第2章 黒歴史
第23話 リョウ、愛人になる
「あなたを待っていたわ。」
そうリョウに語りかけたのは、美人には違いないが、恐ろしく気の強そうな、身分の高そうな女だった。
「あなたは…そう、公妃さま…」
リョウはつぶやいた。たしかマノカイの宮廷で見かけたあの女性だ。
リップヘンの母は若く、まだ30台と思われた。この女性は当たり前のようにリョウを抱いてキスした。
なんか似たような展開は前にも一度あったような……人は違ったけど。
今も夢を見ているのか、それともこっちが現実なんだろうか。
リップヘンもここにいるのだろうか。リョウは公妃の手をやさしく振りほどくと部屋の中を見回した。
どう見ても公妃の寝室らしく、公妃の年回りから見てリップヘンはまだ子供のはずだった。
「私のような者があなたさまのおそばにいてもいいのでしょうか。」
事情がわからないが、確か公妃には夫がいたはずだ。寝室って、いろいろとまずいのではないだろうか。
公妃の目がきらりと光った。
「そういう言い方は大嫌いと言ったはずよ。」
「は……」
「私のことが欲しくて、何があってもどんな犠牲を払っても来てくれる人でないと。あつかましくね。」
ちょっとあっけにとられたが、次の瞬間リョウはうつむいて笑った。笑うと、このすさまじい女性を怒らせそうで危険だったが、なんだか笑わずにいられなかった。
「笑ったわね。」
「美しい公妃さまのおそばにいられる喜びに、つい……。」
そのとき、リョウはリップヘンを見つけた。
リーア姫と一緒だったときより大きかった。もう14歳くらいに見えた。まだ大人とはいえないが、子供ではないような年頃。
リョウは最初子供に見られてぎくりとし、思わず公妃を抱く手が緩み、次に子供の目が、おとなになったときのリップヘンと同じであることに気づいた。
同じ凶暴な目。
「子供よ。何もわからないわ。」
公妃はめんどくさそうに簡単にそう言った。
そんなことはないだろう。気にしている。嫌がっている。リョウを憎んでいる。
リョウは子供の挑発的な目に一瞬我を忘れた。子供の目から目を離さず、リョウはリップヘンの目の前で公妃の手を取り腰に腕を巻いた。子供はどうするだろう。
「昼間よ、まだ。」
公妃の声が媚を含んでそう言った。子供の顔がゆがんだのが見えた。リョウは彼女を引き寄せキスした。目をつぶったわずかの隙に子供は走り去り、大きな音がしてドアが閉まった。
後から考えると、これは全くの失敗だった。
リョウは自分がリップヘンを憎んでいたのかもしれないと、ずっと後になって考えた。何かの復讐だったのだろうか。
だが、そんなことは本当にどうでもいいことだった。
そのあと、ありえない展開が彼を待っていた。
リョウはもてたことがあまりなかった。というか、こんなことにはなったことがなかった。
今は、王宮における公妃様の若い愛人という、見事なまでに型にはまった状況になった。どこからどう見てもペットである。しかもリョウはすべての要素を完璧にそろえていた。
まず顔。
彼は確かにそこそこ男前なのかもしれなかったが、たいしたことない美貌と言うのは利用しにくいものである。これまで特にいい思いをしたことはなかったのに、今回ばかりは、皆さんから評価していただくこととなった。
楽器が弾けるだけの、乗馬と剣がからきしダメな軟弱男の典型である。この頃のマノカイに銃はなく、唯一の男らしい部分の披露がかなわなかった。
そして、東渡りのジグ人だった。早い話が占い師である。この手の占いを信じる高貴の方というのは結構いる。いろんなデタラメを言って、公妃様に取り入ったに違いない(と思われているに違いない)。
もっとも、この時代のこの地域では、彼が思うほど占い師がインチキと思われてはいなかった。だが、リョウ自身が「占い師=あやしいヤツ」だという認識だったから自分的に自分の評価は低かった。
あまりいい気分ではなかった。
身分高く、わがまま勝手で言いたい放題、敵も多い公妃のペットとして、何回かパーティのような場に顔出しを強制された。
女たちは露骨に値踏みをし、男たちはリョウとしゃべることを拒否した。リョウは男女を問わず軽蔑のまなざしと、ある種のうらやみと、表裏ない悪意にさらされた。
リップヘンへのわずかばかりの復讐心が呼び起こした大問題だった。
もうひとつ困ったのが、実際の恋人としての生活だった。
うっかり足を踏み入れてしまったばっかりに始まった愛人生活だったが、美しくて、わがままで、精力的な女性に、気に入られ続けるのは無理だった。あっという間に関係は悪化し、公妃に恨まれる存在へと身を落とした。
こんな女でも惚れる男はいるらしく、彼はそちら方面からも本気の恨みを買った。一緒に暮らすうえで、これほど厄介な女はいないとリョウは思っていたが、一緒に暮らす見込みのない男には結構魅力的に見えるらしい。とりあえず、身分の高い、非常な美人で金持ちなことは確かだったから、そうかもしれない。
夫がいるはずだという彼の記憶は正しかった。
夫は夫で愛人を取り揃えていた。この夫の唯一の良い所は、その有様では妻の愛人に対する嫉妬心や怒りは皆無だろうと言うことくらいだった。
彼は彼女の夫の宴席に余興で呼ばれたことがある。
妻の愛人なんか自邸へ呼ぶか? どんな神経だか知れなかった。しかも公妃は機嫌が悪くて彼が行くのを止めてくれなかった。
「行けばいいじゃないの。」
こう言われては、宮廷で無力な彼は行かざるを得なかった。
ふつう、夫が妻の愛人を呼び出す場合、相当な修羅場が待っているはずである。
だが、この夫婦の場合は、ウワサで判断する限り、命の危険はなさそうだった。しかし、何かのはずみにと言う可能性もある。ビクビクしながら出かける羽目になった。
だが、行ってみて、今回ばかりは公妃に同情した。
彼女の夫は、無気力で怠惰で、器量が悪く大きな体つきをしていた。あまり頭がよさそうには見えなかった。
グザビエ公は懇意にしている女性たちが何人かいて、どうも彼女らがリョウを呼んだらしかった。懇意にしているって、婉曲だが、早い話が一種のハーレムではないかとリョウは疑った。なぜなら、その場の女性たちには、全員共通のひとつの大きな特徴があったからである。
全員、巨乳だった……。
「唄ってみろ。」
リョウは楽師として知られていたが、実はマノカイで歌ったことはまだなかった。彼のことを楽師だと言ったのは、公妃である。
「グザビエ公さま、この者はリュート弾きですわ。」
ひときわ美しい若い女性が注意した。
「公妃さまはそうおっしゃってましたわ。」
公妃の前でも、まだ歌ったことがない気がする。リョウの運命は彼を時系列と関係なく点々と連れまわすので、もしかすると公妃はどこかで彼の歌を聞いたことがあるのではないかと思っていたが、どうやら違うらしい。
「お美しい女性の皆様方のご要望とあれば、なんなりと……」
リョウは楽器よりも歌の方が受けがよかった。
「まあ。」
この若い女性は、グザビエ公の取り巻きの中でももっとも力を持っているらしかったが、何人かでつるんでいる様子でもあった。多分、女性たちの中での勢力グループも存在しているのだろう。
「では、まずグザビエ公にこの曲を。」
リョウは軽くマノカイの民謡を弾いてみた。
「ほう……」
グザビエ公はぼんやりした顔に精一杯の関心を寄せた。この曲を知っていたらしい。
「最近の曲もやってみろ。」
問題はどれが最近の曲だかリョウにはさっぱりわからなかったことだ。適当に何曲か弾きこなし、最後に何曲か歌った。
すばらしい声だった。グザビエ公の取り巻きの女たちには効果てきめんだった。
人を酔わせる美しい声と……そして美しい顔立ちだった。
彼はすらりと細身で、目鼻の整った若者だった。若すぎるくらい……まだ20歳にもなっていないように見えた。
お土産を頂戴して辞去したが、リョウは、帰りにはなにか失敗したような気分だった。
あれでよかったんだろうか。客の受けがよすぎた。もっと適当に流しておけばよかった。あれではグザビエ公が怒ったとしても無理はない。彼はサビの部分で何度もさっきの若い女性と目が合ってしまったのである。
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