第11話 焼き加減はお任せで

「問題の姫君は、わがトラヴェニア帝国の第三皇女殿下にございます」


 ゆれる炎の向こうで、オルランドは語りはじめた。


 白い半月が浮かぶ空の下、アレンたちは小さな焚き火を囲んでいた。夜風が冷たくなってきたので、第七師団の面々が枯れ枝を集めて火をおこしてくれたのだ。その間に、アレンは館から新しい葡萄酒の瓶と人数分の杯を持ってきて一同に配った。


 ぱちぱちと小気味よくはぜる炎の前で葡萄酒をすすっていると、身体の芯がじんわりと温まり、なんとも言えず幸せな心地になる。少なくとも、皆が働いている間は一切手伝わなかったくせに、いちばん火のあたりがいいところに陣取っている中年男の存在が気にならなくなる程度には。


「名をエリノアール様とおっしゃいます。年は十六。たいそうお美しい姫君でして、流れる髪は黄金の滝のよう、きらめく瞳は青玉のごとく、可憐な唇は咲き初めの薔薇にも似て……」


 オルランドの豊かな声は吟遊詩人の歌のように耳にこころよく、ほのかな酔いと相まって、アレンを安らかな眠りへといざなうようだった。


「ですが、ご性格は最悪でして」


 ――はい、目が覚めました。


「末の姫君、しかも陛下にとっては遅くにできたお子ということもあり、甘やかされすぎてしまったのでしょう。まるで手のつけられないわがまま娘に育ってしまわれまして」


 嘆かわしげに首をふるオルランドの横で、そうそう、と他の団員たちもうなずく。


「高慢ちきで可愛げってものがまるでない。おまけにひどい癇癪かんしゃくもちときたもんだ。お付きの侍女も何人クビにされたことか」

「まあ、親の責任すね。でも、上の姫さんたちはそれぞれご立派なのに、何がそんなに違ったんすかねえ」


 トラヴェニアっていい国なんだな、とアレンは思った。臣民がここまで言論の自由を行使できる国、そうはない。


「そのエリノアール様が奇妙な病にかかられたのは、いまからひと月前のこと……いえ、あれは病と呼べるものではありますまい」


 オルランドはしばし言いよどんだ。これから語ることを相手に信じてもらえるか、いささかの不安を覚えたように。


「その日以来、エリノアール様はずっと眠り続けておられるのです。ひと月もの間、一度も目を覚まされることなく」


 それはエリノアール姫の十六歳の誕生日の朝のことだった。いつもなら日が高くなるまで寝ている末姫だったが、誕生日ということで興奮していたせいか、めずらしく早起きをしたらしい。そこではた迷惑にも――オルランドの語り原文ママ――城内の探検をはじめた姫君は、お針子部屋に忍びこみ、仮縫い中のドレスに手をすべらせたところで、ばったり床に倒れたのだという。


 侍女がいくら呼びかけても身体をゆさぶっても、エリノアール姫は目を開けなかった。駆けつけた宮廷医師が姫を診察したが、悪いところなどどこにも見つけられず、唯一怪我と呼べるものは針にひっかけてできたと思しき指先の小さな傷だけだった。


「一日たち、二日たっても、エリノアール様はお目覚めになりませんでした。三日目には宮廷医師が追放され、べつの医師が招かれましたが、状況は何ひとつ変わらず……」


 不思議なことに、眠っている間は水も食事も一切とっていないにもかかわらず、エリノアール姫の身体はすこやかなままだった。まるで姫の身だけ時が止まってしまったかのように。


 ここまでくると、これがただの病でないことは誰の目にも明らかだった。国中の医師が集められ、むなしく退場したのち、次に呼ばれたのは魔術師、呪術師のたぐいだった。しかし彼らもまた、エリノアール姫を目覚めさせることはできなかった。


「そうこうしているうちに、帝都にある噂がとどいたのです」


 アングレーシアの丘にたつ塔に、百年もの間眠り続けている姫君がいる。のろいと火を吹くドラゴンに囚われたその姫君を救うため、大陸全土から王子たちが集結しているらしい、と。


「眠りの呪いをかけられたという点では、塔の姫君もエリノアール様も同じ。塔の姫君を救った王子であれば、エリノアール様を救うこともできるはず。そう陛下はお考えになり、われらをここへつかわされたのです」


 そこでオルランドはアレンに頭を垂れた。


「伏してお頼みいたします。どうかわれらとともに帝都へ。そしてエリノアール様にかけられた呪いを解いて……おや、どちらへ」


 のそりと腰を上げたシグルトに、オルランドはいぶかしげな目を向ける。


「酒がきれた」


 空の瓶をふるシグルトの横で、アレンも立ち上がった。


「おれは適当に夜食みつくろってくる。あ、皆さんも腹減ってますよね?」


 愛想よく笑うアレンに「おかまいなく」とオルランドは返したが、のこりの二名は期待に顔を輝かせた。


 そそくさと焚き火から離れ、館に入って扉を後ろ手に閉めたところで、アレンはシグルトに回し蹴りを食らわせた。


「――っざけんなよ! このクソガキ!」

「いやいやいやいや! ふざけてんのはあんただろ!」


 いまだかつてこれほどの怒りを感じたことがあろうか、いやない、と頭の中で反語文を組み立てつつ、アレンはシグルトの胸倉をつかんだ。


「あんた何してくれてんだ!? まったく関係ないお姫様が眠っちゃってるんだけど!」

「おれが知るか! おれの術は美女が! おれを! 起こしてくれるってやつなんだよ! 乳臭いガキを寝かしつける術なんぞかけた覚えはねえ!」

「しらばっくれてんじゃねえよ! これ絶対あんた噛んでるだろ!」


 オルランドが語った事の起こりはひと月前。アレンのもとへ不幸の手紙がとどいた時期と一致する。そして、手紙に登場するのは眠りの呪いにかけられた姫君。これで両者が無関係などと、どうして思えようか。


 アレンがその点を指摘すると、はたしてシグルトはしぶしぶといったていでうなずいた。


「まあ、どうせ飛び火したってところだろ」

「飛び火?」

「ギイ坊の術がだよ。未熟な魔術師がよくやらかすことだ。かけた術が暴走したり、かけたつもりのない術がいつの間にか発動しちまったりとかな」


 ギルロイの手紙に記されたのは「眠りの呪いにかけられた姫君」。もちろん、現実にそんな姫君は存在しない。だが、魔力をおびた手紙は自らに記された内容と現実との食い違いを埋めようと、ついには姫君をしまった。その犠牲となったのが、トラヴェニア帝国の第三皇女であろう……


「つまりやっぱりあんたのせいじゃないか!」

「てめえは人語も理解できんのか! ギイ坊のせいだって言ってんだろ!」

「それだって、そもそもあんたが気色悪い呪いをかけたせいだろうが!」

「呪いじゃねえ、祝福! 物覚えの悪いガキだな!」

「呪詛の間違いだろ、この耄碌もうろくジジイ!」


 以上、罵詈雑言の応酬は、じつは館の外にもれないようひそひそ声で交わされていた。だが、言い合ううちに頭に血がのぼり、アレンが拳を、シグルトが空き瓶をふりあげたところで、二人はぴたりと動きをとめた。


「……あんたさ、素手で一人くらいやれる?」

「は? んなもん、おれの炎なら一瞬で消し炭に……」

「いやだから、そういうのナシで。相手、ギル爺みたく魔術師じゃないから。さっきみたいなのやられたら、冗談ぬきで死ぬからな? こう、弱火でさっとあぶるくらいですませられんならいいけど」

「面倒な注文は嫌いだ」

「つまりできないんだな。じゃあこうするしかない、と……」


 扉が蹴破られると同時に、二人はそろって両手をあげた。


「おかまいなくと申し上げたではありませんか」


 にこやかに微笑みつつ、だが目だけはまるで笑っていない副師団長の両脇には、抜き身の剣を手にした団員が控えていた。


「おふたりが知っていることをあらいざらい話してくだされば、それで充分なのですから」


 てめえのせいだぞ、とつぶやいたシグルトの足を、アレンは思いきり踏んづけた。

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