上は大火事、下は大水

「艦首損傷! 漏水発生!」


 朦朧とした意識は、けたたましいサイレンと繰り返される艦内放送によって引き戻された。

 異常を示す赤色の警告灯がところどころで明滅し、ゴウンゴウンと機関の駆動音ベースに、カンカンカンと鉄床を走る何人もの足音ドラムが加わる。


「被害状況は?」

「艦首が雷撃され大穴が開いた! 通信異常、甲板で火災もだ!」

「もう傾き始めたぞ!」


 絶望的なリズムに乗るのは、同じく絶望的な状況を報告する叫びリリックであった。

 時間が経つにつれ、この状況がどれだけ深刻なのかわかってくる。

 艦首に攻撃を受け、艦内に海水が流れ込み浸水。それに加え爆撃機による攻撃によって艦上構造物が炎上している。浸水は現在進行形で、ダメージコントロールを行わなければ浸水によって沈没は免れず、火災に対処しなければ煙によって場所を特定され、攻撃の的となる。

 そして通信機器は沈黙しており、周りの艦への救援は望めない。


 上は大火事、下は大水。これなーんだ?

 私の艦だ。




 既に壁に手をつかなくては歩けなくなった連絡通路を、補修用の木板を持ち浸水発生個所へと向かう。しかし通路を進むにつれ浸水被害は深刻化し、浸水発生個所は水の中に沈んでしまっていた。

 すぐそばにいた水兵が上着を脱ぎ「俺が行く、貴様は板を持ってこい!」と言って冷たい水の中へと飛び込んでいく。

 引き返し、補修材を持ち彼の元へ戻ろうとしたとき、艦は衝撃に襲われた。

 艦砲射撃の至近弾か、爆撃であろう。

 体制を立て直し彼のもとへ向かったが、その彼が今までいた場所は既に大きく浸水し、板だけがゴボゴボと侵食し続ける暗い水に浮かんでいた。


 ここはもう駄目だ。

 クソッタレが。


 悪態を壁に打ち付ける鉄拳の一発に変え、私は引き返す。

 壁は歪み、拳もまた固く閉じられたままであった。




「貴様、補修材を渡せ!」


 引き返すその先、側面から突然声が響く。

 振り向いたその先には、髭面の水兵が右手を差し出していた。

 その右手はすぐに補修材を掴み、体ごと彼の背後の扉へと引きずり込まれる。

 その部屋の壁面には、砲塔に供給される砲弾が並べられていたのだろうが、度重なる攻撃の余波で床面に砲弾が転がっている。沈み行くこの艦では、もう使われることも無いのだろう。

 緊迫状態にある地域を「弾薬庫」と呼ぶことがあるが、浸水しかけているこの場所を弾薬庫とはもう呼べないだろう。


「今からこの場所を気密する! 貴様もやれ!」


 艦の中に機密した場所を作れば、浸水しても気密した場所が浮力となり、沈没は免れる。

 見れば内部には他にも水兵が2人いて、自らの服を引き裂いては隙間に詰めている。


「天井に通気口がある! 塞げ!」


 水兵の声を受け私の体ははじかれたように動く。壁面の棚に足をかけ、補修材を通気口に押し当てる。

 そして工具に手をかけようとしたときに気が付いた。


 アタシの手が、固く握られたまま動かなくなっていたことを。


「塞げ!」

「時間がない!」


 固く握られたままの拳は赤黒く変色し、まるでそれ自体が鈍器のように重かった。

 ゴウンゴウンと機関の重低音ベースが響き、カツカツと軍靴ドラムが音を立て、怒号シャウトが上がり、赤色の警告灯ライトアップが周りを照らす。


 わかったよ、こうすりゃあいいんだろ。

 クソッタレが!


 釘を指の間に挟み、ヤケクソに拳を打ち込む。天井に突き刺さるまで何度も、何度も。

 手は、警告灯の光と自らの血でさらに赤黒く不気味に輝き、自分で見ていてもおぞましい。


 だけどこれがアタシだ。

 クソッタレた奴らに向かってただひたすら拳を突きつけてきた。

 生まれた時から、コレだけはできたんだ!


 ようやく1本の釘が打ち付け終わる。

 抑えていた腕を外すと、なんとか天井にぶら下がる程度には仕上がっていた。

 これならいけると思った矢先、私の体が不思議な浮遊感を覚え、そして上から野太い声が降ってくる。


 気がつけば、水兵の片腕に担がれていた。


「後は任せろ、お前は行け」

 嫌だよ。アタシはできることをやってんだよ。アタシは足手纏いなんかじゃねえ。

「行け。生きろと言っているんだ」

 生きるためにやってるんだ。指図は受けねえ。

「今から弾薬庫を内側から気密する。これは俺たちの仕事だ」

 待てよおっさん。それって何言ってるかわかってるのか。

 内側から気密するってことは、もう出られないってことだぞ。

「だからお前は生きろと言っている!」


 再び浮遊感が襲う。今度は、服をつかまれて弾薬庫の外へと放り投げられたのだった。


俺がお前達の航路になる死者が生者の道となる

「ここももう危ない、艦橋方面へ止まらず走り続けろキープ・ムービング・フォワード


 いつしか彼ら水兵の顔は、髭面のロシア軍人、白人の潜入捜査官、金髪の≪接続官≫に見えていた。

 声に押され逃げるように艦橋へと動こうとするも、手も足も鋼鉄のように重かった。

 それでも彼らを安心させようと、体に鞭を打ち、いつかあのときとおなじように肩と腰を使って、這うように通路を進んだ。


「いいか、『』はここで終わりじゃない!」


 誰のものとも知れない声が背後から響いたとき、ガクンと船体が大きく傾き、三度の浮遊感に襲われた。

 そして――。




 目が覚めた。

 肌に張り付く下着の感覚で、ひどく寝汗をかいていたのがわかる。

 慌てて顔を上げると、目の前には開きっぱなしのラップトップ端末。そこにはインターネット集合知たるウェブ百科事典のとある項目が表示されている。


「……くそったれ。言われなくても進んでるっての」


 思わず口に出していた言葉は、彼らだけでなく、自分に言い聞かせるように発していたのかもしれない。

 入学試験まで、あと数日もない。端末の隅を見て時間を確認すると、涼月は立ち上がって伸びをし、洗面台へと向かった。


 駆逐艦涼月。

 自分に与えられた名が、そこには表示されている。

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暁の水平線に勝利を刻め暴力で/上は大火事、下は大水 いだいなほ @174yda010

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