第20話 重なる王家の不幸と不穏な空気

「軍に入れ。」

 リンゲルバルトはリョウに向かって言った。

「お前はくそ度胸の持ち主だ。兵士向きだ。」

「恐れ入ります。」

「あとは馬の特訓と刀の持ち方だけでも教わっとけ。貴族扱いしてやろう。」

「楽師でたくさんでございます。」

 馬はもう少し練習しないと何かと不便だったが、剣などはさわる気もなかった。銃でたくさんだ。

「そうはいくか。リーア姫の修道院の警護にお前を行かせるんだ。リーア姫がお前を呼び捨てにした時は死ぬほどビックリしたぞ。リップヘンの顔がこわかったわ。」

 リョウは黙って頭を下げた。

 2週間、リョウは馬の特訓と剣の練習に明け暮れた。格好だけでも立派な貴族に見えるようになれば、リーア姫の護衛につける。リョウは人知れずものすごく張り切っていたのだが、赴任する直前、ゼノア王が突然亡くなった。


 人々はゼノア王家を襲った度重なる不幸に不吉を感じた。

「毒を盛られたのだ。」

 まことしやかな噂が広がった。

「おかしなことを言う。いったい誰が毒を盛ったりするのか。」

 ラセルが小さな声でリョウに言った。

 リンゲルバルトも同意見だった。

「確かに王は一晩腹が痛いと苦しんで死んだ。だがそもそも王は高齢で最近は不調だった。毒殺などと……誰が広げたのだ、こんな話を。」

 王妃は噂にいきり立った。

 犯人探しに躍起になり、料理人3人が嫌疑を掛けられて死刑になった。

 王妃はドウゴ王子の死を受け入れることができなかった。感情的に追い詰められていた。夫の死はそれに追い討ちを掛けた。

 犯人探しはできなかったが、その分憎しみはナイ儀官に向けられた。ドウゴ王子の死の現場にいなかったナイ儀官を罰することはできなかったので不問に付されていたものを、王妃は蒸し返し死刑に処した。

 マノカイに対する恨みは極限に達しており、リーア姫に対する感情も決して良くなかった。


 次の王については、ゼノアは全く無防備であった。

 ドウゴ王子の戴冠が決まっていたので、他の候補は全く考慮されていなかったのである。

 ここへきて王妃は娘婿のセトの領主を推した。

 セトの領主は、確かに人物的には問題なかったが、ゼノアにとっては属国の領主と言う扱いだったため、貴族の中には抵抗を示す者がいた。だが、本命はラセルだった。ドウゴ王子がいてさえ、ラセルを推す者は多かった。

 ラセルは王の異母弟で、温厚で有能、人気があった。年齢的にも30台の半ばと好適で、子供も男の子がおり王位の継承には有利であった。唯一の難点は王妃になるべき彼の妻だった。

 王位が近づいてきたのを見るや否や、彼女はありとあらゆる手段で夫を援護した。

 すべての意味において、これほどの妨害はありえないくらいだった。

 まず、誰と話す場合にも、私が王妃になったらというフレーズを必ず入れた。また、夫との間に子供がいれば夫の王位継承が決定的になると考えたセレイ姫に、あなたは不妊かもしれないと言い出した。唯一貴族どもの共感を得たのは、ドウゴ王子は気の利かないさえない男で、マノカイ王の葬儀ではよほどのヘマを仕出かしたに違いない。普通の人間にああいう結果はありえないという批評だった。

 王妃の怒りは想像に余りある。ラセルも妻の擁護の仕様がなかった。ラセルは、できるだけ妻を外に出さないように手段を講じていたのだが、大体が目立つことが大好き、おしゃべりが大好きで出られなければ人を呼び出した。

 ラセルの妻に比べると、ヒステリー気味の王妃さえ穏やかに見えるから始末が悪かった。


 ここで出てきたのが不妊と言われて、どす黒い怒りに駆られたセレイ姫であった。

 彼女は王の死はラセルの妻の仕業と噂を流し始めた。いわく台所で彼女の姿を見たものがいる、夫の王位を狙っての仕業だ等々。

 しかし、この噂を信じた者はほとんどいなかった。あんなに計画性も知性もない女は毒薬の知識もなければまともに扱えるはずがないというのが大方の意見だった。

 自分が飲むかラセル様に服用させるのがオチだとさえ言われていたが、たった一人だけこの噂を信じた者がいた。

 だんだんと精神の安定を欠き始めていた王妃だった。

 彼女はついにラセルの妻を呼び出した。

 有罪を固く信じている王妃は、何を答えられても全く信じなかったし、ラセルの妻は人に憎まれる才能があった。見事なまでに癇に障るような回答をするのである。裁判の間中、聞いている貴族どもがいたたまれなくなったくらいである。

 特にラセルの妻に不利な証言は出なかったが、有利になるような事実も出なかった。裁判の同じ場所にいるのは精神衛生上苦痛とでもしか言いようがなかったが、交代で出できた連中からラセルの妻の一問一答を聞くのは非常に面白く、またすべての人々の同情がむしろ王妃に集まったくらいだった。

 ある日、堪忍袋の尾を切らせた王妃は突然裁判を打ち切り、死刑を命じた。

 話はそう簡単には運ばなかった。大体何の罪に該当するのかわからなかったし、ラセルの妻はナイ儀官と異なり王家の一員なのである。結局、彼女は離縁され尼寺に押し込められることになった。


 だがそんな細かい話は、リョウは後で聞いたのだった。

 マノカイの内乱はゼノアの空気を乱さずにはいられなかった。ゼノアの不満分子の暴動やマノカイの軍隊が統率を失ってゼノア領内で略奪を始めることが増えた。

 暴動や略奪のたびにリョウは出かけて行った。時にはマノカイの兵とも本格的に戦った。そして彼はリンゲルバルトが見込んだようにきわめて有能な連隊長となった。

 軍のことを少しでも知っている者たちは、リョウをもはや楽師などとは考えなかった。実際、音楽好きのゼノア王が亡くなってしまってからは、歌を披露する機会など全然なかった。彼はきわめて有能な司令官だった。

 終いには、リョウの連隊が来ると聞くと暴動が鎮まるくらいになった。なにしろ、リョウの兵は強いのである。次に首謀者は死刑になることが多かったが、拷問などはなかった。百姓どもは必ず事情を聞いてもらえた。事と次第によっては、リョウが代わりに陳情してくれることもあった。全然ダメで皆殺しになることもあったが。

「リョウの隊は最高だ。」

 リンゲルバルトも評した。

 リョウは兵を大切に使った。兵士共はリョウの下では安心して働くことができた。リョウには名誉心などと言うものがなかった。あるのは効率だけで、彼はこの国の人々が持たない、冷たいくらいの合理的精神の持ち主だったのだ。

「冷血だ。」

 リンゲルバルトがからかった。

「女どもからどんなに手紙が着ても全く効果がない。そうだ、リーア姫から声が掛かったとしても、こいつは断然無視を決め込む気なんだ。」

 リョウは黙って首を振った。


 

 ゼノアの王宮がマノカイに比べると落ち着いていて、内戦にならなかったのは、もともと亡くなったゼノア王が全く王らしい仕事をしていなかったからだった。全部代わりにラセルがやっていたのである。

 だから多くの貴族たちからラセルの戴冠は当然のように考えられていたが、王妃と王女が徹底的に反対していた。彼女たちは王女の夫のセトの領主を推していた。後継者について正式に決められる前に王が急死したので、いろいろな派閥や利害関係が絡み合い、誰が味方で敵なのか判別しにくい状態だった。


 リョウは、ラセルの護衛を勤めることになった。

 護衛は常に忠誠を誓う騎士の役割だったが、昔からの貴族たちはそれぞれラセルだけでなく、ゼノア前王や王妃の親族などとも縁があり、どちらについてもおかしくなかった。本人たち自身にしても情勢次第の部分があり、今後どう動くか予想が付かなかった。

 リンゲルバルトは優秀な連隊長を失うことになるので渋ったが、次期の王に最も有力視されているラセルからの頼みは断れなかった。

「お前の歌を聞きたいんだと!」

 リンゲルバルトは、あきれたように言った。

「お前は歌より軍隊向きなんだ。勇敢な武人が宮廷で媚びへつらうなんて!」

 彼は、リュートを取り出し、豪華な服を身にまとった。彼の部下の兵士共はそれを見てあっけに取られた。彼らは、親分が楽師だなどということはすっかり忘れていた。

「連隊長、それは…。」

 リョウは苦笑いするしかなかった。

「ラセル様のご命令だ。楽師に戻る。」

 しかし豪華な服は、拳銃数丁と最近仕方なく習った短いナイフを隠すのに好都合だった。

 彼は男前で、身なりを変えるといかにも優男風だった。このいでたちの彼を見かけた部下の兵士共が、あまりのチャラ男っぷりに心底がっかりしたくらい、楽師が板についていた。


 ラセルはリョウのこの有様を見て、思わず微笑んだ。

「誰が見ても、国一番の銃の使い手だとは思わないだろう。」

「おまけに身分もございません。殿下以外に忠誠を誓う相手はおりません。」

 リョウはひざを突いて言った。ラセルは小さな声で言った。

「不穏な空気だ。おそらくここ数ヶ月のことと思うが……。私の気に入りとして、常に身辺におれ。お前がいても誰も不審には思わぬ。宮廷で陰謀をめぐらす者共は、軍隊のことを知らない者がほとんどだ。外国人で言葉が分からないと思っている者すらいる。お前には油断するだろう。」


 リョウはラセルの行くところなら、どこへでも付いて行った。

 愛想のいい、何を聞かされてもトンチンカンな反応をしてみせる美男の付き人は、どこへ入りこんでも誰からも文句が出なかった。時々、ラセルの別のお付きがわざと彼をバカモノ扱いして見せ、効果をあげていた。もし疑問を抱いた者がいたとしても、楽器を弾かせ歌を歌わせると途端に疑惑は消え去った。楽師以外の何者でもなかった。

 だが、この物腰の優雅な楽師は、服の下で銃を握り締め、マヌケそうな顔を装っては、密談する貴族から貴重な話を盗み聞きしていた。時には軍に戻り、ことさら汚い格好で指揮していた。部下達は心得ていて、楽師が彼らの連隊長だとばれないように汚い格好を歓迎していた。

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