第3章 ジェルナン・ライカ殿

第27話 ゼノア王家に戻る(すっかり手遅れ)

「リョウ!」

「リョウ殿!」

 リョウは、おどろいた。そこは宮殿の一室であかあかと灯がともっていた。数名の貴族が集まり、ちょっとしたパーティでもしているようだった。年輩の男ばかりで、いずれも上等そうだが地味な服を身に着けていた。


 人々も非常に驚いた様子だった。

「姿が見えなくなったと聞いていたが。」

 どこかで見た顔だった。そう、マレル殿と呼ばれていた武人だった。

「本当に、リョウなのか?本物か?」

 小太りの男も近寄ってきた。

「私だ。キャンベルだ。覚えておられるか?貴公は、我々の目の前で突然消えてしまわれた。」

 リョウは、このパーティに高位の貴族しか出席していないことに気づいた。

「ご心配をおかけいたしまして、申し訳ございません。」

「おお。」

 と声を上げたのは、全く知らない別の男だった。

「思い出しましたよ。喪明けの儀式の日だった。もう1年になるだろうか、あの時、ラセル陛下をかばって、あなたがなくなられたあと、ラセル陛下はあなたについてよく話していました。故人の名誉を回復するのだといって…。」


 1年前!

 リョウには信じられなかった。

 会話に間を空けることは出来なかったので、必死になって彼は言葉を継いだ。

「ラセル様をお守りすることで精一杯でした……。」

「おお、あの時消えてしまったあなたは知らぬかもしれないが、今ではラセル陛下じゃ。」

 得意そうにリョウに話しかけたのは、リョウが全く知らない小太りで相当高齢のいかにも高位の貴族と言った人物だった。

「ラセル陛下のお人柄が国の混乱を収拾したのじゃ。」

 リョウは黙って頭を下げた。肝心のラセルはどこに行ったのだろう。なぜ、自分はここに現れたのだろう。

「ラセル陛下は、あなたは騒ぎに巻き込まれて死んでしまったのだろうとずっと惜しんでおられたが、そうではなかったのだな。今までどうしていたのだ。」

「それにしても、そちはどうして今日この場に来たのじゃ。」

「なぜ、この部屋に入れたのだ。おかしなこともあるもの。」


 人々はリョウに次々に声をかけたリョウは困り果てた。まさか東渡りのジグ人とは言えない。自分だって、それが何を意味するのかよく分かっていないのだ。


「たぶん、今晩、ここに私がするべきことがあるのだと思います。」

 リョウはわけのわかったようなわからないような苦しい答えをした。


 知っている顔もあったが、どの人物も豪勢に着飾り、いわゆるえらい人物ばかりにちがいない。

 リョウのような身分の低い若い兵士はここではまったくの場違いだった。たとえ、王の命を救った勇敢な人物だったとしてもである。

 いや、それ以上に、まったく身の程知らずで、彼がここに存在すること自体が失礼なのだった。最初の驚きと好奇心が満たされると、その場の何人かはあからさまに迷惑そうな顔をし始めた。リョウは楽師の服を身にまとっていたのだ。場違いにもほどがあった。しかもほとんどの人が彼よりずっと年配で太っていた。


 リョウは仕方なく、隅のほうに引き下がりなんとか自分が存在しないことになってくれないものかと思案していた。早くこの部屋から出たかった。漏れ聞こえてくる人々の話から推察すると、リョウのいない1年の間に、ゼノアの歴史は重要な部分を終わらせてしまったようだった。新しい秩序が形作られ、あの時、生き残っていたら、もしかしたらあったかもしれないリョウの取り分はもう全然なかった。


 この居心地の悪い場所から脱出したかったので、リョウはなんとかその場から逃れる方法はないかとドアの方を何回もうかがった。


 そのとき、ドアが小姓の手で開けられ元気そうな足音がして、ラセルその人が入ってきた。

「おおっ。」

 人々が振り向いた。お付きの従僕が何人もつき従い、ラセルをうやうやしく中に招き入れた。

 人々は全員、えらそうにしていた先ほどの老貴族も一斉に礼をした。

「ラセル陛下、陛下のお言葉に甘えて、陛下の健康を祝し、乾杯しておりまする。」

 後でわかった話だが、この老貴族は、ラセルの大叔父に当たる人物で大領主だそうだった。

「ありがとう。今日は実は、先日の功労者に……リョウ!」

 隅の方で控えめに頭を下げていたリョウに気づいたのだった。

「リョウ!」

 ラセルは叫んだ。

「なぜ、ここに?」

 リョウは嬉しかった。

 ラセルは忘れていなかったのだ。

「わたくしにもわかりませぬ。今晩、私に何かするべきことがあるのでございましょう。運命に呼ばれました。」

「おお、おお、そうか。リンゲルバルト!」

 ラセルの後ろからついて来ていたリンゲルバルトは、言葉もなくリョウを見つめていた。

「……生きていたのか。生きていたのか?リョウ!」

「リンゲルバルト、リョウが生きていた。これは嬉しい。」

 ラセルの歓迎の言葉に、老貴族は渋い顔をした。ラセルは続けた。

「私の命の恩人だ。手厚いもてなしが必要だ。さてさて、リンゲルバルト、このもてなしは武人同士の役割だ。」

 ラセル殿はリンゲルバルトを手招きし、リョウに背中を向けた。老貴族が熱心にラセル陛下に話しかけ始めた。


 リンゲルバルトは、給仕を呼び、酒を持ってこさせた。

「リョウ、本当にどうしたのだ。」

「わからないよ。ラセル陛下のもとに戻れたのはいいが、大貴族のパーティの真っ只中に出現したくなかった。」

 リンゲルバルトは、リョウの顔を眺め、どこか変わったところはないかと確認しているようだった。

「だが、無事でよかった。ラセル陛下はお前のことを惜しんでおられた。お前は死んだと思ったのだが、あのどさくさで死体が見つからなくてな。それでも二度と現れなかったので、みな死んだものとして扱ってきたのだ。今までどこで何をしていたのだ。なぜ戻ってきた?」

 リョウは困った。自分のほうが説明してほしいくらいだった。彼はあいまいに手を振った。

「ええと、ゼノアの王になられたラセル様が私を必要とされているのではないかと……」

「いや、本当にそれはその通りだ。王陛下は、今度、ある作戦を実行したいと考えておられて、お前のような人物が必要だったのだ。リョウがいればとラセル様は何回も仰せられていたところだ。」

「作戦?」

「それは後だ。後で説明しよう。なあ、リョウ、今では、俺はラセル陛下の一番の側近なんだ。」

 リョウはリンゲルバルトの顔をしみじみ眺めた。側近か。リンゲルバルトは誇らしげだった。

「お前は本当に惜しいことをしたな。あの時、なぜ失踪したのだ。残っていれば、手柄を認められて貴族にしてもらえたのに。いったい、今まで何をしてたんだ。どこにいたんだ。」

「わからないんだ。ええと、あの時、頭を割られて、誰かに連れ去られたらしいんだ。記憶がないんだ。」

「なんだと?そんなことがあるのか?」

「医者が言うには、頭を打つとたまにそういうことがあるらしい。」

 リョウはしどもどろだった。

「それでなんで楽師の格好なんだ。」

 リンゲルバルトはまるで信用していなかった。

「楽器が弾けるもんだから、楽師だろうということになったのさ。私は自分が誰で、なんでそんなところにいるのかさっぱりわからなかった。記憶をなくして自分の名前もわからなかったんだ。」

「じゃあなんで、今日はここにいるんだ。」

「思い出したからさ。だが、ラセル様のところへ来ても、もう手遅れのようだな。もう私の仕事なんかはなさそうだな。」

「思い出してもこの部屋は簡単にはいれる場所じゃないぞ。しかもそんななりで……」

 リンゲルバルトはリョウの言葉を全く信用していなかったようだったが、リョウの少し残念そうな様子を見て、気の毒に思ったらしかった。どういういきさつだったにせよ、リョウは宮廷で出世する千載一遇のチャンスを逃したのだ。リョウの肩をたたいて言った。


「大丈夫だ。不運だったな。だが、俺がいるぜ。王様にお前のことを思い出してもらおう。俺が手伝う。」

 リンゲルバルトの同情は本物らしかったが、自分が今、絶対的優位に立っているので、そんな発言になるんじゃないかとリョウは少しやっかんだ。リョウの残念そうな様子は至極もっともとリンゲルバルトに受け取られたらしい。


 ラセル陛下は皆の席を次々に回り、人々はラセルに取り入るように極めて丁重に接していた。リョウは、かつてのゼノア王がどんなにトンチンカンなことを言っても、全員が声をそろえて褒め称えていた光景を思い出した。リンゲルバルトも同じことを思ったらしかった。彼は言った。

「全員、高位の貴族で大領主さまだ。全員バカだ。ああ、財務官のキャンベル殿とマレル元帥は別だ。だが、後はバカばっかりだ。」

「リンゲルバルト殿。」

「そうだ、リョウ、お前は少なくとも勲章くらいは授けてもらえ。でないとあんな連中に馬鹿にされる。」

 リョウは妙な気がした。ラセルのことは好きだったし、緊張したゼノアとマノカイの関係の中で働くことは楽しかった。だが、身分や栄誉のために働いていたのではなかった。何よりも彼は、尼僧院時代から見守ってきたリーア姫のために働いてきたのだ。昔からの身分を鼻にかけ、はちきれんばかりの腹をした陳腐な貴族たちと権力闘争をする気など全くなかった。


「どこで生きるか……だな。」

 リョウはつぶやいた。

 人々はラセルを取り囲み、口々にいろいろな話しをしていた。リョウは先ほどの老貴族がリンゲルバルトに丁重に礼をしているのを見た。リンゲルバルトが彼自身のことを、王の側近と紹介したのも無理なかった。


「ラセル陛下、再婚なさることです。リーア姫様と結婚されることです。」

 リョウは全身が耳になった。

「そうですじゃ。元々、ゼノアとマノカイは同じ国であった。リーア姫様との間にお子が生まれれば、いつぞやの予言どおりになりまする。」


 ラセルはまんざらでもなさそうな顔つきだった。

「今、マノカイはだんだんとリップヘン殿が事態を掌握する方向で進んでいるが、もし、リーア姫様をこちら側に取り込めば、マノカイの混乱は続きまする。なにしろ、リップヘンには正式な王位継承権がないも同然なのだから。」

「そうそう、母君の公妃は実に浮気な方で、次から次へ愛人を作っていた。どこのウマの骨ともわからぬ楽師までをも取り込んでいた時期もあったというぞ。」

「そんな父親も定かならぬ男に正式の王位継承権などあるものか。」

「しかも王宮でその楽師を殺害するという前代未聞のスキャンダルまで引き起こしておる。」

「リーア姫との結婚だけがマノカイの王家をつなぐ糸なのだ。」

 酔った勢いでか人々は勝手なことを王に進言しまくっていた。


 リンゲルバルトはとうの昔に議論に加わりに行っており、リョウの周りには誰もいなかった。

「リーア姫は今どうしているのだろう。」

 リョウは思った。

 どうせ手の届かない姫君で、今となっては尼僧院での出来事などまるでどこかの夢のようだった。最後に会った時、リーア姫は尼僧院にこもるといっていた。だが、1年もたった今、彼女はまだ尼僧院にいるのだろうか。再婚が取りざたされている様子からすると、どうやらまだ再婚はしていないようだったが。


 自分自身について言えば、今はいる場所もないありさまだった。元から身分のないウマの骨、いくらラセルの命を救ったことがあるとは言え、何回でも再生できるのではありがたみも薄れるというものだ。なぜ、今、ここに座っているのかわからない。


 リョウにとっては、長い長いいたたまれないパーティが終わり、リンゲルバルトは見事に酔っ払ってリョウどころではなくなり、貴族どもは欲深そうに酔った振りをしながら仕官の口や地位をそれとなくラセルに願い出ていた。

「リンゲルバルトが一番正直でかわいいな……。」

 リョウは静かに退出しようとした。今晩、どこに泊まればいいのかわからなかった。リンゲルバルトに頼もうと思っていたのだが、彼は今4人の従僕に抱えられてべろべろに酔ったまま彼の館に運ばれていく所らしかった。

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