第6話 前代未聞! 丁稚奉公人の苗字帯刀
与作は最初の頃、お師匠さんが何故に遠い奥出雲から三次藩の属城である八幡山城の志和地まで度々出っ張って来るのか理解出来なかった。其れに何度も長期滞在している。
西国の山陽道、山陰道、其れに石見銀山の覇権を巡り毛利と尼子が勢力争いを繰り広げていた。毛利元就の本拠である吉田郡山城と志和地八幡山城とはほど近く可愛川を遡る事、四里の道のりで明光山の頂上に上がると相手の三つの城と陣地が全て見渡せるのだ。その最前線に接しているのが志和地だった。何年か後に可愛川を挟んで両軍が対峙する。三千の軍勢を率いて出雲街道を南下し赤名峠を、超え三次に入り八幡山城に陣を張り犬飼平の合戦へと進展していくのだった。その時の総大将が尼子国久公だったのである。
こうした時に与作は大殿様と知己を得たのであった。
だがこれだけの御方がその覇権の事に関しては一切、おくびにも出さなかった。
お師匠さんは天下の大殿様という自尊心と誇りをかなぐり捨ててまで一人の男として与作や忍者一家と付き合ってくれたのである。
マムシに噛まれて山中で死に掛かった時や、二度の襲撃事件にも忍者一家は強い味方になってくれ命からがら生き延びる事が出来たのだ。
其れからはお師匠さんが、最前線の要衝の地を訪れる度に間道を抜けて炭焼き小屋に立ち寄りその都度、毛利勢の戦死者の為に花と線香を手向けて供養をしてくれている。
与作や忍者一家が留守の時は何時もお土産を置いていってくれた。
時には与作が仕事休みなどの時は、お師匠さんは寂しい為に何とか大将と忍者一家に会いたいと思い呼び出しを掛けて来るのだ。
天守閣の窓からお師匠さんが顔を出して手を振ると、一里離れたラー助の松の木の高い寝ぐらから見えるのだ。到底、人間の目から考えると及びも付かない事であるが其れをお師匠さんは面白半分にやる。するとラー助も其れに応えてくれる。美味しい物が食べれるからなのだ。これだけ遠く離れているのになんと云う視力であろうか。其れを見逃してしまった時の為に肉や魚をぶら下げて置くと気付いてくれる。
その都度、書簡を取りに飛んで来させたり鉄、玉の為に美味しい物を包んで爪に引っ掛け持たせてくれるのだ。
「大将、ワシも少々身体がなまっとるんじゃ、一丁、手合わせしてくれんかのう。鉄ちゃん、玉ちゃんにも会いたいしのう」
とお師匠さんは何かと理由をつけてラー助を利用して手紙を運ばせ呼び出しをかけて来る。
今日も声を掛けられた与作は一家を引き連れ道場までやって来た。
久し振りに立会い稽古に一汗かいた後、弁当を板の間に広げ皆んなで楽しい食事会を始めようとしていた。
鉄、玉、ラー助も嬉しくて仕方がない。広い板の間中を走り回っている。
「オイ、ええ加減にして飯を頂けえよ」
飯と聞いて一斉に席に着いて来た。その時、お師匠さんはラーちゃんを見て
「あれぇ、ラーちゃんは歩けるじゃのう。さっき見とったが飛ばすに鉄ちゃん、玉ちゃんと一緒に早う走り回っとったな。たまに滑りこけとったで」
「そうなんですよ。足は強いですよ。だからお師匠さんとこで貰った結構重たい荷物も爪に引っ掛けて帰って来るんです」
「メシワマダカ」
「すまんすまん、其れじゃ頂くぞ」
「いただきまあす」
の合図とともに何時もの様に一斉に食べ始めた。
「然し、何時もの事ながら皆んな凄い事じゃな」
「オチャオチャヌカセ」
「なんじゃこりゃ。ほんまラーちゃんは楽しいな」
お師匠さんは何時もの様に酒をひょうたんの容れ物に入れて来て呑み干している。飲んで酔っ払った後は陽気でダジャレを飛ばし、例によって子供のように鉄、玉との駆けっこである。
与作は此れがほんまに大殿様かいなと思われるほど無邪気であった。
然し、お師匠さんは散々、走り回った後にとんでもない事を口にしだした。
「大将よ、ワシは悪い事をしたな。すっかり忘れとったよ」
「何ですか。お師匠さん、何も全然してませんよ」
「いや、与作殿を大将と呼んどるのに、其れ相応の事は一切しとらなんだ」
「其れはお師匠さんが勝手に付けたんじゃないですか」
「そりゃそうじゃ」
「じゃけん今日から苗字帯刀を差し許す」
「何ですかそれこそ。要りませんよ。私みたいな町人でしかも百姓あがりですよ。そのうえに世間的に一番最低の丁稚奉公です。天地がひっくり返っても有り得ません。仮にそうなったとしても絶対に侍になどなりません」
「そりゃよう分かっとる。じゃがのう。与作殿はいずれ世の中になくてはならない人間になる男じゃ」
「そんな、買い被らんで下さいよ。私はただの丁稚ですから」
「うんにゃ、必ず日本國中の役に立つ男じゃ」
此の一言に「今日はえらい悪酔いをしておられるな」ぐらいの軽い冗談としか考えていなかった。
「ワシは与作殿に今、先行投資をしておくで」
「でもこっちは初めから破産した様な丁稚ですが」
「茶化すなや。ワシャほんまに大真面目じゃ」
すると、お師匠さんは大小二本差しの内、小刀を抜き取り前に差し出した。
「大将は長いのを使わんかったから此れを受け取ってくれ」
此のあまりの行為に与作を腰を抜かさんばかりに驚いた。お師匠さんは全く本気の様だ。
「とんでも御座いません。天下の大殿様の腰の物を頂戴するなど誠にもって畏れ多い事で御座います」
「おいおい、其れを言うなと約束したよな、互いに二人の仲じゃないか」
「然し・・・」
「備前長船じゃ。大将よ、心配するな。こんなもなぁ鍛冶屋に打たしゃなんぼでも出来る」
「気休めを言わないで下さいよ」
「頼む!受け取ってくれるか。そして御守りで持っといて欲しい」
「分かりました。でも其れは堪えて下さいよ。私にはあまりにも不釣り合いですわ。其れに家紋が打ち込んで有り物凄い拵えじゃないですか。其れこそ安いのをしつらえて下さいよ」
「何を言うとる。男が一旦、口にした事をひっくり返す訳きゃなかろうが」
「すみません。丁稚の浅はかな考えで」
「そうじゃ、そうじゃ尤もじゃ」
とお師匠さんは鼻歌のようダジャレを放ちながら豪快に笑い飛ばしたのであった。
「苗字帯刀の事たぁ三吉の殿さんに間違いなく言うとくからな」
「ほんま重ね重ね、有難う御座います。家宝として何時までも大切にします」
因みに、此の当時に町民、農民が苗字帯刀を許されるなど有り得なかった。武家社会に於いては侍士は当然、苗字を名乗り刀を帯びる事が出来た。然し、農民で一部の由緒ある名主(庄屋)や金に絡んだ藩の御用商人等は苗字を名乗る事は出来てもほんの数に限りがあった。ましてや帯刀は許されておらず併せて認められるなど有り得なかったのだ。其れも自藩内では通用しても他國に出れば一切通用しなかった。
「そりゃええが大将は、店を何時休んどるんじゃ」
「何でそんな事を聞くんですか」
「ワシも度々、三次に来るが八幡山城の中村氏の処に泊まらず、たまにゃ炭焼き小屋に行きたいんじゃ」
「でも布団の無いのは知っとるじゃないですか」
「そんな物なぁ要りゃせんよ」
「鉄ちゃん、玉ちゃん、ラーちゃんが引っ付いて寝てくれるから大丈夫じゃ」
「其れでしたら月に十日毎に貰うとりますが」
「分かった。今度から出来るだけ合わせて来るからな。たまにゃ大将が仕事を終えてから一緒に帰ってみるか」
「そりゃ皆んな大喜びですよ」
「その時は城からラーちゃんを呼んでもええか」
「勿論ですよ」
「ラー助は何処におっても大好きなお師匠さんを直ぐに見つけますから分かりますよ」
「鉄と玉は別荘の近くにおると思いますから犬笛で呼んでみて下さい」
其れから丁度十日経った頃、ラー助はお師匠さんが来る日をちゃんと知っている。
朝方に庄原を出立した国久公一行は警護侍を伴い昼前には和知を右に曲がり馬洗川に沿って八次に入って来た。右手の山頂に比叡尾山城が見えて来た。
例のややこしい地名の「やつぎ」は城の眼下の小さな集落で三次「みよし」の町の中にあるのだ。
「おい!お前たちは此の城は初めてか」
二人は初めてのようだ。もう一人は一度経験があると言っている。
「結構、坂がきついど」
「難攻不落と言われとるが今時こんなものは要らん様な気がするがなぁ」
「城勤めをするもんの気持ちになってみいや。通いで下から上がってく来るたびにヘトヘトじゃで。よくもまぁ四百年も続いたもんよ。馬は使わりゃへんしな、三吉の殿さんも引きこもりになるで」
「今は見てみいや代官所なんかも平地の便利のええ三次の街中に集中しとるしのう」
「ご尤もで御座います。はい」
比叡尾山城を眺めながら田んぼ道を歩いている時だ。
突然、国久公目掛けて空から黒いものが襲って来た。
「殿様、危ない!」
殿様を前後に挟む様に進んでいて後ろに付けていた警護侍が叫んだ。そしていきなり抜刀しながら近寄って来ると、前の二人も振り向いた。
「待て待て!大丈夫じゃ!」
「オシシヨウサン、キタカ」
「オウ、ラーちゃん見張っとってくれたか、まだ呼んどらんのによう此処が分かったな。有難うな、だんだん」
「ナンノナンノ」
殿様の肩に止まったカラスとの会話に共侍は度肝を抜かれてしまった、そして一刻おいて大喜びに変わっていった。
「殿様、そのカラスは何ですか」
「ワシワラーチャンジャ」
「凄い!会話までしとる」
「ヨウキタノウ」
「ははぁ、お殿様の連れでやって参りました」
「ヨイヨイ、コラドッコイショ」
「ほんま楽しいですね。殿様は何時の間にこんな事をされる様になられたんでしょうか。まるで物真似じゃないですか」
「 ウン、山の中で知り合うてからのう」
そうこうして楽しい会話をしているうち一番下の山門が見えだした。
「オウッ、こっから先は真面目に行くで。あのなぁ、今あった事は絶対に誰にも喋るなよ内緒じゃ。お前等、バラすと切腹させてバラすぞ」
「冗談、冗談じゃ。げに内密にしといてくれえのう」
「分かりました」
「ラーちゃんよ。此処でな、もうええから後は別荘で待っとってくれるか」
「ワシニマカセトケ」
と言って西の空に飛び立っていった。
其れから国久公は本丸に入ると三吉殿と打ち合わせがあるのであろう。暫く城内に滞在した。其れに昼飯をよばれたのてあろう。
何時もとは違う時間に次の目的地八幡山城を訪れる為にまだ陽が高い内に下山して来た。
「お前たちよ、もう暫く行ったらワシは別々に行くからな。三人は下道の街道筋から行けぇよ。ワシは間道を抜けて行くから。其れに今晩は八幡山城には行かず明日の昼までには入る予定じゃ」
「お殿様、其れでは警護にならんじゃないですか」
「ええから、ええから後はワシに物凄い警護が付いとる」
付きの共侍も、殿様の言う事が全く分からなかったが命令とあらば致し方ない。畠敷から馬洗川の浅瀬に架る橋を渡り田園の中を抜けると左手に若宮さんと言われる由緒ある神社の鳥居が見えて来た。今から四百年以上前に初代三吉兼連により勧進、建立され代々三吉氏から受け継がれ地元の人々に信仰され崇められてきた。
又、この辺りは古墳群が多くあり古代に大いに繁栄した跡が残されている。
やはり、三次の名の由来通りみずよしと云われる川が幾つも有る事が生活する上で利便性を果たしていたのであろう。
更に大昔に遡ると日本が誕生する前は海の底だった証拠が残っている。城の近くの切り立った山肌の地層から大量の貝殻が堆積している。其れに少し離れた比和村辺りでは、鯨の化石が見つかっている。
「ワシはこっから別々じゃ、気を付けて行けえよ」
「分かりました。其れでは一足先に失礼します」
大殿様は包みを受け取ると左に曲がり山手に向かった。そしてやおら懐から犬笛を取り出した。別荘迄は間があったが試しに吹いて見ようと思ったのである。
「鉄ちゃん、頼むで!」
するといきなり
「オシシヨウサン」と声がしてラー助が
目の前に飛び下りて来た。
「やっぱりな。ワシをずっと見張っとってくれたか」
「ありがとさん」と礼を言った途端、飛び立っていったではないか。
「もう鉄ちゃんが来てくれたか」
案の定、田んぼ道を駆けてくるのが見えて来た。そして間を置いて玉も後を追って来ている。
「おうおう、皆んな来てくれたか」
幸いここら辺りに人家は無く大騒ぎしても気にならない。
久し振りに会うので皆んな嬉しくて嬉しくて大喜びなのだ。
「大将が帰って来る迄別荘で待っとろうな。ワシャ行った事がないけ案内してくれるか。其れからご馳走を食べような」
鉄も玉も競走する様に前を行き、鉄は風呂敷包みを口に咥え駆けて行く。何度も通る間道から少し入った所に別荘がある。到着すると此処だよと案内する様に
先に玉が入って行くではないか。
お師匠さんは大柄な為、腰を屈めて入ってみると以外に中は広い。
「オウ、こりゃあったかいのう。毛布まであるし、鉄ちゃん、玉ちゃん、ラーちゃん快適じゃないか」
見ると腹が空かないように皿が三つ置いてあり食べ物が入っていた。以前に一度野犬に中を荒らされた事があったが鉄が追っ払ってしまい、全員で臭い付けをし縄張りを示し一切、寄りつかせないにしてしまったのだ。
「よしゃ、今から大将が帰って来る迄横になって休憩しとこうか。其れまで此れを食うとってくれ」
と風呂敷を広げて包みを取り出し前に並べた。其れこそまた大騒ぎになり出した。
「いただきます」と声を掛けてやると一斉に食べだした。然し、夫々の違った動物なのに何でこうまで規律正しいのか、「ワシは同じ人間を一つにまとめるのに苦労をしとるのに、とてもじゃないが与作殿の人間性には敵わんなぁ」
お師匠さんもさすがに疲れたのであろう。横になると即ぐに大いびきをかいて寝てしまった。今朝から五里近くを歩き通しだったのだ。
お師匠さんを挟んで以前マムシに噛まれた時の様に鉄と玉は介護気取りで身体を寄せ合っている。
一刻ほどお師匠さんは爆睡していた。
「おお、ワシャよう寝とったのう。玉母さんと一緒に寝とる夢を見とったで」
「皆んな有難うな」
外を見ると日も陰り薄暗くなっている。その時だ。皆んな一斉に飛び出した。大将が呼んだのだ。
勿論、お師匠さんには何もわからない。外に出て見ると駆け出して行くではないか。後を追って間道に出て来た。だが誰も居ない。暫くそこで待っていると
「ワンワン」 「ニャンニャン」「ガァガァ」五月蝿いほど騒々しく駆けて来るではないか。
「大将、お帰り」
「すみません、遅くなりまして」
「さっきはな、一刻、別荘で皆んなと一緒に寝とったよ。ほんまに我を忘れて気持ちように寝とったよ」
「其れじゃ、もう直接帰りましょうか」
「酒を五升買うて来ました」
「丸干しにスルメは有るかいのう」
「ええ其れも買うて来ましたよ」
「ワシャ、此れが忘れられんのじゃ」
見ると背中にビクを背負っているではないか。
「ワオゥ、嬉しいのう。帰ったら宴会じゃ、云うてもワシだけか。鉄ちゃんも玉ちゃんもラーちゃんもやろうぜ」
「エイエイオー」
「どうぞどうぞ、心いくまで飲んで下さい。一応、酒の肴は揃えましたから」
すると鉄が前に来て座るではないか。
「鉄ちゃんも運んでくれるか」
与作はビクを下ろしその中から小袋を背中に括り付けてやると嬉しそうに駆け出した。
「おお大分軽うになったな、有難うよ鉄ちゃん」
「然し、忍者一家はよう人の気持ちが分かるんじゃのう」
暗い山道に入って鉄や玉、其れにラー助が前後になりながら進ん行く。
だが道を照らす灯も何もない。与作は不思議に思い聞いてみた。
「そりゃええがお師匠さん、暗いのにまともに歩いておられますが鳥目のほうはもうええんですか」
「そうじゃった、言うのを忘れるとこじゃたよ。大将のお陰でな、城の賄い方も気を付こうてから、指示どうりにやってくれてな。ご覧の通りよ。感謝!感謝よ!浅田屋にもよう礼を言うとってくれんか」
「其れは良かったですね」
「然し、鳥目のラーちゃんはどうなっとるですかね」
「そうじゃのう。見えとるんか見えとらんのかワシらにさっぱり分からんよな」
「ラーちゃん、前は見えるんか」
「オメメアルカ」
此の返答には二人ともに「ウヌ」頭を捻り大笑いしながら
「なんじゃ、どっちか分からんじゃないか」
ただラー助は空高く飛ぶのではなく、少し飛んでは地面に下りるを繰り返したり時に鉄の背中乗ったり与作の肩に止まっている。やはり、あまり見え難いのであろうか。
なんやかや喋りながら夜道を歩いているうちに小屋に到着した。鉄も玉もラー助も我先に飛び込んでいく。やはり此処が一番いいのであろう。
「お師匠さん、今日はご苦労さんでした。汚いとこですがどうぞ入って下さい」
「おお、有難う、有難う。嬉しいのう」
「そりゃええが風呂へ入りますか」
「今から沸かしょったら暇がかかろうが、ええよ」
「それより早う一杯やりたいのう」
「熱燗がええですか」
「いらんいらん、ほんまの酒飲みは冷やが一番じゃ」
「然し、教師の前でこんな事をゆうてええんかのう」
「何ですか。私は何も説教しておりませんが」
「ハハハ、鳥目の事よ」
「ああその事で。今日なんぼ飲まれても大丈夫ですよ。その代わりにおかずも仰山添えて食って下さい。偏らん様になさったらいいですよ」
「酒いっぽんは絶対駄目ですよ」
「分かった。そうするよ」
与作が食事の用意をしている間中、背中に向かって話し掛けてくる。玉は膝の上に乗り、鉄は横に寄り添い嬉しそうにしているではないか。ラー助だけが忙しく出たり入ったり与作の肩に止まったりして飯の出来具合を確かめている。
「ラーちゃん。うろうろすなや」
「メシメシシヌシヌ」
「馬鹿、死にゃせんわ」
「ハハハハ、然し、面白いのう」
「大将よ、ワシャ此処へ来たら子供の頃に戻れるんじゃ。ほんま懐かしゅうて楽しゅうてな。
ワシも子供の頃犬を飼うとってな。龍という名じゃったよ。凡そ名とは似ても似つかぬ小ちゃな犬てな、可愛ゆうて何時も抱いて寝とったよ。朝から晩まで一す緒に走り回っとったよ。やんちゃじゃったがよう言う事を聞いてな」
そう言いながら箸を休めては鉄、玉の頭を撫でている。
「ワシがマムシに噛まれて道の上で寝込んどる時、鉄、玉が寒空の下、寄り添い身体を温めてくれとったがその時にな、朧げながら龍が出て来たんじゃ」
「まごちゃん助けてあげるよ」
「ワシはな、子供の頃は孫四郎と名付けられておってな。言いにくかったんか知らんが、まーちゃん、まごちゃんと皆んな呼んどったよ。其れがある時、龍が三、四歳の頃かワシと駆けっこをしている時に勢い余って高い城壁から下の石段の上に落ちたんじゃ。頭を強く打ってな死んでしもうた。ワシャ、悲しゅうて悲しゅうて毎日泣いておったよ」
「其れが何十年振りかに現れたのよ。鉄、玉に乗り移ったかのようにな。其れからは大将と忍者一家に宜しくと言っているような気がしてな」
「そうでしたか。私らはお師匠さんとは何かの強い繋がりが来世からあるのでしょうか。然し、それじゃったらお師匠さんはお気の毒としか言いようが有りません」
「何を言うとる、地獄の巡り合わせに逢うてみいや。そう思やよっぽどましじゃ」
「然し、誰が考えてこんな事を尤もらしゅうに六道輪廻の事じゃのと世間に広めるんかのう」
「これも輪廻の世界では魂は巡り巡ぐって色々な道に帰っ来ると言われております。動物だって人間だってこの世の中では皆繋がりがあるのです。
難しい事はよく分かりませんが、今、生ある限りはただひたすらに自分の行くべき道を進む方法しか有りません。
そうよなあ、ワシャな何時も皆んな前では虚勢を張っとるがな、ほんまはご覧の通りの気の小さい人間なんじゃ。だから、ここへ来て皆んなとおるとどれだけ心が休まる事か。其れにな、此処へ来て大将と顔を合わせとるとみんな心の内をさらけ出す事ができるんじゃ」
しみじみと語るお師匠さんの姿に、お殿様としての苦悩を与作は十分に汲み取ることが出来たのである。
「さあ、お師匠さんもうちょい残ってますよ。飲んだら寝ますか。そして明日は皆んなで賑やかに出かけましよう」
「そうじゃそうしよう。皆んな明日は楽しみじゃのう」
と言うと鉄、玉、ラー助も嬉しく堪らない。
毎度の様にお師匠さんと与作に挟まれて犬と猫とカラスが枕を並べて眠りに就いた。本当に考えられない光景であった。
朝、東から陽が昇り小屋の中が明るく暖かくなり出した。日頃は必ず暗いうちに起きて準備をするので調子が狂ってしまった。今日は休みじゃったなと腰を上げて座っているとようやく気が付いた。
「おう、ほうか。ゆんべお師匠さんが泊まったんじゃった。いかん!飯の支度をせにゃいけんかった」
お師匠さんはと見ると高いびき中だ。昨夜は二升は飲んだであろうか。
鉄も玉もラー助も外に出て気を遣って騒がないのだ。戸を開けて外に出ると足元に駆け寄って来た。与作は口に人差し指を当てシィーと合図をすると声を出さない。本当に皆んな頭がいい。手水鉢で顔を洗うと
「鉄ちゃん、暫く待っとれぇな」と言うと即ぐ聞きわけてくれる。
朝飯の手間は飯を炊くだけで手っ取り早かった。昨日のうちに有り合わせの物を買って来ており、其れにお師匠さんが城から持ち込んでくれていたからだ。
其の内、ようやくお師匠さんが目覚めて欠伸をしだした。
「オウ、ようよう目が覚めたか。よう寝とったのう」
「ほんまに久し振りで。こんなにぐっすり寝たのは。ありゃ、どした誰もおらんじゃないか」
お師匠さんの起きた声を聞いて皆、競争する様に飛び込んで来た。
「オウオウ、皆気を付こうとってくれたんか。有難うな」
嬉しくて狭い小屋の中を駆けずり回しているではないか。
「オイ!飯の前でぇ、やめぇや」
飯と聞いて更に喜んでいる。
「とに角、食べるぞ。其れから遠足じゃ」
鉄、玉、ラー助にとっては朝から嬉しいのだ。
「然し、大将よ、此の朝飯がええんで。献立を作ってくれたお陰で家来の奴等も実践しおるのよ。ほんまに鳥目がようなったとぎょうさん報告が上がっとるんじゃ。其れに調合してくれた漢方も効果てき面じゃ」
忍者一家はあっと言う間に食べきってしまった。そして外に出て今か今かとお師匠さんと与作が出てくるのを待っている。
「お師匠さん、今日はええ天気の様ですから山にでも登ってみますか」
「山じゃ云ても此処も山ん中じゃろうが」
「ハハハ、そりゃそうですが、明光山のてっぺんですよ。登られた事が有りますか」
「うん、一度だけじゃがな。八合目辺りにある出っ張った岩の上から下を眺めたよ。敵の陣地が丸見えじゃったな」
「色々と面白いものが見えますよ」
「そうか、皆んなと一緒に登ってみるか」
「オイッ、皆んな一緒にでかけるぞ」
此の与作の一声にそこら辺を走り回っている。如何に好きな人と行動するのが嬉しい事か。
炭焼き小屋から明光山の頂上は程近かった。何せ今住んでいる場所自体が中腹であり、たまの休みの散歩道であったのだ。時間もそう掛からない。ようやく岩の上に到着した。
「ラーちゃんよ、あの向こうの城の様子を見て来てくれるか。帰ったら飯だよ」
「マカセトケ」
分かったのかどうか、でも飛んで行く方向に間違いはなかった。
「お師匠さん前に襲撃された時、此の峠を越えた辺りから間者が増えたと言われましたね」
「そうじゃ。其れまでは二人が付けて来ておって町人風でな。其れから此処から下辺りから皆武装をしとったよ。何時の間に着替えをしたんかのう」
「成る程、お師匠さんは此処からまだ上に登った事が有りますか」
「ないない、此のうえは木が生い茂って見晴らしが悪いじゃろうが」
「そこが盲点かもしれませんね」
「どう云う事じゃ、ワシにはさっぱり分からん」
「直ぐに分かりますよ。もう少し上がってみましょう」
「じゃが道がないじゃないか」
与作は背丈まで有る茅草をかき分ける様に入って行った。五十歩も進んだであろうか周りは低い芝草の歩き易い平地になっており獣道であろうか踏みしめた跡がある。
「此れは人間ですよ」
其れから少し進むと窪地の木陰に小さな小屋があるではないか。まず見つけ難い場所であった。全く粗削りで丸太を簡単に組んだ雨露をしのげる程度の建物であった。
「大将、此れは何なら」
「入れば分かりますよ」
「中に誰もおらんじゃろうのう」
「其れは大丈夫ですよ。忍者一家が付けて来とるじゃないですか」
「そうじゃったな」
二人は小屋の前に来ると、
「建物はそう古くはないな何年も経っとらんぞ。為してこんなもんが立っとるじゃ」
お師匠さんがやおら戸に手を掛けて引き開けた。
「オイ!大将!こりゃ何じゃ!」
何とお師匠さんが襲撃された時と同じ武装用具が有るではないか。
「ウゥーン、此処から下りて来て間道で合流したんか 」
小屋は小さかったが十人程度なら雑魚寝が出来るだろう。
「然し、奴等、此処までどうやって来たんじゃ、明光山は敵の陣地じゃろうが」
「お師匠さん、そんな事は全く関係有りませんよ。百姓、木こりに変装すれば簡単な事ですよ。其れに可愛川には両方の人間が利用出来る渡し舟が有るじゃないですか」
「じゃが地の者が見れば即ぐに分かろうが」
「お師匠さん、私の実家でも昔から深瀬や犬飼平に田地や山が有りますよ」
「そうか、そんなもんか。国境じゃの事と線引きしとるのは領主ばっかりか」
小屋を確認し終えると又、岩の上に二人は座り込んだ。
「お師匠さんが三次のお城から出た後にどうやって、いち早く此処へ知らせたと思いますか。そして待ち伏せしていましたよね」
「ウ〜ン、よう分からんわ早馬か」
「時間の余裕も有ればそれも可能でしょう。然し、お師匠さんが比叡尾山城に到着しいきなり出立すると絶対に間に合いません」
「ならどうして出来たんじゃ」
「此処からよく見てください」
と言いながら与作は北の方向を指差した。
その方向には高谷山が有る。明光山より大分高い山だ。
目の高さにあり間近に見えるのだ。
「お師匠さん、高谷山は知っていますか」
「名前は知っとるが登ったこたぁないよ」
「此の頂上からは三次のお城がほんま良く見えるんですよ」
「つまり三次藩内に潜り込んどる宍戸の奴等は畠敷のどの辺りか知りませんが狼煙を上げると高谷山に届き中継して明光山にいち早く到達するのです」
「成る程な、大将、もう一遍更に上へ上がって見るか」
「そうしましょう。此処からは鉄と玉に任せましょう」
「鉄ちゃん、玉ちゃん頼むよ」
二人は腰を上げて鉄と玉の後を追い出した。
かなり雑草が生えていたが思ったほど歩き難くはない。先ほどの小屋の前に立ち止まり暫く臭いを嗅ぐと同時に進み出した。然し以外にも小屋から距離がある。更に岩肌が見え出し一段と険しくなってきた。
「お師匠さんは息が切れ出して「鉄ちゃん、しんどい!ゆっくり行ってくれ」
其れを聞いた鉄は全く優しいのだ。駆け降りて来てぴったり寄り添ってくれる。
「有難うな、玉ちゃんも来てくれたか」
ゆっくり登っていくと頂上が見えて来た。
「大将、何も無いで」
処が鉄と玉がてっぺんの向う側に走り出した。
「お師匠さん、やはり有りますよ。火を焚いた跡ですよ」
山頂の北側に面し八幡山城からは見えない様になっていた。だが高谷山は真っ正面にはっきりと見えるのだ。
「鉄ちゃん、玉ちゃん凄いなワシらだけじゃたら見逃したとこじゃったよ」
「此れじゃったら連絡が瞬間的に伝わりますね」
「有難うな、今日はええ山登りをさせて貰うたよ」
「然し、何べんも言うが鉄ちゃん、玉ちゃん、ラーちゃんは大将を含めて忍者一家じゃのう」
「さあ、お師匠さん、岩場に下りておやつがわりのむすひでも食いますか」
「おおう、そうしよう。腹が減ったよ」
「鉄ちゃん、玉ちゃん飯だぞ。早う来いや」
お師匠さんが岩の上から声を掛けると一緒になって茅の間からガサガサ音を立てながら顔を覗かせた。
すると口に何か咥えている。
「オイ、何を持って来たんじゃ見せてくれるかのう」
玉がお師匠さんの前にポトッと丸めた紙を落とした。其れを広げて見ると一瞬、たまげた顔になりそれから高笑いをし出したので有る。
「ハハハ!大将、此れを見てくれ!笑わせやがる」
「何がそんなに可笑しいですか」
与作がそれを受け取り読んでみた。
ーこの男、悪玉の大将に付き、討ち取りし者には金五十両を与うるものなり
尚、仕官出世は思いのままなりー の手配書であった。
「宍戸の野郎、ワシを舐めてけつかる」
お師匠さんは自分の評価があまりに低いのにムカッときたのだ。
「まあまあ、気にせんといて下さいよ、あちらさんは財政が逼迫し食い詰め浪人まで利用している思えば腹も立たんでしょう。
「ハハハ、物は考えようじゃのう」
「然し、大将よ、此処から眺めとったらなにもかも丸見えじゃのう。深瀬から甲立の五竜城や毛利の城山迄見えるで。ましてや下の八幡山城は人の動きや警備箇所の人数まで見えるじゃないか」
「奴等、何時も偵察をしとったんじゃのう、特に今はワシの命を狙っとりゃがる。此処から見てみい、三次から街道筋の青河峠を越えて志和地に歩いてくるのがハッキリ見えるで。ウ〜ン」
「大将、そりゃええが小屋はどうする」
「と申しますと」
「此れは宍戸の野郎等が建てたもんじゃろうが」
「待ち伏せしてやっつけるか」
「その必要は更々有りませんよ。ただ、ぶっ壊しとくだけで十分ですよ。二度とよう上がって来る事はないでしょう。腹の太い処を見せてやってはどうですか。
此れが相手にとって一番恐ろしい事なんですよ 」
「分かった。明日にも叩き壊しに行かせよう」
「其れより、又、奴等は別の場所に同じ様な事をするでしょう。其れを早く見つける事が先決ですが難しいでしょうね。何せ周りは山、又、山ですから」
そうした時に鉄がいきなり吠え出した。するとお師匠さんは
「ウンッ、何事なら、誰か上がって来やがったかな」
「ラーちゃんですよ。西を向いて尻尾を振っとるじゃないですか」
「然し、何も見えんで」
玉もようやく分かったのか「ニャーン、二ャーン」と鳴き出した。
其れでも二人には分からない。
「然し、人間では到底付いて行かれんのう」
分からないはずだ。ラー助は西からの偏西風に乗り高い上空を一気にすっ飛んで帰って来たのだ。そして真上から急降下、飛び降りて来て初めて気が付いた。
「オオゥ、ラーちゃん帰ったか。ご苦労さん」
「ハラへタ」
「そうかそうか、さあ、ラーちゃんお食べ」
「五竜城はどうしゃたかな」
「エイエイオ、オルオル、エイエイオオ」
此の声を聞いたお師匠さんはラー助の頭を撫でながら
「ラーちゃん、凄い凄い!ほんま空飛ぶ忍者じゃのう。だけど、大将が指を差しただけでそこへ行くとはこりゃ如何に」
「冗談はともかく、ラーちゃんの能力は全く以って神業じゃな」
「大将、早うに教習所を開設して欲しいのう」
「鉄ちゃん、ラーちゃんは初代の先生でぇ」
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