第3話 中落ちマクロ真っ黒アル中性死
第3章 ナカオ、マ、クロ、チュウセイシ
1
聴覚を、
視覚込みで支配しようとする。カタツムリを。
次回。自戒。
磁界。
自壊。ジカイする。
死んだら死んだで。追悼とは銘打ってあるが、要は。
骨の髄まで吸い尽くす。
灰もカネに換えて。如何わしい錬金術を。
「いい音だったんだが」店主が呟く。
すぐ眼と鼻の先に君臨する暴君社長が殺した。と言ってやろうかとも思ったが。
店主はピアノの蓋を閉める。
けたたましい。
かまびすしい。
巨大モニタと共犯の巨大スピーカから。遺影。遺作。
「なんも知らんよ」店主が言う。
店主は、暴君社長の祖父に当たる。
「離婚してんじゃ」
「逝ってしもうたからな」
「あんたのことじゃない。別れる理由が」
ない。
指輝ユピテルの女神。ピアノで儲けたいなら彼女を手に入れるのが最良の。
なぜ手放した?
女の価値をカネの生成能力で量るような男が。「凌ぐやつなんか」
「おったんだろ」店主が言う。
誰だ。
二人も息子を産ませておいて。その両方ともがピアニスト。息子もカネ生成マシンくらいにしか考えていない。
女神に見切りをつけるには早すぎる。指が動く限りは女神であり続けるだろうと。
「なんもありゃあせん。こう見えて落ち込んどるんだ」店主が言う。
弾きたいな。
「弾いてもいいか」
「店仕舞いだ」店主が言う。
あれはシュミラクル。僕はオリジナル。
「黙って眼ェ閉じてろ」
ブランク長いからね。動かないかも。
店主とピアノの間に割り入って。蓋を。
両手を開く。
ああ、まずった。ないじゃん。
一本くれえ大したこたねえだろ。
大事な指なんだよ。
そこの、欠落は。
音。
ああ、久しぶり。
ハリ。
溶ける。解ける。ないはずの。
中央脳髄。
「お前さん」店主が言う。
吃驚したろ。
弾いてるのは。「俺じゃあない」
「だろうな」店主が頷く。「とてもそんな風には見えんかった」
音。
あのえげつない電子音を掻き消してくれ。
「怪我しとるんだと」店主が言う。
「これか。そう見えただけだろ」
「聴かせてやってくれんか。きっと」空っぽ。埋めようと躍起に。「昔っからな、欲しいもんのためにはなんでも。こればっかりは」
血筋。
女神を凌駕したのは。
僕だよ。
そいつを早く。
「言えってんだ。また来る」
本社まで一直線。いざラスボスの根城。
さすがは巨大企業。入るニンゲンも出るニンゲンもわらわらうじゃうじゃと。それにしたってやけに。
カメラに向かってマイクで叫ぶ。
CMだのプロモだの撮りたいんならもっと静かなとこで。ヘリまで飛んで。んな遠くからじゃ歌ってる奴が映らねえだろうが。
エントランスで黒尽くめの。
まさか。
代わりに。パンダと制服と。
赤い。
点滅。
「無駄足だったな」鬼立に呼び止められる。
手遅れか。
社長が襲われた。
「いつ」
「ついさっきだ。秘書が発見して」
病院。
病院?じゃあ。
「生きてんだな」
「切る奴の腕次第だろ」鬼立が言う。
切った。「指は」
「違った。くっつける奴の」
鬼立もいまいち状況の把握ができてないようだった。
管轄外じゃないか。しかもここと揉めたことがある。訊いたって答えてくれないだろうし。仕方ないからここで聞き耳を立てる以外に。
先々週、月曜はここのピアニスト。
先週、火曜はここのピアニスト。
一昨日、水曜はここのピアニスト。
昨日、木曜はここのピアニスト。
本日、金曜。
被害者は全員。
崩れた?いや、
社長ももともとはピアニストでね。でも僕のが凄すぎて自信なくして。
「やっぱ企業テロじゃ」鬼立が大真面目な顔で言う。
「なんでお前はそっちに。つーか厄介なのに見つかる前に」帰って。
まずは、
「はん。妙に黒々と暑苦しいのがいると思えば」警視庁のあいつだ。
言わんこっちゃない。
その胴回りの威圧感は健在で。むしろ進化、いや退化か。
金魚の糞の顔ぶれが変わったところをみると。
「まだ、こんな地べたで靴の裏をすり減らしていらっしゃる」鬼立も相手にするなって。
「口の減らん奴だな相変わらず。引っ掻き回しに来たんだろ。やらんぞやらん。お前にくれてやるような」
俺は帰る気満々だったが、
鬼立は、大暴落の喧嘩をわざわざ高値で取引するような莫迦だから。「すぐに合同になりますよ」
「例えなったとしてもだ。お前らに踏ませる地べたは用意しとらん」
やめろって。時間の無駄だから。
聞こえないのか。
胴回りの威圧感が私服に呼ばれる。「ふん。時間の無駄だったな。さっさと尻尾巻いて昨日までを洗いなおしたらどうだ。充分にやってなかったから今日が起きた。間違っとるかな」
カチンと来た音がした。
だから、相手にすんなって。
ゆってんだろ。聞こえないのか。
暴君社長が運ばれた病院は。カメラに向かって叫んでたマイクが教えてくれた。ぶんぶん煩いハエもたまには役に立つじゃないか。
「行くぞ」鬼立はその気満々だが。
「ダイジョブだろ」あすこにはゴッドハンドがいる。
行きたくない。
病院と聞いた段階で。予想が付いていたとはいえ。
結佐が働いている。
「手間が省ける」鬼立が言う。
「無理だって」
「お前がいる」
「行くなんつってねえだろうが」
やめたほうがいい。その病院の近隣にある大学に。
いるのだ。
ゆびきりさん。
その趣味の悪い噂を流したという。
正気の沙汰と程遠い博士が。
2
気づくな。思い出してはいけない。
忘れろ。
眠ればすべて。元通り。
暴君社長の、暴君的面会謝絶を踏み倒して得られた情報がこれだけとは。
自分を殺そうとした奴の顔くらい見とけ。
役に立たない。
どうして捕まらない? 怪しいと思った人間が次々と。
殺されている。
被害に遭っているというのに。
さっきから探偵が口を開かない。場所柄気を遣っているわけはないから。
無理矢理連れてきたことを。「怒ったか」
「主語は俺じゃあない」探偵が言う。
心がここにない。
何か感づいたか。しきりにきょろきょろと。誰かを捜して。
るのではなさそうだ。
誰かと遭遇しては困るから予防線を張っているのだ。
いったい誰なのか。
「済んだだろ」探偵が、帰りたいという意味の催促。
「お前の考えを聞く」
彼女じゃない。それはわかっている。
死んだ奴に生きてる奴が殺せるのなら、俺たちはお手上げだ。
「ちょい便所」探偵が言う。
「逃げるんじゃないだろうな」
「漏らしてえのか」
トイレの前まで付いていって、脇にあるソファで張ることにした。ここなら絶対に。トイレの窓から出ない限り。
まさか出ないだろうな。探偵ならやりかねないが。
主語は。
誰だというのだ。お前じゃないなら。
執刀医か?
確かに怒鳴られはしたが。こちらにもこちらの事情というものが。
いいだろ。生きていたんだから。
指も完全に切り離されたわけではない。傷は深いが千切れるほどでは。
右の中指。
殺さなかった。殺せなかった。指が切り落とせなかったから。
殺さなかったのか?
殺す前に指を切り落としてる。
ゆびきりさん。
いや、それは無関係だろう。出処も意図も解決してる。話を訊いてもいいが俺では聞き出せないだろう。同行拒否は眼に浮かぶ。
心理学の教授。
探偵が別行動を望むなら、俺も。単体は自信がないのだが。
突っ走るといい結果はでは出ない。証言に振り回されて。嘘と嘘以外の区別が。
つくときも、あるにはあるのだが。気づくのが遅い。
言語以前の感覚。整理するのが探偵の役目なのだが。
如何せん疲労が。
眠ればすべて。
意味がわからない全然欠片も。拾えない。
社長室を襲撃して。
ちょっと待て。多忙な社長が本社にいることは珍しい。と龍華情報だが、アポを取ってもドタキャンは日常茶飯事。会議も気分で中止する。
そんな社長が、あろうことか社長室にいること自体、珍しいの中のさらに珍しい状況では。つまり、
多忙な社長を、
社長室で待たせることができる人間。
誰だ。
誰だったら可能?社長より偉い立場は。
違う。そうじゃない。
立場が上か下かではいはい従うような輩では。
会いたい。
いついつの何時に社長室で。
「おやあ、随分なご身分ですねえ。我々の血税でそんな優雅に」
欠伸を見られた。
表情を取り替える。意味はないだろうが。
被害妄想の精神科医。ああ、そうか。探偵が来たくなかったのは。
彼女の。
主治医ではないのだそうだが。
「いいのか。こんなとこで」
「心配していただかなくとも、そのね」医者が言う。「医者は私だけではないのですよ。もしよろしければですが、どうです? コーヒーなどを、ええ、ご一緒に」
「悪いが」トイレの入り口を見遣る。
「待ちぼうけのご様子ですが、はあ。もうじき命の灯火が消えようとしているしがない精神科医の遺言などをね、聴いていただけると私としましても」
「死ぬのか」
「死ぬのか、てあなた。そんなあっさり。明日辺り、こう、ぶっすりとね。じわりじわり厭な予感がするんですよ。先ほどの急患、あの方でしょう? なにせ暴君と名高い方ですからね。方々に恨みを買ってらっしゃったのではと想像に難くないと」
「方々に恨みでも買ってる口振りだな」
「ええ、誠にその通りで。因果な職業ですよ、本当にね」
俺だけでどこまで口を割らせられるかわからないが。やるだけやってみよう。思考の前段階を摑めるかもしれない。予感はしなくもない。
病院の食堂は、患者でも患者の家族でも患者でなくとも利用できるようだった。
医者は昼食がまだだったとかで。注文する。
「あなた、だいぶその、目立ちすぎますねえ」医者が言う。
「その羽織ってるもんのせいだろ」白衣。
「ここはですねえ、職員も利用させていただいてますよ。ドクタだろうがナースだろうがお掃除をしてくださるお姉さん方だろうがね。制服のまんまいらっしゃいます。ほら、あちらにも。こちらにも」
確かに。白衣はこいつだけではない。とするなら。
何故俺?
「おわかりになりませんかねえ。これだから、ああ。季節に相応しくないとか、そのようなことを言ってるのではね、ないですよ、はい。その色はどの季節にも浮かずに溶け込める。素晴らしい無個性の色ですからね。あなた似合いすぎるのですよ、それ」
「脱ぐか」
「無個性に差はありませんよ。ちょっとお待ちを」医者はおもむろに白衣を脱いで。「どうぞ。平気です、ええ。研修医くらい出たり入ったり特定なんぞ。ああ、その物騒な上着はやめていただけるとね、こちらとしましても」
病院独特のあのにおいがした。
薬品のようなアルコールのような。
「ああ、これは予想していたよりも。なんということでしょう。ははは」
「提案した奴の顔を見せてやろうか。デスマスクでよければな」
「おお怖い。まさかとは思いますが、そちらの、ええと」上着のポケット。
「安心しろ。一人分だ」
持っているわけがない。
俺に持たせると碌なことがない、と。持たせてもらえない。いままで一度だって碌なことが起こったか。
起こってないだろ。無駄な想像力で俺の腕を鈍らせる気か。
「そちらね、美味しいと、評判なんですよ」医者が言う。
コーヒー。
「ふうん」味がわからなくなっている。
いつものあれと飲み比べないと。交互に飲んだら余計にわからなくなりそうな気も。
気が急く。
探偵は今頃。
「お一人でしょうかね」医者が言う。
「嫌味か」
「いいえ、滅相も。ただね、嫌がったでしょうね、と。お聞きになったでは。私もその頃のことをね、その、思い出しては心がきゅうきゅうと痛むといいますか。なにせ研修医に毛が生えた程度の時分の話ですからねえ。意見なんぞ、とてもとても」
何があったのか。そこまでは。
知らない。
「酷いものでしたよ、ははは。て笑い事ではないのですが。いまようやく見直されてきている流れに乗ってる感じですが、ううむ。ここにいるから、治らないのでしょうね。一生いなければならないと思わされる。他でもない私たちが奪っているのですよ、彼らの」
「悪いが、わかるように」
「しがない精神科医の遺言ですからね。ううん、聞き流していただいて結構ですよ。私一人がああだこうだ言ったところでね、なんら現状は」
彼女とは。「どうゆう関係だ」
「野暮ですねえ、あなた。相棒にお聞きになっては」
通りすがる。わざわざ立ち止まる。見つけて遠くから寄ってくる。
その誰もが口々に。
誰かと思った、と。白衣着用が当たり前なのだろう。
俺についてしつこく質問をぶつける人間が意外に少なかった。こいつが白衣を着ていないことのほうが、見かけないどこの馬の骨とも知れない白衣の俺より興味を引くのだろう。
「えらく人気者じゃないか」
「そんなそんな」医者が言う。「もの珍しいだけですよ、はあ。何もしないいてもいなくても変わらない朴念仁で通ってますのでね、これでも」
「関わってるんだな」事件に。しかも深く。
「何を仰います。私は部外者ですよ、それこそね」
わかりそう。の前兆。
「いまからでも」
自作自演までして護衛を申し出た意味。
そいつの弁明。
「今更、ですよ。覚悟はできていますから。この日のためにいままで無駄に生き残ってたようなもんですからね」
「すまないが」その担当患者の診療記録を。
「お手間なだけですよ。断言できます」
「根拠は」
「私が診ていないから。これ以上の確証がどこぞに」
自作自演でなかったとしたら。
死んだんじゃ。
「診断じゃ、心許ないですからねえ。何も書かれていないのと同義ですよ、あのような。あれを書くのはですね、ひとえに、はい、お察しの通り」
カネ。
「私も食べないといけませんし、彼らも生活しないと。ここを出て人間として生きるにはやっぱりそのね、ある程度のおカネがいるのですよ。カネをいただく代わりにレッテルをね。世の中ってそうゆう仕組みになってるのですよ、悲しいことに」
こいつの患者じゃないとしたら。
「それもありません。そのような方々は、ここにはいらっしゃらないかと、ええ。だって儲かりませんからねえ。私が扱うのはとびきりの難事例。どこであっても手に負えなかった負えそうにないそれはもうとんでもない方々の巣窟です、ここは」
人道的な実験場。
「見す見すモルモットを逃がす真似、しませんよ」
奴の白衣を着ているせいか。
上着を脱いでしまったせいか。
寒気がする。
コーヒーカップがやけに冷たい。単なる熱移動だ。アタマではわかっているが。
何を伝えたい?虚偽とブラフに惑わされては。
非通知。で掛けてくるような奴に一人しか心当たりがないが。ケータイが可能な場所を精神科医に訊いて。
既に切れてしまっていたので掛け直す。
「よくお似合いですね」
反射的に振り返ったが。
「そこからは見えません。はじめまして」
探偵さん。
3
欠番か、後回しだろうな。
4
白衣を着たままだった。
ばつが悪い。誰が見ているわけでもないのだが。
「掛ける相手を間違ってる」探偵にかけたかったんだろうが。
電話。
「いいえ、合ってますよ。きちんと返しておいてくださいな」
知らない声だ。
聞き覚えもない。忘れているだけかもしれないが。
どこに。
どこで見ている。
「あなたに守っていただきたいの。先生を。お願いできるかしら」
先生?
「それの持ち主です」白衣。「死んでもらっては困ります」
「失礼ですが」
誰なのか。
「わかるでしょう?」
探偵なら。
「ですから、私は」
探偵じゃ。
「明日は何も起こりません。しかし、明後日の日曜」
医者が。
どうなるというのだ。
「眠らないでくださいね」
唐突に切れた。電波障害か電話線でも切られたような。
誰だったんだ?
てっきり探偵からだと思ったのだが。
食堂に戻ると、医者の姿は見当たらず医者の座っていた位置に。
白衣の。
別の奴がいた。
「すまないが」あの医者はどこに行ったのか。
「休憩時間が終わったので」持ち場に戻ったということか。
ようやくばつの悪い白衣を脱いで。
上着。ポケットの中を一応。コートも。
「僕が見張ってました」だから盗難はあり得ない。
あの医者と同じ白衣だが。職員が一様に胸に付けてるあれがない。
代わりに首から提げている。
若い。
「研修医か何かで」
「そう見えますか」彼が言う。
違うのか。それ以外に病院で白衣を着る奴なんか。
「電話があったでしょう。あれ、信じたほうがいいですよ」
「なんで」
知ってる。お前は。
「ゆびきりさん」彼が言う。
レンズ越しの黒と白。
黒であり白でもあり白であると同時に黒を。
「ご存知ですね?」
医者が会計を済ませてくれてあったようで。貸しを作りたくなかったのだが。カネが有り余っているからコーヒー一杯くらいなんのことはない、と彼談。
実験のために妙な噂を流したのは。
「僕です」彼が言う。
「さっきの電話は」
「僕ではありません。僕はあんな声出ません」
無理矢理着信履歴を確認してもよかったのだが、俺が彼なら。
消している。
ここで嘘を吐く意味はない。わざわざ声色を変えて電話を掛けずとも、直接言えば事足りる。嘘を吐いてもそれを本当だと思い込ませられる。普通の人間なら鵜呑みにする。
国立の研究施設。付属大学院、高校、中学、小学校、幼稚園。
大学の敷地は眼と鼻の先だった。でもここは付属病院ではないという。
「事実上そんな感じですよ。医学部もありますしね。堂々と嗅ぎまわって、怒鳴られたんじゃないですか。あの人もここを」執刀医のことだろう。
「知り合いか」
「恋人です兄の」人工の笑顔。
それ以上訊くなと言っている。
「思いのほか大騒ぎになってしまったようですね」
ゆびきりさん。
「吐いたほうが身のためだ」
「先ほど、まったく同じことを言われました」彼が言う。「ですからその方に聞いてください。僕は二度同じことは言いません」
探偵。やっぱり逃げた。
「帰ったのか」
「仕事を思い出したとかで」彼が言う。
「心当たりは」
「ご自分の脳に訊かれたほうが」
ゆびきりさん。「なんでこれを」
「兄の研究を参考に」彼が言う。
その、兄とやらは。
「ご存知ですよ。片割れさんは」彼が言う。
どうしても。
俺と話す気はないようだ。
「同じことを二度も喋りたくないだけです」彼が言う。
「次やったら」
「どうします?」
探偵を探したほうが早いかもしれない。誰であれ口を割らせるのは不得意なのだが。
医者の護衛。
どうすべきか。それも含めて。
消息不明の彫刻家。
アトリエは廃墟。
十年も前に死んだ同居人。
何事もなく営業を続ける動物園。
本当に死んだのか。
死んだからあの怪文書は自作自演で。
本当は死んでなくて。
死んでないからどこぞで医者の命を狙っている。怪文書で。
怪文書でなくて。
死期を悟る医師。
予告状では?医師があれを見て命を狙われていると思い込んだなら。
お命頂戴致します、の意。に採れたのだ。永らく一緒にいた奴には。
同居人はそれぞれ別人?同一人物?
だったら、動物園のは。
誰だ。
誰が生きていて誰が死んでいる?
動物園のが別人で。その別人を殺した奴が自殺を図ってないなら。そもそもその犯人とやらが虚偽だとしたら。
どうだというのだ。
余計にわからない。
あの女声も。
明日は何も起こらない。明後日は。
どうしてそれがわかる?お前じゃないのか。
お前が。
本人?指示?複数?
何のために。ピアニストだけを狙って。
企業テロ。と言うと探偵に笑われるだけなのだが。
暴君社長への怨恨?
の線は虱潰しにさせるとして。
違う気がする。あの女声が言いたかったことは。
あの企業と契約したピアニストだから殺したのか。他にも共通点が何か。
あるんじゃないのか。
見落としてる。
から続いているのだ。嫌味を嫌味として聞き流すな。
ピアノは。
誰からかに習うものじゃないのか。
電話を掛ける。
「はあ、被害者の」
「とっくにやってたと思ってたがな」
被害者のピアノの師。
厭々キィと叩く音。「それがどうしたというんですか」
「知ってたのか」
同一人物。
「ですから、それがなんだと」龍華が言う。
「どういう意味だ」凄まじい共通点だと思ったのだが。
俺が見つけたことが不服なのだろう。
「あの社長が眼をつけるくらいの腕ですから、それなりの腕、というか指ですけど、有名なところで教わりたいと思うんじゃないんですか。それだけのことでしょう」
「有名な奴なのか」
「それは、これから調べてみますけど。ん?あれ」
「どうした」
かたかたかたかた。「あ、いいえ。社長が襲撃された理由がわかったもので」
「なんだ」
「何か有力な情報は得られました?」龍華が言う。
交換条件。
違う。同じ部署の上司と部下だ。
片方だけが知ってて片方だけが知らないなんてことは。
だから、
仕事放っぽりだして、管轄外まで荒らして。
「何か摑めました?」嫌味だ。
「探偵に訊け」
「そうですか。警部ともあろう人がこう何度も無駄足お踏みになられるとは」
「いいから、なんだ。言え」
暴君社長がピアニストを辞めた理由。
離婚した理由。
「辞めた?」
「自身もピアニストだったなら、彼らの若い才能を埋もれさせたくないと思う義理は当然ではないかと。あ、これ、某音楽系雑誌のインタヴュ記事から抜粋なんですけどね。離婚したってのはご存知でしたよね。これも某所の極秘スクープに拠りますと、探していた音が見つかった、だそうで」
「要点だけ言え」
「ですからね、別れた奥さんには、なかったようです。ヨーロッパ全土を虜にするユピテルの女神には見出せなかったと、そうゆうことなんでしょう。あれじゃないんですか。完璧なものはすぐ厭きるとか」
「再婚したのか」
「そこがよくわからないんですよ」龍華が言う。「そいつといると虫唾が走るっていう原因じゃないなら大抵、他に一緒になりたい人がいるからってのが」
「探れないのか」
「その、社長が別れた原因の人。その人なんですよ。被害者の」
ピアノを教えていた。
5
先生。ともるはそう言った。
「ピアノに興味を持った俺につけたんだ。自分が構ってやれないから」主語は両親。「凄かった。先生みたいに弾ければと思ったが、ボヤで」
ピアノが。
とある彫刻家の所有するギャラリィ。
流石は唯一のパトロン。よくぞこれをここに。
ピアノを。
しかも。ご自由にお弾きください。
ともるが座る。
「ボヤじゃねんだろ」
「忘れた」ともるが言う。
「時効」だから白状しろ。
「勝手に燃えたんだ。お陰でレッスンがストップした。先生もどこぞへ」
消えた。
オトと。ヒトと。
土曜の朝っぱらだというのに。
この人の入らなさ加減。閑古鳥も鳴き疲れる。
儲ける必要はないのだろう。
コレクション展。
要は、
見せびらかし。この価値は誰にもわからない。
指が。
置いてあるだけ。
頑丈なガラスケースに容れずとも。誰も盗らない。
気味が悪い。
指だ。
指を模した何か、でなく。
指。
なのだから。
「なんつったか」この曲。
「俺の十八番。ということになってる」ともるが言う。
やりそうな手口だ。
暴君の。
付加価値。宣伝効果。
「先生がいなくなって塞ぎ込んでたところを」
付け込まれた。
「社長は知ってる。一度でも生で聴いたことがあれば」
えんでの音。
触れればたちまち感染する。
「そやって、感染者探してきて手元に置いたわけか。ホンモンが手に入らねえ腹癒せに」
「一番近かった。あの人は特別で。俺はそこまで出来ない」
音が変わる。
どっかで。ああ、
あれだ。
遺作。
「最高傑作だ」
亜州甫かなまの。
「雰囲気違ェな」
「俺が一番遠い」ともるが言う。
速すぎる。えんでのはもっとテンポ不可解の。
ソファに腰掛ける。指を見つめる。
白い。照明が。
証明を。
正銘の。
「厭だった」ともるが言う。
「どれに関して」
つっかえてもこの速さでは。
「あいつのせいで先生が」ともるが言う。
亜州甫か。
結佐か。社長か。
俺か。いや、買い被りだ。
君は無関係だよ。
だよな。
「貸せ」
「弾けるのか」弾けるわけがない、という尊大ぶり。
「んなの、やってみなきゃ」
「滑る」包帯の問題点。
「外しゃあいいわけか」
先に右。音は止まらない。
次は左。音は、
遅くなる。
そうそう。そのくらいのほうが。
「聴きやすい」
「お前」ともるが言う。
それ。
気づいた。
「関係者だよ」
摑まれる。
ない。の両側。第二と第四。
知らなかった。そうゆう顔で。
知らない?
「お前が」ともるが言う。
水曜の。
「聞いてなかったのか」
なんで。それで。あ、とついに。
止まる。
白い壁に。
「なんで」ともるが言う。
生きてる。指がないのに。
「見なかったのか」
「見てない。俺は」ともるが言う。
「なに言われた?」
亜州甫に。
呪いをかけられた。ステージでの。すれ違いざま。
最期の。遺言に。
聞き取れなかった。
聞き返したときに。
「先生だった。あれは、先生が。先生の演奏が」
音が。しなくて。
赤い飛沫。
「なに言われた?」
ホシイ。ユビガ。
ユビガホシイ。
ユビヲ。
「厭だったんだ。先生を、先生にあんな」
ああ、それじゃあ。
結佐は殺される。
社長も。
「見たのか」
左の中指はいいや。もう、
もらったから。
「あいつのために弾いてたんだ。暴君のほうじゃねえぞ。あれはフられたんだ。あなたのために弾けない、てな」
「結局、弾いてない。あいつが、あいつさえ」
聴いてくれた。だから、
もういいや。
「厭きっぽいんだよ。こいつだって」
彫刻。指の。
ぐるりと取り囲む。四方八方に。
えんでがいるみたいだ。
「要らねえから」
捨てた。そしたら拾ってくれる人がいて。
あげちゃった。
「先生とどういう」ともるが言う。
「席交換」
ともるがソファに座ったのを見届けて。単に腰が力尽きただけだが。
えんで。さっきの。
なかなかいい出来だね。好みだよ。
んじゃ、
いけるよ。僕の耳を侮らないでね。
音。
ちょっぴり調律狂ってるのがおあつらい向きだけどさ。
先生。
ともるが呟くのが聞こえた。
「死んでねえよ。嫉妬もお門違いだ。見ちまったもんは忘れろ。あいつは」
ニセモンだ。
だって、
「ねえだろ。別のもん付いてっが」
そこまでは知らないか。
ともるは意味がわかってないようだった。
余計なこと言わない。
へいへい。
「会いたかったんだろ」
それだけだ。亜州甫も同じ。
えんで。
いい教え子じゃねえの。
E
教わってない。
搾取しようと。踏み絵代わりに聞かされた。
反応を探っている。
ピアノも使い物にならない。いい機会だ。
これを口実にやめようと思ってたところに現れた。金儲けもあるんだろうが、何か他の狙いがあるはずだ。
習い事にちょっと齧った程度の、何のタイトルも獲ってない、無名の俺に眼を付けた理由。
「聞き覚えがないか」社長が言う。
「あったら、なんだというんですか」
「弾いてほしい」
「譜面を」
「見なきゃ弾けないか」
「見たほうが確実です」
「君が聴いたままを弾いてほしい。それくらい造作もないだろう」
実力を試されているというよりは、表現者足り得るか。
先生のコピィになる器が。
「出来ません」
「卑下しないでくれ。君の耳と腕を見込んで頼んでいる」
頼む、という言葉が引っ掛かった。
「すぐには出来ません」
「弾きたくないだけじゃないのか」社長が言う。
自分で弾けばいい。
弾けないわけではあるまいに。喉まで出掛かった。
「弾きたくないのは貴方では?」
嗤う。
決定打を踏んだらしい。先生のコピィには。
「やめさせるわけにいかないな。こいつを弾けるようになるまで俺の下で」
金儲けの道具になるのは別段気に障らなかった。
先生のコピィになりたいとも思わなかった。先生には敵わない。諦めているわけではなくて、先生が頂点にいるトーナメントにエントリィする気が起きなかった。
誰が挑んだところで先生が一番なのだから。
なにより俺が、
先生以外を一番と認めない。
そんなとき、あの人が現れた。先生の。
いたのだ。
俺以外に。俺と同じく。俺以上に。
カネで似せられる部分はすべて似ていた。社長が改造した。
カネで似せられない部分もほぼ似ていた。社長が見分けられるように。
名前だけ違った。
音の違いは、
社長にはわからない。近似値で満足できるように自己暗示をかけていた。
「君も?」亜州甫さんはそう言った。
「尊敬しています」
「そっかあ。僕も」
自分の音を探す必要がある。社長もそれを望んだ。
先生のコピィはすでに見つかった。手元に置いて。傍らで侍らせて。先生の音を手に入れた気になっている。
それでもあくまで、先生の音を踏まえた上での付加価値を俺に求める。
ただ一人、
先生の音を知らない奴がいた。
先生の音を知らなくても社長が手放そうとしない。手塩に掛けて、八百長コンクールで箔をつける。どんなにやめたがってもピアノから離れることを許さない。
ああそうか。役割が違う。
奴は、
別れた女神の音を超えるために存在する。
そして、役割を見失った俺と競わせるために。逆かもしれない。
「突然ですまない」
「確か、復活の日に一度」あいつの友人が言う。
憶えていたのか。社交辞令の挨拶くらいしかしてない。
「お変わりないご様子で」友人が言う。
「敬語はいい。あいつにもそうやってるわけじゃ」
「せっかくのお言葉ですが、僕は、使いたい相手に使うことにしてるので。年上だとか立場がどうだとか、そんなつまらない理由で」
あいつのせいだ。
様なんて付けるから。
「さながら皇帝のようだと」友人が言う。
「言ってたのか」
「僕の印象です。気分を損ねたのなら謝ります」
何を研究してるのか、と訊いたら笑われた。
冷ややかな。
決して突き放しているわけではないが。
「失礼しました。そんなこと訊かれたの、初めてだったもので」
「訊かないのか」あいつは。
友だちなのに。
「訊きませんよ。彼は僕が怖いんです。だから適当に話を合わせて相槌を打ってるだけです。変なことを言うと凍らされるとでも思ってるんじゃないでしょうか」
「そういう研究なのか」
「用件はそんなことではないでしょうに」友人が言う。
もし、郷帰りされることがありましたら。
あいつが言っていた。
「そうですか。それだけの理由でわざわざ」友人が言う。
だしにしたことを見抜かれている。
言付けを頼まれたわけでも、プレゼントを託されたわけでもない。話の流れ上そう言っただけだ。
一度会ってみればわかる、と。
凍らされるというのもあながち間違っていないかもしれない。
相談に乗ってもらうことはおススメできませんけど。すっごくアタマいいから。それだけ。何かヒントになるんじゃないかと。
「消えて欲しい音がある」
「いい医者を紹介できますが」友人が言う。
そうじゃない。
「そうではない」友人が言う。こちらの思考をトレースした。
「殺人以外でなんとかならないか」
「具体的に話を聞ければ力になれるんでしょうけどね」
「うまく説明できない」
「カウンセリングをご希望ですか?」
弾くなと言っても、
呼吸をするな拍動を止めろ、とほぼ同義。
死ねと云っている。
殺人は困る。
死体を処分している時間が惜しい。葬式のことだが。
「自分に置き換えて考えてみては?」友人が言う。
どうすれば、弾くのを。
弾けなくなる。
弾きたくても弾けない状況に。
ピアノに火をつけたところで。
「演奏する機会を奪っては?」友人が言う。
「誰かのために弾いてるわけじゃない」
「違うんですか」
先生には届かない。
音も指も。
諦めているわけじゃない。負けのわかっているゲームをしたくない。
勝敗を超越している。
先生がルールであり、ゴールが先生なのだから。
「弾けなくさせればどうです?」友人が言う。
「どうやって」
それをいま。
彼は、
空気を一瞬で。冷却させる笑みで。
「ゆびきりさんて」
ご存知でない。
切り口が瞬く間に凍結する。
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