第10話 リーア姫の政略結婚
王の会食で、口の出血に困りながら弾いて歌って、夜遅くラセルの館に戻ってきた。
リョウは複雑な気持ちだった。
ラセルとリップヘン。この世界の王族に属するふたりの高貴な男と、もっとも高貴な血筋の美しい姫。
ラセルは妻と子供が居る。この妻は王が世話したのだが、王がラセルを嫌いなのでわざわざ嫌がらせのためにこんな女を選んだのかと疑いたくなるようなシロモノだった。
痩せていて顔色が悪くいつも前かがみになって歩いていた。そのほかに服のセンスがなく、何を着ても似合わないのは我慢するとしても、なぜかTPOに合わない衣装を選ぶ傾向があった。家柄も悪いわけではなかったが、ラセル殿ほどの生まれに釣りあうかといえば釣りあわない。なにか取り柄があるでもなし、最も始末が悪かったのが夫を愛しているところだった。この愛はやきもちという形で発揮され、時折ラセルはそれはそれは気まずい思いをした。せめて、人前に出ないでいてくれたらと内心ラセルは思っているに違いなかったが、公式の晴れがましい席に夫とともに出席するのが大好きで、誰も止められなかった。
もっとも、王妃とその子ども達も、素直にほめにくい性格で、使用人の間ではひそかに噂になっていた。さすがに王の一家となると、表立って悪口を言う者はいなかったが、家来どもはこっそり陰で王子のことを上っ調子で分別も落ち着きもない若造、王女のことはでしゃばりで見るに耐えないご器量だとうわさにしていた。リーア姫は誰からも忘れられていた。彼女には何の権力もなかったのだ。
王宮のホールからラセルの部屋まで戻る途中で、リョウの頬の具合をつくづく見てラセルは尋ねた。
「そのケガはどうしたんだ。またリップヘンか。」
リョウは頭を下げた。何も言われなくてもラセルはわかったようだった。
「そうか。どうもいつもと違うと思った。まあ、今日はみないろいろと忙しかったから歌の方はあまり聞いていなかったかもしれないが…。」
ラセルは太いため息をつくと城に入り、リョウを部屋に招きいれた。
「お前に言わなくてはいけない。リーア姫は来月マノカイの老王に嫁ぐが、お前はお付きになってマノカイに入れ。そして姫を守れ。」
リョウははっとした。
「よいか?意味はわかるな?お前は楽師だからお付きとしてマノカイに入国することが出来る。だが武人達はそうはいかぬ。誰一人として付き添えない。お前ならできるのだ。行って、姫を守れ。」
彼は武人でなく貴族でもなく、ただの王室の飾りだった。楽師なら入国できるのだ。
「お前が剣を使えないのはみんなが知っている。だが銃は使える。外国人なので言葉がわからないと思われているが、そんなことはない。お前は忠実な部下だ。私に不利なことは決してしゃべらなかった。知っているぞ。だからお前を選んだ。姫君を守るのだ。」
リョウは深々と頭を下げた。そして言った。
「承知しました。」
それだけでラセルはわかったようだった。リョウはラセルの前を辞去した。
もうずいぶん遅い時間で、城の中で誰かが起きている気配はなかった。兵舎に帰るため城を出ると、外は雨が音もなく降っていた。
リョウの心のなかで、リーア姫はほのかに光り輝き、その傍らの暗闇にリョウは静かに控えていた。
「あの方を守る。」
冷たい雨に顔をさらしながらリョウは兵舎に帰ってきた。雨が全然気にならなかった。
姫は彼の決意をまったく知らないだろう。
だが、万一何かあったとしたら……彼にできることがあるとしたらその時は……。
マノカイと婚姻関係を結ぶことは、ゼノアとマノカイの間では関係を保つためによく用いられる手段だった。王子が死んでしまったのでセレイ姫との結婚がおじゃんになり、新たな縁を結ぶ必要に迫られたと言うわけだった。
でも、マノカイの老王は、つい先ごろ死んでしまった彼の息子に劣らぬくらい死人に近いといわれていた。
「リーア様がおかわいそうだ。」
誰も口に出さなかったが、この結婚はリーア様を嫌う王妃と子供たちの差し金とささやかれていた。
「リーア様が目の上のこぶなのさ。家柄に非の打ち所がなくて、あれほどお美しい方は見たことがない。」
「本来ならもっとも王冠に近いお方だ。」
「そう、だから、なまじっかな方との結婚は許されない。なぜなら、結婚した相手が王位を狙えるからだ。王族との結婚以外は考えられない。」
「だが、だからといって……」
噂によれば、姫君は泣き暮らしているとのことだった。
「無理もない。いくら王家の姫には政略結婚がつき物とはいえ、死に損ないのジジイの嫁だ。まるでいけにえだ。王妃の再婚など聞いたことがないし。」
「あんなに美しい姫様を……」
「姫様には、思う方がおいでだとも聞いたぞ。」
「それは噂だよ。だが、ほんとだったら、お気の毒なことだなあ。」
リョウは黙って、着々と進む婚礼の様子を見聞きするだけだった。ほかの兵士達と同様、そんな雲の上の話にリョウはまるで関係がないはずだったからだ。彼がリーア姫のお付きとなってマノカイに渡ることは、誰も知らなかった。リップヘンが知ろうものなら、(リョウの意向とは関係なくても)鉄拳が飛んでくるに決まっていた。命が惜しければ黙っている方がいいに決まっている。骨でも折られたら、お付きになれなくなってしまう。
いつかリップヘンに殴られたとき、彼はマノカイの国王ではない別の男性に抱かれるリーア姫の姿を夢に見たことがあった。
「誰なのだろう?」
どう見てもまだ若い男だった。豪華な服を着ていかにも優雅な物腰だった。
「まあ、あの夢だけは間違ってるな。これから死にかけの老人の下に嫁ぐそうだ……。」
リョウは、ぽつりと兵士達の庭に一人で座り込んだ。彼の服はみすぼらしくて汚れていて、彼に運命を変える力はなかった。
結婚式はマノカイで執り行われるのだが、ゼノアにおいても嫁いで行く姫君への式典が行われた。ゼノアの親族は誰もマノカイでの結婚式には参列できなかった。ゼノア側から唯一参加できるのは外交官だったが、これは単なる役職の貴族であって、親族でもなんでもなかった。だからリーア姫とゼノアの面々は、国境まで付き添うラセル殿を除いてここでお別れになるのだ。
国境の花嫁の引き渡しの式場について、リョウは妙な符号を感じた。ああ、あそこもここも。夢で見たままの式だ。
「どうしたのだ」
ラセルがたずねた。
「私は知っている。以前にここに来た。」
黙っているように、ラセルは言った。
彼の顔は真っ青だった。
ラセルは誰にもその話をしなかった。リョウはラセルに黙っているよう言われたので黙っていた。ゼノアでの式が済むと、花嫁はマノカイの首都に向った。しかし、麗々しい花嫁行列は、まったく浮き立ちもしなければ華やかさもなかった。
リョウだって、まるで葬式の行進に参加しているような気持ちだった。マノカイは隣国だったので、旅程も短かったがリョウは毎晩悪夢を見た。
国境まで来るとマノカイの貴族と兵が待ち受けていた。
ゼノアの衆は、お付きの侍女や楽師などを除いてすべてここで帰らされた。
代表で付き添ってきたラセルも、儀式の後、戻らざるを得なかった。
ラセルが最後に見たのはリョウの顔だった。リョウと目のあったラセルの口が動いて、守れと言っているのがわかった。リョウは目礼した。
ゼノアを完全に離れ、いよいよマノカイの王宮に到着した時、リョウはマノカイがゼノアよりもずっと大きな国であることを知った。
城もゼノアよりはるかに大きく、格段に華やかだった。
今、彼も初めて、なぜマノカイの王妃と占われて女官たちが喜んだのかを理解した。
マノカイは大国だったのだ。その王妃の地位は絶大だった。王が老齢で、子も望めぬような状態でさえなければ……。
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