第8話 王宮で楽師デビュー
王宮内はさすがに凝った作りでリョウは感嘆した。
リョウはラセルから召使の頭らしい男に渡され、家来どもの控室のようなところに連れていかれた。召使頭の男は、明らかにリョウのことを面倒に思っているらしく、かなりつっけんどんにここで待っていろと言わんばかりに顎をしゃくって見せて、そのままいなくなってしまった。
ずいぶん長く待たされたが退屈はしなかった。そこからはホールの様子が良く見えたし、給仕の女たちや料理人の男たちが出入りし、王宮の人々がやってくるたび、さまざまにさざめき立っていた。
「リーア様だわ。」
「相変わらずお美しい。」
リーア姫が大きな食堂に入ってくると、女どもが色めきたった。
「本当ならあの方の方がお血筋は正しいのに。」
リョウは目を見開いて、何とかリーア姫を見ようと試みた。姫は背中を向けていた。リョウからは顔はよく見えなかった。
「あら、ラセル様がいらしたわ。」
「王様もいらしたわ。」
リョウが振り返って見ると、ラセルより大分年上の白髪の老人がゆっくり入ってきた。
宴会が始まると女たちは用事に駆り出され、どこかに行ってしまったが、リョウは片隅から黙ってリーアを見つめた。
今は15歳くらいなのだろうか。王宮に来た日に、占いのために垣間見て以来、一度も姫を見る機会はなかった。一介の兵士が姫君を見かけるなんてことはありえなかったのだ。
リョウは姫がこんなに大人になっているとは思っていなかった。体がぐっと大人びていて、それにもかかわらず愁いを帯びた陰のある目元には、あどけなさがどこかに残っていて、「変な男に騙されてはいけない」と猛烈に心配になった。
だがその時、リョウは、リョウだけがリーアを見つめているのではないことに気づいた。
王とそのお付きは悪意の目つきで、リーアを見つめていた。
ラセルの目はリーアにまといつき、リーアだけを見ていた。見咎められないよう気をつけていたが、リョウにはよくわかった。
「へえ……。」
そのとき、呼ばれてリョウは立ち上がった。
こんな曲を弾く予定ではなかったが、彼は恋歌を弾いた。ホールの人々は、おそらくこの国の高位の貴族たちなのだろうが、どうも新しい楽師になど何の関心もなさそうだったのでかえって気楽だった。
だが、曲が終わると、白髪の王はギョロリとリョウを見て言った。
「ほう。今度は歌ってみろ。」
「陛下、この者はリュート弾きですので、歌は……。」
ラセルがあわててとりなしに入り、一方で例のお付きの貴族がニヤリと笑ったのを見た気がした。リョウの失敗とラセルの失脚を期待しているのだ。
リョウは一歩前に出た。お辞儀をして、さっきとは異なり明確に大きな音で前奏を弾き始めた。
陛下が所望したので、全員が黙って聞いた。だが、それはお義理で黙っただけであり、無名の歌手に誰も期待しておらず、うすわらいや悪意のある目つきがリョウに突き刺さった。王の音楽好きは評判が悪かったのだろう。中でもラセルの不安そうな目つきが特に気になった。リョウ自身もこの客層にどこまで彼の歌が受けるか不安だった。
だが、ホール全体にすべるように、深く厚みのある豊かな声が広がり始めると、人々の表情は変わった。彼らは黙り、聞きほれた。
歌が終わっても人々は黙ったままだった。だが、まばらな拍手が片隅から起こり、そのあとほぼ全員が大きな拍手をした。リョウはほっとして静かに礼をした。
小首をかしげて聞き入っていた王はラセルに話しかけた。
「よいな。この者は。ラセル、時々わしにも貸せ。」
「そ、それはもう。」
「そちは、音楽に興味がないものと思うっとった。知らぬ間にこのような者を抱えていたとはな。なかなかのものじゃ。」
リョウはもう一度深く礼をして退場した。
「俺は聞けなかったが、えらく王様に気に入られたそうだな。」
翌日、兵舎でリップヘンが話しかけてきた。
リョウは改めて傭兵の長だというこの男の顔をつくづく見た。
鼻筋が通り、むしろ繊細なくらいの顔の作りだった。ハンサムといっても良いくらいだ。顔だけ見ていると荒くれ者の傭兵の長が務まるとはとても思えない。
「お前は東渡りのジグ人だな。」
リョウはひやっとした。なぜ、そんなことを知っている。
この線の細いくらいの顔立ちの男は、横暴そうな目付きをしていた。
リョウは何も答えず、ただ目礼した。
「いったい誰のためにここに来たのだ。俺のことは占わんのか。」
「占いは気まぐれなものですゆえ。」
「まあ、俺は王家の生まれではないからな。占いたくても占えないかも知れぬ。」
手にした小枝でぱちんとリョウの頬をぶつと、リップヘンはくるりときびすを返して戻っていこうとした。斜めに筋の入ったリョウの頬から血が流れ始めた。リョウはこの突然の仕打ちにあっけにとられた。
「なんだ、その目は!」
リップヘンは振り返りリョウと目が合った。小枝で打つだけでは飽き足らなかったらしく、リップヘンは戻ってくるとリョウを殴った。この男は気違いだ。それともこれがここの流儀なのか?そのたくましい体つきから当然予想できる力だった。不意をつかれて、リョウはバランスを失い後ろに倒れ、頭を打って気を失った。
これは知っている。この感覚は夢だ。だがあまりにリアルで、とても夢とは思えなかった。彼は物陰からこっそり何かをのぞいていた。
豪華な部屋で、中ではローソクが静かに燃えていた。
夢の中の部屋は、正真正銘の王宮の中の一室だった。今ではリョウもその区別がついた。ラセル殿の書斎にしか入ったことはなかったが、この部屋はそれよりもさらに豪華で凝った印象を受けた。壁紙が張られ、寄木細工の床の上にはじゅうたんが敷かれていて、豪華な家具がしつらえられていた。
若い女性が立っていて、男がひざまずいていた。リョウは見てはいけないものを見てしまった気がして思わずのぞくのをやめたが、好奇心に駆られ、ふたたびそっと覗き込んだ。
それはリーア姫だった。たおやかな一人前の女性になっていた。
姫に話しかけている男はこちらに背中を向けていたので、顔はわからなかったが、身なりから見る限り身分の高そうな貴族の青年で、低い声で熱心に姫に話しかけていた。姫君の顔はこちら側から見えた。
なんという愛らしい顔だろう。リョウは心底むかついた。二人はお互いに愛し合っているのだろう。仕方がなかった。考えるだけでも無駄と言うものだ。
暗くてよく見えなかったが、ついにリーア姫が手をその男に差し伸べた。男がその手を押し頂き、ゆっくりと立ち上がって、姫を抱くのが見えた。
失望と落胆と怒り。立ち上がったときの青年が、肩幅が広い男らしい姿をしていて、見たこともないくらい豪華で凝った服を身に着けていたことに余計怒りを覚えた。リョウにはまったく手が届かない世界だった。彼の服はみすぼらしくて汚れていた。
あんな男なら、確かに姫にふさわしいかもしれなかった。いかにも育ちのよさそうな、身分の高そうな、そして金がありそうな、なによりその男はこの世界の人間だった。
二人の面影はあっという間に消えて、次は瞬間的に聞き覚えのない女の声が叫んでいた。
「リーア様、お連れしました。」
リーア様だって?場面は夏の真昼間だった。幼いリーア姫に会ったあの時と全く同じような情景。
太陽の光がさんさんと差し、庭園は緑と花でいっぱいだった。
「ここへ。」
すぐそばから女の声がした。あまりに近くて、リョウはぎくりとした。赤ん坊と幼い男の子を連れていた。
「坊やのご機嫌はいかが?」
衣擦れの音がして、リョウのすぐそばで座っていた女が立ち上がった。
「お昼寝から起きたばかりですが、とてもお元気でございますよ。明日は陛下がお戻りになられますから晩餐会がありますでしょう。マノカイの紋章を入れた産着が間に合わなくて……」
「おい、リョウ、どうした?」
ペチペチと頬を叩かれて、リョウは我に返った。シャハイだった。もう夕方だった。彼はリップヘンに殴られたまま、気を失っていたらしい。
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