第5話 【ディーナ】
食堂に入って来た男たちは、一人は壮年、もう一人は若者だった。
私は彼らを知っている。
知っているというか、親しいと言ったほうが正しい。
よく会うし、よく会話をする仲だ。
壮年の男――シギは、私の席にやって来て、おもむろに口を開いた。
「今までここにピアーズが居ただろう。お前と話していた」
その口調は質問ではなく、むしろ確認だった。
私はスプーンを置き、シギを見上げた。
「ええ、話していたわ。食事をしているところに、彼が来たの」
何の感情も込めずに事実を言い、背の高い彼を改めて観察する。
茶色い髪に、彼の故郷を思わせる草原のような緑の瞳。
だが、左目は潰れている。
額から頬まで縦に付いた剣創が痛々しい。
その傷跡が無ければ、ハンサムと言っても良い。
彼は成熟した男性の雰囲気を、いつも纏っている。
そんな彼を私は尊敬していたし、好感を抱いていた。
「私には話してくれなかったんだけど、ピアーズはここに来る前に何をしたのかしら?」
「俺らの葡萄酒を掠めやがった。今や貴重な、ユドゥス産の葡萄酒をな」
ユドゥスは、彼らの祖国だ。
否、祖国だった。
彼らもまた、私と同じく、もはや帰れる国を持たない人たちなのだ。
「それは……褒められたことではないわね」
ピアーズに対して、私は内心呆れた。
相手が激怒すると分かり切っている物を、わざわざ盗んで来ることもないだろうに。
しかも、その相手が手強いという事も、分かり切っているのに。
「彼は裏口から出て行ったと思うわ。追いかけるなら今のうちよ。もっとも、瓶の中身は空になっているかもしれないけれど」
「追いかける気はねえ。今度会ったら、落とし前をつけてやる。……普通なら、葡萄酒ごときでガタガタ言うつもりはないんだが、ユドゥス産の物となると、兵たちの士気に関わるのでな」
シギは肩をすくめ、一緒に居る若者に席を外すように手振りで指示した。
若者は一言も発することなく、すぐに居なくなる。
店の外で待つことにしたようだ。
「……夜襲、ご苦労だったな」
シギは言いながら、先程までピアーズが座っていた椅子に腰を下ろした。
「ええ、本当に。あんな経験は出来ればしたくないものね」
「イチかバチかってやつは、誰でもやりたくねえもんさ」
彼は給仕を呼び、麦酒を一杯注文した。
その間、私は少しずつスープをすする。
「……奴ら、また攻めて来るでしょうね?」
「ああ、おそらく援軍を呼んでな。ハーベックは奴らをヘラルザント平原で迎え撃つつもりらしい」
「ヘラルザント平原……」
「今度は本当にガチだ。そこでしくじったら、この国も殺られる」
シギは右目に鋭い光をたたえて、私を見つめた。
私は彼の緑色の瞳を見つめ返し、それからゆっくりと頷く。
彼の顔立ちは精悍で、草原で生きてきた男性の力強さを感じさせた。
先述したようにハンサムでもあるし、知的な顔つきでもある。
しかし、『精悍』という言葉が最もしっくりくるように思う。
「奴らも相当躍起になっている。そりゃあ厳しい戦いになるだろうな」
「勝てる見込みはある?」
「さあな。俺にも分らんよ。直接ハーベックに聞いてみな」
給仕が麦酒を運んで来たので、シギはジョッキを受け取り、その黄金色の液体を豪快に飲んだ。
半分くらいまで飲むと、彼は突然にやりとし、私の顔を見つめた。
「ところで、お前の相棒はどうした?」
彼の言葉に、私はスプーンを思わずぎゅっと握り締める。
「……帰って来てから会っていないわ」
「珍しいな。お前らはいつも一緒なのに」
「夜襲で疲れていたし……部屋で休んでいるんじゃないかしら」
「何かあったような雰囲気だな。え?」
シギは再びにやりと笑った。
わずかに怒気を含んだ私の口調に、何かを感づいたようだ。
「……何も」
「前から聞きたかったんだが、あいつはお前の男か?」
「ただの幼馴染みよ。それ以上でもそれ以下でもないわ」
「ふん、なるほど」
彼は私の言葉を信じていない様子だったが、私は黙って無視した。
「だが、同郷の唯一の幼馴染みだろ?」
「そうだけど、恋人ってわけじゃない」
それだけ言うと、私はスプーンをテーブルに置いて、席を立った。
もはや食べる気がしない。
「失礼するわ」
「おい、スープがまだ残ってるぞ」
「食欲が無いのよ」
「いつメシが食えなくなるかも分からねえ世の中だぞ」
「分かってるけど……、とにかく今は食べたくないのよ。また会いましょう」
そう言うと、私はシギを置いて、食堂を後にした。
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