第5話


「――――」


 少女ははっと目を瞠るや、にわかに歩を踏み出した。

 脇目も振らず、まっすぐに。

 真人たちの元へと突き進む。


 高い鼻梁、達筆な眉、切れ長の釣り目……近づいてくるにつれ、少女の顔立ちが徐々に明らかになっていく。

 遠目に抱いていた印象どおりの、美しい少女だった。

 だが、美しさよりも何よりも、真人の目を惹いたのは彼女のその目つきだ。

 射殺すような鋭い眼差し。

 身の毛もよだつほどの凄まじい眼光に、思わず気圧され息を呑む。


(ええっと……)


 真人は困惑もあらわに辺りを確認した。

 だが、いくら探しても、少女の視線上に真人たち以外の姿はない。

 彼女の目当ては、真人たちの中にいると見て間違いなさそうだ。


(うーん……)


 改めて少女を見る。

 これだけの器量だ。

 面識があれば少しくらいは記憶に引っかかるものがありそうだが、まるで心当たりが浮かばない。

 それにあの目――あんな煮え滾った目で睨まれるほどの恨みをもしも他人ひとから買っていたのなら、どんなに鈍い人間でも、思い当たる節の一つくらいあるはずだ。

 しかし、そちらの方も、真人にはまったく身に覚えが無かった。

 もちろん、単に真人が忘れているだけかもしれない。

 気づいていないだけということも考えられる。

 けれど、そんな極小の可能性を疑うよりも、まずはもっともあり得そうな線から当たるべきだろう。

 つまり――


「仁」

「バカ兄貴」


 くしくも考えていたことは同じらしい。

 真人と結は、揃って仁を振り返った。


「おう! ――って何だよお前たち!? その残念なものを見るようなじっとりとした目は!?」

「あの娘、君のお客だろ? って言うか被害者。まったく、ほどほどにしなよ。君のそういう悪癖ところにはもう慣れたけど、さすがに日に二度も修羅場とかドン引きだよ」

「本当、我が兄ながら情けない……! 可愛い子と見れば見境なしにちょっかい出して!」

「待て! 誤解だ誤解! 濡れ衣! 冤罪! 事実無根! 何もしちゃいねえよ、俺は! 第一俺、あの娘とは面識無いし!」

「ふーん、じゃあアレだ。君に弄ばれた友達に代わって、文句を言いに来たに違いない」

「……そんなことあるわけない、だろ?」

「そこはきっぱりと言い切ろうよ」

「往生際が悪いわね。観念しなさい、バカ兄貴!」


 言って、結は仁の背中を豪快にはたいた。

 たたらを踏んで前へと押し出された仁の面前に、件の少女が迫る。

 腹を括ったのか、それとも少女の迫力に耐えかねたのか――彼女が何かを言い出すよりも早く、仁の側から口を開いた。


「や、やあ! こんばんは!」

「…………」

「ええっと、あの、だね……。そ、そう! 違うんだ!

 君の友達――ああ、それとも姉妹かな、親戚かな――と、とにかく、その娘も、そして君も、誤解をしている!

 そりゃ俺が何股もかけていたのは事実さ! それは認めよう!

 でも、彼女のことを愛していたのは本当だ!

 彼女だけじゃない、他の娘たちのことも!

 からかってやろうとか遊んでやろうとか、そんないい加減な気持ちは、誰に対しても微塵も無かった!

 彼女たちにしたら、俺は不誠実な浮気野郎にしか見えないだろうけど、それでも俺は、真剣にみんなのことを愛していたんだ!

 そう、言うなればこれは俺と彼女たちとの価値観の相違が招いた不幸なすれ違い――って、あれ……?」


 身振り手振りを交えながらの仁の熱弁はそこで途切れた。

 理由は簡単。

 少女は、端から仁の存在など意にも介さずその脇を素通りし――


「――失礼。真神真人さんですね?」


『……えっ?』


 真人や結だけではない。

 まがりなりにも己が無実を訴えていた仁までもが、少女の発した予想外の名前に目を剥いた。

 呆気にとられ固まる真人を、少女はじっと訝しげに見つめ、


「……真神真人さん、ですよね?」

「――! は、はい! そうです!」


 真人はハッと我に返った。


「そうですか……良かった。何やら戸惑っている様子でしたので、もしかして人違いかと少し焦りました」


 少女は微かに安堵の気配を滲ませながら、そっと息を吐いた。

 ……ほんの短いやりとりながらも、分かったことがいくつかある。

 彼女とはやはり初対面であるということ。

 そして、どうやら彼女は怒っているわけではないらしい、ということだ。

 こちらを射貫く少女の眼光には、相も変わらず身を竦ませるほどの凄味が籠っている。

 交わした言葉の端々からも、人を寄せ付けない鋭さが垣間見えた。

 だが、少女の声色をよくよく注意深く聞き分けてみると、そこには攻撃的な激しさも、怒りを押し殺しているような不自然な冷ややかさも感じられなかった。

 たしかに愛想に欠けるきらいはある。

 だが、それは他人行儀なよそよそしさというか、事務的な味気無さというか、そういった類のものだった。

 少なくとも、こちらに対して何かしら負の感情を抱いている様子は見られない。

 してみるに、あの目も別にこちらを睨んでいるわけではなく、もとからそういう顔立ちというだけの話なのかもしれない。


「失礼、申し遅れました。私は伏姫ふせひめ――伏姫ふせひめあずさと申します」

「えっと、ご丁寧にどうも。僕は――って、ご存じでしたね」

「はい」


 伏姫梓……やはり、聞き覚えの無い名前だった。

 真人には。


「……伏姫」


 傍らで、仁がぼそりと独りごちた。


「どっかで聞いたような……」


 顎に手を当て考え込む仁に、ちらりと一瞥だけをくれ、真人は梓へと視線を戻した。


「それで伏姫さん」

「伏姫、で結構です。私の方が一つ下ですから」


 こちらの顔や名前だけでなく、年齢までも知っている。

 いよいよもって何者だろう――と、膨らむ疑問をいったん脇へと追いやり、真人は言葉を続けた。


「ええっと、じゃあ伏姫」


 真人は遠慮がちに少女を呼び捨て、


「僕に何の用かな?」

「――話を伺いたいのです」


 梓は答えた。

 臆することなく堂々と。恥じることなくまっすぐに。


連続猟奇殺人リュカオン事件唯一の生存者――そしてただ一人、犯人を目撃したあなたに」

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