第23話 栃木新聞死可沼支局長 川上啓介

23 栃木新聞死可沼支局長 川上啓介

 

 支局とはいつても記者は啓介と橋本だけだ。

 その橋本はデスクワーク。ニュースを追って足で稼ぐのは啓介の役割となっている。橋本は歳も定年過ぎ、外での活動はあまり期待できない。期待するほうが、酷というものだ。


 死可沼市役所と産業廃棄物処理業者との癒着を正そうとした職員が逆恨みされ、殺された。そのときの的確な報道とスクープによって、たった一人だけだった支局が、本社の意向で新社屋も建ててもらった。そのときの初代の支局長がセンパイ、いまはフリ―のルポライター、廃墟ハンターとして活躍している黒元哲也だった。


 黒元は「アサヤ塾」にいた。いつもと同じ時間に目覚めた。でもいつもの新宿のマンションの部屋ではない。窓から見えるのはヌルイ死可沼の街だった。黒元の生まれ育った街だ。アサヤ夫妻と飲み明かして泊まりこんでしまった。


 四階の教室に設えた簡易ベッドには遅い朝の光がさしこんでいた。携帯が鳴った。啓介からだった。


「センパイ。犯人はV男ではないらしいですよ。あんな高い橋の欄干からミホチャンを吊るすにはいくら体重を軽くしたからといって、人間技ではないと思ったのがマチガイでした。犯人はV男だからカメラにうつらなかった。その推測もマチガッテイマシタ。ドローンをつかって橋の欄干にロープをかけたと、警察で検証したらしいです」

「じゃあ、捜査はそのドローンの所有者を洗うことから始めているのか」

 黒元の問いにたいする応えはなかった。


「それにセンパイ、オレダメみたいス」

 啓介の声音がかわった。

「急にどうした。どこにいる」

 堪えていたことをふいに吐きだすような口調。泣いている。啓介が泣いている。

「いまどこにいる」

 ただならぬ声。震えているようだ。

「死可沼病院」

「傷が悪化でもしたのか」

「それに近いです」

「悲観するな」

 黒元は話しながら階下におりた。アサヤ夫妻は黒元のただならぬ声と顔色から不吉な気配をよみとつた。

「センパイゴメン。おれ、腕はカギ爪で抉られただけだった。でも、病院で隣室の男にあのとき噛まれていた。おれV男になるの、イヤだ」

 声がうらがえっている。


「おちつけ。おちつくんだ」

 チクショウ。あのとき、やはり隣室の男に襲われ、噛まれていたのか。

 あと五分で病院につく。

「啓介おちつくんだ。噛まれたから、すぐ吸血鬼化現象がおきるわけではない。おちつくんだ」

「なにか変な声がきこえたり、女の子のエリクビが気になったり。おれってロリコンだったなんてことありませんよね」

「おまえは、啓介まだ若い。これから好きな彼女ができて、結婚するんだ。死ぬなんてことかんがえるな」

「でも、でも……ギャルの血が飲みたいなんて慾望にめざめてしまって、そんなの――おれやだよ」

「おい。啓介どこだ」

「病院の屋上です。これで死可沼の街の見納めです。パソコンみてください」

「恐れるな。V男になっても生きられる。生きぬけ。死ぬな」

「もうだめです」

「せっかく助かったのだ。生きるのだ」

「アサヤ先生に伝えてください。ミホチャンをやったのはV男ではない。吸血鬼になると共通の意識がもてるらしいんです。意識が伝わってくるんです。だからわかる。犯人はV男とちがいます」   

 黒元は啓介を見つけた。啓介は屋上のヘンスをまたいだ。一歩、足を踏みだした。

「犯人は人間です」

 啓介は屋上から一歩踏み出した。啓介は黒元にウナヅク目線を送ってよこした。

啓介が踏みだした下には床はなかった。

 

 その瞬間「啓介」と黒元は絶叫していた。

 

 啓介の行動を阻止しようと上げた叫び声。

 むなしく中空に消えた。

 啓介が屋上からダイブした。

 

 まさか、本当に啓介が身をなげるとは――。

 黒元はヘンスに駆け寄った。

 そして、見下ろした。

 啓介は地面にクラッシュしていた。

 いままで話しあっていたのが、ウソみたいだ。コンクリートに血だまりが広がっている。啓介の声はもう聞くことが出来ないのだ――。


 街の騒音がよみがえってきた。


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