残念ながら
「ノーデンス!」
聞き覚えのある教師の声が、聞き覚えのない名前を呼んだ。
昼下がりの中庭は、自分たちもそうだが、アカデミーの生徒達の姿があちこち見受けられる。教師が呼んだのはそういった生徒の中の誰かだろうと適当に結論付け、振り返りもせずに足を進めようとしたルーフェの傍らで、何故かレーヴがそれに振り返った。
何か用ですか、と。
「……へ?」
名前違うじゃん、と呟いたルーフェをよそに、レーヴは教師から何やら封筒を受け取ってさっさとそのまま踵を返して歩き始めている。容赦なく置き去りだ。知ってはいたが、自分に対する思いやりとかそういうものが薄っぺらい友人である。ルーフェは慌てて目の前の背中を追いかけた。
「レーヴ!」
「……何だ?」
「レーヴ……、だよなぁ?」
名前……と呟いた言葉に、レーヴはルーフェが何を言いたかったのか大体のところを悟ったらしい。ため息を吐いて肩を竦めた。
「レーヴィヴィリエ・ノーデンス」
「へ?」
「僕の、名前だ」
言われた台詞を、脳内で一度反芻する。そうして、意味をきちんと理解するまでに、数秒。
「……舌噛みそう」
「まぁ、所詮そんなものだな。お前の感想なんて」
知っていたが、と再び肩を竦めた相手に、ルーフェは「なんだよー」と幼い仕草で口を尖らせた。
「オレ呼ばねーぞ、んな長ったらしい名前ー。マジで舌噛む」
「だから、そもそもお前には教えてないだろう」
「……あれ? 今もしかしてオレさりげなく馬鹿にされてねー?」
こてん、と首を傾げながら問い掛けるルーフェに、レーヴはまさか、と鼻を鳴らした。
何だろう、レーヴはこういった仕草がやたらめったらに似合う、とルーフェは思う。
どんな、と言われれば、何というかこう……上から目線。端的に言えばそんな感じだ。色素の極端に薄い銀色の髪と、底冷えするような印象の湖藍の瞳がそれを更に助長しているような感もある。
十二歳、というレーヴの年齢を考えるとそれが似合ってしまうのがどうなんだ、という話でしかないが、やはり似合うものは似合うのだ。印象というものは恐ろしい。
何かオレの周囲、こーゆーの似合う人間が多いよなー、と。慣れも手伝って、特に怒る気にも苛立つ気にもなれないルーフェは、ただ「そっかーぁ?」と再び首を傾げた。
「お前、頭の中身は誰も馬鹿に出来ないレベルだからな。それこそ、アカデミーにいる人員総出で掛かっても敵わん」
事実、転入初日に各授業で、本人はまったく悪気なくそれぞれに教師をやり込めてしまった過去のあるルーフェである。
若干十歳、けれど有している知識量は、既に教師陣の遥か上を行く。古代文字を何の苦もなく解読し、馬鹿みたいにいい記憶力にモノを言わせて、教本などよりよほど広範囲で的確な知識を諳んじる。かと思えば、芸術作品などの真贋を見極める目もたいしたものだ。
そんな子供を、学生として扱わなければならないアカデミー側には、同情すら覚える、と言っていたのは確かナナイだったか。
ルーフェには、今更知識などといったものは必要ない。盛大に欠けているのは一般常識だ。そう力説していたのも確かナナイだ。
どういう意味なのかはルーフェにはいまいちよく判らない。だって理解に至るまでの根本の常識がない。
「ただし、お前の頭の出来自体は実に残念なレベルだ」
接点などあろうはずもないのに、だがしかしレーヴはナナイの主張を完璧に踏まえたような形で、きっぱりとそう言い切った。
それはもう、清々しいぐらいの断言だった。断言というよりはむしろ暴言、そういう類の。
「知識はあるのに使いどころが判ってない。常識を学びに来たという言葉にも納得だ」
「ちょぉーっと待てっ! さすがに今オレがすっげーひどいこと言われてるってのは判んぞ!?」
「これだけ言ってそれだけの理解しか得られない辺りが本当に残念だ」
「レーヴちょっとマジでひでぇ! オレに謝れ! んで今日のメイン半分オレに寄越せ! デザートも!」
「全部断る。そもそも、デザートは僕が何か言う前に勝手に持っていくだろうが」
ぎゃんぎゃんと騒ぎながら歩き去っていく少年二人は、もはや話が地滑りを起こしている事実に気付いているのか。それとも気付いていたとしてもどうでもいいのか。
レーヴの名前から話が始まり、夕食の割合にまで内容が辿り着いた今現在。
とりあえず、アカデミーは今日も平和であった。
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