第15話 時間

 ドアを開けると、真っ白な雪景色を背景にして、ほっぺたをりんごみたいに赤くした島村が、マスクをはめ、コートを着て立っていた。髪に、少し雪が積もっている。



 ずっしりと重そうな、おそらく食材だろう――いろいろなものが詰まったビニール袋を、島村は俺に渡す。


「あの、ウィダーインゼリーのほかに、おみかんとか、レトルトのおかゆとか、プリンとか入ってます。風邪のときに、どれも食べやすいと思います。お邪魔しました、じゃあ私はこれで」


 そそくさとビニール袋を渡すだけ渡して、帰ろうとした島村を、俺はつい引き留めた。


「ちょっとだけ、上がっていきなよ」


 なぜそんなことを言ってしまったのか、よくわからない。普段熱のないときなら、俺に好意のある女の子を、つきあうこともできないのに、思わせぶりなことをあえてしないのだけれど。


 でもとにかく俺は、熱がまだあり、たぶん普通の状態ではなかったんだろう。島村は、うつむくと「じゃあ、少しだけ」と、玄関で靴を脱いだ。 




――そして、島村は、俺のアパートのミニキッチンで、いまおかゆを炊いている。買ってきたレトルトはあとで食べればいい、と、彼女は戸棚にあった米袋を見つけ、醤油と出汁の素で味付けたおかゆを、つくってくれている。


 俺は何をすることもできずに、ベッドの中でまるまって、キッチンに立つ島村の後ろ姿を見ていた。



 やがておかゆが運ばれてきて、俺はベッドから抜け出して、それをワンルームの中心にある食事用テーブルに置くため受け取ると、島村に聞いた。


「島村はさ、どうして、俺にかまうの」


 言ってから、このセリフ、以前に茉奈が俺に言ってたな、と思い当たった。島村が、はっと顔を曇らせたので、俺は言い継いだ。


「いや、そのことを責めてるんじゃなくて、なんで、俺なのかな、って」


 島村は少しうつむいて考えている風だったが、すっと顔を上げると、ゆっくりと言った。


「あの、前に、私矢知さんに、矢知さんの彼女さんが、亡くなったことを噂で知ったと言ったと思います。たしか、忘年会の夜に」



「うん」


「あの噂を聞いたときは、この課に入ったばかりでしたが、私、そのころちょうど仲のよかった母を交通事故で亡くしまして。毎日、すごく辛い思いで、職場に通っていたんです。そんなときに、矢知さんも以前に辛い思いをされたということを聞いて、あ、人生でこんなしんどい目に遭うのは、私ひとりじゃなかったんだな、って」


 島村の告白を、俺はかみしめながら聞いた。島村は続ける。


「別に、近しい人を亡くした同士だから、わかりあえるなんて思ってるわけじゃないです。ただ、ここの総務課に来て、矢知さんを毎日見ていて、ふつうに好きになりました」


 なんでもないみたいに、最後の言葉をさらりと言って、島村は少し照れたように笑った。


「時間が」

「え」

「――時間が、かかるんだ」


 俺は、がらがら声でそう言った。


「島村は、とても優しいいい子だと思う。ただ、俺が、光希――亡くなった恋人のことだけど、を忘れて、上手く自分が幸せになったり、島村を幸せにしてやることが、もうあれから六年も経つのに、まだできそうにないんだ。島村は、いくらでも、俺みたいな奴じゃなくて、もっといい人を、きっと見付けられると思う。だから――」


「大丈夫ですよ」


 俺の言葉をさえぎって、島村は言った。


「大切な人は、ずっと大切なままだと思います。矢知さんは、ずっと、恋人さんを大切にしていて、いいんですよ。あ、おかゆが冷めちゃう。食べてください」


 島村が、すごく優しい目をしていたので、あ、この子はこんな顔もできるんだなと俺は思った。俺の気持ちに蹴りがつくまで、島村に待ってくれとはとても言えそうになかった。いつになるか、本当にわからないからだ。


 俺がおかゆを食べ始めたのを見ると、島村はコートを着こんで、玄関のドアを押した。


「今日はありがとう。送って行けなくてごめん」


 島村は会釈をして出ていき、部屋には俺ひとりが取り残された。島村のつくったおかゆは、冷めても美味しかった。


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