花瀬理佐の遠鳴り 其の三
怖気づいてしまった月山は、苦笑いして聞いてみる。
「お、怒ってる?」
「怒ってない」
月山には怒っているようにしか見えない。眉を寄せ、目を少しきつく細めている。声も少し低く、ぶっきらぼうのよう。
『好きな人いるか』と聞くのは、その相手に好意を寄せているパターンが多い。もしそれが事実だったら、と考えると理佐はむっとする。
「どうして怒ってるって思うの?」
と、理佐が聞いた。
「怒っているように見えたから」
「そう」
会話の歯切れが悪い。理佐は目の前にあるコーヒーをブラックのまま口に運ぶ。苦い、と思った。
「で、どうだったのよ」
「どうだったって、何が?」
カップをコーヒー皿に置く。でも、飲めなくもない。後から甘さが際立ち、後味がすっきりしている。
「何て言ったの?」
「『居るよ』って言っておいた」
手をミニフォークに持ち替えて、スイートポテトに生クリームを乗せる。それを一口サイズに切った。咀嚼した後、
「で、その後は?」
と聞いた。
「その後は、『そっか』って言ってた」
程よく甘く、サツマイモが口の中でいっぱいになる。しかし、物足りない。もう一度、スイートポテトにフォークで切り込んでいく、以前よりも力を入れて、大きく。それをパクリと口に入れる。
その様子を見た月山は低い声で、
「機嫌直せよ」
と言った。
「……分かった」
イラっとしているのは珍しい。理佐は素直に受け入れた。「ごめん」と言ってスイートポテトを切り取り月山の口元へ運ぶと、彼は少し腰を上げてそれを食べた。
「美味しい」
「でしょ」
「ねぇ、理佐に聞きたいことがあるんだけど」
「何?」
「橋波さんの様子が変だった事が気になっているんだ」
「と、言うと?」理佐は、ガムシロップとミルクをコーヒーカップに注ぐ。
「そうだな……。スタッフルームに二人だけ居たんだけど、やけに声が小さいし、目を合わせてくれなかった」
スプーンでかき混ぜながら、
「他には?」
と理佐が聞いて、コーヒーをもう一度口に運び、
「泣きそうになってた」
という彼の発言にコーヒーが吹きそうになった。
「な、泣きそう!?」
「そう。そんな顔されると何て言えばわからないだろ」
「そりゃ誰でもそうでしょ」
「でも、どうしてそんな顔されなきゃいけないのか俺にはさっぱりで」
おい月山君、それは間違いなく結衣に好かれていたんだよ。何て言っても彼は首を傾げるだろうと思って、理佐はあえて言わなかった。代わりに、
「君はどう考察してるの?」
と、聞くと彼は唸り始めた。
「……さっぱりわからん」
理佐は大きなため息を吐く。鈍感男を好きになる苦しさも分かる。デリカシーがない返事をされたのだろう。ショックを考えると自ずと溜め息が出る。
「え、何で溜め息」
「その後雰囲気はどうだった?」
「雰囲気も何も、『ごめんね』ってなぜか謝られて直ぐにスタッフルームから出て行った」
泣いているところを見られて恥ずかしかったのかな。月山は、前のめりになって
「何で謝られると思う? 俺そんなことした覚えないんだけど」
と言った。
「ちょっと待って。他に何か聞かれた? 恋人居る、とか」
前のめりの姿勢から背筋を伸ばして、月山はおぉ、と呟く。
「よく分かったね。聞かれたよ」
「それぐらい分かるわよ。で? なんて答えたの」
「居るよって言った」
「私だって言った?」
「いいや。それを言う前に出て行った」
状況をまとめると、スタッフルームで二人きりになったとき、結衣が月山に「好きな人いるか」と聞いた。「居るよ」と答えた。「恋人居るの?」と聞くと、月山は素直に「居るよ」と答えた。泣きそうになった顔を月山に見られた結衣は、「ごめん」と言ってスタッフルームを直ぐに出て行って、残された鈍感な月山君は、首を傾げるしかなかった、ということになる。
理佐は、溜息を吐いた。
「君が唸るのも仕方ないか……」
「今なんて言った? 声小さくて聞こえなかった」
「君の鈍感さが顕在してくれたことにホッとしている自分も憎いわ」
「え? 何の話?」
「君はもうちょっと、恋愛小説を読もう。いや、読んで」
「はぁ」と言って、月山はもう一度首を傾げた。
「ねぇ、私たちの関係、ちゃんと結衣に言ったほうがいいんじゃない?」
「俺には判断しかねるから、理佐に任せる」
「分かった」
袖に隠した腕時計を露わにして、
「もう六時だ。そろそろ古本屋へ行こうか」
と月山が言うと、「そうね」と理佐が微笑む。
二人は立ち上がり、カフェを後にした。
ちなみに、会計は月山が済ませた。
カフェの扉を開けると、冷気が二人を殺風景な冬の世界へ連れて行く。
「さ、寒い」と先に呟いたのは、理佐だった。
「うん、寒いね」と理佐に答える。
「古本屋ってどこら辺?」
「ここから二駅先に行ったところ」
「じゃあ、ちょっと遠いね」
「家まで送るよ」
「ありがとう」
青を背景にネオンカラーが街を彩る街を二人は歩き出した。理佐は、何も施していない手を擦り、吐息で手を温める。
「手袋は?」と月山が聞く。
「忘れた。朝急いで学校行ったから」
「ドンマイ」
はいはいと理佐は言い、手をコートのポケットの中に突っ込こもうとした時、
「ほら、手貸して」
と声を掛ける。え、と声を出すと同時と手を握られる。歩く足が止まる。
「ちょ、何やって」
「いいじゃん。たまには」
もう、と言って顔をそらす。
「あれ? 照れた?」月山は理佐の顔を覗き込む。
「て、照れてない!」
「んー? そういう風には見えないけどなー?」
そらした顔を俯いたまま月山に向ける。真っ赤にした顔を上げて、上目遣い。
「でも、ありがと」
月山は口元を腕で隠して「ど、どうも」と照れる。
「何で諒が照れてんのよ」
「いや、想像以上というか」
「どういう意味よ」
「まぁ、いいじゃん。早く行こう」
「はいはい。分かった」
理佐の右手には、あのスイートポテトが入った袋。左手には、月山の手の暖かさが理佐の体温を染み込んだ。
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