三十六、青天Ⅱ

 調査チームは様々な障害に会いつつも仕事を行った。テロの証拠を挙げ、第三者委員会によって確認されると攻撃が始まった。

 魔法使いと多国籍軍による攻撃は逮捕よりも組織の壊滅を目的とした戦争だった。日本の協会は調査だけではなく、魔法の不適正使用を阻止するという名目で実力行使にも協力している。実戦に参加しているという点に対しては一般からの批判はあったが、政府の支持は得られているので無視し続けていた。魔法市民会が与党なので協会は強気だった。


 健一は立場上、検閲前の動画や静止画を見なければならなかったが、仕事でなければ二度と見たいと思うようなものではなかった。

 戦場の映像は映画やゲームとはまったく異なったものだった。整えられた画や音響でないのが現実感をもって迫ってくる。主人公的視点などなく、画面のあらゆるところで破壊と暴力が見られた。


 そこで使用された魔法を敵味方に分けてすべて一覧にするのが今の仕事だった。どちらの陣営の魔法も高度な魔法から見習いでも扱えるものまで様々だった。いくら経験を積んでいても、銃弾が飛び交う中で正確に呪文を唱え、杖を動かすことは難しい。混乱した戦場では、手早く単純な魔法がよく使用される傾向があった。

 この仕事は学習という意味ではもってこいだが、一日が終わるとかなり疲れた気分になった。光と熱と土砂に、破壊された兵器や建物が混じり、敵味方の魔法使いや兵士や民間人がその中にいた。かれらは生きていたり死んでいたりした。


「大丈夫? 最近疲れてるみたいだな」

 先輩が声をかけてくれたが、ちょっと飲みすぎたんですよ、と返事してごまかした。以後は無理にでも明るく振る舞うようにした。まだ新米のくせに弱気は見せたくない。

 一週間ほどで攻撃映像の初期部分がまとまったので提出した。次の映像が待っている。


「いや、もういいですよ。辞令が出たので区切りのついたところで終わりましょう。ご苦労さまでした」

 リーダーの言葉が救いだった。しかし、誰かがこれを引き継ぐのだなと思うとそれほど嬉しくもなかった。こういう仕事こそ自動化できないだろうか。


 翌日、正式に辞令が交付され、調査助手として任命された。最初の勤務地は四国支所、香川県だった。三か月かけて遺物調査の補助的業務を行う。嬉しいことにほぼ毎日現場に出かけられそうだった。

「いい顔してるな」

「ええ、現場に出られますから」

「間違いない。早乙女君は立派な魔法使いだ」

 チームの皆は笑った。


 思ったより荷物は小さくまとまった。家を出ると言っても日本中の支所を移りながらなので独身寮や宿泊所で寝泊まりする。そのため寝具や食器類などは不要だった。当面の着替えや身の回り品があればいい。

「やっぱり男の子ね」

 母がそろえた荷物を見てつぶやいた。

「三か月したら一旦戻ってくるんでしょ」

 香織が同じことをまた聞いてきたので、健一も同じ答えをする

「うん、四国を廻る。で、終わったら次まで一週間ほどこっちで勤務。だから部屋空けといてよ。物置にしないで」

「でも、浄化棒置き場ないし」

 劣化しないよう封をした浄化棒は思ったよりかさばったので保管場所に困っている。事務所の床にも積んであった。他にも機器類は長期保管できるように梱包するとかさが倍以上になるものがあって弱っている。

「今はどこに行こうが連絡できるし、顔も見られる。ネット様様だな」

 父はまるで自分に言い聞かせているような口調だった。健一は鍵を置いて言う。

「車は置いてくから使って」


 ふと窓を見ると、事務所の外は暗いままだった。看板は外していないが、明かりは灯していない。


 夕食はちらし鮨だった。何かあるとちらし鮨なのはうちの慣習だった。健一のはじめての記憶は卒園したときのものだった。目の前の鮮やさはその頃と変わりないように思える。味の記憶ははっきりしないが、同じに違いない。

 今はそこにアルコールが加わっている。ビールと酒に合わせた味付けの濃い揚げ物や煮物の皿も並んだ。

「明日何時だ?」

「六時半くらいに出る」

 また聞かれた。健一が家を出ることについては皆物覚えがどうかしてしまったようだった。


 夕食と風呂を終え、部屋で寝転がっていると木島さんからメッセージが入っていた。いつもの日常を伝える内容だったが、こっちの四国勤務を伝えると会えないかと聞いてきた。しかし、休日が予定通りに取れるとは限らないと送り、直前になって休みがわかったら連絡すると返事した。

『日本中巡るのかぁ、いいなぁ』

『仕事だよ』

『それでもいい。ついていきたいくらい』


 あの雨の日、同じ傘の下に入ったときの気持ちを思い出したが、鈍感を装うことにした。


『現場は大変だよ。雨風気温無関係だし』

『なにそれ? やっぱり男って、男なんだ』

 わざとはぐらかしたのを見抜かれたのだろうか、それとも単に鈍感と思われたのだろうか。それは分からないが、なんとなく前者のように思われた。

 また一緒に話をしたいな、とは思っている。でも、今の自分はのんきにそうしている時間がない。進路を変更した以上、早く一人前にならないといけない。見習いとか新米の肩書は早く取りたい。そういう思いはまだ学生の木島さんにはわからないのかもしれない。

『仕事、大変なのはわかるけど、早乙女くん、あまり思いつめないで』

 驚いた。偶然だろうか。文字だけのメッセージなのに、こっちの考えていることがわかったかのようだ。

『ありがと。まだ新米だから頑張らないと。でも休みはちゃんと取るから。木島さんこそ勉強ばっかりじゃなくて休み取って』

『わかってる。今は歴史の勉強が面白くて、休みは史跡見物してる』

 そこからまた日常の、だらだらした話にそれていった。でも、健一は今夜ばかりは打ち切る気になれなかった。ひさしぶりのだらだらさが心をほぐしてくれた。

 結局寝たのは翌日になってからだった。楽しかった。


 翌朝は晴れて朝から明るかった。家族全員がそろっており、トーストと果物の朝食を済ませた。

「コーヒー、美味しかった」

「そうでしょ、父さんが買ってきた豆。なんとかいうの。いい豆なんだって」

「ふうん、ナントカっていう品種か」

 母の言葉に冗談を返す。香織が笑った。


「じゃ、行ってきます」

「行ってらっしゃい。体に気をつけて」

「ついたら連絡して」

 母と香織は仕事があるので玄関までだった。父が駅まで送ってくれる。角を曲がるまで、二人はずっと立って見ていた。


「これ持ってけ、どこかで食べるといい」

 駅につくと、紙包みをわたしてくれた。

「昆布と梅。飲み物はどこかで買ってくれ」

「ありがとう。もらうよ」

「水が変わるから気をつけてって言うのがお決まりだけど、お前ももう大人だし、それはいいな。頑張って仕事しろ。これも修行だ」

「そうだね。魔法使いになるって決めたんだし、魔法使いになるよ。まともな」


 列車が動き出すと、父は微笑んで手を振った。空は青いが、地平線のあたりに雲がかかっていた。色からでは曇りになるか、降り出すのかは判断できなかった。

 でも、今は青い。とりあえずそれで良しとしようじゃないか、と健一は窓枠に肘をつき、流れる景色を眺め始めた。


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