第2話 犬や猫じゃないんですけど
並んでカウンター席に座った俺と女の子の前に、熱いラーメンのどんぶりがどっかんと置かれた。スープから白い湯気がもうもうと上がって、彼女の頬に少しだけ赤みがさした。
「――食え」
ぶっきらぼうに言った俺の隣りで、名前も知らない女の子が、割りばしを割った。俺に逆らうのはこの際得策じゃないと踏んだのか、大人しく麺をすすりはじめる。その丸まったブレザーの背中は、砂ぼこりで白くなっていた。
俺もラーメンをすすりながら、とりあえず彼女の事情について、聞いてみることにした。
「名前は、なんていうの。あと、どうして海で倒れてた」
ラーメンをすする手を止めて、彼女が小さく答える。
「門倉茉奈。十七歳。――ああしていれば、凍えてそのうち死ねるんじゃないかと思って」
子どもの考えることはあさはかだ、と俺は思った。人が死ぬのには、よっぽどの覚悟がいる。少なくとも、あのひとみたいに冬の海へ――そう思ってから、俺は『いったい何を考えているんだ』と、一瞬よぎったあのひとの顔を頭から追い払った。
「その制服、桜峰女学院のだろう。ここいらじゃ有名な進学校だから、俺でも知ってる」
俺がそう言うと、女の子はふっと自嘲的に笑った。
「――制服が進学校のものだったとしても、中身がゴミでしかないから、私は死ぬほかないんです」
ラーメンのスープをれんげですくいながら、彼女は言う。
「お父さんも、お母さんも、私のことは、どうでもいいんです。うちのなかは、牢獄みたい。学校にも居場所がない。出ていきたいけど、どこにも行くところがない。だから、もう消えちゃおうって」
思春期にありがちな、悲劇のヒロインぶりだと思った。そんなことで同情を買わされたつもりはない。ただ、悲劇のヒロインをこじらせて、実際に死んでしまった人を、俺は良く知っているから、どうしても捨て置けなかった。
「たとえ俺が百回死ぬなっていっても、君には届かないのかもしれない。ただ、言いたいことがある。俺はあの海の清掃人だ。海にゴミは捨てるもんじゃない。君が百歩ゆずってゴミだとしても、ああいう風に君自身を捨てることを、俺は許さない」
ひといきに言ったあとで、何か変な言い方をしただかな、と思い返そうとしたら、ふいに彼女の瞳に涙が盛り上がるのが見えた。女の子を泣かすのは趣味じゃないけど、正直、こういう展開は慣れていないこともない。あのひとも、さんざん、俺の前では泣き虫だったから。
「――どこ、にも、いくところが、ない」
しゃくりあげながらそう言う彼女を横目で見て、俺は溜息をつくと、フリースのポケットから携帯電話を取り出した。なじみの番号に、電話をかける。プルルル、と着信音が一度鳴ったが、文乃はすぐに電話に出た。
「もしもし、日の出湯です」
「おー、今日ってお前んとこの銭湯、やってたっけ」
「やってるけど」
「ちょっと拾いもんしちゃってさ、お前んとこ、ちょっとこれから寄らせてもらうわ」
「拾いもんってなによ、猫や犬をまた連れてくるんじゃないよね」
「やー、似たようなもんだけど。じゃまたあとで」
そう言って電話を切ると、茉奈がじと目をして俺を見て来る。
「あたし、犬や猫じゃないんですけど」
「ラーメン食ったとはいえ、まだ体冷えてるだろ。俺の幼馴染の実家、銭湯なんだ。とにかく、身体あっために行くぞ」
ぶすっとしながらも、茉奈は俺のあとについてくる。レジで会計をすると、俺たちはのれんをくぐり、外に出た。冬の午後のぴりっと冷たい空気が、頬に染みて、俺は身体を震わせる。
――これも何かの縁かな、光希さん。
冬の光を体に浴びて、つったっている茉奈を見ながら、俺はもういないあのひとに、そっと心のなかで話しかけてみた。
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