第6話
今からおよそ三ヵ月前、吉野市某所で一体の他殺体が発見された。
それが後に、凶悪犯罪とは縁の無い田舎の地方都市を震撼させることとなる、連続猟奇殺人事件の幕開けだった。
通称、
遺体に残された猟奇的な痕跡と遺留物から同一犯による犯行と目される一連の殺人事件は、今や現場となった吉野市だけに留まらず、日本全国を騒がせ、世間の注目を一身に集めていた。
事件による犠牲者の数は、確認されているだけで十一名にも及んだ。それだけの命が、わずか三ヵ月足らずの間に、たった一人の犯人の手によって無残にも奪い去られたのだ。
その十一名の中に
犯人は、今も捕まってはいない。
◆◆◆
吉野高校から徒歩で五分。
市駅の西側に位置するその公園は、近隣住民の憩いの場として親しまれていた。
「こんなところで悪いね。近くで、人目を気にせず落ち着いて話ができる場所って言ったら、ここくらいしか思い浮かばなくてさ」
広い園内の一角。
池の畔に佇む
木製のベンチに腰をかけ、テーブルを挟んで向かい合う。
「構いません。もとはと言えば、突然押し掛けたこちらが悪いのですから」
屋内にいるのは、真人と梓の二人だけだった。
仁と結はここにはいない。
席を外してくれるよう、真人が二人に頼んだのだ。
「――けれど良かった。話を聞いていただけて。内容が内容なので、門前払いも覚悟していたのですが……」
ほっと胸を撫で下ろす梓。
彼女の懸念はもっともだ。警察関係者でもなければ身内でもない。見ず知らずの部外者が、いきなり被害者遺族のもとに押しかけて、「事件のことを訊かせろ」などとのたまった日には、張り倒されても文句は言えまい。
実際、そんな非常識な振る舞いを受け流せるほど真人も寛容な性質ではなかった。本来であれば怒りのままに罵倒し、取りつく島無く追い払うところだ。
けれど――
「そういうわけにはいかないさ」
何しろ相手が相手だ。
事情も聞かずに無碍に追い払うなどできるはずがない。
真人の脳裏に、先刻の校門前でのやりとりが甦る。
梓が己の目的を語ったあの瞬間――意表を突かれて絶句する真人と結を尻目に、仁はぽつりと呟いたのだ。
「……思い出した」と。
そして、彼女の正体を――伏姫梓が何者であるかを二人に明かした。
「…………」
真人はそっと息を吐いた。
持て余した心を落ち着けるように、深く、長く、ゆっくりと。
事件のこと、梓のこと、そして、これから繰り広げられるであろう彼女とのやりとりに思いを巡らせ、心穏やかでいられるほど、真人は豪胆でもなければ不感でもなかった。
とはいえ、尻込みをしていても仕方がない。
「……もうじき日も落ちる。手早く済まそう。僕に話を聞きたいと、そう言ったね?」
「はい」
梓は神妙な面持ちで居ずまいを正し、
「どんなことでも構いません。教えてください。あなたが襲われた夜のことを――あなたを襲った
「……質問を質問で返して悪いけど、どうしてそんなことを聞きたがるんだい?」
「仇を討つためです」
即答だった。
「父の仇を討つためです」
やはりそういう心積もりか――と、真人は顔を曇らせた。
そう――彼女も真人と同じだった。
「……仇を討つというのは、捕まえて警察に突き出すということかい? それとも――」
「言葉どおりの意味です」
梓はじっと真人を見つめている。
その瞳の奥底には、犯人への激しい怒りと憎悪が渦を巻いている。
真人は目の前の少女に深い共感を覚えた。
だが――
「……君の気持ちはよく分かる。僕だって、君と同じ身の上だからね。家族の無念を晴らしたい、この手で犯人を殺してやりたい……そういう想いは確かにあるさ。だけど、君がそういうつもりなら、悪いけど協力はできない」
「……なぜです?」
梓の声に棘がこもる。
「危険だからさ」
しかし、真人は怯まない。
「相手は十一人も殺してる凶悪な殺人犯なんだよ? それも、殺した相手の肉を食い漁るような生粋の異常者だ」
そう――喰らうのだ。
犠牲者の亡骸を。
まるで、屍肉にたかる獣のように。
一連の事件が、猟奇殺人として巷を騒がせ、世間を震い上がらせている理由がそれだった。
「そんな奴にちょっかいをかけるなんて危険過ぎる」
「だから首を突っ込むな、と?」
「事件のことは警察に任せるべきだ」
「あなたがそうしているように、ですか?」
「ああ」
挑発的な物言いにも動じることなく、真人は毅然と頷いた。
険悪な形相で押し黙る梓。真人を睨むその目には、冷ややかな軽蔑と深い失望が、露に浮かび上がっていた。
凍てつく鋭利な眼差しは、薄情者、臆病者、と、真人を無言の内に責め詰る。
真人はそれを、目を逸らすことなく甘んじて受け止めた。
彼女の憤りはもっともだ。真人とて、恥じ入る気持ちは確かにある。
だが――
「……どうして?」
押し殺すような声で、梓が問う。
「家族が――大事な人が殺されたんですよ?
なのに、どうしてそんなに平然としていられるんですか?
どうして、そんな物分かりのいいことが言えるんですか?」
「……物分かりがいい――っていうのは、確かにそのとおりだね。
でも、平然と――っていうのは違うよ。
言ったろ? 君の気持ちはよく分かるって。
本音を言えば、君に手を貸したいという想いはある。
君に協力して、君と一緒に犯人を追い詰め、その命をもって償わせる。
僕だって、許されるならそうしたい」
「だったら――!」
真人はそっと頭を振った。
「そういうわけにはいかないさ。少なくとも心配してくれる人がいるうちは、危ないことなんてできないし、自棄を起こすわけにもいかないよ」
穏やかに微笑む真人。
父は死に、母も死に、今や真人に、身寄りと呼べる者は誰もいなくなってしまった。
けれど仁がいる。結がいる。学校の友達も、商店街のみんなだって、真人を案じ、なにくれとなく支えてくれる。
そんな人たちの想いを顧みず、わがまま勝手に、復讐だの仇討ちだのといった物騒事に自ら首を突っ込むなんてできるはずがない。
許されるはずがない。
「君にだって、君のことを心配してくれる人はいるだろう? だから――」
「だから、バカな真似はよせ……と?」
「ああ」
梓は深く溜息をついた。
「……なるほど、理解しました」
少女の眼差しは、依然鋭く真人を見据えている。
だが、その身に帯びていた剣呑な空気は、吐き出された溜息とともに、すっかりと霧散していた。
「非礼をお詫びします。あなたの想いも知らないで、つい感情的になってしまいました」
「いや、こっちこそごめん。何だか押しつけがましいことを言っちゃって……」
とにもかくにも矛先を収めてくれたことに安堵していると、梓がおもむろに席を立った。
「手間を取らせて申し訳ありません。お付き合いいただき、ありがとうございました」
どうやら、これでお開きのようだ。
事件について答える気が、真人の側にない以上――そして、その理由に納得がいった以上――最早話すことは何もない。
つまりはそういうことなのだろう。
「礼なんていいよ。結局何も答えてあげられなかったわけだし……」
決まり悪く頬を掻く真人。
「――それでは、これで失礼します」
梓は頭を下げ、踵を返した。
真人を残し、独り東屋を後にす――
「待って」
去り行くその背中を、真人はとっさに呼び止めていた。
振り返った梓に、躊躇いがちに問いかける。
「君は……まだ続ける気かい?」
「はい」
迷うことなく、はっきりと。
気負うことなく、淡々と。
「私はあなたとは違います。私にはもう、誰もいませんから」
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