春が来ればミュゼル領の城下は緑に萌ゆる。

幼いリリスは学士さんと二人で街を歩いていた。


「今日は何のお話をしようか、小さなお姫様」

「魔王様のお話」

「………君は本当に魔王様が好きだね。普通は勇者とかだと思うけれど」

「だって、魔王様はいつも悪者だから。どうして?」


背高のっぽの学士さんは、とても物知り。

いつもリリスに色々な話を聞かせてくれる。

その中でもいちばんのお気に入りは魔王様のお話。

だってリリスは、あの赤い目をした魔王様のことを一日だって忘れたことはない。


「そうだねえ………。楽だから、じゃないかなあ」

「楽?何が」

「例えば、大きな地震が起こったとする。それでたくさんの人が死ぬ。その時、人々は一体なんて言うと思う?」

「………分からないわ」

「うん。人々はね、魔王のせいだっていうんだよ」

「………そんな」


大効き目を見開いたリリスを、学士さんの手が優しく撫でる。


「うん。そんなわけないのにね。でも、天災を相手に行き場のない感情をぶつけるのにはうってつけの存在なんだよ。みんなで一つのものを恨めば民衆は団結するしね」


なんて、リリスにはまだ難しい話だったかな?

おどけたように学士さんがリリスを覗き込むと、リリスはムッとしたように顔を上げた。


「………みんな、全てを魔王様のせいにしすぎだと思う。だって、学士さんがかっこ悪いのは魔王様のせいじゃないわ」

「ありゃ………。僕のこと、そんな風に思ってたんだ」

「だって、学士さん。そのモジャ髪も瓶底眼鏡も全然似合ってない」

「………ああ、そう」


学士さんはがっくし肩を落とした。

歩みが一気に遅くなり、とぼとぼとリリスの後ろを歩く。

これにはリリスも慌てた。

だって、そこまで落ち込むと思わなかった。


「で、でも。どんなにカッコ悪くたって学士さんのことを嫌いにはならないわ」

「本当?」

「ほんとう」

「じゃあ、小さなお姫様。僕のこと、好き?」





_____のちに何度も繰り返されるこの問いを、この時のリリスはまだ躊躇いもなく答えることができた。

別にリリスは魔王を憎むこの世界を愛してなどいなかったけれど、それでも自分を愛してくれる人々に当然のように愛を返すことができた。

それが幸せだったなんてこと、リリスは考えても見なかった。





「ええ、好きよ。お兄様と同じくらい」

「アンリ様と同等?これは名誉なことだね」





まだ彼に向かって、帰ろうと躊躇いもなく手を伸ばすことができたのだ。













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