第6話 傭兵生活をやってみた

 その日から、彼は門番の兵たちと暮らすことになった。

 みすぼらしい兵士の服を支給され、食事も寝床も彼らと一緒だった。

 リョウは全く勝手がわからず、最初の数日は痩せる思いだった。それどころではない。本当に痩せてしまった。食事をもらえなかったからだ。

 兵舎は城のはずれの目立たない建物だった。後で知った話だが、ここの兵士たちは王宮の警備兵だった。だから兵士でも王宮に住めた。食事も決まった時間に配られていた。リョウは兵士でなかったから食事がもらえなかったのである。

 あとになって彼を連れてきた女官が兵舎の責任者に掛け合って、服と寝床と食事がもらえるようにはなったが、「楽師」と聞いただけで、周りの連中はリョウをバカにした。


 リョウはすばやくその険悪な雰囲気を嗅ぎ取ったが、どうにもならない。特にまずかったのが、リョウが見たところ、ほかの兵士たちから相手にされていない小男だった。

 食事のとり方がわからず、もたもたしていると、後ろから小突く。言葉がまだよくわからないリョウがゆっくりほかの兵士に話しかけていると、まったく関係ないのに、間に入ってきて口を挟む。話しかけられていた兵士も気を悪くするのだが、それをリョウのせいにして、馬鹿だからとか気の利かない間抜けだとか言い始めるのである。

 この男は、リョウを見ると必ずやってきた。そして、立ち居振る舞いから口の利き方まで、いろいろと文句をつけてきた。

 リョウは、鳩を思い出した。上下の順位がきちんと決まっていて、上位の鳩は下位の鳩を際限なくつつきまわすので、狭いところに閉じ込められると下位の鳩は逃げ場がなくて殺されてしまうのだという。


 小男はどう見ても男前ではなかった。目鼻の配置がちぐはぐで、妙にとってつけたような笑いを顔に浮かべていた。笑うと歯がないのが目についた。しゃべるときは母国語なのに結構つっかえていた。頭も悪そうだったし、体つきも貧弱だった。

 好きなタイプではなかった。リョウが言葉が不自由なことをいいことに、偉そうにふるまっているのだと感じた。

 あるとき、食事の列に並んでいると、小男にうしろから蹴られて、リョウは堪忍袋の緒が切れた。

 振り向きざま、リョウはこの小男のあごを力いっぱい殴った。よろめいたところを腹にけりを入れた。小男はぶっ飛んだ。

 彼はよろめいて倒れ、大きな音がした。まわり中が振り返った。

 リョウはしまったと思った。

 兵士どもの仲間を殴ってしまったのである。

 小男はあごを抑えてどもりながら何かわめいている。しかし、周りの兵士たちは、リョウに向かってくるどころか、小男のほうをニヤニヤして見ているだけだった。

「この青二才、間抜けの半人前野郎が!しゃべれもしないくせになんてことをするんだ。なまいきだぞ。この俺にむかってこんなことをして、ただで済むと思うな。命はないと思え!」

 リョウの理解力の範囲では、大体こんなことを怒鳴っていた。リョウは面倒なことになったと思った。この場の兵士たち全員を敵に回したらここにいられなくなる。

 だが、リョウのすぐそばにいた立派な体格の兵士はリョウに向かってニヤニヤしながら言った。

「なかなかいいパンチだったな、小僧。」

 リョウはちょっと驚いて、その兵士の顔を見た。

「お前のような若造でも、そりゃ我慢しかねるだろうて。」

「我慢?我慢してやってるのはこの俺だぞ?!殺すぞ、この!」

 そのあとはなにかリョウにはわからない最大限の悪口らしかった。リョウに話しかけてきた兵士がちょっと表情を変えると、わめきたてる小男の顔のあたりを靴のまま蹴っ飛ばした。小男は床を転げ、鼻血が飛び床を汚した。

「掃除をしとけ、この野郎!できてなかったら、どうなるかわかってるだろうな。」

 立派な体格の兵士はそう怒鳴ると、怒ったらしくすたすたと行ってしまった。

 見ていたほかの兵士たちはちょっと笑ったが特に反応を示さなかった。

「お前もあんなのに絡まれて大変だな。」

 一人が笑ってリョウに話しかけた。リョウは驚いた。リョウは小男をなぐったことで、兵士たちから認められたのだった。




「なんで銃なんかが好きなんだ。男なら剣だろ。銃なんか止めとけ。こんなもん、たいして役にたたん。」

 シャハイはリョウをよくからかった。シャハイはリョウとよく話すようになった兵士仲間だった。リョウが銃ばかり使うのでそう言ったのだ。


 ここの銃はマスケット銃の一種だった。ズシリと手に来る重さだった。

「俺はリュート弾きだ。」

 リョウは首を振った。

「剣なんかつかえないよ。銃なら何とか……。」

「リュート弾きの銃だっておかしいだろ。それじゃダメだ。男じゃないぞ。それになんで俺らの仲間になんないんだ。」

 シャハイの言っているのは、彼が中心になってやっている賭博のことだった。

「賭ける金がない。」

 シャハイは困ったようだった。

「まあ…それはそうだな。勝てば返すってことで、貸してやろうか。」

 と言うシャハイも無一文であることをリョウは知っていた。

「お前も貸す金はないだろ。」

「お、おい!何を言う。借金を払わんやつがいるからだ。人聞きの悪い。」

 シャハイのたわごとに苦笑して、リョウは立ち上がった。

「俺をバカにすんじゃねえ。おまえなんか無一文の上、知り合い一人もいねえくせに。」

 リョウは立ち上がってリュートを弾いた。

 夕食後、暇そうに火の周りで車座になってカードをしていた連中が、リョウの音に聞き耳を立てた。

「おお、弾け弾け。いいぞ。」

 リョウは彼らが好きだという曲を弾き始めた。リョウが歌い始めると彼らも歌い始めた。火のあかりが歌う男たちの頬にちらちら映え、傭兵どもの荒れた生活にわずかな彩を与えた。


「うるさいッ。」

 夜中の歌謡大会はやはりまずかったらしい。癇を立てたらしい高級女官が飛び込んできて歌は終わりになった。責任者の兵士が女にがみがみ怒られていた。

 リョウは責任を感じた。騒ぎを引き起こした張本人は後で憎まれるかもしれない。

 彼は、兵士にねちねちと訓戒をたれている中年女のところへまかり越した。

 二人の間につつましくひざをついて割り込むと、小さな音で繊細で物悲しいメロディーを少し弾いて、わざとたどたどしく言った。

「姫君様にお詫び申し上げます。」

 女官は眉を吊り上げた。

「姫君ではありません。」

 リョウは驚いた。短い時間だったのでよく覚えていないが、この女は、最初に彼がこの城に来たとき、リーア姫の所へ彼を連れて行ったあの女ではなかったか。

「なにとぞお許しを。」

 だが、リョウの顔にはどんな表情も浮かんでいなかった。彼は何食わぬ顔をして、覚えたての流行曲を弾き始めた。女の顔が見る見る緩んだ。

「次からは気をつけるように。」

「ハイ。」

 彼女は兵士共に背を向けて、王宮の方へ戻った。

 遠巻きに様子を伺っていた兵士共はほっとしたようだった。

「ウン、今回はご機嫌だわ。うまいことやったな、リョウ。」

「あの女性は誰ですか?」

 がみがみ怒られていた兵士がちょっと笑って答えた。

「マリガ様だ。リーア姫様のお付きだ。リーア様の部屋が近いので、よく聞こえるんだろう。リーア様はマノカイの姫だからな、どうしても冷や飯食いなんだ。兵舎に近いところに部屋を割り当てられて怒ってるんだろう。」


 リーア姫の部屋が近いので…。リョウはその女が去ったほうを見た。リョウは王宮のどこに誰が住んでいるのか知らなかった。彼には縁のない世界だった。


 リーア姫はあそこにいるのか。

 建物の窓にぼんやり明かりが点っていた。

 一緒に遊んだ時と比べると、その距離には今や大きな隔たりがあった。

 文字通りリーア様は深窓の姫君で、リョウは誰にもその存在すら知られぬ一介の兵士だった。戦争がないので、兵どもは暇そうに博打に興じたり、けんかをしたりして過ごしていた。この世界に長いわけではないので、よくわからなかったが、この生活は底辺に近いほうなのではないかとぼんやりと感じていた。本もなければ音楽もなかった。

「リーア様の……」


「失礼な連中さ。マノカイ、ゼノア両王家の血を引く姫君を冷遇するだなんて。もっとも姫君は誰だか知らんが白馬の王子様にあこがれていつか会えると夢を見てるちゅう話だしな。くだらん。」

 大きな声でこう言いながら、恐ろしく大柄の男が完全に酔っ払って現れた。兵士の顔が引きつった。

「リップヘン様だ。」

 誰かがささやいた。

「白馬の王子だと。ケッ。バカか。」

 兵士たちはクモの子を散らすようにその場を去っていった。リョウも、彼は勘のいい男だったから、一緒になって逃げた。

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