第33話 片腕カンフーvs空飛ぶサメ
戦況が変わった。左翼に食らいついていたサメが、女神の勇者によって引き剥がされた。いち早くそれに気付いたのは、目の前でその光景を見ていた"大海嘯"アウリア、そして王国軍総司令官"旋風槍"ゲイルであった。
「総員!」
まずはゲイルが叫んだ。
「これより左翼が敵陣に突撃する! それに合わせ我々も中央に押し出す! 準備をしろ!」
ゲイルの指示を受け、旗艦の兵士たちが戦闘態勢に入った。
「よっしゃあ! サメがいなくなった!」
続いて、アウリアが雄叫びを上げた。
「あんたたち! いよいよ本番だ! 敵陣に突っ込むよ!」
「ワッショイ!」
「チェストォォォッ!」
アウリアの船は、ゲイルの読み通り敵陣へと突撃を始めた。サメに悩まされていた他の軍船も、態勢を立て直してアウリアの船に続く。その流れを受け、ゲイルの旗艦を始めとする中央も進軍を開始した。
逆に、崩れ始めたのは魔王軍の方だ。サメがいるから互角だったのに、そのサメがいなくなったことで、全体が不利になり始めた。
「怯むなっ! 味方の艦と合流して敵に当たれっ!」
スコスは檄を飛ばすが、海戦に不慣れな魔王軍は、思い通りの動きができない。操船を誤り、味方同士でぶつかる船まで出てくる始末だ。
このまま勝負が決まる、誰もがそう思った時、王国軍の船が粉微塵に吹き飛んだ。その中から飛び出したのは、サメだった。
「なんだとっ!?」
「倒したんじゃなかったのかい!?」
ゲイルとアウリアは、戦線復帰したサメの姿に驚愕する。
「サメだ! サメが戻ってきた!」
「やったぜ! これで俺たちの勝ちだーっ! 海の魔女、バンザーイ!」
一方、魔王軍はこの思わぬ援軍に息を吹き返した。歓声を上げるグレムリンの船もあった。
その船にサメが喰らいつき、完膚なきまでに破壊した。
「……なに?」
「おい、どういうことだ!?」
王国軍、魔王軍、双方が驚愕する前で、サメはどちらも区別をつけずに噛みつき、体当たりし、海に引きずり込んだ。サメにとって、水上の諍いなどなんの意味もなかった。ただ、本能のままに目の前のものを喰らい尽くすだけだ。
「アドリー、構え! 撃てぇーっ!」
サメに向かって一斉に銛が放たれた。そのうち数本が、サメの体に突き刺さる。だが、サメは怯む素振りすらなく、ゴブリンの高速艇に突撃し、船上のゴブリンたちに牙を剥く。それから、悠々と泳ぎ、竜巻の中に飛び込んだ。再び風がサメの体を持ち上げ、そして王国軍の船に向けて射出した。サメの巨体を受けたガレー船は木っ端微塵になった。
竜巻に囲まれ、次々とサメに襲われるこの海は、もはや王国軍と魔王軍の決戦場ではない。サメの立体機動殺戮空間であった。
――
その頃フカノは、クトニオスの船に乗って、サメ竜巻に向かっているところだった。
道中、クトニオスから事のあらましを聞いた。ケイトがマイアの妹で、海の女神の転生体だという話はすぐには信じられなかったが、ケイトが女神の力でフグを生み出したので信じることにした。魔王軍のスパイだという話も聞いた。しかし、ペンプレードを破壊され、戦場にサメが乱入して何もかも滅茶苦茶になった今では、彼女にできることは何もない。フカノに彼女をどうこうする権限も無いので、とりあえず縄で手を縛るぐらいで止めておいた。
「サメの野郎、ただじゃおかねえぞ」
フカノは前方を見据えて意気込む。目の前の戦場では、サメが竜巻に乗って空中殺法を披露している。背ビレに銛が刺さったあのサメは、エルフの村で撃退したサメだろう。どうやって今まで生き延びたか知らないが、今度こそとどめを刺す。
「待って、貴方、その腕で戦場に飛び込むつもり!?」
そんなフカノを、ケイトは引き留めようとする。確かに、左腕は半ばまで食い千切られている。だが、ヴィヴィオの処置で血は止まった。それに、爆死した時や両腕を失った時に比べればまだ軽い傷だ。
「大丈夫だ、これぐらい」
「無茶よ! 片腕であのサメと戦うなんて……」
「じゃあ治せるのか?」
ケイトは失われた左腕を見て、それから力なく首を横に振った。同じ女神のケイトでも、マイアとは司る権能が違うということは聞いている。マイアのように、魚を素材にして左腕を作り直すことなどできないのだろう。
「どの道マイアはいなくなったんだ。なら、これ一本でやるしかねえだろ」
「いや、だけどなあフカノ。そもそも行く必要あるのか?」
今度はクトニオスが言った。
「言っちゃ悪いが、ゲイル将軍だって、アウリア将軍だっているんだ。お前が行かなくても、あの人たちならサメを倒せるだろ」
「……おい」
フカノはクトニオスを睨みつける。
「サメに襲われて、尻尾を巻いて逃げろっていうのか?」
「……フカノ、お前まさか、また血で暴走してないか?」
「してねえよ」
確かに左腕からはおびただしい量の血が流れていたが、それはもう止まっている。血の匂いはまだこびりついているが、さっき自制できたのだから、今も自制できている。酔っ払いが自分のことを酔っていないというのと同じぐらい、今のフカノの自己認識は正確だった。
「隊長! サメが!」
見張りが叫んだ。魔王軍の船を突き破って、サメが現れた。サメは悠々と泳ぎ、フカノたちが乗る船の近くにある竜巻へと向かっている。いよいよ、決着を付ける時が来た。
「フカノ!」
ケイトの声。振り返ると、彼女は泣きそうな顔をして、フカノを見つめていた。
「……気をつけて」
フカノは拳を握りしめてそれに答えると、海に飛び込んだ。海面を泳ぎ、サメと同じ竜巻へと向かう。竜巻に近づくと、風に吸い上げられてフカノの体が浮き上がった。竜巻の中は、吸い上げられた海水と風が混じり合って、さながら渦潮のようであった。手足をバタつかせ、頭を上に、足を下にすると、なんとかバランスをとれた。そうしていると、下からサメが浮き上がってきた。
「来たか……!」
風はますます強く吹き荒れ、フカノの体を高く持ち上げる。サメも同じように、竜巻の中を泳いで空に上がってくる。サメのほうがスピードが速い。フカノは拳を握りしめ、サメを迎え撃つ。
この竜巻の中では大仰な回し蹴りや投げ技は使えない。なら、イメージするのはカンフー映画だ。最小最速の動きで拳を繰り出し、サメの体にダメージを与える。片腕カンフーなら、空飛ぶサメとも渡り合える。
「ケリをつけてやる、サメ野郎ッ!」
目前に迫ったサメに向けて、フカノは拳を突き出した。その時、風が一際強く吹いて、サメの飛行軌道を逸らした。フカノが繰り出した拳は、拳と拳がぶつかり合うがごとく、サメの胸ビレと正面衝突した。フカノは衝撃で弾き飛ばされ、サメの体もフカノの拳で少し揺れたようだった。
フカノは体勢を立て直し、サメを追って飛ぶ。追いすがりながら脇腹へ肘打ちを叩き込む! サメは尻尾を振り回し、フカノを弾き飛ばす。フカノはそれをしっかりと腕で防いだ。動きが見える。これなら戦える。
フカノは拳を開き、手刀を繰り出した。狙うはエラ。サメの体内に指を突き入れる! 柔らかい感触と、ゾッとするほどの冷気がフカノの手を包み込んだ。内蔵を指で抉られ、サメは苦悶の咆哮を上げた。体をくねらせ、フカノを引き剥がそうとする。サメの巨体が繰り出すパワーには、さすがのフカノも抗えない。エラの内側の肉と引き換えに、フカノはサメから振り落とされた。
手についた肉を払い落とし、フカノは再度サメを見据える。目の前に顎が迫っていた。
「おっとぉ!?」
フカノはサメの鼻先を蹴って、噛みつきを避ける。ここにきてようやく、サメはフカノを敵と見定めたようだ。片方のエラを抉られたというのに、サメの戦意は全く衰えていない。むしろ、ますます獰猛になっている。
「タフな奴だ」
体中に傷を受け、腹にも銛が刺さっているのに、サメは死ぬ素振りすら見せない。もっと致命的な一撃が必要だ。
「……そうだ!」
フカノはサメの腹に刺さった銛に注目した。エルフの村でヘレネが撃ち込んだものだ。サメの牙を避け、腹の下に潜り込むと、フカノはその銛をしっかりと握りしめた。サメが暴れるが、魚類にとって腹の下は死角だ。尾も牙も届かない。
サメとフカノの体は遠心力に乗って竜巻の中から弾き飛ばされた。その勢いと、フカノの体重がかかった銛は、サメの腹を大きく切り裂いた!
「よっしゃあっ!」
切り裂かれたサメの腹から、中身が海へと落ちていく。これは間違いなく致命傷だ。自分が落下していることも忘れて、フカノはガッツポーズをとった。
直後、その体が甲板に叩きつけられた。
「ぎゃあっ!?」
「ぐえっ!」
船上にいた兵士たちが何人か、巻き添えを食って薙ぎ倒された。彼らがクッションになったおかげで、フカノは怪我なく立ち上がることができた。
「すまねえ! 大丈夫か!?」
声をかけてから、フカノは気付いた。倒れているのは人間の兵士ではない。リザードマンだ。周りを見ると、魔王軍の兵士たちが遠巻きにフカノを囲んでいた。そして、その先頭に立っているのは、キルケオーでフカノと戦い、両腕を食い千切ったスコスだった。
「貴様……なんで飛んできた!?」
「すまん! サメと戦ってたら飛ばされた! 許せ!」
勢いのある平謝りである。一度戦って負けた相手であるし、そもそもフカノはサメと戦いに来たので、魔王軍の動向はあまり気にしていない。
「サメ? ……あの、敵も味方も見境なく襲いかかる化物か」
「ああ。だけどもう倒したから大丈夫だ」
「……何を言ってる」
フカノの背後で水柱が噴き上がった。驚いて振り向くと、サメが飛び上がり、天に向かって咆哮しているところだった。
「なんでっ!?」
体を半分以上切り裂いたはずだ。それなのに、死ぬどころが弱ってすらいないのはあまりにも異常だ。
フカノの疑問に対する答えを、スコスはひと目で見抜いていた。それは、狩猟を得意とするリザードマンによる観察眼が気付かせたものだった。スコス自身にも信じられない話だが、とにかく彼は見たままを叫んだ。
「あのサメ、もう死んでいるぞ!」
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