第106話 もう一つの東渡りのジグ人の真実
「あれから何年たつのだ。初めて会ってから。だが、お前は本当に変わっていない。若いままでないか。時が止まっているではないか。
でも、姫君様は普通の人間だ。お前と結婚したら、お子が生まれず、不幸になるだけだ。なんとしても姫君様を悪霊の手から救い出せと言われた。」
リグが何か言いたそうに動いた。王配殿下は手でそれを押しとどめて、リップヘンの話を続けさせた。
「本当を言うと俺は半信半疑だった。だが、お前は本当にラセルの言うとおりに何の用事もないはずのあの尼僧院にやってきた。その時、俺は悟った。ラセル王の言った言葉が真実だったのだと。」
あれはワナだったのだ。そしてまんまとそれに引っ掛かりに行った……
「お前が撃たれ、でも死なず、リーア様は撃たれて死んだと聞いた時、東渡りのジグ人は悪魔を呼び寄せるのだと悟った」
「女王陛下はご存命であられる。大変お元気だ。銃弾を受けたが高運なことに胸のペンダントに当たり、それが破損しただけであった。それに今は陛下はご懐……」
リグ殿の注意をさえぎってリップヘンはしゃべり続けた。
「俺はラセル王から初めて東渡りのジグ人が本当は何なのか知らされたのだ。ラセル王は死んだが、俺はキーリン王に仕えて軍を従え、マノカイへ渡り、姫を救い出そうと思った。でも、キーリンはそんな器ではなかった。それはできなくなった。もう姫を救う手段がなくなった。だが、俺はお前を知っている」
リップヘンはうまく話せないでいた。彼の思いのほうが大きかった。
「ラセル王はお前のことをマノカイの王権や富、美しい姫君を手に入れるために、様々な策を弄し、言葉巧みに若い姫君に近づいた悪魔の化身だと言った。だが、俺はお前を知っている。悪魔かもしれないが、姫を不幸にするくらいなら身を引く男だ」
王配殿下はびっくり仰天した。リグ殿も実はびっくり仰天した。こんなところで恋敵に真実の愛を保証してもらえるとは。だが、リップヘンは本気だった。
「王家に子供が生まれないのは悲劇を生む。今はばれないが、いずれ年月が経つうちに年を取らないことがばれていく。俺にできる唯一つのことは、お前に真実を告げることだ。ほかに選ぶ道がなかった。真実を知れば、お前は身を引くだろう」
「私に姫の元を去れと? そのためにマノカイへ来たと?」
「そうだ」
「マノカイ領内に入れば、殺されて当然なのだぞ?」
「構わない。お前は俺を殺すかもしれない。でも、姫だけは救うはずだ」
「いや、だから、女王陛下は、もう臨月……」
リグ殿がまた何かを言いかけた。
「ジグ人の真実をお前自身が知らないのだ。ラセル王はそう言った。そして、それを知れば、お前はきっと姫様の幸せを選ぶだろうと。リョウ、何とかするのだ。マノカイにとっても手遅れにならないうちに」
子供が生まれない……姫はこの説明をしなかった。
王家にとって致命的な欠陥だった。
彼は知らなかった。今になってこんな形で知らされるとは。
人間ではなかった。影の存在、不死の化け物、時と場を渡る……そして、時は彼にとっては止まったまま。リップヘンが知っている、ラセルが知っているということは、子供が生まれないことをリーア姫も当然知っていたにちがいなかった。
それなのにリーア姫は彼を愛し、決して手放そうとしなかった。王家の存続は彼女にとってとても大事なはずだった。それなのに、こんな、こんな異常な生き物なのに姫は……
「そんなことのために来たのか、お前は……」
今となっては無意味だった。
リグ殿は知らなかった。だから、彼はリップヘンの話を唖然として聞いていた。リグ殿にとってリップヘンは、ただの、ラセル王に騙されてこんな敵地に乗り込んできたバカな男だった。
王配殿下にとっては違った。
彼は、リップヘンの顔をまじまじと見つめていた。
無私の男……そんな言葉が浮かんだ。
この男の言うことはすべて真実だった。でも、誰にも信じてもらえないだろう。ここまでして払った彼の犠牲は全く報われないだろう。
そして、報われなくても彼は気にしないだろう。
リーア姫さえ、幸せなら。
その時、静かな牢に人声がこだました。
「王配殿下はどこに?」
急ぎの、そしてとても明るい声だった。リグ殿の顔がパッと明るくなった。
「殿下! あれはきっと……」
「おお!」
王配殿下、かつてのリョウは、リップヘンの顔をちらりと見た。彼は、なんの騒ぎだかまったくわからない様子だった。
何という皮肉だろう。リップヘンが、悪魔の使いの真実を伝えに、命を賭してやってきたその時に、子供が生まれるとは……
待ちに待った時が来たのだ。急ぎの迎えの人々が駆け寄り、王配殿下は牢から去っていった。
外では女王の出産を知らせる鐘の音が響き始め、国中が無事の出産を祈り始めた。
そして、翌早朝、鐘の音が一斉に打ち鳴らされ、王宮から礼砲が始まった。人々は眠い目をこすりながら往来に飛び出して来て、その数を数え始めた。十なら王女、二十なら王子の誕生だった。
「……八、……九」
大勢が一緒に数を数えながら王宮の方向を見つめていた。家から通りへ出て、王宮の方を見つめる人がどんどん増えていく。
「……十……」
十一回目の砲が響き渡ったとたん、悲鳴のような叫びが沸き上がった。
「王子様だ!」
「男のお子様だ!」
どよめきが礼砲の音をかき消すくらいだった。
王宮内では幸せな夫婦が、元気そうな赤ん坊を見ながら微笑みを交わしていた。
次から次から、お祝いの来訪者が告げられた。街は大騒ぎで、そのうち、王宮前広場には提灯が灯され、王家の軍隊がテーブルを並べて、お振る舞いの肉や酒や菓子を出していた。人々は大騒ぎだった。
お祝いに駆け付けた貴族たちは、一カ月後の立太子式へ招待されていた。
「大祝宴を執り行う。ユーグ公には何があってもご参加賜りたい」
「承知した」
ユーグ公はピンと背筋を伸ばした。
「王家の一員として最前列にご臨席くださるよう」
「もちろんじゃ」
誰もかれもが大真面目に承諾した。
立太子式の日は晴れ渡った快晴だった。
王宮から王子と女王を乗せた大型の馬車がゆるゆると大聖堂にむかって動き始め、人々は大喜びだった。
祝祭は三日間にわたり(結婚式よりもずっと派手に)行われた。神に感謝をささげる儀式、子供が王家の子であり次の王位継承権を持つことを全貴族が確認する儀式、王太子として認められた子供の名前を付ける儀式が行われた。
最終日の夕方に王家の人々が、王宮のバルコニーに立った。真下には群衆が大声で何かを叫びながら待ち構えていた。彼らは女王と王太子殿下を一目見ようとしていたのである。
時間になると、バルコニーの後ろのガラスの扉が次々と開けられ、まず王国で最高位の貴族たちが出てきた。
彼らは皆ニコニコしていた。そしてしばらくざわめいたと思うと、彼らは一斉に後ろに向き直り礼をした。
「来るぞ! 来るぞ!」
「お出ましだ!」
民衆はもう大興奮だった。
バルコニーの上の人波が二つに割れると、その間から女王が現れた。
彼女は腕に大事そうに赤ん坊を抱きかかえていた。
大歓声だった。
「何も聞こえませんね?」
女王のすぐ後ろに控えていたジャボット殿が、傍らのマーリー殿に大声で話しかけたが、その声が聞き取れないくらいだった。
女王が民衆のほうに向きなおると、歓呼の声がさらに響き渡った。
雲一つない快晴の日だったが、もう夕方で日が西に傾きかけていた。
その時、うしろから一人の人物がゆっくりと現れ、女王の傍らに寄り添った。
貴族たちが皆、その人物に道を開けた。
王配殿下だった。
さらに歓呼の声が響いた。
白い衣装の女王と王子は、傍らに立つ濃いブルーの服に身を包んだ王配殿下に守られているようだった。
バルコニーに立った王配殿下は、眼下の光景に少しくらくらした。
何千なのか何万なのかわからない大勢の人々が大声で女王陛下と王子の名を交互に叫んでいた。
「父上も登場しなくてはいけません」
式典取り締まり役のジャボット殿が耳元で大声で叫んだので、王配殿下が後ろから前に少し出ると、またわあというようなどよめきが広がり、今度は王配殿下の名が叫ばれた。
日が暮れると、バルコニー下の王宮広場にはかがり火がたかれ、兵士たちが次から次へとテーブルを運び込んだ。集まった人々には王家からごちそうがふるまわれる。昔からのしきたりだった。
王家の人々は最後の歓呼の声に応じた後、ガラスのドアの後ろに静かに引き上げた。
バルコニーに上った人々は、ひどく満足していた。彼らが手を振ると、町人だの農民だのが波のように反応したのである。
「良いアイデアだった、あれは」
普段なら何かにつけ文句を言うユーグ公がご満悦だった。ユーグ公は自分が人気で、彼が手を振ると人々が名前を叫んで応えたのがうれしかったのだ。
エルブフ殿の後を継いで国務相に任命されたバッソンピエール殿もうなずいた。
夜のとばりがおり、バルコニーに立っていた人々はそのまま王宮の中にとどまり王家からそれはそれは豪華な「感謝の簡単な食事」が饗された。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます