第28話 ラセル王の陰謀(それは重婚というのでは)

「リョウ様。」

 小柄でキチンとした身なりの男がリョウのそばに寄り添った。その男はまるでリョウと話していないかのように見えたが、はっきりと用件を伝えた。


「ラセル様が今晩、リョウ様にお話があるそうです。この部屋をいったん退出して、一番近い階段を1階分下りてください。誰にも気づかれないように廊下に回ってそこでお待ちください。特に貴族の皆様方に気づかれませんよう。」


 リョウは了解しました、と小さい声で答えた。その男はまるでリョウに声をかけたりしなかったような無関心な様子でリョウのそばを離れた。


 リンゲルバルトの愉快な泥酔騒ぎが済んで、散会となっても貴族たちはまだぐずぐずしていた。誰が一番最後まで残ってラセルとサシで話をできるか争っているようだった。


 リョウは貴族の誰にも気づかれないようにという注意を忘れたわけではなかったので、貴族どもが自分たち自身に夢中になっている隙にそろりと部屋を出て階段を下り、誰もいないのを確認してこっそり廊下に出た。


 しばらくすると、さっきの男がやってきて目顔でリョウについて来いと合図した。

 リョウは、王宮のこんな部分に入るのは初めてだった。ドアの奥に隠された廊下や幅の狭い秘密の階段があることをリョウは始めて知った。

 小男は、部屋の間取りを熟知しているらしく、銀の燭台を片手にためらうことなくリョウを案内した。

 最終的に案内された部屋は、誰もいなかった。大きすぎもしなければ小さすぎもしない、居心地のよさそうな書斎で、部屋の片隅には火が入れてあり静かにローソクが灯されていて明るかった。

「おかけになって待っていて下すって結構です。ラセル様が戻ってこられるまで大分掛かります。ここに……」

 小男は片隅のテーブルの上に置かれたものを指した。

「簡単なお食事と飲み物を用意してあります。気楽に待っていて欲しいとラセル様はおっしゃっておいでです。」

「恐縮です。このように用意していただいて……」

 リョウはつぶやいた。

「貴族の皆様方は、陛下にいろいろなご要求を突きつけられますので、うまくお断りになったりされるのに苦労されるのですよ。あなた様をラセル様の書斎にお通したのがばれますと、皆様の勘気を蒙りますので、こっそりお連れしましたのでございます。皆様、ラセル陛下の側近になりたくて仕方ないのでございます。」

 小男はうっすらと微笑みながらとても小さな声でこれだけのことをリョウに伝えた。伝えながら彼はちょこまかと動いて、リョウに熱い飲み物を用意し、一口サイズの菓子や果物、肉や魚の料理をテーブルに手際よく並べた。

 最後に彼はリョウに一礼すると部屋を出て行った。彼の場合、ドアの閉まる音はもちろん、足音さえしなかった。


 リョウは黙って座り込んだ。沈黙が支配するはずだったが、隣の部屋から声がするのに気がついた。

「それでは、もう夜も更けたことではあるし、余も休むとしよう。」

「先ほどは東渡りのジグ人が来ていたようだが、なにか新たな予言でもおありだったか?」

「聞いていない。まずあの者は優秀な武人として使うつもりなのだ。」


 今度はリョウの部屋に近い壁際でラセル以外の誰かが話しているようだった。声がずっと近かった。

「陛下の奥方はどうしたのだ。」

 内緒話をするようにきわめて小声だった。

「実に邪魔な女だ。生きているだけで、ラセル様の再婚に差し支える。」

「ラセル様も黙認されるご意向だ。」

「では?」

「うむ。決行は明後日だ。誰にも知られてはならぬ。病死と発表される予定だ。」

「我々は汚れ役だな。」

「気にするな。あんな女。ラセル陛下のためとあらば……」

 それからの言葉は聞き取りにくく、ぱたんとドアの閉まる音、人が出入りする音など切れ切れに聞こえてきたが、しばらくすると何も聞こえてこなくなり、最後にリョウのいる書斎のドアが、例の小男の手で音もなく開かれ、疲れきった様子のラセルが現れた。


「待たせたな、リョウ。」

 リョウは改めてラセルの顔を見た。彼が去ってから、いろいろなことがあったことだけは確かだった。


「いいえ。陛下。」

 陛下と言う言葉を聞いて、ラセルは疲れたような笑顔をリョウに向けた。

「私が陛下になってよかった。でないとゼノアが大変なことになったからな。」

 リョウはもとの王女と王妃の顔を思い浮かべた。


「リンゲルバルトから聞いたよ。お前は大変だったな。だが、お前のおかげで、あれからことは非常に簡単になった。王位を狙う者は正々堂々とした振る舞いを求められるものなのに、あんな暗殺を仕組むこと自体が、他の者たちの反発を買ったし、そのうえ結果として、お前のような忠実で勇敢な武官を殺す結果になってしまった。悲劇の騎士、国家の損失とまで言われたよ。もともと、彼女たちは政治に不向きだったろうと思うが、あれで一挙に流れは変わってしまった。」


 リョウはなんとも答えなかった。悲劇の騎士といわれてもリョウはウマが大の苦手だったし、一介の楽師の死に国家の損失はすごすぎる。しかも、生き返ってきてしまったのでは味もフタもない。

「こちら側になびく者たちが一挙に増えた。なんといっても私は前王の弟、立派な王家の一員だ。だが、セトの領主はそうじゃない。セトの領主は気の毒なことになった。彼は王位簒奪をそそのかした首謀者として処刑されてしまった。元の王妃と妻はおとがめなしだがね。だが、結果から言うとゼノアの領地が増えた。よいことだ。こんな形でこの懸案が片付くとは思っていなかったよ。」

 ラセルはリョウの前に飲み物や簡単な食事が置かれているのを見ると、つまみ始めた。

「しゃべるのが忙しくて、ほとんど食べていないのだ。」

 ラセルは言い訳すると、続けた。

「お前に帰って来て欲しいと思っていたんだ。本当に忠実な者が欲しい。今回の任務は難しいのだ。」

「どのような任務でしょうか?」

「ゼノアは一応落ち着いた。次はマノカイだ。これはむずかしい。しかし今がチャンスなのだ。千載一遇のチャンスだ。リョウもよく知っているようにリーア姫がキーなのだ。」

 リョウの顔は何の表情も示していなかった。

「リーア姫の結婚相手にマノカイはついてくる。もともとマノカイとゼノアはひとつの国だった。リーア姫をゼノアの城に迎え入れるのが今の一番の問題なのだ。」

「リーア姫様は今どこにおられるのですか?」

「あのまま、ずっと尼僧院にこもりきりになっている。ちょうど力の均衡の上に乗っかっているような感じだ。誰も手出しが出来ないまま、お一人で暮らしておられる。だが、マノカイ軍が最近手ごわくなってきて、姫をマノカイの宮廷が形成され次第、お移し申し上げたいといってきている。」

「手ごわい……とおっしゃいますと?」

「戦線が収束し始めているのだ。実戦になれば、リップヘンは圧倒的に強い。どうやって力技に持ち込むかがこれまでのテーマだったが、リップヘンが無理やり横紙破りでも戦闘をけしかけて結局多くの対抗馬たちを拘束してしまったのだ。ただなあ、そう簡単にはカタがつかなかった。なにしろ……」

 ラセルはため息をついて見せた。

「どの対抗馬も殺すわけにはいかなかったからな。マノカイの王位を狙う以上は、全員王家の血筋だから。しかも、リップヘンの対抗馬どもはどいつもこいつもおとなしくしていられる連中じゃないから、結託したりバラけたりしながらも、全員一致してリップヘンを非難しまくりで、ちょっとでも隙があったらひっくり返そうと狙っている。リップヘンとしては、一刻も早くリーア姫と結婚して決着を付けたいのだ。今回、一番手ごわかった母君に勝って、公妃を城に幽閉することに成功した。サーシャの一族などは、例の伯父を処刑してしまえば、あとはたいしたことない連中だ。ところが、公妃は違う。実の母だし、精力的だ。」


 リョウは、公妃を思い出した。確かに精力的な女性だった。短い間だったが、あれは全くおかしな経験だった。人はどんな生活でもどうにか暮らしていけるものだ。


「まあ、とにかくこうなってしまっては、リーア姫をもっと安全なところにかくまわねばならなくなった。早くしないとリップヘンがやってくる。もっと早く移っていただきたかったのだが、ご本人が嫌がられて……。しかし、あのような姫君をあんな辺鄙で警護が不十分な土地にそうそう置いておけるものではない。」

 まるでリーア姫がすでに自分のものであるかのような話しぶりに、リョウはひそかに怒りに似た感情すら覚えたが、彼のような者は感想を持つことすら許されていなかった。

「それで?」

 リョウは促した。ラセルは疲れて眠そうだった。

「ああ、そうだ。それで結局、警備上、問題があるということで、姫をこのゼノアの城に移すつもりなのだ。もちろんリップヘンが強硬に反対してくることは目に見えている。当然、軍を率いていかねばならない。司令官にはリンゲルバルトが適当と思った。だが、それだけではダメなのだ。私はリーア姫を知っている。彼女がここへ来たのは、まだ10歳のときだった。マノカイの王が彼女を恐れてゼノアへ出したのだ。なにしろ、彼女は病弱の国王の息子より、年も上だったし、ずっとしっかりした美人だった。息子の王位継承権を冒されることを恐れて彼女をゼノアに出してしまったのだ。」

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