第3話 【ディーナ】
清潔な服に着替えた後、私は自分の部屋を出て、階下へ向かった。
階段を降り、一階の食堂へ足を踏み入れる。
ひどく騒がしい。
軍隊が凱旋したからという理由で、こんなに騒々しく騒ぐものだろうか。
夜通しの戦いで疲弊している上に、頭が痛い。
こんな雰囲気の中では、更に気分が悪くなりそうだ。
しかし、私は一人、隅の席に静かに座った。
食堂の最も奥まった所だ。
叫び声や歌声、食器等がぶつかる音からは逃れられないが、酔っ払い共に絡まれずに済みそうだ。
すぐに給仕がやって来たので、朝食を注文する。
どんな状況下でも、生きている限り腹は減る。
食欲はほとんど無かったが、空腹ではあった。
それに、先程給仕の女が今朝のスープは美味しい、と言っていた。
いつも見かける給仕の女だ。
親しくするつもりはないが、親切心で教えてくれたのだろうから、食べなかったら申し訳ないような気がした。
程無くして、朝食が運ばれて来た。
私は下を向いて――店内の騒々しい人々を見たくなかったので――、野菜や豆がふんだんに入ったスープをすすり始めた。
口の中の唾液を根こそぎ奪われるような、硬くて大きなパンもかじる。
無理もないが、美味しさを感じない。
あのような戦いの後では、美味しいはずもない。
ただただ、義務的に食べる。
ふと、私の近くにやって来る人の気配を感じた。
緩慢に顔を上げると、そこには見知った男が立っていた。
漆黒の髪に漆黒の瞳。
一見すると痩身のように見えるが、それなりに筋肉が付いており、引き締まった体型。
背も高い。
ハンサムと言っても良いが、野性的な荒々しさのほうが目立ち、貴公子然とした要素は全く感じられない。
彼は片手に葡萄酒の瓶を持ち、私の向かいの席に行儀悪く腰を下ろして、テーブルにドンと足を乗せた。
「夜襲が成功したってのに、シケた面してんなあ」
彼はいつもの調子で言葉を発し、私を面白そうに見つめた。
私は彼を一瞥すると、彼の言葉に答えずに、ただ黙ってスープを飲んだ。
数口飲んで、ぼそりと呟く。
「足をテーブルから下ろしなさい。汚いわよ」
「別に良いだろ」
「給仕の人たちの仕事を増やさないで」
私の厳しい口調に、彼はしぶしぶテーブルから足を下ろし、やはり行儀悪い姿勢のまま、今度はテーブルの下で足を組んだ。
「はいはい、分隊長様には逆らえねえからな。言う通りにしたぜ」
「やめて。私はそんなに偉くない。ただの傭兵に過ぎないわ」
「分隊長だぜ?偉いだろうが。取るに足らねえぺーぺーとは違うだろ」
「私はただ、義務を果たしているだけ。責任はあるけれど、自分が偉いとは思っていない」
私は再びスープを口に入れつつ、彼の手に握られている葡萄酒の瓶を見て、眉をひそめる。
「朝から葡萄酒を飲んでいるの?程々にしないと潰れるわよ」
「葡萄酒は水代わりだ。この国の水は飲めたもんじゃねえ。故郷の水が一番ってやつさ。お前もそう思うだろ?」
「さあ…………故郷の水が美味しかったかどうかなんて、もう覚えていないわ」
自分が思っていた以上に、冷めた口調になった。
しかし、私のそういう口調に特に驚いた様子もなく、彼は葡萄酒を豪快に飲んだ。
「まあ、とにかく、この国の水はイカれてるぜ。毒水とまでは言わねえが、あれはまともな水じゃねえ。都会の水が汚ねえってのは本当だな」
「…………あなたには帰る国がある。でも、私には無い。滅んだ国の水の美味しさなんて、思い出しても意味が無いわ。今いる場所の水で満足なのよ。故郷の水の味はもう思い出せないし、思い出したくないの」
彼は私の言葉を聞いて、肩をすくめた。
「そんなに簡単に忘れられるもんかあ?俺はこの国に来たことを既に後悔してるぜ。今すぐに帰りてえくらいだ」
「祖国を愛しているのね」
私は少しだけ笑って、硬いパンをちぎった。
今朝焼いたパンではないのか、予想以上に力を必要とした。
「そんな大袈裟なもんじゃねえよ」
彼はまた肩をすくめ、長い足を組み直して、ほんの僅かに姿勢を正した。
「そう、そんな大袈裟なもんじゃねえ。祖国愛ってやつを一生持ち続けるとは限らねえだろ。俺らの国だって、いつ滅ぶか分かったもんじゃねえしよ。今は特に、そんなご時世だろ?」
彼は頭を振り、愛国心など微塵も無い、というような仕草をした。
しかしながら、私は知っている。
彼はそんな事を言いながら、実は誰よりも故郷を――祖国を愛しているのだ。
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