致とかいう単語が出てくるあたりどうなのかと、真剣に問い詰めたい項目ではある。しかもさらっと被害とか言った。


 この後、行く、行かないの攻防がしばらくあったのだが、最終的にレーヴが折れた。

 ……折れざるをえなかった、とも言う。


「うし、んじゃ、明日の朝出発だかんなー!」

「…………はぁ」


 いつもとは違う夏が、始まろうとしていた。

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