第54話 小さな違いが大違い

 ……昔々あるところに、一人の魔法使いがおりました。誰にも負けない力を欲しがったその魔法使いは、禁じられた術を用い、異界から恐ろしい魔物を呼びよせてしまいました。


 身のうちに魔物をすまわせた魔法使いは、魔物の望むまま人の命をすすっていたのですが、ある日、炎をあやつる魔法使いにその身を焼かれてしまいました。めでたしめでたし……というわけにはいきませんでした。


 なんと、宿主を失った魔物は、今度は炎をあやつる魔法使いの身にとりついてしまったのです。このままでは自分も人を襲うようになってしまうと考えた炎の魔法使いは、知り合いの騎士にある頼みごとをしました。


 騎士のもつ宝剣を、自分の身に突き立ててほしいと。


 しかし、騎士は魔法使いの頼みを断りました。そこで魔法使いは自分自身に魔法をかけ、その身のうちの魔物ごと、長い眠りにつきました。百年の後、宝剣を手にした美女が眠りを覚ましに来てくれることを願って……





「……というわけだ。わかったか、クソガキ」

「わかるか!」


 アレンは言下に否定した。目の前の魔術師がどことなく具合が悪そうでなければ、その顔をぶん殴っていたところである。


「おまえの頭の悪さにはほとほと愛想が尽きるぜ。これだけかみくだいて説明してやっても、まだわからんのか」

「いまの説明でわかるやつがいたら、むしろ頭おかしいだろ」


 白々とした月光がふりそそぐ草地で、二人は向かい合っていた。シグルトは巨木にもたれて、アレンはデイジーに背中を預けて。


 〈はての海〉と呼ばれる北の森は、アングレーシアからドラゴンの翼で数刻の距離だった。枯木に寄りかかって足を投げだしている魔術師の姿を見つけたときにはひやりとしたアレンだったが、すぐに特大の舌打ちが聞こえてきたのでほっとした。債務者に死なれては困るので。


「それよりもっと大事なことから教えろって。サム爺だっけ? そいつはどうしたよ」

「死んだ」


 魔術師はひっそりと頬をゆがませた。薄闇を透かして、その頬にこびりついている血の汚れを見つけたアレンは、それ以上訊ねてはいけないと悟った。理屈ではなく直感によって。


「……あんたは大丈夫なのか」

「誰に向かって言っている」


 そっけなく応じたところで、シグルトは「だが」とあごをなでる。


「二匹目となるとさすがに面倒だな」


 その二匹目というのが、サリムという名の老人から受けついだものであろうことは、アレンにも容易に想像がついた。


「わかったらさっさとやれ」

「だからわかんねえって!」


 そして話はふりだしにもどる。


「なんで、おれがあんたを……殺さなきゃなんないんだよ」


 再会するなり「遅い」と責められ、言い返す間もなく「その剣でおれを殺せ」と、とんでもない要求をつきつけられ、さらに中途半端な説明で混乱に拍車がかかり、アレンの忍耐もそろそろ限界だった。もういちど同じことを求められたら「はい喜んで!」と応じてしまう自信がある。


「おれだっておまえなんぞ願い下げだ。けど、もう仕方ねえだろ。その剣もってんのがおまえなんだから。だから嫌だったってのに……」

「待て待ておっさん」


 そこだそこ、とアレンはシグルトのぼやきをさえぎった。さっきから一番わからないのはそこである。


「この剣じゃないとだめなのか」


 伝説の宝剣エルシルド。さやこみでお値段約金貨三百枚の、アレンにとっては文字どおり宝の剣である。


「だめだ。おまえ、その剣のめいくらい知ってんだろ?」

「エルシルドだろ。岩に刺さった剣、て意味なんだってな」


 ユリウス帝に教えてもらった、そのまんますぎる意味を答えると、シグルトは「これだから学のないやつは」と露骨な嫌味を口にした。


「それは誤訳だ。正しくは――」


 おおやっぱりもうちょっと格好いい意味が、と期待したアレンだったが、


「岩にする剣だ」


 あんまり変わらなかった。


「その剣でつらぬかれたものは、たちどころに岩になる。おれが前に見たときは、なんだかよくわからん獣みたいな形の岩に刺さってたな。前の持ち主が退治したんだろ」

「うっそ!」


 アレンは頓狂とんきょうな声をあげて腰の剣を見た。


「じゃあこれでパン切ったら岩になっちまうのか!?」

「てめえは剣でパンを切るのか!?」

「パン切り包丁がないときは」


 刀剣類への敬意が薄いアレンにとっては、剣も包丁も同格である。使えるものはなんでも使う。さすがに長剣だと芋の皮むきなんかは難しいが。


「こんなやつに……」


 シグルトは頭をかかえてうめいた。


「あんの馬鹿弟子ども! 恨んでも恨みきれねえ。おれの計画をぶち壊したあげく、こんなふざけた野郎を押しつけやがって!」

「計画って、ああ、あの呪いか」

「祝福!」


 律儀に訂正して、シグルトはアレンの腰の剣に指を突きつけた。


「そいつはな、本来てめえみたいなガキの手に転がりこんでくるもんじゃねえんだよ。百年たったら、そいつをもった美女があらわれる手はずにしといたのに、なにがどうなったら美女がクソガキに変わるんだ? くっそいまいましい!」

「その言葉そっくりそのまま返してやんよ」


 すてきなお姫様を頭に描いて開けた扉の先に、むさくるしい中年男を見いだしたときの絶望なら誰にも負けない。


「てか、あんた、美女に起こしてもらうんじゃなかったのか?」

「気持ちよく起こしてもらって、そのあとばっさりやってもらうつもりだったんだよ。どうせられるなら美女のほうがいいし、られる前にちっとくらい美味しい思いしたっていいだろ」

「キスした相手をすぐ殺すって、どんな危ないひと!?」

「女はそのくらい激しいほうがいんだよ。よくおぼえとけ、クソガキ」


 あ、これ無駄な知識だ、とアレンは即座にその教えを忘却の箱に放りこんだ。


「てめえがしゃしゃりでてこなければ、十中八九あの竜使いのお姫さんがあらわれたってのに」

「アイーダが!?」

「他にいないか一応探してみたが、あの姫さん以外にぴんとくる女はいなかったからな。やはり、おれとあの姫さんとの間には特別な縁があるらしい」

「思いこみって怖いな」


 しみじみとした感想をもらしながら、アレンはどうやったらアイーダが中年魔術師にキス、のち殺害、の展開になるか考えてみた。デイジーをめぐる泥沼の三角関係のもつれということなら、少しは可能性があるかもしれない。


「もうわかっただろ」


 ため息まじりの声がアレンを現実にひきもどす。


「その剣には、あらゆるものを岩に封じこめる力がある。そいつでひと突きされれば、さすがにも飛びだしはしねえ。だから――」


 シグルトは己の胸の真ん中を指でたたいた。


「ここだ。よく狙え」


 腰の剣が、にわかに重くなったように感じられた。

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