第24話 リョウ、歌える愛人になる
翌日、リョウに殴りかからんばかりの公妃が突進してきた。
「リョウッ!」
リョウはベッドの中から何事ならんと身構えた。
「なぜ、私の前では歌わないの?」
「え?」
彼はビックリ眼になった。
「どうして、チャレー嬢の前で歌って、この私の前では歌って見せないの?」
「え?チャレー嬢って誰?」
「なにとぼけてんのよ。どこまで行っても無責任な女たらしだわ。」
無責任な女たらし!一度言われてみたかった。絶対一生ないだろうと思っていたが、こんなところで言ってもらえるとは。嬉しい限りのはずだが、今、雌トラのような公妃を目の前にしていては、喜ぶ余裕がなかった。
「こんな男とわかっていたら…」
私はいったいどんな男なんでしょうか。リョウは話の展開についていけず説明が欲しかった。
「チャレー嬢って誰?もしかしてグザビエ公の所であった女性のうちの誰かのこと?」
「わかってんじゃないの。」
「その人がどうかしたのですか?」
泣き出しわめき始めた公妃が顔を上げた。
リョウのきょとんとした顔を見て、彼女はあることに気づいたらしい。つまり、リョウの側にはその気はなかったらしいということだった。
「なぜ、私のためには歌わないの?」
リョウはごそごそとベッドを降りた。
「いくらでも歌いますよ。今まで歌えって言われなかったから。でも起きぬけだから声が出ませんよ。」
部屋着のままリョウはリュートを手に取った。伴奏つきで低い声でセレナーデを歌った。
「もっと声は出ますよ。もっと高い声も。でも起きぬけだから。」
公妃は彼をまじまじと見つめていた。
「リョウ、今晩の王様ご臨席の公式行事に楽師として出なさい。」
「それは…」
「いやなの?」
「公妃一人の楽師でいたいのです。」
これ以上、軟弱男のたらしとして名を馳せたくなかった。
「チャレー嬢の前では歌ったくせに。いまさら何よ。」
要するに彼女は自慢したいだけなんだ。
マノカイの公式行事での彼の歌は、最初の冷ややかな侮蔑を含んだ空気と、歌い終わった後の酔ったような熱狂が対照的だった。
もちろん男の多くは全く好意は持たないままだったが、それでも歌手としての実力は伝わったらしかった。
公妃はそっくり返った七面鳥のように大得意になり、あっという間に機嫌が良くなり、はなはだ迷惑なことに情熱的な恋人に逆戻りした。
リーア姫の地味な性格がなつかしくなった。ひとりの女性を恋しながら、別な女性を抱いている。満たされているような、いないような、同時に陳腐な状況だった。命の危険があっても、リーア姫のいる世界に戻りたい。
ある日、リョウは何人かの既婚婦人のサロンに招かれた。最近、これは流行りになっていた。留守中にどんなにリョウが自邸に出入りしていても、夫たちはまったく気にかけなかった。自分の魅力には自信がなくても、妻の戦闘能力については公妃さま未満と正しい理解をしていたからだ。リョウがあの嫉妬深い公妃の愛人である以上、たいしたことは起こらないはずだった。
また、公妃様は鷹揚にも喜んでリョウを貸し出した。これは単なる自信過剰と自慢したいからであった。公妃様怖さに何事も起こらなかったが、いっそ楽師の貸し出しなどしないでくれたらと彼は思った。リョウにとってはまことに迷惑な話であった。美男の歌手として遇してくれる場合もあったが、ヒモを見る冷たい侮蔑にさらされることも多かった。だが、今日は事情が違っていた。
彼は、迎えに来た馬車にリュートと共に揺られていたが、着いてみるとそこは彼を呼び出したご婦人のお屋敷ではなかった。
「このお屋敷でしたか?」
リョウは不安になって招き入れてくれた侍女に尋ねた。一度来たことがあるような気がする。
「そうでございます。」
侍女は落ち着き払ってリョウを一室に案内した。
「奥様がもうすぐお越しになります。」
奥様?単数形にリョウは驚いた。確か、複数の奥様からのお呼び出しのはずだった。何人もいればお互いにけん制しあって、おかげでリョウはいつも無事に帰れた。せいぜい花束を贈られるくらいで済んでいた。さすがに一人で招待する命知らずはそれまでいなかった。それが今日はお一人様とは?何か不安がよぎった。
カチャリとドアの開く軽い音がして、リョウははっとして振り向いた。リーア姫に会いたい。もう一度あの目に会いたい。
そんなことを思ったのは、入ってきたのがリーア姫と同じく若い女性で、全体の細さやシルエットがなんとなく似ていたからだった。
リョウは不安そうに彼女を見つめた。
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