冬嵐

ほしちか(上田 聡子)

第1話 拾い物

 十二月の海は、ブルーグレーの色に波立っている。寒さに耳がこわばるのを感じながら、遠くの水平線を見ると、空との境目はぼやけていた。波間のかなたに、ぽつりぽつりと白い漁船が浮かんでいた。俺は「さて」と、自分にひと声をかけると、海から浜辺へと、視線を転じた。


 スニーカーでぎゅっぎゅと砂を踏みしめながら、浜辺をゆっくりとしたペースで歩く。右手にはトング、左手には市指定のゴミ袋。砂浜に打ち上げられた海藻や、誰かが捨てて行ったジュースのパック、ハングル文字が書かれた空容器などを、つぎつぎと回収していく。


 俺のやっていることを一言でいえば「海岸清掃ボランティア」だ。俺の住んでいる町の近くには海辺があり、年中そこは、海から流れてきたゴミや、海に来た人が捨てていったゴミで、汚れていく。俺は、現在三十一歳だが、中学生になるころから、日曜日は必ず、海岸にゴミ拾いに来る。普段は座り仕事をしているから、沿岸3キロを歩いてゴミを拾うのは、運動不足の解消になるし、何より、俺が大切に思っている地元の海が、きれいになるのはいいことだ。


 耳当てのついた毛糸の帽子に、フリースの上着のチャックを首ぎりぎりまで上げて、冬用のスキーズボンを履き、手袋をしている。冬の掃除は防寒が命だが、今日は出来る限りあたたかい恰好をしたし、背中には貼るカイロまで貼ってあるので、そんなに凍えるほどではない。ただ、鼻先が寒さにしびれるくらいだ。


 丸めたチラシや、砂まみれの海藻などを、次々とトングでつまんでゴミ袋に入れながら、俺はぼんやりと、浜辺の遠くを見た。――そして、目を疑った。


 ごろりと、砂浜の向こうに、紺色のかたまりが見えた。何かが打ち上げられたのか、と思い、目をこらすなり、俺は走り出した。――浜に人が倒れているのだ。


 近づくと、紺色のブレザーを着ている女の子が、浜の真ん中に、身体を投げ出すようにしてうずくまっていた。いったい、いつから、こんな寒そうな格好で。制服から白い足が延びていて、その光景はひどく寒そうだった。


「おい、……おい! 大丈夫か、しっかりしろ」


 俺は女の子の頬を、ぺちぺちと叩いた。その子が、唸って、目を開ける。


「おい! こんなところで、真冬に倒れてたら死ぬぞ」


 女の子はうっすら開いた目で、俺を確認すると、聞いてきた。


「あなたは」

「俺は、掃除人だよ。海岸でゴミ拾ってんの。――大丈夫か?」


「だったら、私を拾ってください。ゴミなんで。拾って、捨てて、燃やして」


 この子は何を言っているんだ、と俺はいらついた。自分をゴミだとか、燃やしてだとか、とても正気の沙汰ではない。


「待ってろ」


 俺は浜辺から陸のほうへ上がる階段を駆け上がると、公衆トイレの脇にある自動販売機で、コーンスープの缶を買った。女の子の元へ駆け戻ると、缶のプルタブを開けて、口元に持って行った。


「飲め」

「いや」

「飲めったら」


 俺の強引さに観念したのか、女の子は少しだけ、コーンスープを飲んだ。飲むなり、派手にむせかえった。


 げっほ、げほっ、と背中を折って苦しそうにしている。その背中をなでさすったら、手袋一面に、彼女の背中を覆っていた砂がついた。


「なんでまた、コートも着ないで、真冬の海に倒れてるんだよ。冗談じゃなく、凍死するから、気を付けてくれよ」


「凍死するつもりだったから、ほっといてくれたらよかったのに」


 俺が目をむくと、彼女はまぶたの下を赤くして、恨みがましく言った。


「私はゴミで、生きてる価値ないから」


 女の子のその言葉に、すうっと心臓が冷えた。俺は、こういう言い方をするひとを、かつて知っていた。知っていて、何もできなかった結果、俺のとなりにそのひとはもういない。


 初対面の女の子だったが、あんな思いはもうしたくなかった。

 俺は、女の子に手を差し出した。


「――立てるか? とりあえず、寒くないところに行こう」


 女の子は、じとっとした目で僕を見て、不承不承、俺の手をとった。その手はかさかさと乾いていた。


 ――これが俺と、門倉茉奈の出会いだった。



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