第25話 さらに別な女性からも愛人になるよう要請される
「会いたかった」
美しい女性だった。リョウはこの人が誰だか思い出した。
「チャレー嬢?」
「ウルスラと呼んでください」
彼女は彼の方に一歩近づいた。
どう聞いてもまずい展開だ。世の中には命知らずもいるものだ。
「わ、わたしは、マノカイの人間ではないので…理解不足なのかもしれませんが……」
リョウはしどろもどろでしゃべり始めた。
「ウルスラ様、私は今日はハディッシュ夫人のお招きいただいたものと了解しておりましたが……」
「ハディッシュ夫人のお名前をお借りしました」
は? 借りた?
「そ、それでは、今日、私を呼んだのはウルスラ様でしょうか?」
「そう」
チャレー嬢は、見た目も声もそれはそれは緊張していた。声がだんだん小さくなり、目はリョウをじっと見据えていた。
何のために私を呼ばれたのですか?と聞きそうになって、リョウは思いとどまった。聞いたら聞いたで、より一層まずい事態に突き進みそうな気がした。
「では、歌を」
リョウは緊張を解きほぐそうと微笑んで見せた。
「お好きな歌を」
チャレー嬢は、思い直したようだった。彼の声を聞きたかったのだ。
だが、リクエストされた曲名を聞いてリョウは困った。恋歌ばかりだ。やみくもに元気な行進曲とか盛り下げる葬送曲とか場違いな軍歌とかリクエストして欲しかった。
「チャレー様。」
「はい?」
「思い違いでなければ、グザビエ公のところでお目にかかりましたね?」
「ええ。」
「グザビエ公は、チャレー様が今日ここにおられることをご存知なのでしょうか?」
「いいえ」
チャレー嬢の現在の状況をリョウは知らなかったが、もし想像が外れていても、独身のお嬢さんと女にだらしないことでは実績のある不倫愛人が密室で一緒にいるのはとてもまずいのではないだろうか。
「それは、あまりほめたことではないのでは?」
リョウは言ってみた。
「特に私は今は公妃様の愛人をしているので」
こんな説明、世の中にあるかとリョウも思ったが、はっきり説明しておいたほうがいいこともある。チャレー嬢は衝撃を受けたようだった。
「うそでしょう」
「いえ、事実ですが」
誰がどう見たって事実だろう。リョウが喜んでいるのかといえば、うれしくもなんともないが。
「あの方を愛しているの?」
直裁なものの聞き方をする。これだから若いやつは嫌だ。リョウは困った。これを愛と言うのか?そのときの都合と気分と言うか。大体なんでこんな初対面の娘に自分の気持ちを説明しなきゃならんのだ。
「いえ、別に。それは。」
彼女の目がぱっと輝くのを見て、失敗したことに気づいた。その意味じゃない。
「ところで、あなたはグザビエ公の何に当たるのですか?」
「従妹ですわ」
愛人じゃなかったのか。ウルスラ嬢は続けた。
「私はあなたにもう一度お目にかかりたかった。晩餐会や行事の席で歌っておられるのを聞いて、そして……」
「私のような愛人を勤めるような男にそんなことを言ってはいけません」
リョウはさえぎった。
チャレー嬢は一歩前に出た。
「触ってはいけません」
リョウは言った。
「公妃様を愛していないといったわ」
チャレー嬢が詰め寄った。
「私はあなたを愛しているわ。公妃様はいつだっていろいろな男を連れてくる方なのよ。いつだって本気じゃないわ」
公妃様は常に本気なんだが、ころころ気が変わるだけなのだ。チャレー嬢の本気もあやしいものだ。だが、そんなこと、この小娘に説明しても理解してもらえそうになかった。
「そんなことを言ってはなりません」
「公妃様のこと?みんな言ってるわ。私は本気です。私と一緒に暮らして」
「チャレー様、あなたは勘違いしてらっしゃる」
「私が何を感違いしているの?私の方が公妃様よりずっと若くて綺麗です」
チャレー様は素直な上に正直者だった。もしかして自分は女難の相があるのでは。
「チャレー様、そんなことを言ってはいけません。人にはそれぞれ大事にしたいものがあります。たとえば、あなたはあなたをもっと大事にしなくては。私のような者にあなたを安売りしてはなりません」
「安売りなんかしてませんわ。あなたを自分のものにしたいだけよ」
なんて直接的な。リョウはもう崩れ落ちそうだった。突然襲ってくるモテモテ人生。嬉しいようなつらいような。
「それは私を本気で愛しているのではないのですよ」
リョウは解説してみたが、そんなことを聞き入れてくれるくらいなら、最初からこんな騒ぎになるはずがなかった。
何時間続くかわからない謎の禅問答になりそうだったが、思わぬ所で中断された。
さっきの侍女が大慌てで走りこんできたのだった。
「グザビエ様が戻ってこられましたわ」
自分は悪くないッと言いたい所だったが、次の瞬間、彼は間男よろしく部屋の物入れに押し込められていた。
グザビエ様はご機嫌の様子だった。大声でなにか話しながらやってきた。
「ウルスラ、どうだ?この真珠をゼノアの大使からいただいたぞ。お前にやろう。この前、約束したな?」
ぼそぼそ言う声がして、グザビエ様の声が少々不機嫌になった。
「なんだ。このごろ愛想が悪いぞ。わしを嫌いになったのか?さあ、部屋へ戻れ。お前を一番かわいがってやってるではないか。何が不満だ?」
足音が遠ざかり、しばらくたってからさっきの侍女がリョウを救出しにきた。
「チャレー様は、グザビエ様に囲われてるんですよね?」
物置から開放されたとき、リョウは侍女に真っ先に確認した。
「……ええ」
「私は外国人ですから、確認しますが、要するに私と公妃様みたいな関係ですよね?」
「あの、今日のお話はどうかご内密に……」
「愛人ですよね?そこは答えてください」
「そうですわ。ですけど、従妹同士でもあるのです。事情が許せばご結婚なさるかもわかりませんし」
「事情ってなんです?」
「グザビエ公の奥方がまだご存命で……」
「それはうちの奥方のことでしょうが!」
「ああ、そうでしたわね。とりあえず今日のお話はご内密に……」
「公妃様にばらしてやる」
リョウは侍女が困り果てた様子をしている横を、足音も荒く出て行った。
日ごろ「うちの奥方」を持て余してはいたが、それでも侍女の言い分にはなんだか腹が立った。
公妃の館に戻ると彼はぷんぷんして公妃に一部始終を話そうとチャンスをうかがった。話しておかないと、公妃がどこかからこの話を聞きつけてきたときに、またもや大騒動と言う事態になりかねない。
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