第2話 実は男子禁制だった
その大元締めの女は、明らかにほかの女達とは違っていた。
やせて背が高く、冷酷な顔立ちだった。
大広間の大きくて重い木の扉の隙間からこっそりのぞいて、一目でリョウはこの女が嫌いになった。
いじわるのリーアのお付きの尼僧が緊張して、口元をへの字に曲げて立っていた。
暗い尼僧院の大広間に呼ばれ、リーアはおびえていた。
他の女達も同様におびえていた。
留守中に不手際があったからだ。
リョウのことだ。
「なぜその者を姫君のそばに行くことを許したのだ。」
「そ、それは…その者が…」
「お前達の無能にはあきれる。なぜ、さっさと縛り首にしなかった?」
リョウは震え上がった。この女ならやりかねない。
「しかし、私どもは王族ではありませんので、祟りを受けます…。」
「おだまり。何を訳のわからないことを。」
顔色を変えたその尼僧は必死の小声で訴えた。
「その者は東渡りのジグ人でございました…もし本当にリーア様のところへ現れたのだとしたら…」
「ジグ人?ばかなことを。ジグ人など昔話に過ぎない。連れておいで。」
女は別の尼僧に合図した。
大広間の外に待機させられていたリョウは、うながされて大広間の中に入った。
暗い火影に照らされて、女はリョウを冷たく眺めた。
リョウも女を見返した。
彼女は意外そうな顔をした。
「なんと、この者はまだ子どもではないか。悪魔と契約するような歳ではないだろう。」
リョウは驚いた。
「子どもではありません。」
彼は言った。
「おだまり。」
彼女はリョウを上から下までじろりと見た。
そして、視線が彼の指先までたどり着くとそこで彼女の目は止まった。
リョウにはわけがわからなかった。彼の左手に何があるというのだ。
他の女どももリョウの左手をみつめた。
「あ、悪魔の印…。」
威厳ある女の声がかすれた。
「ですから、私どもの手には負えませぬ。姫君様とあなた様だけが、祟りを受けずに…」
「おだまり。」
女はリョウを見た。
リョウはまずいことを仕出かしたような気がしてきはじめた。
彼には見当もつかなかったが、指輪がまずいのだろうか。
彼はゆっくりと手を上げ、指輪を彼女達に向けた。
途端に大広間中に悲鳴が響いた。
「姫に向けるな!のろいをかけてはならぬ。」
侍女どもは悲鳴を上げ、気丈な大元締めの女すらが顔色を変えた。
リョウは黙って指輪をはずした。
大分前に別れたのだが、その顛末を人に説明するのが面倒で付けっぱなしになっていただけだった。ここでは誰にも言い訳なんかする必要がない。
「やめろ!」
女が叫んだ。
「はずすと呪いは飛び散る。お前は死ぬ。」
リョウは眉をしかめた。
「死にませんよ。」
「悪魔の契約を反故にするのか?約束を破るとその者は死ぬ。」
彼以外、全員が顔色を変えていた。
「東渡りのジグ人は死なない。」
リョウは言ってみた。
礼拝堂の中はローソクの光で、オレンジ色に揺らめいていた。
とてもみにくい年を取った女達が彼の周りを囲み、恐怖の表情で彼を見つめていた。異生物を見るような目つき。
「出て行け。」
大元締めの女が言った。
リョウは黙って頭を下げた。
「マーシャさま、あまりそのようにおっしゃると呪いが…。」
尼僧が震え声でささやいた。
「私は王族だ。呪われたりはせぬ。」
「今夜一晩は泊めてください。」
リョウは静かに言った。
女達は肩で息をしていた。騒ぎに男達も集まってきていたようだったが、男子禁制の場所の上に、東渡りのジグ人と聞いては手出しも出来ず、ウロウロするだけだった。
リョウだけは落ち着いていた。女達は誰も彼を止めず、できるだけ距離を置いていた。
彼は一礼すると大広間を出て行った。誰一人、彼に声をかけなかった。
「東渡りのジグ人…」
リーアはよくリョウにそう呼びかけていたが、リョウはリーアが付けたただのあだ名だと思っていたので、気に留めていなかった。
だが、それには意味があったのだ。
女たちのおびえよう。昔からの真偽のほどもわからない、言い伝え。
そして、ここの現実なのか夢なのか見極めのつかない不思議な生活も、明日でおしまいらしかった。
明日からどうやって生きていけばいいのだろう。
この世界では、ほかには誰も人を見たことがなかった。
どこへ行けというのだろう。
自分がいなくなったら、リーアは明日からどうするのだろう。
不安なその晩見たリョウの夢は、誰かの結婚式であった。
荘厳な教会の中で、威儀を正した人々の中の花嫁衣裳の娘は、その姿を一目見た人々が思わずざわめき立つほどの美しさであった。
リョウは隅の目立たないところで、おかしな服を着せられて控えていた。
その場所からも、たおやかな姿は見えた。
あれは誰なんだろう。
リョウは花嫁に見入った。
遠くからなので、顔立ちははっきりとしなかったが、周りの人々のざわめきからよほどの美女なのだろうことは想像がついた。
そのとき、リョウの隣で、同じように縮こまっておとなしく参列していた男が身じろぎした。そして非常に低い声でリョウに話しかけた。
「ついにリーア様がマノカイの王妃になられるとは…。」
リョウはその男の顔を鋭く見つめた。見たことのない男だった。その男は旧知のようにリョウの顔を見返し、眉をしかめた。
「マノカイ?」
どこかで聞いたような名前だ。呪文なんだろうか。
「おまえは知ってたのか?東渡りのジグ人だろう?」
「リーア様の結婚?」
隣の男はため息をついた。
「ああ。まるで葬儀のようだ。」
「また夢か。」
翌朝はどんよりした雨だった。
なにか不吉な夢だった。
だが、リョウは昨日のことを思い出して不愉快になった。
不愉快というより、不安だった。ここから出てゆかねばならないのだ。でなければ縛り首だった。
「大好きよ、リョウ。ずっとここにいてね?」
リーア姫は泣きリョウはうめいた。
「元々ここは男性禁制なのでは?」
食べ物を分けてもらおうと、リョウはリーアと一緒に台所に行った。彼だって出て行きたいわけではなかった。
尼僧院は居心地がいいとはお世辞にもいえなかったが、外の世界がどんななのか、彼には見当もつかなかった。そろそろ寒くなってきたし、こんな季節に追放されるのはありがたくなかった。
しかし、昨日の女は真剣だった。本気で縛り首になるかもしれない。
「そうよ。男は絶対に入ってこないわ。侵入者はすぐに縛り首よ。」
「えッ?」
何週間もたって初めて知って、リョウは仰天した。
「東渡りのジグ人は特別よ。縛り首なんかにしようものなら、どんなのろいがかかるか知れやしない。だから誰も手出しできなかったのよ。それにあなたは私のためにここに来たのよ。ジグ人は王族のところにしか現れないのだもの。ずっとここで暮らして。私はあなたが大好きよ。」
「いられないよ、リーア。出てかなくちゃ。」
何かの運命でここへ来たのか?リョウは涙で汚れたリーアの顔を見て、夕べの夢を思い出した。この子どもの結婚式を見たのだろうか。
リョウは台所の下働きの女中を見た。言葉が良く分からないが、おおむねのところは分かる。なにかおびえている感じ。
来たときから、女たちの間に漂っていた感じ。それは恐怖だったのだ。それが昨日、言葉に出されてしまったことで一層恐怖を強く醸し出しているのだ。
不吉なものを見るような、未知のものを恐れながら見ている感じ。
「食料を分けてください。」
リョウは言った。
「大丈夫。呪ったりしないよ。」
緊張しきった若い女中にリョウは笑いかけた。彼女は緊張が過ぎたのか泣き出した。
「こんな幼い少年が、どうして悪魔と契約して魂を売ったのか。」
リョウはイライラした。
「私は自分では中年だと思っているんだがね?」
今度は彼女はヒステリックに笑い出した。そして壁に掛けてあった飾りを貸してくれた。
リョウは、けげんそうに受け取った。それは鏡だった。そういえば、この世界に来てから彼は自分の顔を見たことがなかった。鏡は高級品らしい。
うながされてリョウは鏡を覗き込んだ。
鏡に映る顔を見て彼は言葉を失った。
中年ではなかった。それよりも鏡の中にいた者は、知っているリョウではなかった。
そこに映っていたのは、とても若い男だった。いや、まだ少年だ。全然知らない顔だった。リョウは衝撃を受けた。これが自分?
鏡の中の少年は、彼が頭を動かすと同時に頭を動かし、首を振ると一緒に首を振った。
「かわいそうに。鏡を知らないのね。」
若い女中の言葉にはむかついたが、本当にこれが自分なのだろうか。
鏡の中の若者はかわいらしいくらいだったが、よく見ると目だけは違っていた。大人の目、落ち着いて静かな目。
「いい加減にしないか。」
台所のドアが突然荒々しく開けられ、例の大元締めの女が入ってきて叫んだ。後ろには、尼達が怖そうに付き従っていた。
「早く出て行くように。リーア様はご自分の部屋に戻られるよう。」
「奥方様。」
リョウは静かに言った。
「おいとまいたしまする。」
外はもう秋だった。
彼がこの場所に来た時は、多分春の終わりか夏の初めだった。
ここらの冬はどんななのだろう。
細かい冷たい雨が降り始めた。
これからどうすりゃいいんだ…。
背中の方でリーア姫の泣き声が響いた。
尼僧院の回りをぐるっと取り巻く低い塀には、近道になる木のくぐり戸があって、そこから森への道と、知らないどこかへ行く道に出られる。
今日は森へは行かない。雨に濡れて冷たいくぐり戸の取っ手を回し、思い切って彼は尼僧院から出た。
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