第9話 傭兵隊長リップヘンの高貴すぎる生まれ

「おい、リョウ、どうした?」

 ペチペチと頬を叩かれて、リョウは我に返った。シャハイだった。もう夕方だった。彼はリップヘンに殴られたまま、気を失っていたらしい。


 リップヘンに殴られた話を聞くと、シャハイは暗い顔で言った。

「リップヘンの部下だったら、殺されてたかもな。」

「なぜいきなり殴ったんだろう。何かまずいことでも言ったのかな?リップヘンは王族じゃなかったのか?この前、誰とかのいとこだとか……。」

「シー。」

 シャハイはあわてて、誰も居ないはずのまわりをキョロキョロと見回した。それから小さな声で説明してくれた。

「リップヘンの父は、今のマノカイの王の姉の子に当たる。甥だな。リーア様とはまた従妹に当たる。母親も由緒正しい貴族の家柄、何の問題もなかった。ただね……」

 シャハイはより一層声をひそめた。

「リップヘンの父上はマノカイの立太子のときに候補に挙がったほどの名門だった。ところが勢力争いで負けて、投獄された。」

「そういう場合、子供はどうなるの?」

「リップヘンのことか?彼は表むき王家の血筋だからどうにもならない。だが、リップヘンの父が王位を取り逃がしたのは、妻のせいといわれている。」

「なぜ?名門貴族の娘なんだろう?」

「名門どころじゃない、マノカイ第一の大貴族の娘だ。だが、えらく奔放な女で、ゼノアの軍人と愛人関係にあったんだ。その軍人がゼノア軍をマノカイに手引きしたとも言われている。リップヘンの本当の父はその軍人ではないかと疑われているんだ。リップヘンに王位継承権なしと公然と言われたものだ。リップヘンが荒れたのは当然だ。だが、元々彼は少し常軌を逸したところがある。母親の愛人を殺してしまったため、国に居られなくなり、傭兵の長になった。」

 リョウはさすがに黙った。

「ところで、その愛人とは自分の父なのか?」

「違うね。問題のその男はその前に死んでいるから。別の男さ。」

 リョウは黙った。

「リップヘンの目つきはこわいな。」

「そうだ。しょっちゅう剣を抜いている。おかしいんじゃないかと言われているくらいだ。プライドが高くてね。」

「なぜ、部下がついてくるのだ。」

 何を馬鹿なことを聞くといった風に、シャハイは首をすくめた。

「金だよ。誰だって生きてかなきゃならない。自分だけはうまく死なないで済むんじゃないかと思ってる。傭兵などそんなものだ。リップヘンみたいなクレイジーさがあってちょうどいいくらいだ。」


 ずっとあとになってリョウはこの言葉をいやと言うほど思い出した。

 リップヘンは、常軌を逸していた。

 そのうえ、この前、リョウはリップヘンの、王家の人間じゃないかもしれなというひそかな怖れに触れてしまったらしく激怒させている。憎悪されているに違いなかった。

 それなのに、リップヘンは、夜になると時々リョウを呼びに来るようになった。

「なにか弾け。」

 突然手が出るリップヘンは、リョウにしてみれば非常にこわい存在だった。リョウを呼ぶときは、たいてい手が付けられないくらい酔っ払っていたし、どんな曲が気に入るのかさっぱりわからないので適当に弾くと、いつでもあの小枝が飛んできた。全く迷惑な呼び出しだった。

 ただ、リップヘンもリョウが王の気に入りで、時々御前にまかりこすことは承知していたので、さすがに最初の時のように顔を傷つけることはなくて小枝の鞭は主に腕や足に向けられた。

 始末が悪いのは、曲がとても気に入ったり、気分が乗ったりすると、これまた容赦なく小枝が飛んでくることだった。


「リョウ、その傷はなんだ?」

 しまいにはラセルが気にしだすほどだった。

「別に戦場に出ているわけじゃなし、何だってそんな生傷が増えるんだ?」

 説明するのも大変だったが、ラセルと相当親しくなっていたのでリョウは説明を試みた。ラセルは有能だったが、有能ゆえに王にはとことん嫌われていた。人は自分にない資質を持つ者に対しては、尊敬の念を抱くかひがむかのどちらからしい。王はあいにく器が小さいほうだった。

「王はお前を気に入ってるんだ。私のことは死ねばいいのにくらいしか思っていないが、素敵なおもちゃの持ち主だから大目に見ているくらいだ。」

 ラセルは暗い目つきで、テーブルの上の地図に目を落とした。

「マノカイの王は高齢で王位の行方が危ぶまれている。」

 リョウも手書きの地図を一緒に目で追った。どこがどこだかわからなかったが。

「リップヘンは王家の血筋に連なる者だ。特に彼の父は直系の血筋なのに、こんなときに他国で傭兵の隊長などをしていなくてはならない。あの性格だ。イライラが募っているだろう。」

「マノカイの王に子供は居ないのですか?」

 リョウは恐る恐る聞いてみた。

 「王子が居る。ゼノア王の娘のセレイ姫と婚約している。だが、彼は病気なのだ。」

「病気?」

「そう。生まれつき虚弱だった。セレイは18歳だが王子は12歳。そろそろ結婚しても良い頃なのだが、あれではそうも行かぬ。万一王子が亡くなれば、マノカイは一挙に流動化する。」

「王位の跡目争いですか?」

「そういうことだ。リップヘンの父親はマノカイ王の甥にあたる。もう死んでいるがね。母は名門貴族の娘で、リップヘン自身は本来非の打ち所のない血統だが、本当に父親の子か疑われているのだ。そのほかにはリーア姫が居る。リーア姫の父親は前のマノカイ王の弟、母は前のゼノア王の妹で、両国きっての名門だ。リーア様は両王家の現在の王からすると自分たちよりも正しい血統の方なので、逆に都合が悪いのだ。両親を赤子の頃亡くし、身寄りは現在の二人の王だけ。王家の姫君とはいえ、両親がいないと粗略に扱う者も多い。女性は王になりにくいし、今のところ、忘れ去られたような格好だ。唯一の残った選択肢が、リップヘンの異母弟だ。」

「異母弟ですか。」

「そうだ。サーシャ殿と言う名だ。子供は今12歳になる。母親の一族が後押しするだろう。」


 リョウが王やラセルのお召しに預かって、しげしげと王宮に出入りするようになると、リップヘンのイライラは余計募るようだった。

 王の音楽狂いは貴族たちにあまりよく思われていなかったから、楽師も宮廷では受けが悪かった。いくら宮廷内に入れても、身分が楽師では、できることはなにもない。うわさや情報を仕入れられるはずがなかった。

 リョウが少しだけほかの楽師たちと違っていたのは、彼が空気を読むことにとても長けていた点だった。リョウは華やかな宴会の席では華やかな曲を弾いたし、会合では人々の話し声が聞こえるように静かで気に障らない曲を弾いた。盛り上げるときには豊かな声で恋歌を歌うこともできた。

 リョウがうまい具合に王のお気入りになったので、王に嫌われているラセルにとって、リョウは貴重な情報源になった。リョウは外国人という触れ込みで、あまり言葉がわからないふりをしていたので、王も貴族たちも油断してリョウのそばで好き勝手なことをしゃべった。ラセルはもちろんだったが、リップヘンまでリョウが王宮から帰ってくると必ず呼び寄せて、なにか新しいニュースを聞きたがった。

 リョウは、実は、リップヘンの知りたいようなニュースを良く知っていたが、いつでもとぼけて肝心のことは話さなかった。

 リョウが聞いた話をしゃべっていることがばれたら困ったことになることはわかっていたし、とばっちりは雇い主のラセルのところに行くに決まっていた。ラセルのことは好きだったから、ラセルが困った羽目になるようなことはしたくなかった。

「マノカイの王子様がお亡くなりになられたお話をされておられましたよ。」

 あまりしつこいのと、リップヘンのいつどこで何が爆発するのかわからない性格に長時間付き合うことに辟易したリョウは、当たり障りのない話題を見つけ出そうと必死だった。

「ああ、ついこないだ死んだな。セレイはあぶれたな。あの娘と結婚しなくて済んだのだけは良かったろう。」

「セレイ様のご結婚のお話はございませんでした。」

 リップヘンはケッと言うような声を出して嘲笑した。

「まあセレイ姫じゃおっ付けられても迷惑だろうよ。ブスの上に性格が悪い。おまけにでしゃばりだ。」

 それは事実だった。うっかり笑いそうになったが、神妙に取り繕った。

「誰かの結婚話がでてたな?兄貴のドゥゴの結婚か?マノカイの白髪王に再婚話があるとかか?あんな死にぞこないに誰が嫁ぐっていうんだ?セレイ姫か?」

「いえ、それがリーア様に白羽の矢がたったようで……」

 と言った途端に、リョウも言いたくない言葉を口にした不快感を胸に感じたが、目の前に一瞬で沸点に達したリップヘンを見て自分の不快感はなんだったのだろうと思った。

 次の瞬間、リップヘンの本気の蹴りを受けてリョウは3メートルくらいぶっ飛んだ。

 リップヘンは筋骨隆々とした大男だ。ものすごい音がして、あわてた傭兵どもが走って様子を見に来たが、相手がリョウで、親分がいつもの発作を起こしているのを見ると巻き込まれては大変とすぐにどこかへ消えていった。リョウなら親分も多少は手加減するだろうし、殺してしまったところで親分が自分でどうにかするだろう。

「マノカイ王と結婚か?」

 うめくような声が聞こえたが、リョウはそれどころではなかった。ひじがジンジンして折れたんじゃないかと思ったくらいだ。口の中をハデに切ったたらしく、口中に血があふれた。頭がガンガンする。

 それだけではなかった。リップヘンは倒れたリョウのところに走り寄ってきた。襟首をつかまれ、圧倒的な握力で首が絞まっていく。

「手加減したのに、弱っちい。射撃は俺の部下よりうまいらしいが、腕っ節は女より弱いな。」

 そのとき、案内を請う声が聞こえた。

「そうそう、今晩の夕食にな。歌と音楽が欲しいとおおせられたのよ。リーア様のご結婚が決まりそうなのでな。」

 万力のような手が緩み、リョウは床に落ちた。

 落ちたリョウの体を、まるで物のようにリップヘンの靴が無造作に踏み、そのまま出て行った。

 寝たままリョウはリップヘンを見送った。全く意外すぎて頭が回らないくらいだった。

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