第14話 風邪
光希の墓のある山寺は、石階段すらも雪で埋もれて、おまけに吹雪で視界が悪く、彼女の眠る場所にまでたどりつくのに、ひと苦労だった。二月十日。今年も光希の命日がやってきた。一歩一歩、重い足を踏みしめ、雪にあゆみを邪魔されながら、階段を上り切り、小さな石づくりの墓から、雪を払ってやる。
線香をつけたかったが、例年のごとく吹きつける雪まじりの強風で叶わない。ただ、手袋をはずして、手を合わせて、光希がいまもう辛くない場所にいるようにと祈った。
また一歩一歩、石階段を降り、車に乗り、名残惜しい気持ちを押さえて、家へと帰った。
その晩、高熱が出た。熱なんか、ここ近年ずっと出していなかったから、焦った。冷凍庫にあった保冷剤をタオルで巻いて氷のう代わりにし、咳き込みながら、ベッドで丸まった。実家に電話をしようか、と思ったが、遠慮する気持ちが勝って、電話できなかった。もしインフルエンザだったら、感染すのも悪いし。
幸い、五十年史は印刷所に入稿したばかりだったから、俺が休んでも、刊行スケジュール的にはなんとかなる。
ぐるぐる、悪い夢を見ながら、一晩を過ごして、朝になったところで職場に電話した。出たのは、島村だった。
「今日、風邪なので、休みます」
「大丈夫ですか? 課長には伝えます」
ひどくしゃがれた声で、礼を言って、電話を切った。そのまま近所の内科医院が開くのを待って、よろよろと出かけた。インフル検査は陰性で、ほっとしながら解熱剤と咳止めをもらって帰って来た。
そのまま夕方まで薬を飲んで眠り、ふっと目が覚めると、知らない携帯番号から着信があった。多少、気分がマシになっていたので、かけてみると、島村が出た。時計を見ると、もう彼女の退勤時刻は過ぎていた。
「……矢知さん、すみません。職場の緊急連絡先名簿を見てかけました。あの、お節介だということはわかってるんですが、心配なので、何か食べたいものあったら届けます。みかんとか、ゼリーとか」
そのお節介が、文乃を思わせて、俺は気持ちが少し和んでしまった。
「……じゃあ、ウィダーインゼリー。グレープフルーツ味のやつ。島村、家わかんの」
「知らないですけど、住所録に書いてあった、中村町のアパートですよね。携帯の地図で検索して、行けます」
総務課の彼女には、すべて俺の情報は筒抜けのようだ。思わず笑いたくなって、こめかみを押さえる。
「風邪ひかないようにして、来てな」
「はい」
そのまま電話は切れて、俺はぼんやりと布団のなかから天井を見て思った。
いちどだけ、光希がまだ生きていた頃、風邪をひいた俺を、光希が見舞ってくれたことがあった。
光希は、のどが痛いと言う俺に「死んだおばあちゃんから習ったの」と、大根のはちみつ漬けをつくってくれた。光希が、料理らしい料理をつくったのは、あのときが最初で最後だった気がする。あのときの大根の味、美味しかったはずなのに、もう覚えていない。時間が過ぎるのは残酷だ、と俺は改めて思う。
電話から三十分が過ぎて、ドアベルがピン、ポン、と遠慮がちに鳴らされた。
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