第16話 なにかやらかしたゼノア王子の死

「ナイ儀官、すぐに動ける者を連れて野辺の会場へお出向きください。リンゲルバルト様もご一緒に。私は何とか始末をつけて後を追います。早ければ早いほうが良い。王子様が危のうございます。」

 しばらく沈黙が続いた後、リョウが言った。

 

次から次へと別の早馬が走りこんでくる。リンゲルバルトが大声で呼びとめ、事情を聞こうと試みた。

「ゼノアの者だが、ドウゴ王子の行方を知らぬか?」

「存じません!王宮へのお使いですので失礼します。」

 何名かが大急ぎで走り去った。

「野辺の会場まで案内できる者をすぐつれて来い。」

 リンゲルバルトの大声で、ゼノア護衛隊は十数名が大慌てで軍備を整え騎乗した。

 ナイ儀官とリンゲルバルトはゼノア護衛隊と土煙を上げて出て行った。リョウは残りの兵と相談して、いつでも帰国できるよう荷物をまとめた。事態が悪化すると、ここには戻れないかもしれない。

 彼はマノカイ側に挨拶すると、案内人をつけてもらって彼も野辺送りの会場へ急いだ。

 不吉な予感がした。ウマに必死に乗りながら(こればっかりはそう簡単には習得できなかった)、リョウは悪い予想しかできなかった。ドウゴ王子は、付き合いの短いリョウの目にさえ、危なっかしい人物と映っていた。だが、肝っ玉が小さく、つまらない失敗を仕出かし物笑いになることはあっても、たいしたことは出来ないだろうと踏んでいたのに、どうしてそんなことになったのだろう。

 

 雨脚は強く道はぬかるんで悪かった。まずい事態が起こりつつあることに間違いはなかった。

 もうひとつ、おかしいなと思ったのは、自分のことだった。

 リョウは本来は楽師であって、こんな騒ぎになった場合の発言権は全くないはずだった。というより、そもそも旅の始めから、貴族でもなければ軍人でもなし、王家に仕えた期間も非常に短い彼がナイ儀官のような高位の貴族や大軍の将であるリンゲルバルトと対等に話しをしているあたりがおかしいはずだった。だが、なんだか気がつくと誰も彼もがそれが当たり前のように思っていて、普通にリョウに相談を持ちかけ、リョウの意見を参考にしていた。

「ドウゴ王子は、へまばかり仕出かすんだ。」

 隣を走る兵長がリョウに聞こえるように怒鳴った。

「お付きがいないとどうにもならん王子なんて。それを一人で行かせるだなんて。」

「仕方がないだろう。それよりこれは大変なことになった。ゼノア王がなんとおっしゃることか。」

 

 たいした距離ではなかったが、ウマに乗り付けないリョウはへとへとになった。股ずれが出来て内腿が脹れた。後で聞いた話だが、リンゲルバルトはさすがで、小太りで中年のナイ儀官はあっという間に置いてきぼりを食ったそうだ。


 だが、いずれにせよ、リョウがたどり着いた頃には、もう事は終わっていた。


 群集はまだ周りを取り囲み、投石でもしかねない険悪な雰囲気だったが、ウマに乗り自在に駆け回る重装備のゼノア軍兵士にたてつく気はないらしかった。

 そこへリョウを始めとしてさらに軍の人数が増えると彼らはやる気をなくしたらしく、ただ見守るだけになったようだった。

 王妃一行は、追加で派遣されたマノカイの兵士共に厳重に警備されて静々と野辺会場から離れていくところだった。リップヘンの手のものとサーシャやその他の貴族がまとまりなく付き従っていた。


 そして丘の一方に、リンゲルバルトやナイ儀官らしい一行が立ち尽くしていた。


 非常にまずい感じがした。


 誰も急いでいる様子がない。

 急ぐ必要がないということか。近寄りたくない感じだったが、足を踏みしめ近寄っていった。

 ナイ儀官は動揺して震えていた。

「おお、リョウ。」

 儀官は調子の狂った声で呼びかけた。

「どうしたらよいものか。」

 人々は黙ってかつては王子だったものを見降ろしていた。

 それは、人々に踏みつけられ首の骨を折られて息絶えた死体だった。

 豪華な服が泥まみれだった。


 リョウもリンゲルバルト同様黙り込んだ。なぜこんなことに。

「とりあえず、本国に知らせねば……」

 リョウが口を開いた。

「リンゲルバルト殿、早馬の準備をいたします。大急ぎでゼノア王への使者を立てねばなりません。」

 リンゲルバルトがうなずき、彼の部下が走っていった。

「マノカイの者はいないのか?誰でもよい。正式の抗議を行なわなくてならない。」

 リョウが兵士に命じると、ナイ儀官が震える声でささやいた。

「この状況で抗議なんかしたところで、何の意味がある?王子はどう見ても事切れている。いまさらどうしようもないではないか。しかも犯人もわからない。捕まえても下賎の者に違いない。王家の恥になるだけだ。どうせドウゴ王子のことだ、まずいことを仕出かしたに違いない。抗議すれば、ことのまずさが我々に跳ね返ってくるだけだ。」

「しかしナイ儀官、ゼノア王がどんな反応をされることか。私たちが何もしなかったと思われたら……」

「それだ。私はマノカイに亡命したいくらいだよ。」

 ナイ儀官はそういうと思わず顔を両手で覆った。

「まずは、マノカイになぜこのようなことが起きたのか釈明させなければ。」

 黙っていたリンゲルバルトが言った。

「だが、リョウ。マノカイはそれどころではないのだ。リップヘン殿、公妃、サーシャ殿と三者が王位をめぐって対立しており、一触即発の状態だ。内戦一歩手前で、民衆もそれをよく知っていて、いつ暴動になってもおかしくない。大体、抗議するにしても誰にするべきなのか、それがわからないくらいだ。」

「しかし、ゼノア王にご報告申し上げるときに、マノカイからの説明を申し上げませんと、何をしておったのかと、私どもの落ち度になりましょう。」

「……それはそうだ。」

「さらに、マノカイに抗議した実績を申し上げませんと。」

「だがな、それは王には申し上げにくいが、おそらくドゥゴ王子に過失があったのではないかと……」

 リンゲルバルトの部下が数名やってきた。早馬の準備ができたというのだ。

「リンゲルバルト殿、この知らせをマノカイの噂より早くゼノア王の元に届けなければ、ナイ儀官の首が飛ぶ。」

 リンゲルバルトはリョウのささやきに、眉をぎゅっとしかめ唇をひん曲げた。

「そんなことは、わかっている。」

 彼は手短に部下に指令を与えると、出立させた。


 もっとも身分のないリョウが王子の遺体と共に野辺の会場に残ることにし、何とか輸送の手配をつけるべく努力することにした。

 リンゲルバルト殿は、すっかり放心状態のナイ儀官を連れてマノカイに抗議の交渉をしに乗り込むことになった。

 談判の相手が誰なのか気になるところだった。現在、マノカイの王位は宙に浮いている。

「後から参ります。」

 リョウは怒鳴った。

 リンゲルバルトが手を振った。

 リョウはマノカイの野辺送りの低い身分の貴族を相手に大喧嘩をする羽目になった。王子の亡骸を運ぶ手配をしたかったのだが、ドゥゴ王子はよほどまずいことをしでかしたらしく、マノカイの担当者は徹底的に反抗的だった。ゼノア王の威光をかざし、王太子を殺害した犯人になりたいのかと脅し、リンゲルバルトの軍で威嚇してようやくいうことを聞かせた。

 数時間後、馬車をしつらえると大急ぎでナイ儀官らの後を追った。武装した軍が必要と思われたからだ。もう暗くなりかけており、彼らの王妃様がいなくなってしまった野辺送りの場に残っている兵や民は今やほとんどいなかったが、雰囲気は険悪だった。王宮の近くも、ゼノアに対して雰囲気がいいとは思えない。うわさは千里を走る。

 その前に彼はリンゲルバルトの将兵のうちで、気の利いた若者を呼び出してもう一人早馬をラセルの元に差し向けた。

 マノカイは王を失い混乱している。ふつう世界史では、国の混乱に乗じて隣国が攻め入ってくるものだが、この国ではどうなっているのだろう。ただ、リョウもゼノア国王夫妻のことは知っていた。ゼノア王の判断は大体常に間違っていた。それは貴族の誰もが知っていた。ラセルが政治のほとんどを掌握していたのはそのせいだった。ゼノア王は文化人だったが、政治家向きではなかった。

「ゼノア王陛下には早馬を差し立てたが、ラセル様にも事情を報告申し上げようと思う。」

 これはいわば勝手な行動だったが、ナイ儀官のクビを胴体につながったままにしておきたかったら(政治的な意味でなくてそれこそ物理的な意味からも)、おそらくラセルに頼るしかなかったろう。

 野辺の会場とマノカイの城との間を狂ったように往復しながら、リョウは頭を抱えた。

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