第3話 機械の住人

  言語というのは、その単語の中に割り当て

 られた意味以上のものを持っている。それは、

 イントネーションや細かい抑揚、そして

 表情や身振り手振りで表される。

 

 何の抑揚も動作もないのも表現のひとつだ。

 意味以上の、発する側の気分を伝えている。

 従って、それを覚えるには、その状況を

 含めて観察したほうが楽だ。

 

 そして、ある言語には、他の言語にない気分が

 ある。その現地の言葉を、同じ抑揚で、同じ

 表情で、同じ状況で発して初めて理解できる

 ものがある。

 

 仕事柄いろいろな地域でいろいろな言語に

 触れる機会の多いディサは、新たな言語、

 新たな挨拶と新たな気分にめぐり会うたびに、

 なにか懐かしいような、深い記憶を呼び

 覚まされるような不思議な感覚に包まれる。

 

  ディサが会話と思考に主に使用する言語は

 ムー語である。ムー語の発祥は、地球上の

 極東の島国、ヤマト国のジャパン語だ。

 

 宇宙世紀初頭、いや、宇宙世紀前かもしれない、

 海上都市ムーの建設中に、発電所の事故に

 よる環境汚染で、ヤマト国の東側がほとんど

 住めない状態となった。

 

 その際に、ヤマト国から海上都市ムーへかなり

 の数の人々が移住して、その人々の言葉が

 やがてムー語となった。

 

 そして、今、2万を超える言語が、太陽系内に

 存在する。宇宙世紀開始前後、言語はいったん

 統一される方向へ向かった。しかし、その後

 量子コンピューター実用化により、言語の

 壁を容易に超えられることから、

 また増えだした。

 

 数万年前までは、3万を超えていたが、

 いったん整理され、ここ最近は増えたり

 減ったりしている。

 

 地球上では、その地域でもともと使用されて

 いた言葉がずっと使われている。しかし、使用

 割合でいくと、やはり人口の多い各海上都市で

 使用される言語の割合が多い。

 

 ヒンディー語をベースにした、海上都市

 レムリアで使われるレムリア語、大西洋上の

 海上都市アトランティスで使用される

 アトランティス語。

 

 一方宇宙では、アフリカ語、ブラジル語、

 中国語、ヒンディー語、ロシア語、英語、

 と主なものでも数えだすときりがなく、

 それらの派生言語も数多くある。

 

 どれかひとつの言語が多く使われている、

 ということがないのだ。

 

  ディサが今いるこの地域は、主にヒンディー

 語だ。ディサはこの言語に関してはまだ

 片言の段階だが、その派生のレムリア語では

 思考も可能だ。

 

 もう少し動画を観たりインドラ食堂に通って、

 気分を勉強しようと思う。そう思いながら

 簡単な朝食を摂る。

 

 そして、朝の軽いトレーニングを行う。

 朝食の準備や片づけは、自分でやる場合もある

 が、アンドロイドにやってもらう場合も多い。

 

 この家にいるアンドロイドは、折り畳み式、

 ペッコという名だ。折りたたむと手で抱え

 られる程度になり、部屋の隅に収まって

 チャージする。意外と力も強い。性別は中性。

 

 ペッコは、積極的にディサには話しかけて

 こないが、独り言は多い、という設定にして

 いる。外見的に、音もなく急に現れると、

 あまりいい気分がしないからだ。

 

 ふだん起きてくると、だいたい気温と湿度の

 こと、天気のこと、小さい埃が落ちている

 と文句を言ったり、といった様子だが、

 ディサがいないときにペットの世話をして

 くれるのは助かる。

 

  住人の最後の一人が、このトレーニング

 ルームの中でディサの横に立っている、

 マッスルテーブルという商品名の人形だ。

 ディサは、スグルと呼んでいる。

 

 一応会話も可能で、アンドロイドと呼んでも

 よいかもしれないが、格闘技の対人練習でしか

 使えない。他の用事はやってくれないのだ。

 

 スグルの優れたところは、形状変化によって

 身長を変えられるところと、水の補給と

 排出によって、体重も変えられる。

 

 ディサは、前の日にスグルの身長と体重を

 決めておく。スグルは朝トレーニングの数分

 前に収納から起きてきて、身長と体重を

 調節する。

 

 ディサの基礎トレーニングが終わったら。

 防具や道着を着せて、打撃や投げ技、間接技

 を受けてもらう。いわゆる木人、のような

 使い方もできる。

 

 約束練習は、すべて「オケ」と短く答えて

 やってくれるのだ。たまに複雑なことを言い

 過ぎると、何も答えずに固まってしまうが。

 

 このスグルは、頭はあるが顔の形状がない

 ということもあって、海上都市ムーの怪しげ

 な雑貨店で買った、伸縮素材のマスクを

 被せてある。

 

 太い唇に団子鼻、髪は無く、頭頂部から

 後頭部にかけて突起物があり、額には

 「内」と書いてある。

 

 同じメーカーで、マッスルアシュラという

 のもある。こちらは6本腕で、腕が多い

 分木人の練習には良さそうだが、技に

 変な癖が付かないか心配でスグルの方を

 選んだ。

 

 ちなみに、ディサはムー人の末裔なので、

 このアシュラという文字をムー字で

 「阿修羅」と手書きすることもできる。

 

 今日のスグルは頭一つ分ディサより高く、

 体重も10キロほど重い。これで投げ技

 中心の練習を一時間ほどこなす。

 

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