外伝
地獄のサメトラック
開店前のとある大型ホームセンター。ここではちょっとしたトラブルが起きていた。
「来た?」
「いえ、まだです」
ホームセンターの店長とアルバイトは、バックヤードでトラックが来るのを待っていた。
「倉庫に聞いたら、トラックはもう出たって言ってたんだけどな」
「渋滞ですかね」
彼らが待っているのは、品切れになっている人気商品だ。トラックが来たらすぐに荷卸しして売り場に並べようと思っていたのだが、まだトラックはやってこない。
「」
「はい」
開店時刻はもうすぐだ。店長とアルバイトは、釈然としない気分になりながらも、とにかく客を迎えるためにバックヤードから離れていった。
――
鮫! 鮫! 鮫! 右を向いてもサメ、左を向いてもサメ、前にも後ろにもサメ、おまけに足元にもサメだ。幸い、上にはまだいないが、サメたちが空を飛ぶのも時間の問題だろう。異世界エリュテイアの王都は、文字通りサメで溢れていた。
「なんだこれ……」
日用品の買い出しに来ていたフカノは、その光景に驚き呆れていた。もっとも、驚くだけで怖がってはいなかった。なぜなら、サメは本物ではなく、ぬいぐるみだったからだ。子供ほどの大きさだが、つぶらな瞳と柔らかそうな体からは、危険性を感じない。
サメのぬいぐるみたちは、果物屋の商品を羨ましげに眺めていたり、オープンテラスでお茶を楽しんでいたり、昼寝をしているトロールの腹の上で寝そべっていたりする。自由だ。そもそもぬいぐるみなのに勝手に動いているというのが、実に自由だ。
「これも異世界の何かなのか……?」
フカノは異世界転生者である。現代日本からこの世界に転生してきて、まだ1ヶ月と経っていない。ひょっとしたら異世界ではぬいぐるみは動くものなのかもしれない、とフカノは思った。なにしろ、この世界には魔法がある。実質何でもありだ。
「フカノ!」
呼びかけられたのでフカノは振り返った。すると、金髪緑眼の少女が駆け寄ってくるのが見えた。彼女は"元"王族のケイト。フカノの知り合いだ。
「おう、ケイト。なんだこれ、異世界のお祭りか?」
「そんなわけないでしょ!? どうなってるのこれ!?」
ケイトは顔を合わせるなり叫んだ。
「あっちじゃサメがカニを散歩させてるし! 向こうじゃサメがゴブリンの子供に絵本を読み聞かせてるし! こっちじゃサメが優雅にお茶してる! 一体どうなってるの!? そもそもなんでぬいぐるみが動いてるのよ!」
「やっぱおかしいのか、これ」
ケイトの反応を見て、フカノはある意味安心した。流石の異世界も、ある日突然、たくさんのサメのぬいぐるみに街を占拠されることは、非常識な事件らしい。
「とりあえず、ちょっと辺りの様子を見てみよう。サメがどこから来てるかわかるかもしれない」
「……そうね。調べてみましょう。放っておけないわよ、こんなの」
2人はまず、サメに群がられている肉屋に話を聞いてみることにした。
「すみませーん」
「ああ、ちょっと悪い、あんたら! 手伝ってくれないか?」
店主は物欲しそうに肉を見ているサメたちを、次から次へと押しのけている。
「お、おう! 手伝います!」
「私も!」
流石にこれは迷惑行為だ。フカノとケイトはサメのぬいぐるみを屋台から引き剥がし始めた。サメのぬいぐるみは、持ってみると大きさの割に軽く、それでいて柔らかい。
「ふおっ……」
その感触がツボに入ったのか、ケイトはサメに触れるなり不穏な呻き声を上げた。
「なにこれ……絹みたいにすべすべの手触りじゃない。それに、羊の毛よりも柔らかくて、推せば押すだけ指が沈んでく……ふおお……こんなの初めて……ずっと触ってたい……」
何やらブツブツ言いながら、ケイトはサメのぬいぐるみを撫で回している。サメはその手付きが気持ちいいのか、目を細めてゴロゴロ言っている。サメなのにネコのようだ。そもそもぬいぐるみだが。
一方フカノは、大きなぬいぐるみに喜ぶような歳ではない。特に感慨を抱くこともなく、大根を引っこ抜くようにサメを屋台から引き剥がす。あっという間に、サメのぬいぐるみは肉屋から撤去された。引き剥がされたサメのぬいぐるみは、これが悪いことだと理解したのか、肉屋から離れていった。
「大丈夫そうですかね?」
「ああ、助かったよ、ありがとう」
「いえいえ。しかし、このぬいぐるみ、どっから来たんですか?」
「あっちの方からだ」
肉屋の男は大通りの先、北の方を指さした。
「ありがとうございます。ケイト、行くぞ」
ケイトはまだサメのぬいぐるみをモフモフしている。
「ケイト!」
「えっ、あ、うん、わかったわよ」
ケイトは名残惜しそうにサメのぬいぐるみを地面に置いた。
それから2人は北に向かって歩いていった。肉屋が言った通り、サメはこちらからやってきているようで、進むほどサメの数が増えている。既に、サメ口密度は人口密度を凌駕していた。サメたちは相変わらず、井戸端会議をしたり、ハーピーに吊り下げられて運ばれたりと、自由気ままに遊んでいる。
ふと、フカノの目に、カードで遊ぶサメの姿が止まった。2体のサメのぬいぐるみが、何やらカードを持って話し合っているように見える。片方のカードは、大きな数字がたくさん並んでいる。もう片方のカードには、小さな数字が並んでいるが、何らかの説明文が書かれている。その2枚を交換する様子を見て、フカノはとっさに呟いた。
「シャークトレードだ……」
「えっ、何?」
「シャークトレードだ。多分、片方は基礎スペックが高いけど重すぎて実戦投入できないカードで、もう片方は基礎スペックが低いけど特殊能力を持っててそれが凄い便利なカードだ。片方のサメはもう片方のサメからボッタクろうとしてるんだ」
「ごめん、何語?」
「サメ語ですよー」
フカノでもケイトでも無い声。2人が振り返ると、水着のような衣装を身に纏った、青い髪の少女が立っていた。
「マイアか」
彼女は海の女神マイア。フカノをこの異世界に転生させた張本人である。
「フカノさん、ケイトさん。おはようございます」
「おはよう。マイア、このサメたちは一体なんなの?」
「詳しくはわからないんですけど、この子たち、フカノさんと同じ世界から転生してきたみたいですよ?」
「転生!?」
思わぬ言葉がマイアの口から飛び出して、フカノとマイアは面食らった。確かに、フカノが元いた現代日本ならこんなぬいぐるみはあったかもしれない。しかし、ぬいぐるみが転生するとはどういうことなのだろうか。それに、ぬいぐるみという非生物が転生するとはどういう状況なのだろうか。そもそも、なぜぬいぐるみが動いているのだろうか。
混乱するフカノの横から、ケイトが疑問を繰り出した。
「待って、マイア。その話、誰から聞いたの?」
「サメさんたちからです」
フカノとケイトは、足元のサメを見た。つぶらな瞳と目が合った。それだけだ。声は聞こえない。だが、それはフカノたち人間の話だ。神であるマイアには聞こえる声で喋っているのかもしれない。あるいは、コウモリのような超音波だろうか。サメだが。
「マイア、この子たちの言葉がわかるの?」
「はい! 女神ですから!」
まるで理屈がわからない。しかし、貴重な情報源であることは確かだ。
「それじゃあ、この子たちがどこから来たかわかる?」
「ええ。北の川から来たって言ってます」
「川か……よし、行ってみるぞ」
さらなる手がかりが見つかった。2人はサメの発生源を探すため、北へと向かう。
「あ、私も行きます!」
マイアも魚配りをやめて、2人についていく。そしてマイアを追いかけて、一部のサメもフカノたちの後を追った。
「大丈夫なのか、これ」
後ろからゾロゾロ歩いてくるサメのぬいぐるみの群れを見て、フカノは呆れながら呟いた。
「大丈夫ですよ。見た目はサメですけど、みんな、人を襲ったりしないいい子たちですから。それに、可愛いじゃないですか」
マイアは胸の前にサメを抱えている。サメはおとなしくしており、暴れたり噛み付いたりする様子はない。だが、フカノは油断していない。
「でもな、気をつけろよ。今は大人しくても、条件が揃ったら暴れ出す人形かもしれないからな」
「条件? 例えば?」
「ええと、光に当ててはいけない、水に濡らしてはいけない、真夜中に餌を与えてはいけない。そんなんだったか」
「そうなんですか?」
マイアの問いかけに、腕の中のサメは首を横に振った。
「違うって言ってますけど」
「例えだよ例え。あれはサメじゃなくて、確か宇宙生物だったし」
「2人とも、あれを見て」
ケイトの声が2人の会話を遮った。彼らはいつの間にか王都を出て、城門前を流れる川のほとりまで来ていた。川からはサメがぞくぞくと這い上がってきている。
「ああ、ここからサメが入ってきてるのか」
どうやらサメは川上から流れてきているようだ。流れ着いたサメたちは、乾いた地面の上で寝そべっている。日向ぼっこをして体を乾かしているのだろうか。
するとそこに、数台の馬車がやってきた。先頭の馬車に乗っているのは、軽鎧を身に纏った若者だ。フカノたちは彼の名前を知っていた。クトニオスといって、かつてサメ退治の冒険で力になってくれた、フカノの友人だ。
「あいつ、なにやってんだ?」
フカノたちが見ている前で、馬車からそれぞれ数人の兵士が降り、日向ぼっこ中のサメを取り囲んだ。
「よーし、かかれ!」
クトニオスが号令を下すと、兵士たちはサメのぬいぐるみを抱え、馬車に積み込み始めた。濡れているサメはぐったりしていて抵抗しない。少し乾いたサメは元気があるようで、兵士たちから逃げようとするが、その足は遅く、あっさり捕まっていた。
「おう、クトニオス。なにやってんだ?」
フカノは近づいて声を掛ける。
「おう、フカノ。と、女神様にケイトさん。お久しぶりです」
「こんにちはー」
「久しぶり。何してるの?」
「ああ、この青い奴を捕まえてるんだよ。今日の朝から、王都のあちこちに出てきてな。別に人を襲ったりはしないんだけど、とにかく数が多くて邪魔だって苦情が来てるんだ。それで、こうして捕まえて回ってるって訳よ」
「捕まえてどうするんですか?」
「とりあえず牧場に送ってる。なんか意外と馴染んでてな、馬に乗ったりして遊んでるんだよ、こいつら」
「馬……?」
サメのぬいぐるみが馬を乗りこなす様子を想像して、フカノは名状しがたき不安感に襲われた。いくら異世界といえども、やっていいことと悪いことがあるだろう。そもそもこのサメのぬいぐるみは異世界のものではないので、そういう点も不安だ。
「……なんか、その、気をつけろよ? 俺らはこれから、サメの出処を探してくるから」
「おう。……え、これサメなのか?」
クトニオスは言われてはじめて、自分が抱えているぬいぐるみがサメを模したものだと気付いたようだ。
「まーたずいぶん可愛らしい顔になっちゃってえ……」
顔の高さまで抱えあげて、しげしげとサメの顔を眺めるクトニオス。それに対して、サメのぬいぐるみはキョトンとした表情を返した。
「とりあえず、ここは頼むぞ。俺たちは川上がどうなってるのか見てくるから」
「ああ、わかった。任せてくれ」
クトニオスたちに王都を任せ、フカノたちは川の上流へ向かった。途中、川を泳いで下っていくサメのぬいぐるみを何匹か見た。やはり、上流にサメの発生源があるらしい。サメが淡水を泳ぐのか、というツッコミはもう誰もしなかった。
しばらく進むと、川沿いに集まるサメたちを見つけた。花畑でチョウを追いかけていたり、川に飛び込むために準備体操をしている様子は、平和そのものである。それがサメのぬいぐるみでなければ。
「あれが……本拠地か?」
「そっと近づいてみましょう」
フカノたちはほのぼのと遊ぶサメたちを刺激しないようにそっと近づく。幸い、サメは警戒心が薄いようで、フカノたちが近づいても逃げ出したり襲いかかってくるようなことはしなかった。
「フカノさん! ケイトさん! 見てください!」
ふと、マイアが叫び声を上げた。サメの集団の近くにあった、林に向かって指差ししている。
「あの中に、何かあります!」
「何だ?」
フカノとケイトが目を凝らしてみると、確かに、林の中になにか大きな物体がある。
「何かしら、あれ。家?」
ケイトが不思議そうに呟いた。彼女の目から見たら、巨大な金属の箱が林の中に置かれているように見えた。
「おい、嘘だろ……?」
だが、フカノの目から見たら、それは全く別の、意味のある物体だった。
「知ってるの?」
「ああ。あれは……トラックだ」
それは紛れもなくトラックだった。フカノが生まれ育った現代日本の流通を支える4トントラック。馬や牛といった生物動力ではなく、ガソリンを使った内燃機関で動く科学技術の結晶。運転には普通免許ではなく中型免許が必要な3トン以上のトラック、4トントラック。ひょっとしたらエルフかもしれないトラック。認識の仕方は様々だが、とにかくフカノはそれをトラックだと認めた。
「でもどうして、こんなところに?」
トラックを見つけたフカノは、次に当然の疑問を思い浮かべる。ここは異世界、エリュテイアだ。現代日本とは別の時空にあるから、トラックがやってこれるはずがない。まさか日本と異世界をつなぐ高速道路に乗ってやってきた、ということもないだろう。となると、このトラックも転生してきたのだろうか。しかし、人間がトラックに轢かれて異世界転生、というのはラノベだとよくあるパターンだが、トラックがトラックに轢かれたら、それはもうただの交通事故だ。
「なんなんでしょう、これ? お家ですか?」
「鉄の家って、住みづらいと想うんだけど……」
一方、異世界人のマイアとケイトからしてみれば、トラックは全く未知の物体だ。興味津々で、周りを探ってみたり、ドアを開けてみる。するとケイトは、後部の荷台の中に、サメのぬいぐるみの群れを見つけた。
「うわっ」
思わず身を引いたが、サメのぬいぐるみの群れが襲いかかってくる様子はない。むしろ向こうも驚いているように見えた。
「……あ、危なくないわよ? 怖くないから、出ていらっしゃい」
ケイトの言葉が通じたかどうかはわからない。しかし、サメのぬいぐるみたちはケイトの手招きに応じて荷台の外に出てきた。
「貴方たち、どこからきたの?」
サメたちは話しかけるケイトの足元でわちゃわちゃしている。
「お前も、言葉がわかるのか?」
「……わからない」
「じゃあなんで話しかけたんだよ……」
「私だって海の女神なのよ。できると思ったのよ……」
「やっぱ、マイアに頼むしかないか。おーい、女神様ー」
マイアは運転席に座っていた。フカノの呼び声を聞いて、トラックから降りようとする。しかし、動きを止めると、閉まったままのトラックの荷台をバン、と叩いた。
「……マイア?」
マイアはドアを開けようとするが、トラックのドアはびくともしない。鍵がかかってしまったのか、フカノがそう思った瞬間、鈍い駆動音が鳴り響いた。
トラックのエンジンがかかった。当然、マイアはエンジンキーには触っていない。
「……マイアッ! 逃げろッ!」
嫌な予感がして、フカノは叫んだ。だが、遅かった。エンジンが唸りを上げると、トラックは猛烈な勢いで走り出した! 爆走するトラックの進路上に立つのは――フカノ!
「ぐっ!?」
フカノは咄嗟に、迫りくるトラックを両手で押し返そうとした。無謀な試みだが、この世界に限ってはそうではない。この異世界エリュテイアは、フカノがいた現代日本と比べると重力が1/3以下になっている。だからこの世界で、フカノは相対的に怪力の持ち主だった。
だがそれは、トラックの方も同様だった。
「ごはあっ!?」
哀れフカノは鉄の猛進によって吹き飛ばされた。異世界初の交通事故だ。だが、この世界に道路交通法は無い。トラックは罪に問われることなく、マイアを乗せたままどこかへ走っていってしまった。
「フカノ、大丈夫!?」
「大丈夫だ! ……転生してからトラックに轢かれるってなんだよ? 普通逆だろ……」
ケイトに助け起こされたフカノは、全身を襲う痛みに毒づいた。それでも、運がいい方だ。普通、トラックに轢かれたら良くて重傷、最悪死に至る。トラックが走り出したばかりだったことと、フカノの身体が少し普通ではないことが幸いした。
「追いかけるぞ! どっちに行った!?」
「あっち! ……でも、どうするの? 馬より速いわよ、あれ」
ケイトが指さした方向には、既に遠ざかったトラックが見えた。走っても追いつけないのは目に見えている。
すると、そこに一台の車が滑り込んできた。エンジン付きの自動車ではない。現代日本のスーパーマーケットで使われていそうな、手押しカートだ。荷台にはサメのぬいぐるみが乗り、フカノたちに向かって手招きしていた。
「乗せてくれるのか?」
ぬいぐるみが頷いた。フカノは意を決して荷台に乗り込む。
「あ、ちょっと、待ちなさいよ!」
一瞬遅れて、ケイトもカートに飛び乗った。スペースの都合上、フカノの膝の上に乗る形になった。
「もっと詰めて」
「無茶言うなよ」
二人が場所取りで揉めている間に、カートは独りでに走り出した。何らかの魔法のお陰なのか、それともサメによる体重移動の結果なのか、カートは猛スピードで走る。だが、前方を走るトラックも速い。中々距離が縮まらない。
「もっとスピードは出ないのか!?」
フカノの問いかけに、サメは頭を横に振った。フカノは歯噛みしながら、マイアが乗ったままのトラックを睨みつける。
「無人の暴走トラックって何だよ……B級映画じゃねえんだぞ……」
「また映画?」
「ああ。たまにあるんだよ。車に悪霊が取り憑いたり、彗星の電磁波が原因でコンピューターが暴走したりする映画が」
「相変わらず訳が分からないわね、映画って。今まで貴方から聞いた映画って、ゾンビが踊る話とか、人間が悪魔人間になる話とか、宇宙からやってきた金属ゴーレムが出てこない話とか、そんなのばっかりじゃない。貴方が前に生きてた世界って、そんな変な話ばっかり流行ってるの?」
「バカ言うな。あんなのが流行っちまったら世界の終わりだよ」
「じゃあ何で観てるのよ!?」
「兄貴のせいだ!」
フカノが叫んだ瞬間、カートが大きく揺れた。地面の石を踏んだらしい。
「うおっ!?」
「きゃあっ!?」
カート上の2人と1匹は、カートから転げ落ちそうになる。
「あっぶねえ!?」
フカノは手近なものに掴まって、ギリギリのところで踏みとどまった。
「大丈夫か、ケイト!?」
「大丈夫!」
ケイトもフカノ同様、カートから落ちかけながらも踏みとどまっていた。ほっと安心するフカノだったが、ふと、自分が掴まっているものの感触が気になった。柔らかい。見ると、自分の左手がケイトの胸を鷲掴みにしていた。ケイトもそれに気付いたようだ。自分の胸元を凝視して、それから、みるみるうちに顔が赤くなっていった。
「ごめ」
「バカぁっ!」
綺麗な掌底がフカノの顎を打ち抜いた。一瞬、フカノは気を失った。目を覚まして身を起こすと、カートは無事に走り続けていて、ケイトはフカノに背を向けて肩を震わせていた。
「ごめん」
「ほっといて」
「いやあの、とっさに」
「わかってるから。ちょっと今話しかけないで」
「ごめんて……」
本当に申し訳なく思いながら、フカノは進行方向に目を戻した。いつの間にか、王都の側まで戻ってきていた。トラックは相変わらず川沿いを爆走している。かと思いきや、いきなりハンドルを切った。進行方向には川、いや、橋が掛かっている。トラックは王都に突入するつもりだ。
「嘘だろおい……!?」
城門は空いていた。見張りはトラックに気付いたが、門を閉めるのは間に合わなかった。
「チクショウ! 突っ込みやがった!」
閉じた門の前で、フカノとケイトはカートを降りた。門の向こう側からは、怒号や悲鳴が聞こえてくる。中でトラックが暴れているのだろう。
「フカノ!? 何だったんだ今のは!?」
そう言って駆け寄ってきたのは、サメのぬいぐるみを両脇に抱えたクトニオスだった。どうやら、すれ違ったトラックに驚いて、ここまで追いかけてきたらしい。
「暴走トラックだ!」
「何だそれは?」
「でっかい鉄の塊が、独りでに動いて暴れてるんだよ!」
「なんてこった……!」
「貴方たち、早く門を開けなさい!」
ケイトの呼びかけに応えて、門がゆっくりと開き始めた。フカノたちは門が完全に開くのを待てず、僅かに空いた隙間から街の中に駆け込んだ。
街の中は、まるで嵐が過ぎ去ったかのような惨状だった。崩れた荷物や割れた壺が散乱し、露店はなぎ倒され、道の端には人々が震えてしゃがみこんでいた。中には怪我をしている人もいる。あのトラックが人混みの中を突っ切っていったのだろう。
「こいつはひでえ……」
混乱する大通りを、フカノたちは走る。しばらくすると、交差点の真ん中で兵士の一団を見つけた。それを率いているのは、フカノたちの顔見知りだった。
「ゲイルさん!」
「ん? おお、勇者殿! それにクトニオスに、姫様! お久しぶりです!」
馬上の騎士は馬を降りて挨拶した。彼の名は"旋風槍"のゲイル。王国海軍を率いる将軍だ。
「……姫様はやめて。今はただの外交官よ」
「あ、これは失礼しました」
「ゲイルさんも、トラックを追いかけて来たんですか?」
フカノの問いかけに、ゲイルは首を横に降った。
「いや、私は街に現れた人形を捕らえに来たのですが、こちらで騒ぎがあったと聞いて駆けつけたんです。一体何があったのですか?」
「ああ、実は……」
フカノはこれまでの経緯を手短に話した。トラックのことを異世界人のゲイルがどこまで理解できたかはわからないが、とにかく脅威であることは理解してくれた。
「となると、人形どころではありませんな……おい、ハーピーを呼べ」
ゲイルの命令で、兵士が旗を8の字に振り回す。その合図を見た上空のハーピーが、ゲイルの下に降りてきた。
「お呼びッスか?」
「うむ。緊急事態だ。市内に鉄の竜が入り込んだ。各地の部隊に、人形の捕獲を中止して、中央広場に集まるように伝達してくれ」
「了解ッス! ハーピー隊、総動員ッス!」
ハーピーが飛び立つ。ゲイルが率いる兵士たちも、目的を変えて中央広場へ走る。フカノたちもそれに付いていった。
――
中央広場もトラックの猛威に襲われていた。普段は人々が談笑している憩いの場なのだが、今は木々が薙ぎ倒され、破壊された馬車が横たわる、殺伐とした空間になっていた。
「状況を確認する」
集まった部隊長とフカノたちの前で、ゲイルは王都の地図を開いた。
「鉄の竜、トラックは女神様を捕らえたまま王都をくまなく走り回っている。今は南西地区にいるそうだ。我々はこれを港まで追い込み、女神様を救い出した上で討伐する」
「どうやって追い込むのですか?」
部隊長の1人が質問した。
「トラックは建物や障害物を避ける習性があるようだ。現に、道が狭い北地区にはほとんど近付こうとしていない」
「トラックだって無敵じゃないんです。事故ったら車体が傷つきますし、最悪廃車になることだってあります」
フカノが補足する。現代日本の常識で考えるなら、トラックが石造りの家に正面衝突すれば、車体が凹むのは間違いない。最悪、走れなくなる可能性もある。独りでに走る悪魔のトラックに日本の常識がどこまで通用するかはわからないが、少なくともボディは並の自動車と同じ、と考えるのが自然だろう。
「そこで、これから別地区に通じる通りを建材や瓦礫で封鎖する。そして港に……第一船着き場に追い込む。あとは女神様をお救いして、火炎魔術でトドメを刺す。いいな?」
「了解!」
居並ぶ部隊長たちが威勢よく返事をした。トラックという未知の敵が相手でも、彼らの戦意が鈍ることはない。優秀な兵士たちだ。
それから、簡単な打ち合わせをして、ゲイルたちはそれぞれの持ち場に付いた。フカノも部隊の1つに同行して、作戦を手伝うことになった。
「どうしたもんかな……」
路地からトラックの様子を伺いながら、フカノは考える。封鎖作戦は問題ない。トラックの撃破も、港で待ち構えている魔術師たちがうまくやってくれるだろう。問題はその途中、どうやってマイアを暴走トラックから降ろすか、だ。追い込む途中でトラックが止まってくれればいいが、そうでなければ、アクション映画のように暴走トラックに飛び乗る羽目になる。
「やりたくねえなあ、流石に……」
考えているうちに、エンジン音が近付いてきた。迷っている暇はない。まずはとにかく、トラックの行く手を塞がなければならない。フカノは意を決して、封鎖用の建材を手に取ると、後ろにいるケイト、クトニオス、王国の兵士たち、そしてなぜか手伝いに来たサメのぬいぐるみたちに向かって呼びかけた。
「みんな! 丸太は持ったな! 行くぞォ!」
「応ッ!」
フカノたちは、妨害用の丸太を手にして大通りへ飛び出した。通りを塞ぐように、次々と丸太を積み上げていく。更に追加で、近くの建材屋から買い取った石を並べる。トラックが迫ってくる前に、通りは丸太と岩石によって封鎖された。
トラックはその即席バリケードに気付いたようだ。不服げにエンジンを唸らせるとUターン、元来た道を戻っていった。作戦は成功だ。
「よしっ!」
「行くぞ、港だ急げっ!」
フカノたちは急いで港へと向かった。彼らが港につくと、既に、いくつかの部隊が船着き場の周りに待機していた。しばらく待っていると、やかましいエンジン音と共に、トラックが現れた。作戦の第一段階は成功だ。
目を凝らすと、運転席でマイアがオロオロしているのが見えた。やはり、内側からはドアが開かないらしい。外側からこじ開けるか、もっと物騒な手段に頼らなければいけない。
「トラックが来るぞーっ!」
兵士の叫び声が聞こえた。トラックが集まった兵士たちに突撃する。兵士たちは急いで路地裏に逃げ込む。トラックは建物にぶつかる寸前で停止し、威嚇するように、あるいは悔しがるようにクラクションを鳴らした。
「よし、行けっ!」
そこに、ゲイルの命令で騎馬隊が突撃した。王都選りすぐりの乗り手たちは、なんとかドアを開けて、マイアを助け出そうとする。しかし、馬とトラックでは馬力が桁違いだ。近付くことすらままならない。それどころが、エンジン音と排気ガスに、馬がすっかり怯えてしまった。
「ダメか……フカノ!」
「わかってるよ!」
フカノは手近な建物の屋根の上に飛び乗った。いくつかの建物を飛び移り、暴走するトラックの頭上を取る。そして、意を決してトラックの荷台の上に飛び乗った。転げ落ちそうになるが、縁に手をかけて何とかトラックにしがみつく。
「このっ……大人しくしやがれ!」
フカノは荷台の上を這い進み、運転席の真上まで来た。トラックはフカノを振り落とそうと、ますます激しく蛇行する。だが、フカノは渾身の力で屋根の上にしがみつくと、側面の窓ガラスを何度も殴りつけた。しかし、窓ガラスは割れない。車の窓ガラスは、ガラスという名前とは裏腹に、専用の器具でないと割れないぐらい頑丈なのだ。
フカノがガラスに手間取っている間に、覚悟を決めたトラックが横転スレスレのドリフトを仕掛けた。慣性と遠心力が、フカノをトラックの屋根から引き剥がす!
「うわあっ!?」
吹き飛ばされたフカノは地面に叩きつけられた。起き上がろうとするが、その前にトラックがフカノを轢き殺そうと猛スピードで襲いかかる!
「フカノ、危ないッ!」
ケイトが叫んだ。誰の目から見ても、フカノの危機は明らかだった。ただ、轢かれそうになっている本人を除いては。
フカノの脳裏には、かつて動画サイトで見たとある映像が映し出されていた。それは、とある国の特殊部隊の訓練映像だった。暴走する車をどうやって止めるか、その映像では、あまりにも乱暴で、なおかつこれ以上無いぐらい効果的な手段を取っていた。フカノは、それに習うことにした。
「これがっ!」
全身のバネを使い、飛び上がる。向かってくるトラックに、ブーツを履いた足を向ける。そして足を真っ直ぐに伸ばす。現代日本のプロレスで言う、ドロップキックの形になった。
「ロシア式、カージャックだあああっ!」
飛び込んだフカノの勢いと、突撃するトラックそのもののスピード。これらの相乗効果には、流石のフロントガラスも耐えきれず、砕け散った。フカノの体はそのまま車内、助手席の背もたれに叩きつけられた。体がバラバラになったかと錯覚するぐらいの衝撃に、一瞬呼吸が止まる。
「フカノさん!?」
隣の運転席では、無茶苦茶な方法で車内に飛び込んできたフカノに、マイアが目を丸くしていた。驚き固まっている彼女に、フカノは話しかけた。
「まったく、手間かけさせやがって! ……大丈夫か?」
「……はい!」
マイアが力強く頷くのを確かめると、フカノは割れた窓の外を指差した。
「よし、んじゃあ、そっから飛び降りろ!」
マイアは穴の空いた窓とフカノを交互に見る。
「でもフカノさんが……!」
「お前が先だ! 早く行け!」
「は……はいっ!」
マイアは意を決して、フロントガラスに空いた穴から、車外へと飛び出した。
「きゃああああ!?」
遠ざかる悲鳴、そして水音。無事、海に飛び込んだようだ。フカノも起き上がり、車から脱出しようとする。だが、そこで凄まじい衝撃がフカノとトラックを襲った。フカノを振り落とそうと無茶な走り方をしていたトラックが、遂にバランスを崩して横転したのだ。
「なっ!?」
そして、不幸にもその衝撃でエアバックが作動した。フカノの体が空気の塊によって座席に押し付けられる。身動きが取れない。
なんとか抜け出そうとするフカノだったが、唐突にこのトラックを仕留める作戦を思い出した。まずは障害物を使って港に追い込む。次に、女神を助け出す。最後に、無人になったトラックへ、火球を撃ち込む。今は第三段階、すなわち、とどめを刺す時間だ。
トラックの周りで、凄まじい爆発が立て続けに巻き起こった。王国魔術師軍団による、ファイアボールの一斉射撃だ。
「ちょ……ちょっと待て!?」
フカノの叫びは、爆音に阻まれて届かない。逃げ出そうにも、エアバックが邪魔で動けない。そうこうしているうちに、トラックの燃料タンクにファイアボールが直撃した。
次の瞬間、トラックは轟音と共にお決まりの大爆発を起こした。
――
リンゴがある。食べやすい大きさに切り分けられ、フォークに刺さったリンゴだ。フカノは震える手でフォークを掴み、リンゴを口元に運ぶ。ゆっくりと口を開け、リンゴに歯を突き立てると、欠片をかじり取った。
「やった!」
「治った!」
固唾をのんで見守っていたマイアとケイトは、フカノが見事リンゴを食べられたことに喜び、拳を握りしめた。
「やーっとここまで回復したよ……」
リンゴを一口食べただけなのに、フカノは酷く疲れていた。無理もない。一週間ぶりの固形物の咀嚼だったからだ。昨日までは顎も腕も十分に動かせず、ドロドロに溶かした麦粥を口の中に流し込むことで、食事を行っていた。
「あそこからよくここまで治ったわね……今度ばかりはダメかと思ったわよ」
リンゴにかじりつくフカノを見ながら、ケイトは半分安心、半分呆れた溜息をついた。
「時間はかかりましたけど、何とか直せました! 良かったです!」
一方、毎日フカノに回復魔法をかけていたマイアは、満足そうにニコニコと笑っていた。何しろ四肢欠損、全身やけど、内蔵が複数破裂、頭蓋骨陥没骨折の状況から1週間かけてここまで直したのだ。その苦労も、達成感も、余人が知るところではない。もっとも、それ以上に苦労したのは、死にかけたフカノ本人なのだが。
「もう爆死は嫌だぞ。普通は1度死んだら終わりだってのに、なんで一生で3度も爆死しなくちゃならねえんだ」
今まで悩まされていた苦痛と、これから悩まされるであろうリハビリのことを考えると気が重くなり、フカノは大きな溜息をついた。
そこに、ゴトゴトと音を立てて食事の乗った台車が現れた。台車を押しているのはサメのぬいぐるみだった。
「貴方たち、料理も作れるのね……」
「賢いですねえ」
マイアとケイトは、差し出されたサンドイッチを食べ始めた。
トラック騒動の後、王都は最初の問題に改めて向かい合った。すなわち、どこからか現れた大量のサメのぬいぐるみをどうするのか、ということである。この怪生物を、国王は専門家に任せることにした。すなわち、サメ、ということで、サメ退治の英雄フカノに丸投げすることにしたのだ。フカノが気絶している間に話し合いが終わってしまったので、文句を言うことはできなかった。
そういう訳で、フカノの家と、巻き添えを食ったケイトの家、それとマイアの神殿には、それぞれ100体ずつのサメのぬいぐるみが住み着いている。幸い、サメたちは炊事、洗濯、掃除、会計、運転、建築などなど様々な技能を持っていたので、扱いに困ることはなかった。いずれはサメたちもそれぞれの職場を見つけて、働きに出ていくだろう。
「しっかし」
だが、フカノの心中には、1つの謎が残っていた。
「こいつら、結局どこから来たんだ?」
――
「えっ、トラックが事故って、商品が届かない!?」
開店後のとある大型ホームセンター。ここでは大きなトラブルが起きていた。
「代わりの商品がつくのは……え、一週間後? そんな、今日結構問い合わせが来てるんですよ? これ以上お客さんを待たせるんですか?」
開店後の店長に、絶望を告げる電話が掛かってきた。目玉商品が配送中の事故で丸ごと無くなってしまったというのだ。本部に問い合わせたところ、代わりの商品を届けるのにも時間がかかるという。
「はい、はい……わかりました」
一方的に情報だけを伝えた後、本部からの電話は切れた。店長はがっくりと肩を落とし、しばらく落ち込んだ後、店員たちに指示を出すために売り場へ戻った。
「あ、店長」
「すまん。アレ、今日は入ってこない」
「マジっすか……?」
「POP戻しておいてくれ。お客さんには悪いが……」
「はあ、わかりました」
アルバイトはPOPを手に取ると、今日商品が入るはずだった空の箱に、そのPOPを貼り付けた。POPには可愛らしいぬいぐるみの絵と共に、このような文章が書かれていた。
『ただいま、サメは異世界に遊びに行っています。転生してくるまで、もうしばらくお待ちください』
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