第26話 そいつは俺だったのか!

 だが、館で見つかったのは公妃ではなくて、リップヘンだった。

 リップヘンは彼の顔を覚えていたようだった。あからさまにいやな顔をし、出て行けと命じた。

 お付きの侍女が困った顔をして、「お母様の大事な方ですから。」ととりなした。

 どう聞いても逆効果だと思う。

 母の愛人を大事な方だなんて、特に男の子は喜ぶはずがなかった。リップヘンは聞こえないふりをした。

 リップヘンがこどもなのをいいことにリョウはそばに寄った。

「リップヘン殿。」

 リップヘンはリョウが近づいてきたのを見て、悪意をむき出しにした。

「お前なんか死ねばよい。私が大きくなったら、どこにいても見つけ出して必ず殺す。」

 リップヘンは子供に似つかぬはっきりした物言いでリョウに向って言った。リョウは驚いた。

「このお子様はいつでもこんな風なのですか?」

 侍女は困った様子で、言葉につかえながら答えた。

「いつでもではありません。お母様がらみですと、どうしてもお気に召さないようで。」

「そう。」

 リップヘンはどう見てもまだ子供だったが、その目を覗き込んだリョウは大人になったリップヘンと対峙しているような奇妙な錯覚にとらわれた。

「リップヘン殿。」

 リョウは話しかけた。

「いつかお目にかかりましょう。」

 リップヘンの目が細くなった。

「いまから15年後。あなたと私は同じ人を愛する。」

「お前は頭もおかしい。」

 リップヘンはきわめて妥当なことを言った。そのとき、公妃様が部屋に入ってきた。

「お母様!」

 リップヘンは母を見るとすぐ呼びかけたが、公妃はうるさそうに彼を一瞥すると、侍女に言った。

「連れておいき。」

 リョウは公妃の冷淡さにどきりとした。

 これではリップヘンが公妃を嫌うのも無理はない。


 公妃の私室に戻ると、まず公妃はリョウの顔をにらみつけた。リョウは何かまずいことだと直感した。

 公妃が言った。

「なんでも今日はグザビエ公の従妹のチャレー嬢を口説きに行ったそうね。」

「そんなことはしておりません。」

「グザビエ公から、あなたの首の要求がありました。」

「ハディッシュ夫人のご招待でございました。(ご存知ですよね?)差し向けられた馬車に乗って、降りるとグザビエ公の邸宅でした。チャレー嬢が出てこられて、あの方から、私が口説かれました。」

「なんなの、それ?」

 手にした扇をぱたりとテーブルの上に置いて公妃様は詰め寄った。リョウは必死だった。

「申し上げたままでございます。チャレー嬢のことは全く存じません。以前にグザビエ公のお招きで公の邸宅にお邪魔したとき臨席されていた方々のうちのお一人でしょう。お名前も存じませんでした。」

「でも、グザビエ公はカンカンなのよ。チャレー嬢があなたに無礼を働かれたと泣いて訴えているそうで。」

「私がお断りしたからでしょう。」

 よくある話だ、といいかけてリョウは言葉を飲み込んだ。あの胸の開き加減から見ると、自信たっぷりだったのだろう。リョウが、おいしそうな、なみなみとした生クリームの中に指を突っ込んで舐めなかったので、こっちへ回ったわけだ。女は怖い。

「公妃様がいらっしゃる私にそのようなご提案をいただいても、受け入れられるはずがないではありませんか。」

「どんな提案?」

「一緒に暮らしたいそうでございます。」

 公妃がフツフツと怒りをたぎらす様子をリョウは感知した。

 自分の方が若くて綺麗という言葉を伝えるまでもなかった。さすがにリップヘンの母で、公妃は一瞬で沸点に達し、足音高く部屋を出て行ってしまった。

 グザビエ公が女に甘くてモノをわきまえられない近視眼なら、公妃は極端な思い込みと、不用意に発揮される絶大な実行力の持ち主で、高位の身分なだけに二人合わせると王国を揺るがしかねない危険ブツだった。人騒がせな夫婦である。


 マノカイ王は怒った。確かにくだらなさ過ぎる。こんなくだらない色恋沙汰で、王国を震撼させるわけには行かなかった。怒りの矛先はリョウに向かった。

「人騒がせな男だ。」

 一方のチャレー嬢は、曲がりなりにもグザビエ公の従兄妹に当たる。リョウのほうが分が悪かった。リョウはマノカイを放逐された。

 世の人々はこの痴情のもつれをせせら笑い、余計な好奇心をそそられていた。身のほどをわきまえぬヒモの末路はざまあみろと言ったところだったろうか。


 彼はゼノアに渡ることになり、涙に暮れている公妃のところに挨拶に伺った。


 リョウとしては、どうしようもない幕切れだった。

 とはいえ公妃と長く続けていくことは無理だとわかっていたので、ありがたいような気さえした。この先どうなるのかわからなかったが、ゼノアのことなら多少は知っている。彼はいかにも残念そうに公妃に別れを告げた。公妃の私室には、彼女の息子も来ていた。


「ああ、リョウ、さみしいわ。くやしいわ。あの女、ただでは済まさないわ。」

「公妃さま……」

 公妃は悲劇のヒロインさながらだった。彼女は自分の権力を熟知しており、何のためらいもなく相手を破壊する一撃を下す女だった。一方のチャレー嬢が、思いつめたら何をしでかすかわからないタイプなことを考え合わせると、リョウとしては、大きな声では言えないが、宮廷からの追放を感謝したいくらいだった。


 愁嘆場のさなか、リョウは肩に衝撃を感じた。誰かの悲鳴が聞こえた。振りかえると、まだ幼いリップヘンが手にナイフを握っていた。

「リ、リップヘン…」

 リップヘンが背中から彼を襲ったのだ。リップヘンはナイフを構えた。その目つきは何回も見た目だった。狂気の目つき。

「リップヘン様と言え。」

 リップヘンはナイフを振りかぶった。とっさに避けようとしたが、投げつけられたナイフのうちの一本がリョウの足に刺さり、もう一本が侍女の腕に命中した。つんざくような悲鳴が上がり、女どもが逃げた。

「リップヘンッ!」

 悲鳴を聞いてばらばらと人々があちこちから駆け寄ってきた。

 リップヘンの狙いはただ一つ。リョウの命だった。


 リョウは思い出した。

 ……母親の愛人を殺してしまったため、国に居られなくなり、傭兵の長になった……


 俺か。俺のことだったのか。

 人々が集まる前にリップヘンは闇雲にナイフを投げ続け、投げるものがなくなると、部屋にあった花瓶をリョウの頭に投げ落とした。

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