幕開け
「あれ?」
また白い天井。
ベッドに腰掛けた後、そのまま仰向けになって寝てしまったらしい。
しかし、なんでバスの中の出来事……を夢に見てしまったのだろう。
思い出したくも、無かった。
痛みや匂いまでも今起きたことのように。
いや。
おかしい。
寝る前は全然思い出せなかった……。
こんなに衝撃的な経験を……?
「仕事の時間だ」
「へぁっ!?」
入り口の方を振り返ると刈り込んだ黒髪に黒のスーツ、白いシャツ、黒いネクタイ、黒のサングラス、黒い靴と全身黒で固めた体格のいい男が立っていた。
心臓が大きく飛び跳ねるように脈打っている。
「驚かせちまったか。この服に着替えてから俺と一緒に来てもらうぜ」
そう言ってベッドの上に巾着袋のようなものを投げてくる。
「じゃあな。外で待ってるからよ。……退屈する前に来てくれよな」
黒ずくめの男はそう言って外に出ていった。
巾着袋を開けるとシンプルな……いや、地味な……っていうか、近所の安物衣料品店で売ってそうな長袖のシャツとスラックス、そして革のベルトが入っていた。
とりあえず、患者服では外に出るなってことか。
着替え終わって、外に出ると、黒服の男が立っていた。
「思ったより早かったな」
外の廊下も部屋の中と同じ白い壁に白い床。白い扉が等間隔で並ぶ。
そこを黒服の男と歩く。
「仕事の内容については聞いてるか?」
「何も」
黒服は肩をすくめて、やれやれと言わんばかりの表情。
「ガスマスクの男が来ただろ?」
なぜわかったのだろう。
「やっぱりか」
表情に出ていたらしい。
「アイツはここのメンバーの中でも一番……ある意味内向的なヤツでな。ロクに俺たちと会話しないんだ。連絡内容の漏れ・忘れなんてしょっちゅうでな。だからわかったのさ」
通路の突き当りまで歩いてから左に曲がり、眼の前に見えた曲がり角で右に曲がった。
「仕事内容は決闘だな。これから向かうリングで殺し合いをしてもらう」
「殺し……?!」
ごくごく自然に殺し合いという単語が出て耳を疑う。
立ち止まって男が振り返り、目を見て語りかけてくる
「ああ、その通りだ。どっちかが死ぬまで戦う。文字通りのデスマッチさ」
「それが仕事……?」
嘘を言っているようには見えない。
「身体を改造するにあたって、事前の承諾もなく多額の費用が投じられていてな。その金を返し終わるまでここから出しては貰えないんだとさ」
「そんな勝手な……」
付き合ってはいられない。
この男を刺して怯んだスキに逃げるしかない。
袖に隠していた針――俺に向かって打ち込まれた奴だ――をするりと両手に一本ずつ滑り落として、逆手に持つ。
気づいた素振りはない。
再び前を向いて歩き出した男の背後から、まずは左手の針を男の左脇腹目掛けて突き刺した。
「痛っ!!」
痛がる男の様子とは裏腹に妙な手応えがあり、針がほとんど刺さらずに止まった。
振り返る男。
逃走時にすぐに使えるよう、残しておいた利き手の針も慌てて振り下ろす。
振り下ろされた右手の針は確かに男の左胸に刺さったかに見えたが、先端がほんの少し刺さって止まる。
男の左手が俺の右前腕を掴み、そのままグシャリと手首付近を握りつぶした。
ボトリと床に落ちる右手。
「痛えじゃねぇか!ったく、アイツめ。針を打ち込んで拾い忘れたから俺を使いやがったのか!」
あまりに呆気なく、そして痛みもなく落ちた右手を見つめる、俺。
そして、黒服の男も見つめる。
「平気……なのか?すげぇ痛そうだけど」
「どういうわけだか、平気です」
また二人で床に転がる手を見つめる。そして、
「なるほどな。こうなるわけか」
黒服が言葉を零した。
最後の白い扉を開けると、そこは打ちっぱなしのコンクリートで出来た寒々しい空間だった。少し先に鉄の開き戸が見える。
扉の向こうからBGMの重低音が漏れてくる。
「あの先がリングだ。あの先にはお前だけが行く」
白い扉の向こうから声をかけてくる黒服の男。
耳朶を打つ8ビートはBGMか。俺の心音か。
黒服の男からは逃げられない。
まともに戦うのはもとより、不意打ちでも勝ち目がないからだ。
ベルトに挟んでいた最後の針も没収されてしまった。
もう、行くしかない。
諦めたように扉の取手に手を掛け、押し開けると強い光が目を灼き、大音響の音楽が身体の芯まで揺らした。
正方形のリングの方に歩き、促されるままにリングに登る。
リングはより強いライトで照らされ、客席がよく見えない。
「連勝中の期待の新人!不死身のぉ!モルトスぅ!!」
実況がそう言うと同時に俺が入ってきた扉の向かい側の扉がピンスポットで照らされ、対戦相手の顔が明らかになる。
俺は絶句した。
対戦相手は、俺も知っている人物だった。
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