第4話 薬漬け人厭腎エンジン炎煙

 第4章 クスリヅ、ジンエンジン、エンエン



      1


 ようやく4トラック目だが。

「どうです?」龍華タチハナが訊く。

 わけがわからない。

 イヤフォンを外してもまだ余韻が残る。遊園地のコーヒーカップのソーサ部分に仰向けに寝かされたまま強制的に眼を瞑らされたみたいに。

「僕は5番目でリタイヤでした」龍華が言う。

「これで何がわかるんだ」

 CDなんか聞いて。

「洗脳されてたんじゃないかと。これを聴くと人を殺したくなるとか」

「ほお」

「あ、いま莫迦にしましたね」龍華が言う。

 ちらりと。

 監視は。

「サキさん?」龍華が尋ねる。

「え、はい。そうですね」

 何かわかったのか。

「随分と熱心に聴いてたようだが」

「ええと、あ、いい曲ですよね」彼女は苦笑い。

「無理しなくていいですって」

 亜州甫アスウラかなまの遺作を聴いてみたところで。

 中榧ナカヤともるは最高傑作と評していたようだが。

 探偵は。

「なんか吐いたのか」

 個人的に中榧ともるに事情聴取に行っていたようだが。

 そう、個人的に。単独行動。

 俺を置き去りにして。

「リサイタルは」開くことができるのかどうか。中榧ともるの心配事。

「出れるわけないだろ」鬼立が言う。

「んじゃ、黙秘。だとさ」

 じゃない。

「そこまで摑んでおいて」鬼立が言う。

「俺のせいじゃない。邪魔が入りやがって」

「邪魔でも何でも。逃がしたのは」

 中榧ともるの居所が摑めなくなっている。

 探偵が取り逃がしたのだ。昨日一緒に出掛けておいて。

 会話内容を再現させる限り、

 重要参考人なんてものじゃ、ほぼ。

 黒。

 日曜。

 仕方がないので、医者を護衛。もとい見張っている。

 日曜だというのにご苦労な勤務体制で。

「外来だけが患者ではね、ないといいますか、はあ」医者は明らかに迷惑そうだった。

 どこの誰だ護衛しろとか言ってた奴は。

 医者の同居人。いまはしてないから元、だが。彼女の作品の大半(本人談)を所有している彫刻家。ギャラリィのオーナ。

 彼も彼女の居所を捜しているらしい。探偵が彼女の古い知り合いだと漏らしたため、その彫刻家にしつこく彼女のことを尋ねられ、それを切り交わしている最中に、気づいたら姿が見えなくなっていたとのことだが。

「お前のミスだ」

「だから必死こいて捜してんだろうがよ」探偵が吐き捨てる。

 それにしても、また。

「あの暴君の」

 伯父こそが、ギャラリィのオーナ。

 あの一族はこぞって。

 あの指に囚われている。

「休むわけにいかなかったのか」交代してもらうとか。

「何度見ても、その、なんと言いますか。いいえ、決してそのようなわけでは」

 再び医者の振りをする破目になるとは。

 龍華には鼻で笑われるし、監視は眼を合わせてくれない始末。

 確かに、医者に張り付くには同じくスタッフに扮するのが一番だが。

「そんな似合うんなら取り逃がすんじゃなかったな」探偵の皮肉。

「取り逃がしたからこうなってるんだ。いまどこだ」

 中榧ともるの家。

 留守。

「莫迦が。見つかりたくなくて逃げてる奴がどうして家なんか」

「違えって。父親に。あ、やべ。そっか」

「なんだ」

「ちょい」探偵に電話を切られた。

 医者に張り付きたくなかったからわざと逃がしたのだろう。

 自分は捜している振りしてどこぞで。

 もしかしたら病院の外で。誘き出して現行犯逮捕。

 を期待。しているわけがないか。

 龍華はそう主張するが。

 父親?

 龍華に出力させる。

「小料理屋みたいなのをやってるみたいですね。ほぼ一人で。ですから、とも、っとと、彼は物心つく前から一人ぼっち。友だちはピアノだけ、とそうゆう寂しい幼少時代を送らされたようで。母親も母親で、息子放ったらかしにして海外を飛び回ってるようですよ。姉が二人いるようですが、歳がだいぶ離れてまして。親交もほぼ皆無ですね。姉たちは中学から寮に入ってまして、寮を出ると同時にやれ海外だやれ結婚だ、と。やっぱり自宅には帰ってないようで」

 ひとりぼっち。

 近くにいた大人は。

「影響を受けざるを得ませんよね」龍華が言う。

 ともるのピアノの師。

「その小料理屋とやらは」

 管轄外。

 どうしていつも、こう。

「ですから探偵さんにお任せするのが賢明かと」龍華が言う。

 病室は多目的スペースを挟んで、コの字に展開している。看護詰所を通らないと階段もエレベータも利用できない。

 外からの侵入者は必ず非常口を通る。そこを睨ませているはずの龍華がべらべら話し掛けてくる。勿論、遠隔で。

 元、ということもあり看護師に扮した監視は、男性患者に囲まれて愛想笑い。

 各フロアの出入口は他に三つ。

 左右の突き当たり、多目的スペースからは非常階段に直通。どちら側からでも開くが、常に施錠がされており、スタッフの胸にある名札が必要。

「お前が見過ごしたら終わりだってことを忘れるな」

「だったら人員割いてくださいよ」龍華が正論を言う。

「信用できない」

「そんなの僕だってそうでしょうが」

「信用してやるから裏切るな」

「なんですかそれ」龍華が言う。

 昼を回ってしまった。

 医者に付いていつぞやの食堂へ。到底昼とは思えないような時間に来たせいかがらがら。厨房も一人。医者に食事を提供するや奥に引っ込んでしまった。

 出入り口付近に監視がいる。

 何か食べるように言ったが、首を振られた。

「できましたらねえ、貴方でなくて、その、あちらの、なんと言いますか、ええ」監視と一緒に食事をしたい。

「生憎部署が違う」

「それはまあ、残念と」

 思い出さないのか。

 監視は以前お前と同じ病院で。

 監視が言わないので黙っているが。

「なかなか現れてくれませんねえ」医者が言う。「こう、蛇の生殺しと言いますか。殺すのならね、一思いにちゃちゃっと済ませていただけますとね、こちらも気楽と」

「狂言じゃないのか」

「探偵の方、お元気ですか」

「なんで俺に訊く」

「知り合いだったそうで、はあ」

 同居人と。

「信用に足りますかねえ」医者が言う。

「どういう意味だ」

「その、同じでは。そうゆう感じ、しません?」

「殺されたくないだけだろ」

「どちらでも構いませんよ」医者が言う。「私はねえ、怨んでいるんです、これでもね。ここには憎悪とかそうゆうぐちゃぐちゃしたものがね、渦巻いてる。ぶつける相手にさっさといなくなられてはね、行き場のないものの遣り場がね」

 別れさせられたことへの恨み、だろうか。

「貴方、本当に」医者が言う。

 電波。

「どうした?」

「いま救急車呼んだ。たぶんそっち」探偵が言う。

「どうした。誰が」

「やられた」

 だから。

「どうしたって」

 中榧ともるが。

 悲鳴。

 監視の。

 血が。両手に。

 視線。

 指。

「龍華!」

 走れ。まだ。

 間に合う。

「どうしたんです?」龍華が顔を見せる。

「何見てた」

「何って。え?だれも」出てませんし入って。

「嘘言うな。いま」

 そうだ。

 だれが。誰が。だれの。

 血が。

 監視は。

 止まって。

 振り返る時間が。

 ここまでの動作思考会話呼吸すべて。

「警部?」監視が言う。

 警部。

 鬼立もくひこ。

「何してるんですか。早く」

 早く。

 気づくべきだった。床に。

 足元に。

 いるのになんで。

「医者呼べ」

「それは私が。ですから警部」

「呼べよ」

「やっておきます。だから」

 なにを。

「やっておくって?死んだかどうか」

 龍華。そこはいい。早く。

 手伝え。

「そいつを」医者を。

「厭です。まだ」

 生きてる。

「生きてるんですよ」

「渡せ」

 凶器。

 危なくて。

「サキさ」

 ん

 莫迦が。大声出すな。

「どうして」龍華が尋ねる。

「殺すために辞めたの」監視が答える。

 指。

 白衣が真っ黒に。

「やっと、やっと来たこの」

 凶器。

 狂気かもしれない。狂喜。

「やめ」ろ、と言おうとしたが。

「ない動かないでまだ」

 生きてるのよ。

 人質か。

 動けば殺される。動かなくたって。

 多少死期が延びるだけの。

「生きてるのよなんで、なんでこいつ」監視が金切り声を上げる。

 どうして誰も来ない。日曜はそんなに人手がないのか。

 妙な時間に昼食を採る医者がいけない。

 掃除の。厨房の。

 止まってないでなんとか。しろってほうが無謀か。

 ぴーぽーぴーぽーぴーぽーぴ。

 あーあ。監視が言う。

「やっぱ来ちゃったかあ」

 どうする。どうすれば。

 探偵。

 乗ってんだろ。そのドップラ効果に。

「死んだほうがいいのこんな奴」

「じゃあ怪文書出したのって」龍華が言う。

 わたし。

「君の意訳けっこーいい線いってたよでも詰めが」

 あまい。

 ぴーぽーぴーぽ。

 ぴ。

「Aの意味。もっかい考えたら?」監視が笑う。

 指。

 黒い飛沫。

 指。

 指。

 黒い飛沫。

 黒い。

 投げる。振り払う。

 隙に、

 凶器。それさえ。

 手首を。

 足が。頬に。メガネ。

 一瞬ぼやける。俺は近視だが。

 俺が。

 近視なだけだ。

「離し」て、と言おうとしたんだろうが。

 押さえ込んで。引き離す。

 もがく。

 腹に。圧力。

 鉄の。

 においの。

 叫ぶ。早く。

 医者。

 なにしてる。

 ここは。

 急患二名。至急、

 病院だろ。


      2


 ゴッドハンドは、ともるを優先した。

 通報の順序が先だった、という単純な理由じゃない。病院に到着する順なら結佐ユサのほうが確実に。なにせ犯行現場なのだから。

 助からない。

 手遅れ。

 でないほうを優先するのが、医者として。

 どうだというのだ。

 さっきからえんでが侵入を拒んでいる。

 怒りの余り声も出ないか。

「うるさいよ」

 なんも言ってねって。

「うるさい」

 幻聴だろ。

「うるさいうるさいうるさいうるさいうるさい」

 お前の、

 鬼立キリュウモコロシテヤル。

「やってみろよ」

 できるもんなら。

 鬼立がこっち見た。独り言が聞こえたらしい。「ああ、そうか」

「なにが」

「この格好じゃ。そうか」

「だからなにが?」

 血まみれの白衣。鬼立は、脱ぎ損ねていることにようやく気づいた。

「なんだよ」

「来るはずないよな。お前が医者だよ、て」

 笑い出す。笑うべき場面とは程遠いのだが。

 笑いでもしなきゃやってられない。

 ともるの家族は誰も来ない。とっくに連絡は行ってる。ゴッドハンドだからおそらく、最期ということはないだろうが。それを見越して?考えすぎ。

 仕方ないので俺たちが待つ破目に。

 鬼立なんかいますぐ飛んで帰りたいだろうに。取調べと尋問に長けた部下に譲った。手柄もなんもないか。

 今回の連続するこれは、

 鬼立直属上司が指揮を執ってる。尻尾振ろうが空振り。

 もう一暴れするかと思ったが、存外大人しくパンダに乗った。

 監視の女。

 満足か。

 留めを刺せて。

「任せてもいい」俺に。

 早く戻ってやりたいことがあるんじゃねえのか。

 鬼立。

「ただで戻れない」

「わざわざ土産なんか買ってねんだけど」

「嵩張るから腹に入れてく」鬼立が言う。

「もたれっぞ」

 手術中は、赤いまま。

「死んだとこで会えるわけじゃねえよ」

 そいやあ。

「すっきりしたと思ったら」銀縁が。

「ああ。ヒビがな。見えなくはないんだが」

 制服と私服がうろうろ。

 眼は合わない。するべきことは他にある。

「暴君以外は」

「帰納法だろ」鬼立は発言を遮った。

「おんなじだよ。指をお供えもんにして召喚でもしたかったんじゃね?」

「真面目にやれ」

「大真面目に茶化してんだろうがよ」

 誘き出すために。

 出て来い。いまなら、

 言い訳してやる。

「自作自演だ」

 えんでの。

 原作。製作。企画。脚本。演出。編集。監督。

 音楽と主演が不在。

「さっきのあれだけイレギュラで」医者襲撃。

 えんでがそんなこと望むはずが。

 だから言ったのに。

 眠るな、て。

「次お前かもしんねえから」

 鬼立モコロシテヤル。

「電話のか」鬼立に掛かってきたあれ。

 死んだら困るってゆったのに。守れってゆったのに。

 えんでから。

「悪いが」鬼立には囮になってもらう。「大元何とかしねえと」

「別に心配はしてない」どこぞの役立たずな探偵にでも守ってもらうつもりで。「俺が信じてるのは」

 いいや。

 痒くなる。

「お前が行ったときには」

 ともるは。

「ピアノの音がして安心してたら」

 指は。

「順番からいくと」鬼立が言う。

「いんや」

 右。

 薬指でも小指でもない。「切ってない」

「切ってない?どうして」鬼立が言う。

「切れなかったんじゃねえのか」

 切ってから死んでたのは。ピアニストに生き地獄を味わわせるためじゃない。

 指は命かもしれないが、命は指じゃない。

 切ってからじゃないと、

 死ねなかったからだ。

 死んでからじゃ切れない。ただそれだけの。

「じゃあまだ」鬼立が言う。

「そゆこと」

 切るべきニンゲンが残ってる。

 二人。

「あいつは。医者は」鬼立が言う。

「だからイレギュラだっつって」

 ほぼ全部。切られるところだった。

 鬼立が捨て身で止めに入らなければ。捨て身?笑えないジョーク。

「どうして読めなかった?」鬼立が言う。

 読まなかった。わざと。

 結佐が殺されることはどうでもよかった。

 返して。

 くれれば赦すよ。どこ。

 やったの。

 持ってきて。ここに。並べて。

 足りなかったら一本でも失くしたら。

 コロシテヤル鬼立。

 俺は?無視か。

「他に狙いが」頭でっかちになりがちな鬼立の勘繰り。

「深読みすんなって」ユビガホシイだけなんだから。

 困りますどうか病室に。ナースが束になって。

 見たくなかったが鬼立が向いたので已む無く。

 包帯ぐるぐるの。

 てゆうか、結構。

「お元気そうで」鬼立の皮肉。

 入院の必要なくね?

 ちょっとばかし指切られただけだろ。

「無事なのか」暴君が言う。

「無事な人はここには来ませんね」鬼立が言う。

 あんま逆撫でるなって。あと片付けるの誰だよ。

「違う。ともる君は」社長が言う。

「ですから無事だったら来ないと思いますよ」鬼立が言う。

 医者までやってきた。いちいち大袈裟なこって。

 暴君が腹部を押さえる。

 演技だったら大した才能だが。

「延長分はすぐに振り込ませる」社長が言う。

 だから、

「頼む。ともる君を」

 これ以上儲け口を失いたくないだけ。というのはよくわかるのだが。

 ともるの家族は誰一人来てないってのに。

 唯一駆けつけた奴が。

「カネならいくらでも払ってやる。絶対に生き返らせろ。わかっ」

 指だけじゃなかったらしい。

 腹部。

 黒い染みが拡がる。

 生憎とゴッドハンドは使用中。どこ行くんだか。

 赤い、消える。

 緑の服が出てくる。

 手術終了。

 詳細は鬼立に聞かせた。どうせ生きてる。

 蒼白い顔。

 暴君と同じ方向へ消えてった。中榧ともる。

「行かねえの?」

「あんな状態の奴に何を訊く」鬼立が言う。

 よかった。案外まともな判断が出来てるんなら。

 すんません。

 西方のイントネイション。

 背が高い。

 サキも高いほうだが。割と派手目の。指先まで隠れるストール。

「さっきな、ぴーぽー車で」

 俺か鬼立。並んでたらどっちに声を掛けるか。

 そんなの自明。

「ウチはソレの」

「いま終わった」


      3


 黙秘。

 と殴り書いてそれで済まされるとでも。思っているのだ。

「そんなにご不満でしたら立候補されては」龍華が言う。

 俺にそれをやらせるのか。

 龍華と入れ違いで部屋に入る。

 入りたくないが仕方ない。俺には向いてないってことをここぞとばかりに見せ付けるだけでも。取り調べという自白剤。

「待ちくたびれました」監視は事もなげに言う。

「どういう意味だ」

「あなたになら喋ってもいい。そうゆうことです」

 月曜も火曜も水曜も木曜も金曜も。

 日曜は。

「私がやったんです。ぜーんぶ」監視が言う。

「わかってると思うが、自白は」

「現行犯ですよ。警部が捕まえた。お忘れですか」

 まずいなこれは。

 そうやって終わらせるつもりだ。

 俺だと。流される。呑まれる。

 それこそが狙いで。

「駄目ですよ」監視が目敏く。

 ちょっと椅子を引いたくらいで。

 ただ探偵を強制連行して来ようと思っただけなのに。

「生理現象以外で席を外さないでくださいね。死にますよ」

 あのときの。

 彼のように。取り調べ中に。

「ん?俺が」

「死ぬのは」

 私です。

「真実を黙したまま死にます。言動にはお気をつけを」

 最悪の人質。

 なんで容疑者に脅迫されないといけないのだ。

「真実はどうでもいい。起こったことは調べればわかる。だが」

 これから起ころうとしていることは。

「何も起こるわけないじゃないですか。だって、私が」

 捕まったから。連続殺人鬼の。

「起こりません」監視が言う。

「裏に誰がいる。命令されて」

「殺せって?教え子を片っ端から? 本気で言ってます?それ」

「オニワサ」

「サキで、お願いしますね。さん付けでも呼び捨てでも何でも構いませんから。名字そのままってのだけは」

「サキは」

 被害者と同じく。

「私がピアノなんか弾けると思います?そりゃあ聴くのは好きですけど。習ってたことだってありません。言いましたよ、担当してたって」

 患者と看護師。

 永片えんでとの関係。

「なにがあった?」

 なにも。サキが首を振る。

「なかったから暴発しちゃったのかもしれませんね。相手にされたかったんですよ。あいつばっか見てて。私が行ったって、今日先生来る?ですよ。来るわけないじゃないですか。主治医でもなんでもないんです。ただの研修医上がりの。顔がいいんでいろいろと便宜は図ってもらってたらしいですけど」

「具体的に?便宜とは」

「調べればすぐにわかりますよ。龍華くん、聞いてる?」

 大学病院。管轄外だが。

「不祥事があってね。大々的に揉み消したから、どう?」

 電話が鳴る。俺じゃない奴が取って、

 代わってくれた。

「責任とって辞めさせられてますね」龍華が言う。「いいように罪を擦り付けられたんじゃ」

 サキに聞こえるようにスピーカにした。

「庇うような発言だけど。違うよ、違うの。あいつが元凶なんだから。あのときすでに結婚してたんだよ。なのに」

「だとしても」辞めさせられるほどの。

 そう言うと法に触れるが。

「一人や二人じゃないの。何人だと思う?吐き気がする」

「それが関係するのか。言い方が悪いがただの逆恨みに」

 逆、じゃない。サキが唸る。

「恨んでる。そもそも結婚したってのが赦せない。もっと前に出会ってるの。中学か高校かとにかくその辺り。約束反故にして自分はちゃっかり。待ってたのに」

 それ。主語は。

 主語がサキだったら動機は。

「嫉妬のわけないがないんです。勘違いしないで。私は、幸せになってほしかった。好きな人の幸せを願うのっていけないこと?」

 その。好きな人ってのが。

「だからもう終わりです。諸悪の根源は私が始末しました。だってそうしないと」

「お前じゃない」犯人は。

「私です」

「お前が殺したかったのは」

 結佐だけ。

 他まで手に掛ける必要は。

「怪文書、てゆうか予告状ですけど。あれ。わかりました?どう?龍華君」

「違う。あれも」

 サキじゃない。

「どうしてそう言い切れます?よろしければ教えましょうか。お手上げじゃ」お前らには。

 あの指に感染した。

「お前にはわかるんだな?あれが何を指してるのか」

 探偵は誘き出すとか言っていたが。

「会いたかっただけだろ」

 殺意に満ちた眼で睨まれる。ほら、

 サキは邪魔な奴を消したかっただけ。これはもっと違う原理が働いている。

 らしいのだが。

 探偵。そろそろ種を明かせ。

「会わせてやる」

「なにを言うかと思えば」サキが莫迦にした笑い。

「不可能だと思ってるんだろ。死んだから。もしも」

 死んでいないとしたら。

 死んで。

「ない?きちんとお調べに。いいえ、あれは。あんな死に方が出来るのは」

 本人。

「違ったらどうだ。死んだ奴も殺した奴も」

 別人。

「そんなわけないじゃないですか。あれは、あの」

「見たのか」その眼で。

「見なくたって」

「見たのかと訊いてる」その眼球で。

 この眼でこの耳で受け取ったもの以外は信じない。例え、

 探偵の妄言だとしても。

 信じてないわけじゃない。探偵にとっての真実が俺にとっての真実でないだけ。

 サキにとっての真実は、

「死んで」

「ないんだよ。おそらく全くの」

「そんな。だって」サキが否定する。

 受話器の向こうを入室許可。俺の知らないことだけを知ってる優秀な部下。「亜州甫かなまの本名を唐栖栗カラスグリせつきといいます。ピアノを始めた詳しい時期まではわかりませんが、中学時に教わっていた先生が」

 ナガカタえんで。

「ピアノごと部屋を間借りして教えていたようでして、その家が」

 結佐ユサほじょう。

「ナガカタさんはあるときぱったりと、ピアノの先生を辞めてしまいます。それと同時期に結佐医師が離婚。医師の奥さんを追い出す形でナガカタさんが居座ります。それからしばらく経って、亜州甫かなま、このときはまだ唐栖栗せつきさんですが、行方不明に。捜索願が出されていましたが結局見つからず。唐栖栗さんはどこに行ったのでしょう。そして、亜州甫かなまは如何にして亜州甫かなまに」

「誇張はいい。要点だけ簡潔に言え」

「はいはい。面白みの欠片もありませんね。サキさん。何かご存じないですか」

 サキの眼が泳ぐ。「なにか、て。何を」

「ご存知でない?結佐医師の手癖の悪さを。ナガカタさんの独占欲の強さを」

「なにが言いたいの?」

 子どもが。

「いたんじゃないですか。ぜんぶ警部の妄想ですけど」

 なんだそれは。

 妄想じゃない。推理だ。

「子どもって? だれに」サキが言う。

「誰のだと思います?ナガカタさんをよく知るサキさんなら」ご想像に容易いのではないかと。

 回りくどい。さっさと片を。

「誰のなら」

 おかしくないですか。生物学的に。

「意味がわかんないな。龍華君、ちょっとよく整理してから」

「整理も何も、言ったでしょうこれ。ぜーんぶ警部の妄想だって。その妄想にただ従ってる僕は意見を挟む余地なんて」

 だれと。

 だれの。

「子どもだと思います?ねえ、わかってるんじゃないですか?ほんとは」

 だれの。

「なんです?サキさん」

 あんまりではないだろうか。誰が尋問をしろと。

 どろりと汗が垂れて。歯が震えてる。

 茶を勧めたいがそんな気の利いたもんはここには。

 ああそうか。それで、俺は。

 取調べに向かない。

「サキさん」龍華が言う。

「なんで」

 知ってる。

「どうして」

 知らない。

「僕に知れないことなんか」龍華が言う。

「あるのか」初耳だ。

「そりゃあ、ありますよ。おわかりでは?」

 ない。

 得意の嫌味謙遜だ。

「おねがい」

 言わないで。

 本人は、

「知らないから。知られたら、私」

 嫌われる。

「ご存知なんでしょう?知ってるから」龍華が言う。

「やめて」

 やめておねがいもう。

「殺されたんですか」龍華が言う。

 首を振る。

「でもお産みに」龍華が言う。

 首を振る。

「代理母の」龍華が言う。

「そのくらいに」しといてやってくれ。

 サキが項垂れる。

 髪が。顔を。

「わかってますよ。やめます。こんなの無意味ですからね」龍華が言う。

 誘導尋問ですらない。すでに決着が付いている。確認も承認も必要ない。

 サキの動機は、

「ごめんなさい。抉っちゃいけないキズ」龍華が言う。

 立ち去れ消えろ。という眼で睨んでやる。

 非道な部下を。

「なんで警部が」龍華が言う。

「私ね、龍華君」顔は上げない。「子どもなんかいないよ」

「はい」

「いないんだから」

「ええ」

「いるわけ」サキは顔を上げなかった。

 俺が部屋を出るまで。出たあとのことはわからないが。

「泣かせた」

「見たんですか」龍華が言う。

「泣いてた」

「どうでしょうか。涙なんか出ないかも」

「ついでに血もないな。どっかの部下のことだが」

 あの人は。

「涙涸れるまで泣いたことある人です」龍華が豪語する。

「見たのか」

「妄想です」


      4


 涙が涸れるまで泣いたことがあるような顔だった。

 予感だが。

「本当の用事は」

「汗でべったべたのとこ、水道見つけてな。顔洗うついでに手ぇ洗う?手ぇ洗うついでに顔洗う? まあ、せやなあ。どっちかてそう変わらへんね」

 わざと自己紹介をさせていない。

 西方の抑揚な女に。

 俺が自己紹介をしたくないだけなのだが。

「無事やったらええわ。ほなな」

 無事じゃ。「ねえんだけど」

「実はな、お遣いやってん。そうゆうの、こう、びびっとわかるんやて。友だちが三途やったかポン酢やったか、とにかくどでっかい川をな、ずぶずぶ渡ろうとしとるんが。連れ戻すんは無理かて駄々捏ねたら、見に行ってくれ、てな」

「見るか」容態を。

「見たわ。見たよ」女が言う。

 見てない。見ることができない。見せてもらえない。

 無事かどうかも。

「確めてけよ」

「お節介さんやなあ。そげなけったいな権力どこに」

「隠し持ってる」

 面会謝絶を踏み倒すくらい何のことは。

 ゴッドハンドは怒鳴るのにも疲れた様子で。事実上の黙認。まったく同じ略称の学校があったな、と思いつつ。

 私はあなたに会いたい。音だけなら。

 握る手があってよかった。

 指は。包帯が巻かれていて。

 あるだかないだか。

 著しい既視感。

 規則正しい音。さすがは機械。えんでとは大違い。

 褒め言葉だね。

 いい耳だ。

「覚悟しとったつもりやったんやけどね」女が言う。

 いつかはこうなる。

 なってしまったわけだが。

「なんで結婚した」

「離婚のわけとおんなじ」女が言う。

「どっかで聞いたな」

「気のせいと違う?」

 空気読んで眼くらい開けてやれ。造作もないだろ。

 メガネがないからか。

 開けても見えないとそうゆう。

「すまんけど」

 ひとりに。

「捕まえてやるよ」

 鬼立が。俺の仕事じゃない。

「違うて。こんなん」

 ひとりしか。

 捕まえられない。もう死んでるから。

「ガキは」誰の遺伝子?

 エントランス中央にグランドピアノがあった。掲示板によると。定期的にミニコンサートも開いているようだった。近寄りがたい大学病院のイメージ改革の一助にしようとしているのか。

 女は手すりに腕をのせる。

 よかった。ストールの下に何もなかったら。

「ウチのやないさかいに」女が言う。

 別れた。

「原因じゃねえんだろ」

「できひんよ」

 知ってる。よく、

「わかったな」

「空欄しこしこ埋める見返りにしては安い思われへん?」

「家にいなくなりゃなんでもよかったんじゃねえの?」

 土地付物件を買ったら、なぜかピアノが付いてきた。どこで聞きつけたか、転がり込んできたピアノ講師。二人の仕事形態から、なかなか一緒にいられない。

 そこを付け込まれた。というよりは、結佐が家を買った時点で。

 いや、彼らが結婚することもわかっていて、わざと。

 諦めさせるために。

 その制度に馴染まないことを。一夫一婦がどうとかではなく。

 もっと、根源的に不可能だと。

「命奪らへんだけ儲けもんやと」女が言う。

 ガキが。

「いなかったか」

「いてへんて」

「そうじゃない。習いに来てた」

「ああ、おったかな。ウチは真昼間に家にいてへんさかいに」

「そいつが原因じゃないのか」

 唐栖栗せつき。

 誰か弾けばいいのに。取り囲むポールとひもを退けて。

 鎮魂?

 殺すなよ。

「なにもんやの?」女が言う。

「旧友」霊の、じゃなくて例のピアノ講師の。

「ずいぶんごシューシンやったみたい。勘やけどね」

「教えるの辞めただろ。そのあとは」

「辞めたんか」

 行方くらい。

 簡単に想像が付く。結佐にだってすぐにわかったはず。

 えんでの苦痛の取り除き方は、

 眼の前から消すことじゃない。

「会いに来てないか」

「どっち?」女が言う。

「両方」前夫と、

 前夫を奪った生命。

 訪ねてきた順序としては逆だろうが。

「まんまとな、伝言板にさせられたわ」女が言う。

 アトリエへの順路。

 会いに来い。ガキのツラを拝みに。

 世間ではそれを認知と。

 いうのかもしれないが。えんでに限っては。

「憶えてるか」手紙の内容。

「親展やったさかいに」女が言う。

 行っても無駄だよ。

 僕は、

 そこにはいない。知ってる。知ってるから、

 黙ってろ。

「続きあるん?」女が言う。

「大丈夫」

「ウチの心配やのうて」

 止留めを刺し損ねた関係者。

 彼女の前夫。

「死なせない」

「信用してええの?」女が言う。

「次は」

 鬼立。

 それで仕舞。

「どこがいい」

 あんなのの。

 彼女の前夫。

「説明できひんとこ」女が言う。

「んじゃあしょうがねえな」

 俺だって説明できない。説明を求められたら。

 殺す?

 うるさけりゃな。うるせえな。ぶっ殺すぞ。

「お世話さん」女が踵を返す。

「行くんだろ」

 暴君の。

 義理の姉が友だちだとかで。「行ってどないする?」暴君のところ。

「行ってから考えるわ」

 謝るのか。なんの義理で。

 殺し直すのか。

 殺し損ねたんだよ。

「なんやのそれ」ゆえへんのやったら。「付いてきて欲しないな」

 疑われてる。えんでが侵入するから。

 思考が漏れたのかもしれない。

 いちいち聡いタイプだ。

「切り損ねたんだよ」

 おい、何勝手に。

 えんで。

「鬱陶しくって。僕が死んでもまだ、僕の音を自分だけのものにしたくてさ。教え子に片っ端から。あんな紛いもんで慰めてんだよ」

 だ

 か

 ら

「弾くなってゆったの。そしたら」

 シンジャッタ。

「おかしいよね。僕はただ」

 ヒクナッテ

 ユッタダケナノニ

「久しぶり。復縁したいんだろうけどそうはいかないよ。させない」

 前妻が呆けてる間に。

 ちょい、どこ行く気だ。

 走んなよ、ここどこだと思って。

 決まってるじゃん。

 欲しいわけじゃねんだろ。

 指が。

 そう。要らないよ。だから、

 切るの。

 欲しいのは、

 センセイノダケ。サキが。

 余計なことしてしてくれたから結構腹が立ってるんだ。殺してやらない。

 自分でひっそり死ねばいい。

 切る価値もない。僕の賢い教え子たちみたいに。

 自分で断って。

 自分で絶って。

「亜州甫かなまは嫌い。僕の先生に手を出したから」

 唐栖栗だろ。亜州甫は。

「宿題のプリント忘れたとか言ってね、夜中に取りに来たんだ。あり得ないよね。完全に先生といい感じになることを狙ってる。先生も据え膳は美味しく頂く性質だし」

 デキた。

「さあね。殺すのも面倒だったからね」

 行方不明。失踪。

 アトリエで。

「産ませたんだな」

 どうかな。

 指切ったら動かなくなったよ。

「どっちの意味だ」

 ゆーびきーりげーんまーん。

「ふざけてんじゃ」

「中榧ともるは嫌いじゃない」

 切ったじゃねえか。

「極端なんだよ。ゼロか一、白か黒しか認めない。生きるの反対は」

 頼むから。

「同情?」

 鬼立以外どうでもいいくせにね。

 ちーろ。


      5


 左の小は弾かないために。

 左の薬も自ら切った。

 左の中は死んでなくて。

 左の人は挿ってた。

 右の人は弾くのをやめて。

 右の中は切り損ね。

 右の薬は。

「虫の息」

 右の小は。

「お前」

 右と左の親は。

「いねえよ。そもそも」探偵が言う。

 よくわからない。

「島流しされた理由教えてやろうか」

 お前のせいだろ。

「そこの若頭がご存命だよ。俺のお陰で」

 生きてるからいけないみたいな言い方だな。

「そ。俺が助けたからいけなかった。惚れてる」

 初耳だ。

「言ってねえもんよ。だいたいフってんだとっくに」

 あ。

「思い当たったろ」

 嘘だ。

 なんという寝覚めの悪い。ようやく自分のベッドで寝れたと思ったら。

 悪夢以外の何物でも。

 終わった。と、探偵は言っていたが。

 俺が殺されてないじゃないか。

 コーヒーを淹れる。自分で淹れても美味しくないが仕方ない。

 子ども。

 医者とサキの?

 医者と亜州甫かなまの?

 医者と唐栖栗せつきの?

 医者と前妻の?

 医者と、

 えんでは産めない。だ、そうだが。

 どうゆう意味だ。産めない?先天的な。

 子ども。

 一番しっくり来る。

 むしろ逆か。これが叶わなかったから。

 サキは医者と。

 亜州甫かなまは。

 男に見えたが。よくわからない。

 唐栖栗せつきは。

 中学生相手に。犯罪だ。

 前妻は。

 違うような気がする。根拠はないが。

 医者が、

 生きてると知ったらサキはどうするだろうか。

 悪運が強すぎる。ゴッドハンドとやらの腕がいいにしても。

 中榧ともるだが、

 本気でリサイタルを決行する気でいるのだろうか。

 やめる、という意味のケッコウでは?欠航。

 そんなに簡単に指は動くようになるのだろうか。腕がいいにしたって。

 一度切れたものを。

 水の音が已む。

 電話が鳴る。どうせ龍華からだ。

 メールが届く。どうせ龍華からだ。

 ドアベルが呼ぶ。どうせ、

 誰だ。

 ドアスコープを覗く。少なくとも宅配便ではなさそうだ。

 髪が長い。知り合いはそんなにはいないのだが。

「どなたですか」

 言わない。

「何か用ですか」

 動かない。

「すみませんが」

 電話が鳴る。固定のほう。

 ドアスコープ。まだいる。のを確認してから。

 受話器を取る。

「もしもし?」

「鬼立サンのお宅ですか」

 希硫酸と同じ音。

 文字上は間違ってないので。変換ミスの類か。

「そうですが」

「そのままお話くださいな」

 女声か?

 音声だけだと心許ない。

「そうせざるを得ませんね。生憎とコードレスでないもので」

「私はドアの前にいます」

 受話器を置いて駆けようとした。

 のを完全に見抜かれてる。

「どうかそのまま」

「そこにいるのなら直接」

「話せないからこうして電話を」

 切ったら逃げられる。

 間に合うか。玄関まで走れば。

「私が誰かおわかりになります?」

「いいえ、まったく」

 目算ではぎりぎり。相手が幽霊でないという条件付で。

「その節はお世話になりましたね」

「どの節でしょう?」

「おとぼけも大概にしてくださいな。切りますよ」

 電話を?

 指を。

 ああそうか。

「代わりましょうか」

「貴方に掛けたんです。呪いを。冗談です」

 ナガカタ。

永片エイヘンです。読み方を変えました。音が気に入らなくて」

 永片

 えんで

 本当に。本人だろうか。

「違いがありますか」

 オリジナルとコピィ。

 ホンモノとニセモノ。

「私の話をしましょう」女声が言う。

「長くなりますか」

「大体のところはおわかりでしょう。ですからおわかりでない部分だけ」

 子どもは。

「先生と私の」女声が言う。

「生きてますか」

「生きているの定義を」

 俺と。

「会話ができる」

「そう、それなら」

 生きて。

「いませんね。私となら出来ますけれど」

「あなたが殺したんですか」

「随分と直球ですのね。お噂通りで安心しました。ええ、私が」

 殺して。

「殺すの定義は」

「会話を出来なくさせること、にしましょうか。貴方に倣って」

「その定義なら」

「ええ、殺しました」女声が言う。

 随分と。

「直球ですね」

「回りくどいのがお嫌いだと伺ってますの」

 誰から。

 自明。探偵しかいない。

「あの怪文、いいえ、結佐医師の元に届いたという」

「監視役の方にお聞きになっては? きっと合ってます」

 Aを考え直せ。

 サキが言っていた。

「送り主は」

「先生と亜州甫くんの関係をご存知?」

「調べられる範囲では」

「亜州甫くんの遺作をお聞きになったんでしょう?」

「一応。途中までですが」

「おわかりになりません?」

「変わった曲風だということくらいしか」

「タイトルを憶えておいでです?」

 まさか。

 しかし手元に。龍華がいれば即行で出力させるのに。

「7トラックあったはずです。ここまで言えば」

 CDEFGAHB

 12345678

 一つ多い?

「HとBは同じです。もう少し音楽に興味を持っても罰は当たりませんよ」

「医師の結婚式の日に」

 送った祝電。とは名ばかりの。

「それは私です。精一杯の強がりだったのですが」

「嫌がらせの間違いでは」

「言いますね。受け取るほうは自由です。先生に私との約束を思い出していただけたので充分です」

「そのために送ったと」

「それ以外になにがあります?」女声が言う。「私は先生に結婚などしてほしくなかった。本当は式場に押し掛けて相手の方を殺してやろうと思ったのですが、それでは先生が哀しむと思って。印象的に死んでしまいますもの。きっと先生の脳髄に永遠に刻まれてしまう」

「約束とは」

「言いたくありません。言ってしまったら約束ではなくなってしまいます」

「取調べにすることもできる」

「あら。お得意でしたの?」

 無理だ。

 こちらの質問すら操作されている。捜査したって絶対に手に入らない情報だというのに。

「てっきり死んだものと」

「死んでいませんわ。貴方と」

 会話が出来る。

「それは生きているの定義です。生きているイコル死んでない、ではない。反対に、死んだイコル生きていない、でもない」

「そうですね。では、死んだ、の定義を決めましょう。指が」

 動かない。

「曖昧すぎますね」

「では何も」

 言わない。

「指が動かない、かつ、何も言わない、の状況を死んだと定義付けてもよろしい?」

「その定義だとどっかの探偵は死んだことになりますね」

「どちらの探偵でしょう?」女声が言う。

「さっきのをそのままお返しします。おとぼけも」

 大概に。

 しろって。

「なあ、えんで」

 お前なんだろ。

 陣内。


      F


 指事件の犯人は俺。探偵なんざただの妄想野郎。

「何読んでるんだ」奴が言う。

 見りゃあわかる。

「聞こえないのか」

 声落とせよ。ここどこだと。

 落ちた。音。

 椅子の下。

「すまないが」奴が言う。

 誰が。そんな。

「聞こえてるんだろ」

 怒鳴るなって。注目集めるだろうが。

 ほら、

 もう遅い。図書館ではお静かに。そうゆう視線が。

 そしたらこいつ。無言で深々と頭を下げた。俺の不届きは自分の至らぬ。

 知り合いでもなんでもねえってのに。

 関係者になろうとしてる。厄介でお節介の。

 俺が生理現象かなんかで席を立つのをひたすら待ってる。

 残念だったな。俺は、

 お前がいなくなってから席を立とうとひたすら待ってるんだよ。

 根気比べというか意地の張り合いというか。むしろどっちも負けというか。

 いつも向こうが折れる。

 浪費するような時間を持ち合わせてないからだ。

 単位が必要だろ。順風満帆で卒業したいんなら。

 かくゆう俺は単位なんか必要ない。要らない。

 どうでもいい。卒業が。

 その先が決まってるから。

 丁寧に舗装してくれてある。頼んでもないのに。

 砂利だって砂だって泥だって、俺が行きたい道なら。

 この4年間は無意味だ。

 さっさと退学にならないものか。単位が足りずに。進学できずに。

 一年くらいそれが続いた。

 奴は相も変わらず厭きもせず俺の向かいに腰掛ける。話しかけても無駄だとわかったらしく、ただ座るだけ、に最適化された。最初は本を読むふりだったのだが。

 レポート書いたり調べものしてみたり。パソコンまで持ち込んだときはうっかり。

 いや、寸前で呑み込んだからなんとか。

 まだ口を利いていない。

 利く必要がない。

 何を話せというのだ。そもそも向こうが勝手に。

 そうか。もしかすると、ああ。

 あれだ。

 なんで気づかなかった。

 俺に近づく奴らなんか。

 俺の背後に興味があるだけの。

 でも、それなら一刻も早く俺に取り入って繋いでもらいたいはず。

 一年も。

 何もせずにただ黙って俺の向かいに座り続けられるか。

 俺なら出来ない。つーか、やらない。そんな莫迦げたこと。

 やれやれ今日もようやくいなくなったか。と思ったが、違う。

 机に伏せて。寝てるのか?

 珍しい。初めてだ。そんなに疲れたのか。徹夜でも。

 なんで心配してるんだ。どうでもいいじゃないか。この隙に。

 トンズラすれば。いつもよりちょっとばかし早く帰れるだけの。

 ほんの、ちょっとばかし。

 待ってみた。いつもの時間にならないとなんか気持ち悪かった。

 のそ、と肩が動いて。ああ、起きるのかな。と見てたが、また。

 動かなくなった。

 なんだよ。フェイントかよ。いや、もしや。

 とっくに起きててこっちの出方を伺ってるだけじゃ。あり得る。奴なら。

 一年もまったく同じことを続けたしつこさの塊のこいつなら。

 それなら俺も動くわけにいかない。待っててやる。お前が動くまで。

 動け。動けって。

 閉館時刻になるじゃないか。曲が帰れと遠回しに脅す。

 起きろ。起きろって。

 職員に連れだと思われて押し付けられたじゃないか。知らないんだ俺は。

 お前のことなんかなにも。

 揺すっても叩いてもぴくりともしない。職員はこぞって睨んでくるし。

 仕方ない。

 意外に重かった。意外に筋肉付いてるせいか。運動系サークルでも入ってるのか。

 中学高校と全国を相手に歴戦を戦い抜いたのかもしれない。

 なにで?

 暗くなりかけの温い風の中。野郎背負ってどこ行けば。

 いっそ捨てて逃げるか。

 そうこうしてるうちに起きた。「なんで」

 そりゃこっちのセリフだ。なんで俺がこんなこと。

「下ろせ。恥ずかしい」

 俺だって好き好んでやってるわけじゃねんだよ。お望みなら。

 捨てる。

「痛いな。もっとゆっくり」

 ああうるさい。

 悪いのは俺か?俺じゃないだろ。

 状況説明が面倒なのでそうゆうことにした。

「悪かったな」

 いまさら。去り際に言われても。

「ひとつだけ」

 なんだよ。電車行っちまうだろ。

「ケーサツに」

 どこで聞いた。どこもなにも。

 有名だった。

 完全に七光り。光ってないところがなんとも。

「実は俺も」

 ふうん。

「正義を探してるんだ」

 はあ?

 なんだその流れは。なった暁にはなにとぞ便宜を、じゃなくてか。

 正義?

 しかも探してる?捜す、の間違いじゃ。

 笑う気力すら殺げる。

「見つかったなら教えてほしい。でももし見つけてないなら」

 一緒に。

「どうしろって?」笑いが止まらない。

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