第1話 はじめましてのともだち

 ________それはある雨の日だった。


 その日は日直で帰りが遅く、校舎には誰一人、生徒は残っていなかった。


 この日は週に一度の部活休暇日。運動部、文化部、研究会など全てが休みのため、グラウンドだろうが体育館だろうが教室だろうが、生徒は誰もいなかったのだ。

 面倒なことに日直だからと言うだけで先生から頼み事をされ、黙々と一人で作業していたらこんな時間になってしまった。

 作業が全て終わったのは、時刻は夕方の五時を過ぎたところだった。空はどんよりと曇っており、窓には雨が打ちつけられ騒がしい。

 本来ならば、ここから夕日が綺麗に見えるはずなのだが、あいにくの天気となってしまった。

 今日は全くついていない。出来ることなら早く帰りたかったのにと、俺、雀宮 泪(すずめのみや なみだ)は深いため息をついた。


 ……そもそも、俺は教室に残って何かをするような、優等生タイプというわけではない。

 生活態度も授業態度も『真面目に振る舞う』のは、後で呼び出しを受けて、面倒なことになるのを避けたいからだ。余計なことに時間を取られたくない。


 それに、俺には早く帰ってやらなければいけないことがある。自然と自分が焦っているのを感じていた。

 玄関先で傘を開き、嫌な雨だと雨音に文句を言う。それは、箱をひっくり返したら無数の小さなビーズが落ちてくるような、激しい音だった。

 こんな雨の中を帰るなんて、最悪だ。家に着く頃には制服や鞄がぐっしょり濡れてしまうことだろう。

 鞄にいたっては、濡れて欲しくない物がたくさん入っている。何が何でも死守せねば……。そう思いながら小さくため息をついていると、突然、誰かに肩を叩かれた。


「ねぇ、ごめん! その傘に入れてくんない?! 」


 あまりにも突発的な出来事に、驚いて声も出ないまま振り返ると、自分より背の高い男が、手のひらを合わせて頭を下げていた。

 鈍色の中に瑠璃色が溶け込んだかのような髪が、雨の日が続くこの時期によく似合っていた。ふわふわと揺れる毛先はすべて外側に跳ね返っていた。


「は、はあ……いい、ですよ。でも俺、柏巣駅まで行きますけど……」 


 あまりにも大きい相手のその体格に圧倒され、引き気味になりながら、俺は傘の柄を強く握りしめた。昔からこの女っぽい容姿のせいで変に絡まれることが多かったのだ。

 しかし、もうこの歳まで来るとそれらに対する扱いにも慣れてきたのだが、同じ学校の生徒となると話は別だ。

 もしここで下手なことをして、相手の機嫌を損ねてしまえば、平穏な学校生活に支障が出てしまう。そう、長年の勘が俺に警鐘を鳴らしていた。


 そもそも、こんな男は俺の知り合いにはいない。というか、高校に入ってから友達すらいないのだ。いいですよ、と言った手前で申し訳ないが、もし出来ることなら、折りたたみ傘を渡して早々に引き上げたい。

 そう思いながら相手の反応を待っていると、俺の求めている答えとは正反対の返事が返ってきた。


「えっ?! 君も柏巣駅なんだね!! 俺の最寄り駅もそこなんだー! あはっ、ラッキー! 助かっちゃった?!」


 わーい、嬉しいなー、と言いながら、彼は子供っぽい無邪気な笑みを見せてくる。まるで、体だけが大きい小学生のようだった。高校生にしては、少し喋り方に幼さが残っている。

 そして、俺の格好を見るなり、「あっ」と声を上げた。


「ねえ、君のそれ、普通科の制服でしょ? 俺さ、工業科二年の仁都如月って言いますっ! 君は?」


 こいつはアイドルか何かなのか、キラキラとした視線を向けながら、丁寧に自己紹介までしてきた。


「え、あ、ええ……ふ、普通科二年の……す、雀宮泪……です……」

「雀宮泪……すずめのみやなみだ……うん! 覚えた! すーちゃんだ!」


 す、すーちゃんっ?! え、は?! なんだこいつ、初対面の人にあだ名をつけるのが趣味なのか?!


 俺が言葉を出せないままでいると、彼、仁都は「ん? どうかした?」とでも言いたそうに首を傾げていた。黒縁眼鏡の奥から映るその目は、紺碧のような深い青だった。

 目元と鼻筋が整っており、黙っていればイケメンという分類に入るタイプだった。背も……悔しいが、160cmの俺よりもはるかに高い。端から見れば大人に見えなくもない。

 でも仕草がどことなくスキンシップ過多というか、なんというか……そう、男子特有の悪ノリが強いと本能的に察知した。正直、こういうチャラチャラした奴は苦手なタイプだ。

 人と話す機会が家族としかなかった俺は、完全に奴のペースに飲み込まれ、連れられるがまま、仁都如月と帰ることとなった……。


「俺が傘を持つよー。その方が、濡れなくて効率いいでしょ?」うっ…確かに。俺より背丈は充分ある。悔しいが、「……お願いします」と渡すしかなかった。


  傘に打ち付ける嫌な雨音が、少し遠ざかった。彼も俺のせいで屈んでいたからだろう、曲げていた腰をぐーっと伸ばした。

 傘の先から零れる雨粒が、ピチャンと静かにローファーに落ちる。レンガ材が敷き詰められた地面の間を縫って、雨水は排水溝へと流れていく。


 学校から駅までは下り坂一本道。人とすれ違うことはあるが、傘を差したり、雨ガッパを着たりしている人が多く、視界が狭まっているからか、俺達を変な目で見る者は誰もいなかった。

 ……そもそも、何が悲しくて男二人で相合傘をしなければならないのか。


 なんかこうモヤッとした複雑な想いが胸を巡った。俺だって男だ。出来ることなら相合い傘は女の子としたい。

 男同士だと、こう、変な誤解が生まれてしまうから好きではない。いや、好きとかそういう問題じゃないが、とにかく、一刻も早く、俺は駅に着きたかった。

 しかし、そんな俺の思いは露知らず、仁都如月は、俺に興味があるのか、ガンガン話しかけてきた。


「ねえねえ、すーちゃんはさ、部活動って何か入ってるの?」

「……別に……なにも。ただの帰宅部、ですけど……」

「おお、俺と同じじゃん! 仲間仲間~!! ってかさあ帰宅部って面白いよね~!!家に帰宅するのが部活とか、それ部活でいいのかよー!って思うよね~」


 なんてニコニコしながら、彼は面白おかしそうに喋っていた。いや、帰宅部って部活じゃなくて、部活動に所属してない生徒に対しての言葉だからな。

 部活じゃないから。そうツッコミを入れたいのを我慢した。


「まあでも、俺は単に、放課後によく居残りさせられるから、先生にお前は部活入るなーって言われちゃったんだよねー。ねえ、酷い話だと思わない?!」


 そう言いながら、頬を膨らませて怒っていた。お前は女子高生か。

 しかし何故だろう、初めて会ったはずなのに、仁都が先生にそう言われている光景が、思わず頭に浮かんでしまった、というのは言わないでおこう。


 しかしまあ、よく話題が尽きないものだ。あの一言以来、俺が喋らなくてもよく喋る。俺が適当に相づちを打っても嫌な顔せずに話し続ける。

 クラスによくいるお調子者、いや、人気者……?というのは、彼のことを指すのだろう。

 仲良くなれないタイプだ、そう思っていたのに、なぜだか、彼と話しているとどこか心地が良かったのはきっと気のせいだと思う。


 ……気がつけば、柏巣駅に着いていた。彼と一緒だったからか、いつもよりも道のりが短く感じた。傘にしたたる雨水を落としていると、頬に何か冷たいものが触れた。

 ひんやりとした感触に驚き「ひぃあっ!」と情けない声をあげてしまった。、


「あははっ! ごめんごめん! 驚かせるつもり無かったんだ。はい、これ、お礼!」

 そう笑いながら彼が渡してきたのは缶のミルクティーだった。自動販売機でよく見かけるものだった。

「お礼なんて……別に……」

「いやいや! 恩義って奴? まま、そういうのだと思って受け取ってよ、ね?」

「はあ……ありがとうございます……」

 そう言われ、手渡されたミルクティーを開けると、茶葉の香りと生クリームの香りがふわりと広がり、肩の力が抜け落ちた。

 我ながら緊張をしていたらしい。いつもよりも甘く深く体中に染み渡った。


 帰る路線も同じ方面だったので、そのままの流れで、電車のボックス席に向かい合うように座った。

 偶然にもこの時間帯は人が少ないようだ。ボックス席を広々と使えるのは良い。

 しかし、他の電車の待ち合わせとかでこの電車はすぐには発車せず、俺達は五分ほど待たされることになった。

 ふと見れば、仁都が窓にもたれかかって、いつの間にか糸が切れたように眠っていた。なんというフリーダムでマイペースな男なのだろう。

 かつて俺が出会った中でこんな男などいただろうか……。

 乗り過ごさないか心配だったが、発車するまではそっとしておいてやろう。逆に寝てもらった方が、俺には都合が良い。


 仁都を起こさないように、鞄の中から筆記用具とスケッチブックを取り出す。

 スケッチブックを開いて、シャーペンで隅っこに簡単なストーリーを書き出す。次に、それを元にイラストを構成し始める。

 これをするのが、ある意味職業病というか日課になっていた。

 俺はいつも電車の中で『絵本』のアイデアを思いつく。

 しかし、アイデアが浮かんでも家に帰る頃にはいつも忘れてしまうので、最近はではできる限りメモと簡単なイラストを残すようにした。

 

『お待たせしました~。まもなく~、春日山行き、発車しまーす』


 気怠そうな車掌の声と共に、電車はゆっくりと動き出した。駆動音が座席に妙に心地よく伝わる。俺まで眠ってしまいそうだった。

 目を擦って窓辺にミルクティーを起き、ガタンゴトンと揺られながら、風景を眺めてスケッチブックに目を移す。

 仁都を起こすことをすっかり忘れていたが、次の駅に着く頃に起こしてやればいいかと、そのままにした。

 真っ白な世界を自分の世界に染めていく。今描いているのは、うさぎと青年の友情物語だった。

 今度の秋に開かれる展覧会で、これを提出して優秀賞を貰い、そのまま出版するのが、俺の夢だ。


 昔から俺には、絵本だけが友達だった。家の事情もあったせいか、周りの人は皆、俺のことを避けることが多かった。

 それはもちろん中学、高校になっても変わらなかった。全て俺の赤い髪のせいだった。けれども、これは地毛だから仕方がないのだ。

 染めよう、と家族にも言われたことはあったが、俺はそれを拒み続けた。これに関しては、俺なりの理由があるのだ。

 だから、こればかりは自業自得と言われてもしょうがない、と自分に言い聞かせた。

 そんな俺のわがままもあってか、結果として人から嫌われる形となってしまったが、だからこそ俺にとって、心の支えは絵本という小さな世界だけだった。


  ……そして、いつしか自分で作りたいと思うようにもなった。


 しかし、中学時代から何度か展覧会に出展しているものの、良くて佳作、悪い時は見向きもされなかった。

 展覧会が終わると、作品とその総評が郵送して送られてくる。しかし、そこに書かれることはいつもおなじだった。『この作品には、物語の温かさがまるで感じられない』と。

 ワープロで作られた無機質な文字の羅列が、俺を苦しめた。燃やして破り捨てたこともあった。けど、その文字だけはどう足掻いても生きていて、枷のようにくっついてくる。重くて冷たく俺の歩く足を止めようと抵抗してくる。


 そして、それに重りを科すように両親の言葉が突き刺さる。

『将来はそれでどうやって生きていくの?』『本気でやりたいと思っているの?』『こんな馬鹿げた夢いつまで続けるの?』と。

 俺にとっては馬鹿げた夢じゃない、本気なんだ、そう言い返したかったのにできなかった。

 感情論でどうにかなるのなら、なんで俺はここで躓いているんだ。本気だったら賞の一つや二つ取れていないとおかしいのではないか、そう、自分に言い訳を聞かせてきた。

 だから、今度の展覧会で入賞しなかったら、絵本作家の夢は辞めてしまおうと、覚悟を決めていた。早く良い作品を作らなければならないと、俺は無我夢中で筆を走らせた。


 …ふと、うさぎのぬいぐるみと青年が、お互いに手に取るシーンを描いていると、不意に自分の手元が暗くなった。

 電車がトンネルにでも入ったのか、と思ったが、俺の帰る路線ではトンネルを通らないはずだ。

 だとしたら意図的に暗くなったことになる。俺さえも包みこむかのような、大きな何かによって……。

 そう思いながら顔を上げると、いつの間に目を覚ましていたのか、仁都が俺のスケッチブックを覗き込んでいた。それはもう、なんとも言えないくらい真剣な眼差しで。


 その視線にどきりとして、俺は馬鹿だ、大馬鹿者だ、と自分で自分のことを罵った。やらかした、油断していた。なぜ、あいつが起きないと確信して描き始めてしまったのか。

 こんなところ見られてしまったら、冷やかされるか、引かれるか、どっちにしろ、変な目で見られることに変わりない。

 ましてや、男が、こんな可愛いキャラクターを描いているなんて知られたら……。

 何を言われるか、俺の今後の学校生活にどう影響するのか、想像するだけで一気に血の気が引いていく……。

 手が止まり、硬直したまま何も言わないからか、彼は俺に目線を合わせて口を開いた。


「すごいね、これ!! 全部、すーちゃんが描いたの?! やっば!! うますぎるでしょ! つーかこれ、みんな可愛いね!!」


 と、目をキラキラと輝かせて、前のめりになりながら俺のスケッチブックをまじまじと見つめていた。

 その反応に思わず、うっ、と、声を詰まらせた。昔から、絵を描いていると「見せてー!!」と興味を持っては、

 大きな声で周りに言いふらされて、馬鹿にされるのが本当にトラウマだった。絵が描けるってだけで無駄に囃し立てるあの感じが、嫌悪感を覚えるくらいに嫌いだった。


 しかし、仁都は周りに言いふらすでも、馬鹿にするでもなく、ただ、俺の絵を見つめていた。

 ページのあちこちに描いた落書きですら、すごい!とか可愛い!と表情をころころと変えていた。もっと見てもいい?と聞かれ、

 断ろうにも、キラキラとした子供のような視線に負け、スケッチブックを渡してしまった。


「うわあーすごい、これも可愛い!! あ、これも!! あと、こっちも!!」


 初めて絵を見たのかと言いたくなるくらい、仁都はパラパラとスケッチブックをめくっては、俺が今まで描いてきた絵を褒めちぎってきた。

 それが嬉しいような恥ずかしいような感じがして、胸の奥がむず痒くなった。ちゃんと俺の絵と向き合っては笑ってくれる。その姿が、やけに印象的だった。

 一通り見終わると、満足したのか、それをパタンと閉じて返してくれた。


「本当に凄いね! あのうさちゃんとか、すずめとかも可愛かったし、三枚目に描いてあった男の子の笑顔、俺は好きだったー!! 凄いなぁ、俺、絵は全くダメだから、こういうのを描けるのは尊敬するなぁ」

「お、お褒めに頂き、あ、ありがとうございます……?」


 うんうんと頷きながら、余韻を噛み締めている仁都とは逆に、俺は目を合わせないように、スケッチブックをそっと鞄にしまった。


「将来はそっち系に行く感じなの? それとももう、プロになってるーとか?」

 そう言われて俺は、うっ、と喉に言葉を詰まらせた。 ほらきた、こういう質問、本当に苦手だ。


 実は、両親や姉貴にすら、俺がこうなりたい、なんて具体的には言ったことがない。前述した通り、両親、特に母親はそれを快く思っていなかったからだ。

 あれは全部母親の言葉だ。俺を心配して思ってくれている言葉だと姉貴はフォローしてくれたが、俺にはそうは聞こえなかった。

 絵が描けるからなんだというのだ、それじゃあなぜ賞を取れないのかと、そう後ろ指をさされている気がした。


 実際に、美術のコンクールで賞をとったり、授業で優秀な成績をとるのは、俺みたいな『絵が描ける奴』じゃなかった。

 俺は描けたという事実だけで、才能やセンスはまるでなかった。だから、周りの人間は俺を哀れみの目で見ていた。

 絵が描ける子よりも描けない子のほうが上手いなんて、あの子がかわいそうなどと囁かれるようになった。

 中学生の時に、そう痛感してしまったからだろうか、いつしか自分の夢を馬鹿にされるのではと思い込んで、誰にも話さなくなっていた。

 喋れば喋った後に、また哀れみの目で見られるのが分かっていたからだ。自分の価値観よりも、他人に押し付けられた価値観のほうが勝ってしまったからだ。

 だから、この時も、馬鹿にされるのだろうなと半ば諦めながら、ぽつりぽつり、喋りだしていた。


「お、俺は……プロの、絵本作家を目指してて、だからいつも絵を描いてて……けど……」


 と、言葉を止めると、「……けど?」と、仁都は優しく相づちを打った。その表情は真っ直ぐに俺を捉えていて、少しでも言葉を濁せば、見透かされそうな位綺麗だった。

 それに引き込まれるように、俺はぶっきらぼうに言葉を紡いだ。


「でも、展覧会に出してもいつもダメで……。今描いてるのが、もし入賞しなかったら、絵本作家になるの辞めようかなって……。良くも悪くも、佳作までしかいかないし。絵本作家になりたいって、気持ちは、あるけど……」

 と、ここまで言って俺はハッとした。普通、今日初めて会った人間に、ここまで自分の話をするのかと。

 だけど、俺の喋る口は止まらなかった。久しぶりに同級生と話したからかどうなのかは分からない。

 ただ、言葉が詰まっていく俺の喋り方など構うことなく、仁都は俺の顔を見て、真剣に俺の話を聞いてくれていた。だからだろうか、それに精一杯答えようと思った。


「俺、昔から友達がいなくて……友達って言えるのが、これだけだった。……俺が絵本作家になろうって思ったのは、『ある人』が描いた絵本で……。だから、俺も、自分の作った作品で、絵本は読むだけじゃなくて、友達なんだって思ってくれたらなって……あはは、なんかしょうもない理由だよな、ごめ……」


 と、言い切る前に、俺の手は何か温かいものに包まれた。それは仁都の大きな手だった。ギョッと驚く俺にお構いなしにギュッと強く握った。

 まるでパワーを送り込まれているようで、大きかったその手に肩の力が自然と抜けた。


「すーちゃん、何言ってんの!! しょうもなくないよ!! とても素敵でかっこいい夢だと思う!!」


 そう言うと、自分のことのようにニッと歯を見せてきた。


「展覧会では佳作だろうがなんだろうが、すーちゃんのその夢に賞なんてつけられないよ!! 例え賞があってもなくても、その気持ちは本物なんだから、もっと自信を持って良いと思う!!」


 ……そう言われた瞬間、時間が止まったかのように感じ、俺は目を見開いた。今までに見たことのない、キラキラとしたものがそこにはあった。

 まるで、俺が初めて『あの人』の絵本を読んだ時に見た光景のように、仁都如月の笑顔は負けないくらい輝いていて眩しかった。

 それは目を背けたくなるほどに明るく、どこか胸の奥がじーんと熱くなるくらい、綺麗なものだった。


「……うおっ! やべ! 次、俺が降りる駅だった!」


 と、仁都は慌ただしく鞄を掴むと席を立った。ちょうど良いタイミングだったのか、電車が大きく左右に揺れて停車した。

 到着駅のアナウンスと共に扉が開くと、乗客はぞろぞろと降りて行った。そして、仁都もその波に乗ろうと席を離れた瞬間、「あっ」と思い出したようにこちらに振り返った。


「それさ、完成したら俺に見せてくれる?」

「えっ」 

「俺が、読者第一号として予約しとくから!!」

「え、ど、読者一号……?!」

「うん!!俺、君の絵が好きだから、出来るの楽しみにしてるね!!」


 そう、くしゃっと笑うと「じゃあ、またね! すーちゃん!」と、俺が言葉を返すよりも先に、仁都は足早に人混みに紛れていった……。


 ……再び電車が動き出すと、台風が過ぎ去ったような静けさが、あたりを漂わせていた。ゆっくりと揺れ動く車体は、座席を通してゆりかごを揺らすように俺の体に伝わった。

 自分の手を見ながら、仁都から言われたことを思い出していた。見せて欲しい、楽しみにしてる、なんて言われたのは初めてだった。


 何よりも、自分の絵が好きだなんて言葉、何年ぶりに聞いたのだろうか……。


 心臓が煩く音を立てている。初めて、自分の胸の内を明かせた気がした。両親にも、姉貴にすらも言ったことのない本音を、言ってしまったのだ。

 しかも、今日初めて会った奴にベラベラと……。自分でもわけの分からないことをしたと思っている。今になって羞恥心が追ってきた。

 顔が熱くなり、あーっ、と小さく呻き声を上げながら頭を抱えてしまった。

 しかし、それとは別に、胸の奥からわき上がってくる、この嬉々とした感情に思わず頬がにやけてしまった。


 完成したらまず彼に読んでもらおう。もちろん、彼がそのことを覚えていたらの話だけど……。


 雨はいつの間にか上がっており、海に沈む夕日が、街を茜色に染めていた……。

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