第45話 神頼みより兄頼み

 聖堂に一歩足を踏み入れたところで、アルスダイン王国第一王子エドガーは息を呑んだ。


 無人の堂内に灯火はなく、高窓から射しこむ西日だけが唯一の光源だった。あわい光がふりそそぐ祭壇の上、すりきれた紅い天鵞絨ビロードにくるまれて、その青年はあたかも古代の遺物のごとく横たえられていた。


「……フラン」


 エドガーは小さくうめき、重い足をひきずって祭壇に歩みよった。


「フランシス」


 呼びかけにいらえはなく、かわいた声が石の壁にむなしく吸いこまれただけだった。エドガーは目を閉じて天を仰いだ。すう、と大きく息を吸いこみ――


「――起きろ、この馬鹿!!」

「わっ」


 はね起きた拍子に祭壇から落っこちそうになった弟の襟首を、エドガーはとっさにつかんで引きもどしてやる。危ういところを助けられたフランシスは、しかし不満げな面持ちで兄を見上げた。


「……おどかさないでよ、兄さん」

「驚いたのはこっちだ! おまえ、なんてとこで寝てるんだ!? 司祭どのに吊るされたいのか!」


 アルスダイン王国北領、イリヤの街の司祭は武闘派として名が通っている。祭壇の上で昼寝を決めこむ罰あたりを見つけた日には、いくら相手が王子であろうと、三つ折りにして聖堂からたたき出し、鐘楼から逆さに吊るすくらいはやってのけるに違いなかった。


「大丈夫だって。あの人いま隣村に行ってるから」

「そういう問題じゃない。寝るなら部屋で寝ろ。こんな固いところで寝たら身体を痛めるだろう」


 この場に司祭がいたら「そういう問題でもない!」と憤慨すること請け合いの台詞をエドガーが口にすると、フランシスは首をまわしながら「それが」とぼやいた。


「ぼくだってそうしたかったんだけど、寝台の中に先客がいてさ」

「……またか」


 エドガーは苦りきった顔になった。美貌の第二王子に焦がれるあまり、いささか強引な手段で思いを遂げようとするお嬢さん方が後を絶たないのである。


「ちゃんと丁重にお引きとりいただいたんだろうな」

「それが押し倒されて……」

「ご婦人にか!? おまえどれだけ非力なんだ!」

「女の子だから逆に抵抗できなかったんだって。おまけに二人がかりだったし」

「二人……」


 エドガーは絶句した。二人って、つまりあれか。男なら一度は妄想する……いやいや自分はなんてことを。婚約者にばれたら、それこそ吊るされる……と一人で赤くなったり青くなったりしている兄を、フランシスはおもしろそうな顔で眺めていた。


「まあ、たまにはこういうのも悪くないかなって――」

「おまえまさか……」

「思ったんだけど、三人目がきて喧嘩がはじまったから逃げてきた」


 よし、こいつ吊るそう、とエドガーは心に決めた。


「ここのって意外と大胆だね。おかげでおちおち昼寝もできやしない」

「あのな、そもそも昼寝をしに来たんじゃないんだぞ。おまえのところはどうだったんだ」


 フランシスは無言で肩をすくめ、その仕草だけでエドガーは了解した。弟の聞きこみも不調に終わったのだと。


 イリヤの街を中心としてアルスダイン北領で生じている奇妙な病――身体に黒いあざができ、それが徐々に広がっていくという奇病の調査のため、エドガーとフランシスは王都からこの街に派遣されたのだった。


「たぶん兄さんがまわったところと同じだと思うけど」


 はかばかしくない成果を、フランシスは兄に報告した。


 病人とその家族たちの話は、どれも似たようなものだった。ある日、身体の一部に黒い痣ができていることに気づく。どこかにぶつけでもしたのか、まあそのうち消えるだろう。そんなふうに思っているうちに痣はどんどん広がっていき、身体の自由をも奪っていく。


「ただね、街はずれに住んでいるご老人が、妙なことを言っててさ」

「妙なこと?」

「焼いてくれって」


 言葉の不吉さに、エドガーはたじろいだ。


「自分が死んだら、遺体を焼いてくれって。なんでも祖父君の言いつけなんだそうだよ。もうすこし詳しく聞きたかったんだけど、途中で眠っちゃってさ。トラヴェニアがどうとか言ってたけど」

「トラヴェニアか……」


 その名は最近よく耳にする。末の弟が向かったという東の大国。かの国では何やら小規模な軍事行動を起こしているとかいないとか。


 どうも引っかかるな、とエドガーはあごに手をあてて考えこんだ。一見ばらばらなこれらの事象を、底で結びつけている何かがあるような気がする。根拠はない。ただの勘だ。だが、エドガーは自分の勘を大切にしていた。


「とりあえず、おれもそのご老人に会ってみたいな。できれば司祭どのにも同行してもらいたいが」

「そう言うと思って」


 フランシスは身軽に祭壇からすべり降りた。


「さっき隣村に使いを出しておいたよ。ご老人の家で落ち合おうって」

「いつもながら手際がいいな。では早速行くとするか……ああ、ちょっと待て」


 エドガーは祭壇に組んだ両手をのせ、頭を垂れた。短い祈りの文句をつぶやく兄を、フランシスは皮肉っぽい眼で眺めていた。


「おまえもどうだ」


 やがて顔をあげたエドガーは弟にも祈りをすすめたが、フランシスはそっけなく首を横にふった。


「祈りが本当にとどくなら、そもそもこんな災いは起こっていない」

「まあ、そう言うな。ただの気休めでもいいじゃないか。あいつの無事を祈るくらい」


 ほんの一瞬、無防備な表情をさらしたフランシスだったが、すぐにいつもの人を食ったような笑みを浮かべる。


「なら、ぼくは兄さんに祈ろうかな。神とやらより兄さんのほうが強そうだ」

「おれは時々おまえに祈りたくなるぞ。いつ見てもきらきらしいもんな、おまえ」

「また変なこと考えてるんじゃないだろうね」


 フランシスが顔をしかめたのも無理はなかった。いつだったか、きらめく美貌の第二王子をとっくり眺めて「フラン兄がいると部屋が明るくなる気がする」ともらした末の弟の尻馬に乗り、「フランがいたらどれだけ蝋燭ろうそくを節約できるか」という実験をはじめたのは、ほかでもないエドガーだったので。


 なお、結果はお察しのとおりで、いくら外見が輝かしくとも自身が発光するわけではない第二王子に対し、「おまえ、意外と暗いな」と失礼きわまりない発言をかましたエドガーは、元凶である末弟ともども、フランシスにしばらく口をきいてもらえなかった。


「この件が片付いたら祝杯をあげにいくか。おまえたちの行きつけの店に」


 意味ありげな笑みを向けられて、フランシスは小さく舌を出した。


「ばれてたか」

「ばれまいでか。おまえたちはうまくやっているつもりだったんだろうが」


 二人の弟がしばしば王宮を抜けだし、夜遊びと出稼ぎに励んでいることは、だいぶ前からつかんでいたエドガーである。


「父さんと母さんには」

「言ってない。これからも黙っていてほしければ、おれをけ者にしてくれるな」

「わかったよ」


 しぶしぶといったていでうなずいたフランシスだったが、その表情はやわらかかった。


「次は声をかける」

「そうしてくれ」


 弟の肩をかるくたたき、エドガーは先に立って歩きだした。

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