仮面のしらべ 2

「お久しぶりです、兄上」


 そう言って、宴の主催者は軽く一礼した。レナードは、ぎこちなく身じろぎした。


「…兄上なんて、呼ばれる資格は、俺にはない」


 壁際に寄りかかるように立っていたレナードにならって、ピエロのような仮面を付けた青年は、壁に背を預けた。


「僕だって、公爵家を継ぐ資格はないはずでしたよ」

「…お前のそれは、正式なものだ」

「どんなに邪魔でも、必要としていなくても、ね。それなら、兄上が僕の兄上だということだってそうでしょう?」


 口調は飽くまで淡々としていて、むしろ、楽しそうな響きさえ感じられる。しかしそれでもレナードは警戒してしまい、そんな自分に嫌悪する。

 裏切ったのは自分で、弟ではない。


「兄上は、きっと警戒なさっているのでしょうね。恨まれているはずの相手からほどこしじみた扱いを受ければ、そうも思うでしょう」


 仮面の下の顔は、どんな表情だろうか。


「けれど、考えてもみてください。兄上が上等の道を逸脱したおかげで、本来ならうち捨てられるも同然の扱いのはずだった僕に、こんなにきらびやかな生活が回ってきたのですよ。王に近しい血筋。何かあれば、王位にさえ就けるかも知れない位置に、僕はいる。つらい労働もせずに、人に指示を出す立場で。素晴らしい生活ではありませんか?」

「――本当に、そう思うか」

「ええ」


 仮面の下で、今自分は、どんな表情をしているのだろう。


「やだなあ、眉間にしわ寄せて。その癖、まだなおってないんですね」

「え?」


 わずかに変化した調子に、レナードは、思わずまじまじとアーロンの顔を見てしまう。むろん、仮面で、何が判るはずもない。

 そんなレナードの反応に、くすくすと、ピエロの仮面を付けた青年は笑った。


「こう言えば、複雑ながらも兄上は安心するかも知れないけれど、残念ながら違いますよ。僕は、それはそれは悲しんだんです。そのことは、きっちり知って置いてもらわないと厭ですよ」 

「え。な。な――あ? だ、騙したのか、お前?!」


 叫びかけた声を慌てて押し殺して、レナードは目をいて弟を見つめた。ピエロ面の青年は、くすくすと、楽しそうに笑う。


「騙しただなんて人聞きの悪い」

「――忘れてた。お前は、仮病を使うのが、それはもう上手だったな」

「あはは、懐かしいなあ。だけど、いつも兄上には見破られてましたよ。鈍りましたね、兄上」

「…久しぶりだな、アーロン」

「本当に」


 にこりと、笑った気配がした。みで両端の上がった口は、ピエロの仮面に、実に良く合っていた。


「まさか、合った途端にペテンにかけられるとは思わなかった。お前、俺よりもずっといい性格になったな」

「誉め言葉と取っておきますよ。ありがとうございます」


 言って、アーロンは軽やかに一礼して見せた。

 そうして、ピエロは微笑む。


「兄上。兄上は昔、僕に、自分のために動いていいと言ってくれました。だから僕は、好きにやるつもりです。どうぞ、遠くで結果を見てください。その結果がどんなものであれ、できるなら、よくやったと誉めてください」

「何を――」

「兄上。もう、会えるのはこれが最後でしょう。僕たちを置いていったことを少しでも気にむなら、どうか、この地を離れてください」

「お前は、何を――」

「お願いします」


 笑みを消したピエロは、夜中の置物のようだった。

 そのまま立ち去ろうとする弟に、最後の声をかける。


「なあ。俺を――恨んだか?」

「兄上。昔も今も、僕はあなたを兄上と呼べることが嬉しい。僕の家族は、兄上と姉上だけです。だから――とても悲しかったんですよ」


 背を向けた青年は、するりと踊る人々にまぎれ、判らなくなってしまった。

 レナードは、しばらくの間だ呆然と立ち尽くしていたが、近くの扉から、外に出た。夜気に触れるのとほぼ同じくして、仮面を外す。

 吐息は、かすかに白かった。


「あれのどこが、愚かな若造だ。まったくあいつは、仮病が上手い」


 呟く声に、力はない。

 ただの、ひとごとだ。


 夜空に凍る月を見上げて、真実のピエロは――道化は、愚者は誰だったのかと、らちもない思いをせた。

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