第19話 貴族でもないのに政治的問題に巻き込まれる
ガツッと頭を恐ろしく固いものにぶつけてリョウは目が覚めた。
馬車が大きく跳ねたのだった。もう道は舗装されていない。
「痛てえ」
リョウがつぶやくと同時にリンゲルバルトが馬車の幌を開けた。
「リョウ、交代だ。あと少しでゼノアの者たちが迎えに来る。兵たちはゼノア領内に入り次第休憩させる。俺たちは先を急がねばならない。」
リンゲルバルトはほぼ1日馬に乗りっぱなしだったので、いかに剛の者といえ限界だった。馬車に乗り換え、その間、リョウが指揮を取った。(ナイ儀官は体力的に無理だった。)
数時間たつと何人かのゼノアからの迎えの貴族たちが出現した。彼らは一様に緊張した様子で、押し黙ったまま王子の馬車を取り囲んだ。兵たちは物々しい様子で、リンゲルバルトの軍を休憩させ馬を交代させ先を急いだ。
「ゆっくりゼノアへ向かうがよい。ご苦労であった。」
モット将軍は兵たちにはそう言ったが、ナイ儀官とリンゲルバルトには冷たい目を向けた。
「急いで王城へ。」
リョウは目立たない様子でさりげなく物陰に潜んでいたのだが見つかった。
「東渡りのジグ人も一緒に来るよう。」
どうも先行きは良くなかった。
王がドゥゴ王子の死をどう受け止め、付き添いの彼らの責任をどこまで追及するかわからなかった。死刑台に向かって歩いていく気さえした。
リンゲルバルトは軍人らしく歯を食いしばって前を向いていたが、ナイ儀官は極めて暗い表情だった。こういう時、リョウは数のうちに入らないのだが、現場のすべてに居合わせたことは知られているようだったので、やはり不安だった。
王宮に着いたが、東渡のジグ人で楽師の男は、王と王妃の部屋には入れてもらえなかった。
二人の貴族(ナイ儀官とリンゲルバルトのことだが)は中に入れられ、部屋の外にいるリョウに話の内容は聞こえなかったが、声が高くなったり低くなったり散々議論しているようだった。
リョウはぽつりと部屋のドアの近くに待機していたが、彼のそばには誰も近づいては来なかった。
何時間もたったかと思われた後で、乱暴に部屋のドアが開け放たれたが、それはリョウのためではなくて、失神した王妃を運び出すためだった。
リョウは呆然としていたが、誰も彼に気づかずばたばたと大勢が出入りした。最後にリンゲルバルトが出てきて疲れきった様子でリョウを招き入れた。
見たこともないくらい老けて疲れた感じのゼノア王が尋問を始めた。
すでに何回も繰り返し聞かれ答えられた話の蒸し返しだった。
お前は王子が襲われた現場にいたのか?いいえ、いませんでした。王宮ではどんな話を? 状況を確認し、少なくとも謝罪を申し入れました。万死に値すると。リーア姫をご心配申し上げたところ、修道院に隠遁するとおおせられました。マノカイの者は王子が何をしたと言っていたか?
「王の野辺の会場で、王妃様の手を取って、引っ張っていこうとしたので、マノカイの貴族と群集が怒り狂ったと…」
ゼノア王が目を上げた。
「なんだと?」
「マ、マノカイの者がそう申しておりました。」
まずいことを言ったのだろうか。
「ゼノアへ帰ろうと、場を離れるよう促したと……。」
ゼノア王は愕然とした。
リンゲルバルトとナイ儀官は、目を伏せて耐えている様子だった。
全員がばらばらに下がらされて、深夜、誰もが寝静まった頃、リョウはラセルからこっそり呼び出しを受けた。
リョウは寝るどころではなかった。生来、非常にカンのいい男だったので、しばらくこの国で暮らすうち、さまざま人の反応や行動を読むことに極めて長けた。しかし、風習や制度については聞かなくてはわからないことばかりだ。いったいなぜドウゴ王子の最後の行動を、ナイ儀官とリンゲルバルトが黙っていたのか彼にはわからなかった。なにか致命的なことでもやってしまったのだろうか。気になって寝られなかった。
ひっそりと足音を忍ばせて、ラセルの執務室に近寄り、ドアの締まる音にも気を使って入室した。
「おお。」
いつものラセルだった。リョウはほっとした。
「よくぞ早馬を遣わしてくれた。使者から話は聞いたし、今日の王夫妻の部屋でも大体は聞いた。だが、現場にいたお前から話を聞かせて欲しい。」
リョウは一通り、その日の出来事を語った。
ラセルは穏やかで冷静で、よく考えた上で判断を下す人物だった。二人の間には、信頼関係と言ったものがすでに出来上がっており、リョウはラセルのそばだと安心して話をすることが出来た。
「そうか。野辺の席で亡くなられた方の未亡人に男が触れるなどと言うことはもってのほかだ。そもそも王妃のそばによく近づけたものだ。」
「ナイ儀官とリンゲルバルト殿はゼノア王になぜ事実を伝えなかったのでしょうか。」
「怒られると思ったのだろうな。ただでさえ傷心の王と王妃にとっては、追い討ちを掛ける格好になるからな。自分の息子が悪かったのだとは思いたくはないだろう。」
「私の言ったことで、ナイ儀官やリンゲルバルト殿にご迷惑が掛かるようなことは……。」
「うむ……。」
ラセルは黙り込んだ。リョウは不安になった。
「リンゲルバルトは大丈夫だろう。彼は元々警護のために加わっただけの人物で、ある意味予想以上の働きだったのだから。だが、ナイ儀官は……。」
ラセルはリョウの不安げな様子を見て、にっこりした。
「お前は大丈夫だ。そもそも身分がない。ずいぶん活躍したようだが、責任は問われない。お前のドウゴ王子に関しての説明も、ほんとはあの二人もおそらくしたかったと思うのだ。だが、王と王妃の反応が心配で言い出しかねたのだろう。お前なら外国人だし、身分がないから何を言っても大丈夫だ。」
リョウはラセルの説明に感謝し安心した。
「もうよい。お前は下がれ。よくやった。リーア様も一時身を寄せたことのある修道院に行かれるというなら、一応安心だ。あそこは国境線に近い。人質にとられたり、連れ去られたりしないよう、ゼノアの軍隊でお守りすることが出来る。残念ながらこの先マノカイは内戦状態になるだろう。」
リョウは一礼して下がった。
リョウは何回か呼ばれ、いろいろな人々の前で証言したが、所詮はただの楽師、彼にお咎めはなく、しばらくすると王は彼を呼ばなくなった。代わりに夜間呼び出しを食い、静かに楽器を弾いたり低い声で心が安まるような曲を歌わされたりした。
噂によると、マノカイは三つ巴の戦いに巻き込まれているようだった。リーア姫は戦に巻き込まれなかった。元王妃は修道院に隠遁し、噂話は聞こえなくなった。
修道院の周りはあたかも暗黙の不可侵条約がかわされているようだった。
「あそこはゼノアに近い。隠遁するにはよい場所だ。」
ラセルが地図を指し示しながらリョウに説明した。
「サーシャかリップヘンのどちらかがリーア姫と結婚すればゲームオーバーになる。もし結婚相手がホルスト公子だったとしても同じだ。だが、ホルスト公子は現在のところリップヘンの母上の愛人だからそれはむずかしいな。」
「ゼノアに年頃の王子がいれば、それこそリーア姫に再婚をお願いすることになるところだが、ドウゴ王子はもういない。まあ、他国によこしまな欲は出さないほうが良いのだろうけれど。政治とはそんなものだな。」
リョウはリンゲルバルトに乞われて、彼の軍で員数外の士官扱いを受けることになった。
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