第34話 ジョーズ・プリズン

 青い空。白い雲。さんさんと日光が降り注ぐ。気持ちの良い大海で、船に乗った女が釣り糸を垂らしていた。

 女は女神だった。エリュテイアのマイアではない。ケイトでもない。そもそもここはエリュテイアの海ではない。別世界の海だった。

 釣り竿がしなった。大物だ。女神はやや緊張した面持ちで釣り竿を引き上げた。

 まずマグロが水面から顔を出した。大きいマグロだが、女神の狙いはこれではない。マグロは、餌だ。

 マグロに噛み付いたものが現れた。サメだ。女神が乗る船よりも大きいサメが、水中から飛び出してきた。

 サメは空中で雄大な弧を描き、女神に向かって落下してくる。鋭い牙が生えた口を開いて。


「ふんっ!」


 女神は両手をサメに向かって掲げた。魔力が放たれ、サメの体を光が包むと、女神に噛み付く寸前でサメの姿が掻き消えた。転移魔法によって、サメはこの世界から消えた。


「これでよし、と」


 ただのサメではない。ある人物の魂を閉じ込めるため、異世界で爆死したサメを転生させて様々なチートスキルを付与した牢獄サメだ。

 サメは見事に仕事をこなしたので、女神は良い所に送ってやることにした。送り先は、異邦島エリュテイア。1つの大陸が無限の海原に囲まれた世界だ。いろいろとチートスキルを与えて改造したサメでも、気ままに生きていけるだろう。

 たぶん。



――



 サメは死んでいた。肌には生気がなく、瞳孔は開ききっている。腹の傷は深いのに、そこからは一滴も血が流れ出ていない。そして、傷口から見える肉は腐っている。どう見ても、サメは死んでいるとしか言いようがない。

 だが、サメは動いている。ヒレを動かし、軍船を体当たりで沈め、泳ぐ人々を食い千切り、飲み込んでいる。動く死体、矛盾した表現であるが、そうとしか言いようがない。

 己の常識を覆したサメを目の当たりにして、スコスは震えていた。


「死んでるって、どういうことだよ!?」


 フカノが問いかけるが、スコスには答えようがなかった。


「わからん……アレは一体なんなんだ!?」

「サメだよ!」

「あれが……サメ……!」


 サメが水面から飛んだ。空を飛んでいたハーピーがサメに食われて羽根を散らした。その時、スコスたちは思わぬものを見た。

 サメの腹から、女の上半身が生えている。


「腹から人が……本当に化物か!?」

「マイアッ!?」


 ただ1人、フカノだけは彼女の名前を叫び、海に向かって飛び込んだ。周りのリザードマンはあっけにとられていて、フカノを止めようとする気も起きなかった。



――



 海が赤く染まっていた。何十、何百という人がサメに食われて死んでいる。その海の中をフカノは必死に泳いでいた。血の匂いで狂乱する理性を必死に押さえつけながら、フカノはサメに向かって泳ぐ。

 やがて、前方の水中にサメの姿が見えた。その腹の中から、マイアが顔を覗かせている。間違いない。遠目から見る限りでは、ほとんど傷を追っていないように見えた。

 フカノは知る由もないが、マイアがサメに噛まれず丸呑みにされていた。飛んできたサメの勢いが早すぎて、噛み砕く間もなく胃袋に収まってしまったのだ。フカノの腕が千切れたのは、ちょうどそこにサメの歯が当たったからだ。そして、丸呑みにされたマイアは、フカノが銛で切り裂いた場所からそのまま出てきた。

 フカノはサメに後ろから追いつき、はみ出たマイアの手を引っ張った。マイアの体はサメから引き抜かれる。


「マイア! しっかりしろ、マイア!」


 体を揺さぶるが、マイアは目を覚まさない。仕方なく、フカノはマイアを抱え、サメから泳いで離れた。

 しばらく泳ぐと、クトニオスの船が見えた。


「おい、クトニオス! 手を貸せ!」

「女神様!? 食われたんじゃ……」

「無事だったんだよ!」


 マイアの体を船上に引き上げる。そこでようやく、マイアは目を覚ました。


「あれ、私……?」

「起きたか。すまない、マイア。手を治してくれ」


 フカノは食い千切られた腕を差し出す。マイアはそれを見て目を丸くしたが、すぐに事態を理解すると、カレイを生み出してフカノの腕に貼り付け始めた。

 その間に、フカノはケイトに質問する。


「なあ、ケイト。この世界にはゾンビを作る魔法っていうのはあるのか?」

「ゾンビ? 何、それは?」

「あー、動く死体だ」

「……死霊魔術ね。理論上はあるけど、成功させた人間はいないわ。必要な魔力が莫大だもの」

「だよなあ……」

「ただ」


 ケイトは緊張した面持ちで言葉を続ける。


「神の力であれば、死体を動かすことも可能よ」

「そんな馬鹿な」


 クトニオスに背負われたヴィヴィオが呻いた。


「この世界を管理する神はマイア様だ。そんな事をするはずあるまい」

「他に神がいる?」

「ケイト、お前は?」


 フカノに問われ、ケイトは首を横に振る。


「私は抜け出た魂の一部、生まれ変わりだから、そんな力は無いわ」

「じゃあ他の神様は?」

「いるけど、この世界にはいない。それぞれ自分の世界を管理しているはずよ」

「……嫌がらせで送ってくるとかは?」


 ケイトは苦い顔をして黙り込んだ。無くはないらしい。


「……どーすんだよ。これ」

「何か、何か無いの? 何か思いつかない?」

「つっても、ゾンビじゃなあ……」

「だからそのゾンビって何なのよ」

「まあ、動く死体だな。ホラー映画の定番ネタだ。死体が起き上がってうーあー言いながら歩いてくるんだ。捕まると食われる」

「何と恐ろしい……」


 ヴィヴィオが呻く。ファンタジー世界の感覚だとそうなるらしい。


「でもあれだ、歩いてるやつはそんなでもないんだ。最近だと走るやつとか、武器を持ってるやつとか、何か触手がでるやつとか、犬とかカラスがゾンビになったりとか、そういうやつのほうが危ない」

「何でもありね……」

「作り話だからな。でもゾンビよりサメの方が何でもありだぞ? ゾンビになったり、土や空を泳いだり、ビームを吐いたり、ミサイルを撃ったり、巨大化したり、小型化したり、タコの足を生やしたり、SNSを使ったり、悪霊になったり、電撃を出したり、人に乗り移ったり、サメ人間になったり、掃除機になったり、竜巻に乗ったり、燃えたり、宇宙に行ったり、原子力エネルギーを取り込んだり、世界中をワープしたり、タイムトラベルしたりするから」

「自由すぎない!? それ収拾つくの!?」

「いや……まあ、とりあえず爆発させとけば……」


 そう言いかけて、フカノは気付いた。


「ケイト。あのサメゾンビは神の力で動いてるんだよな?」

「え、ええ」

「なら、もしあの体がバラバラになったらどうなる? くっついて合体するのか?」

「いや、それは流石にないと思うけど……」


 答えは最初からあった。サメが辿る運命なのかもしれない。あるいは、サメとフカノの生前から続く宿命なのかもしれない。

 とにかくフカノは、最善にして最も原始的な答えに辿り着いた。


「なら、決まりだ。あのサメをもう一度吹っ飛ばす!」

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