第4話
午後六時。
最終下校時刻を告げるチャイムに背中を押され、真人たちは保健室をあとにした。
昇降口で靴に履き替え、校舎の外へ出ると、辺りはすでに薄暗い。
二学期が始まって二週間。
九月も半ばにさしかかり、日が暮れ出すのもずいぶんと早くなった。
薄暮の空には、すでにいくつも星が瞬いている。
夜の帳が降りるまで、後三十分とかかるまい。
昼間の暑さが嘘のように、涼しい風が吹き抜ける。
日中は相変わらずの猛暑続きだが、ここ最近、夜は過ごしやすい日が続いていた。
この死にそうに暑かった夏ももうじき終わるのかと思うと、ほっとするような、でも名残惜しいような、複雑な想いが込み上げる。
だが、そんな感傷も、己を取り巻く現実を思い出すや、すぐに胸の内から蒸発した。
校内には、部活を終えた生徒たちの姿がそこかしこに見受けられた。
通りすがる真人たちに、ちらちらと盗み見るような視線を向けてくる。
後ろめたさと好奇心をないまぜにした下世話な眼差し。
仁や結に向けられたものではない。
彼らの目当ては真人だった。
真人は素知らぬふりを装いながら、胸の奥でそっと溜息をついた。
まったく、いい加減にして欲しい。
新学期が始まってからというもの、ずっとこの調子だ。
本当にうんざりだ。
もしも真人一人なら、とっくに心が折れていたことだろう。
そう――仁や結が、いてくれなければ。
「――
あいつ
っで、この間ラインでクラスの写真を送ってもらったんだけど、いやー驚いたね! これが結構レベル高いのよ! それで――」
仁は周りの目などまるで意にも介さない。
片や結はと言えば、まるで周囲を威嚇するかのように、凄まじい形相であちらこちらにメンチを切りまくっている。
真人に気を遣わせまいと能天気に振る舞う仁。
真人を守ろうと矢面に立つ結。
本当に良い幼馴染を持ったと、心からそう思う。
思う、のだが……
「――でよでよ! 松川に頼んで、その娘たちとの合コンをセッティングしてもらったわけよ! 今度の土曜! いやー、楽しみだなー! 待ちきれないなー!」
「正直、そういうところはどうかと思うな……」
「本当、あんたって男は……」
真人はやれやれと苦笑を漏らし、結は沈痛な面持ちで額を押さえた。
「何だよ、何か文句あんのかよ?」
「別に。ただ呆れてるだけよ。さっき振られたばかりなのに、もう次のこと考えてるなんて、節操無いにも程があるでしょ?」
結はしかめっ面で腕を組み、じっとりとした目で仁を睨む。
「分かってないなー、マイシスター。なのに、じゃない! だから、だ! 今の俺は晴れてフリー! つまり、誰憚ることなく、女の子にちょっかいを出せるというわけだ!」
恥じる様子など微塵もない。
仁は堂々と胸を張り、喜色満面で力説する。
真人は処置無しと肩を竦め、結は諦め顔で頭を振った。
「……あんた、彼女がいようがいまいが、憚ったことなんて一度も無いじゃない」
「そうそう。そもそも今回にしたって、すでに合コンがセッティングされてる時点で全然憚ってなかったよね」
「って言うか、結局節操無いって部分は否定してないし」
「ここまで来ると、もういっそ清々しいよ」
しかし、二人の揶揄も仁の耳には届かない。
どこ吹く風とばかりに、すっかりはしゃぎきっている。
「――まあ、そういうわけでだ真人」
何がどういうわけなのかは分からないが、言って、仁は真人に顔を向け、
「今週土曜日午後一時、駅の西口広場の大時計前に集合な! 絶対に遅れるなよ!」
「えっ? うん、分か――って、ちょっと待った! えっ? 何? 僕も入ってるわけ!?」
「おうよ! ばっちり頭数に入れておいてやったぜ! 気が利くだろ?」
ドヤ顔でサムズアップする仁に、真人は猛然と食ってかかった。
「いやいや、そんなこと勝手に決められても困るよ!」
「えっ? 何で? お前この間、週末は暇だって言ってたじゃないか?」
「スケジュールの問題じゃなくて、合コンなんて、そんな――」
「そんなの駄目ええええええええええええええええええええ!」
凄まじい剣幕で、結が二人の間に割って入った。
「異性に飢えた肉食女子が男を漁りに群がってくる、そんな破廉恥で爛れた集まりに真人を放り込むなんて駄目! 許さない! 絶対に認めない!」
「お、落ち着けって! お前が考えてるようなことなんて何も無いから! 一緒にカラオケで遊んで、晩飯食いに行くだけだから!」
鬼気迫るとは、まさにこのことだった。
鼻息荒く捲し立てる結の迫力に、さしもの仁も、気圧され気味に後退る。
「つーか何だよ、破廉恥で爛れた集まりって!? お前の中の合コン像歪みすぎだろ! この耳年増のむっつりが!」
「む、むっつり……!? ちが――! 私は、ただ、別に、その、何ていうか――! と、とにかく、そう! 真人のことが心配で、だから――!」
真っ赤な顔で慌てふためく結。仁はがりがりと頭を掻きながら嘆息し、
「ったく、お前は真人のおかんかよ? 大体、真人のことが心配なら、ここはむしろ背中を押すべきじゃないのか?」
思いがけない仁の切り返しに、結は訝しげに眉を寄せた。
「どういう意味よ?」
「お前も真人の草食っぷりは知ってるだろ。この歳になってろくに女子に興味を示さないんだぜ。思春期の男子が、奥手とかそういうんじゃなくガチで。そんなの不健全だろ? 良くないだろ?」
「だから合コン?」
「おうよ! まあ荒療治ってやつだ!」
「なるほど……」
などと、結が神妙な面持ちで頷くものだから、真人はたまらず声を上げた。
「ちょっと結、何あっさり言いくるめられてるのさ! 仁も仁だよ! まるで人を異常者みたいに言ってくれちゃってさ。
そりゃあ年中発情してる君と比べられちゃアレだけど、僕だって男なんだから、女の子に対する興味は人並み程度にはあるつもりだよ」
と、言い張る真人。
しかし、仁も結も疑わしげだ。
「え~、本当か~? だってお前、男子がエッチー話で盛り上がってても全然乗ってこねーじゃん」
「僕は君と違って奥ゆかしいんだよ」
「歌手やアイドルの誰それが可愛いって話題にも食いつき悪いよね」
「僕があまりテレビを見ないことは知ってるだろ? 単に顔も名前も分からないから、話題に加われないだけだよ」
「ふーん」
仁は思案げな表情を浮かべ、
「じゃあ、あれを見てどう思うよ?」
試すような口ぶりで顎をしゃくる。
仁が示したのは校門だった。
何の変哲もないただの校門だ。
周囲には生徒の姿がまばらにあるだけで、特にこれといって目を引くようなものは見当たらない。
意図を測りかね、怪訝顔で首を傾げていると、仁は呆れた様子で言った。
「あの娘だよ、あ・の・娘」
仁の視線をたどった先に、一人の少女の姿があった。
どうやら他校の生徒らしい。白を基調とした夏のセーラー服は
ショートカットの黒髪。しなやかな長身。
少女は怖じることなく顔を上げ、凛と背筋を伸ばして、校門脇に佇んでいる。 たった一人で他校に足を踏み入れているにも関わらず、その物腰は実に堂々としたものだった。
美しい少女だった。
さすがに、これだけ離れていると細かい顔の造りまでは分からなかったが、それでもその容貌が人並み以上に整っていることは、遠目にも見て取れた。
ああ、そういうことか――と、真人はようやく、仁の言わんとすることを察した。
「――ったく、何が人並み程度には興味がある、だよ。あんな美人が眼中に無いようじゃ、説得力のかけらも無いぜ」
「むっ……」
悔しいが仁の言うとおりだった。ぐうの音も出ず、眉根を寄せる。
ところで――と、結が当然の疑問を口にした。
「あの娘、こんなところで何してるんだろ?」
「さあ? 誰か待ってるんじゃねえの?」
「それか、人を探してるんじゃない?」
少なくとも、目当ての人物がいるのは間違いなさそうだ。
少女はしきりに辺りを見回し、行き交う生徒たちに目を走らせている。
その目が、ふと真人たちの方を見た。
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