第44話 わりとなんでも凶器になる
アレンが視線を向けた先、店の隅で数人の男たちが卓を囲んでいた。
全部で四人。いずれも身なりは悪くないが、どことなく剣呑な雰囲気をただよわせた男たちだった。それは全員が腰に剣をさげているせいだけではないだろう。彼らの眼つきや身ごなしには、暴力に対するある種の慣れがにじんでいた。
「なあ、ローザ、今晩部屋あいてる?」
アレンは蜂蜜酒の杯に口をつけながら女給に尋ねた。
「え? ええ、もちろん……」
「よかった。じゃああとで案内して」
話も「あとで」という意味をこめて目配せすると、ローザはほっとしたように表情をゆるめた。
「はあい、お待ちどうさま」
おりよくマルタがウサギの煮込みを運んでくる。あたたかな湯気がたちのぼる皿を、アレンは礼を言って受けとろうとした。右手が杯でふさがっていたため左手をのばして。
「ひっ……」
息を呑むような悲鳴に、ガシャン! と皿が割れる耳ざわりな音がかさなった。
「ごめ……」
詫びを口にしかけてアレンはぎくりとした。床に飛び散った皿と料理の残骸には目もくれず、マルタはアレンの左手を凝視していた。
しまった、とアレンは左手を背中に隠したが、ときすでに遅かった。いまや手首までひろがった黒い染みが、皿を受けとろうとした際に女給の目にふれてしまったのだ。
「悪い」
アレンはつとめてかるい口調で言った。
「火傷しなかったか? ここはおれが片付けるから、あんたは……」
そこでアレンはようやく気づいた。マルタの顔が、尋常でない恐怖にひきつっていることに。店中が水を打ったように静まり返っていることに。
「なんだよ、おおげさな……」
強張った笑みを浮かべてアレンが立ち上がると、マルタの口から金切り声がほとばしった。
「いやあああっ! 来ないでっ! 化け物!!」
――化け物。
その言葉に、アレンは全身に冷水を浴びせられたような心持ちになった。知っているのだ、この女給は。この黒の正体を。
「……ひどいな」
からからにかわいた喉からもれた声は、まるで自分のものではないように聴こえた。
「こんくらい、たいしたもんじゃ……」
ぎこちなく店内を見わたすも、視界に入るのは恐怖と嫌悪をたたえた顔ばかり。その目はみな同じことを叫んでいた。こっちへ来るな、この化け物め、と。
「ローザ……」
助けを乞うように赤毛の女給の名を呼んだが、ローザはマルタの肩を抱いたまま一歩しりぞいた。
「――おい」
背中の声にのろのろとふりむくと、先ほどアレンが目を止めた男たちが険しい顔で立っていた。
「おまえ、その腕を見せてみろ」
「……なんだよ」
首領格らしい
「あんたら
「おれたちを知らんのか。さてはおまえ、
髭の男はべっと床に唾を吐いた。
「おまえみたいな余所者が流れてくるから、おれたちが苦労するんだ。この化け物が」
化け物。二度目のその言葉は、見えない刃となってアレンの胸をえぐった。
「化け物は化け物らしく、てめえの国に引っこんでりゃいいものを。おい、ガキ、おまえどっから来やがった。ナヴァールか? それともアルスダインか?」
久方ぶりの故国の名は、アレンの耳に雷鳴のように轟いた。
「……アルスダインて……なんで」
「ふん、知らんのか。てことは、おまえナヴァールの……」
「なんでだって訊いてんだよ!」
逆上の半歩手前でアレンは叫んだ。その勢いに気圧されたように髭の男は声を呑み、次いでにやりと唇をゆがませる。
「なんだ、おまえやっぱりアルスダインの出か? かわいそうになあ。あそこはいまえらいことになってるらしいぞ。その気味の悪い病がひろがってな」
衝撃は、先ほどの比ではなかった。
「その病で死んだやつは、化け物になって人を喰うんだってな」
男の口から一言もれるたび、アレンの身体から血が失われていくようだった。呼吸がどんどん浅く、速くなる。
「あれじゃあ早晩国ごとなくなっちまうって、もっぱらの噂だぜ。まあ、もともと吹けば飛ぶようなちっせえ国だしな」
息苦しさに耐えかねて己の胸をつかんだ左手の、袖口からのぞく黒が目に入った瞬間、アレンの中で何かがはじけた。
「……け」
「あ?」
男が顔をしかめる。
「そこをどけえっ!!」
抜剣と同時にアレンは男に飛びかかった。
とっさに男も剣を抜いたが、アレンのほうが速かった。驚愕に目を見開いた男に剣を振り下ろしかけた刹那、後頭部に重い衝撃が走った。
「……あ」
倒れざまにふりむいた先で、店の主人が蒼白な顔で立っていた。その手に片柄の
そりゃないぜおっちゃん、とつぶやいた声は、おそらく誰の耳にもとどかなかったことだろう。
ぐらりとかしいだ視界の隅に、天井の黒い染みが映る。
――雨漏り、あそこか。
そんな思いが頭によぎったのを最後に、アレンの意識はふつりと途切れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます